口から出まかせ日記【表】

こんな寒かったっけ冬

生活の導線の話。

 

私の職場があるところは街のど真ん中で、そこそこ栄えているところです。といっても、東京の繁華街なんかと比べちゃあいけない。新宿ゴールデン街の1%ぐらいの栄え具合です。フィリピンパブ、怪しげな占い屋さん、沖縄料理の店、ラーメン屋に古着屋、法律事務所なんかが仲良くひしめいています。


そういう店の間に、昔からやってる八百屋さんだとか、豆腐屋さん、メガネ屋さん、酒屋さんなんかもあり、会社を終えた後、近くに住んでいる方がそういった店で買い物をしているのを眺めながら、帰路についています。夕方の淡い光の中で、おばあちゃんが藁で編んだマイバックを持って、つぶさに野菜を眺めながら買い物をしている様子を見ていると、なんというか、染みとおるような安心感があります。


街の中心部の方が、小粒ながら、ちゃんとそれぞれの特色を持った店が、人の生活の導線上に並んでいる。それに沿って日々を過ごすことが、そのあたりに住む人たちの人生を形作っている。そんな感じがしますね。


それが、いま自分が住んでいる郊外の住宅街に戻ってくると、導線は一気に単純になります。中心部に、スーパーとホームセンターを兼ね揃えた商業施設がでーんと建っていて、住人はみんなでそこを目指すので、人の導線は一直線です。右往左往しません。そこに行けば欲しいもの全部が一気に手に入ります。その代償として、昔からやっていた個人の店は、みんな潰れてしまいました。

 

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この感じ。自分としてはどうも何かの暗示のような気がするんですが、モヤモヤしていてうまく説明できません。ただ、効率的にどこか一つの場所で生活物資が揃えられる環境というのは、もちろん快適ではあるけれど、それが正解ではないと思います。これは、生活が快適であればあるほど、自分の時間が増えるわけだから、それとどう向き合うのかという根本的な課題を孕んでいて、複雑です。


そういえば、私は東京なんかに遊びに行ったときも、基本的に下町ばっかりいってます。浅草とか、谷中とか、そのへんです。地元の人に紛れながら、八百屋さんとか魚屋さん、お米屋さん、豆腐屋さんなんかを覗きながら歩き回ります。意識して歩いているというよりは、歩いているうちに、自然とそのあたりの「生活の流れ」のようなものに沿う感じになり、かえって、何も考えずともゆっくり流されている感覚が、心地いいんです。


それは、自分がなにかと同化したいと思っているからかも。自分と一体化できるような場所柄を求めて、わざわざ遠くの下町をウロウロしているのかもしれない。となると、私は今の環境に、必ずしも満足はしていないんでしょうね。ただ、その環境が遠くに行かなければ手に入らないというわけでもないと思うんです。


なんか文脈が怪しくなってきたのでそろそろ終わりますが、自分はとにかく右往左往したい人間なんだと思います。効率に導かれた道は、どうしても興を削がれてしまいます。八百屋さんや魚屋さんを巡りながら、その合間で何かを考えたり、考えなかったりしながら、のらりくらりと日々を過ごす。それが許される環境を自分なりに維持していく。これからも口から出まかせ日記をよろしくお願いします。


いづろ商店街テーマソング