そういちコラム

数百文字~3000文字で森羅万象を語る。挿絵も描いてます。世界史ブログ「そういち総研」もお願いします。

インターネット空間の治安を守る「警察」が要る?

インターネットには、一般に普及し始めた頃、「国家やマスコミやその他の権威から自由な、開放的空間」というイメージがありました。ある種の「性善説」でインターネットをみていたわけです。

ところが今は、インターネットは、悪意や愚かさに満ちた、かなり危ない空間になっています。局所的には「比較的安全」といえる場もありますが、詐欺、偽情報、誹謗中傷、差別的発言などがあちこちで強い影響力を持つ、相当に「無法」な場になってしまいました。

プラットフォームを運営する業者が、自主的にネット空間の治安維持の責任を担う、ということは期待できないと思います。一定のことはするとしても、本当に実効性のある対策はやはり負担が大きく、自社の利益を大きく損なうからです。

こういうときは、やはり国家権力しかないのだと、私は思います。社会の治安を守ること、不当な権利侵害が行われないようにすることは、国家の責務であり、存在意義です。

「国家権力から自由な解放空間」のはずが、国家による適切な規制がおよばないことによって「無法空間」になりかけている、というのが今のインターネットではないか?

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まず、「ネット空間の治安を守る」ための法整備をすすめていくことです。立法上の技術的な問題がいろいろあるにせよ、それらを整理していくしかないでしょう。

「そのような法整備は難しい点が多々あり…」という専門家の意見もたまにみられますが、そのうちのかなりの人について、私は「プラットフォームの業者側の立場や利益を重視しすぎているのでは?」と思うところがあります。

そして、ネット空間の治安を実現する国家の機能としては、日本の場合、やはり行政機関が重要だと思います。日本では司法の機能にいろいろな限界がある(要するに一般市民にとって使い勝手が悪い)からです。

つまり、「ネット警察」的な機能を持った、相当な人員をかかえた専門の行政機関が必要なのではないか、ということです。

国民にとって、この「ネット警察」の窓口が、ネット上での様々なトラブルの身近な訴え先になるわけです。

そして、その訴えを審査したうえで「ネット警察」は、たとえばプラットフォーム業者に書き込みの削除命令などを行うわけです。場合によっては、制裁金や業務停止命令などの重い処分を業者に下すこともあり得る。

もちろん、その命令に業者が従う義務があること、また命令・処分を下すうえでの判断基準などについては、法整備がきちんとなされているというのが前提です。

そして、「ネット警察」の処分に不服であれば、プラットフォームの業者や、削除対象となった書き込みの主などの当事者には、行政不服審査や司法で争う余地はあるわけです。

このような「所管官庁を通じた業者の規制」というスキームは、日本では、さまざまな事業分野で一般的です(私は公共交通機関を営む会社で、事業の許認可申請などを担当する仕事をしていたことがあるので、このあたりの社会の現場の実態を、かなりイメージできるほうではないかと)。

だから、そのスキームを「インターネット空間の治安を守る」うえでも使えばいいのではないか、と思うのです。

「社会の現場で起こった問題や対立を、対等の市民どうしが司法の場で解決する」ことを第一の選択肢としたスキームは、少なくとも今の日本社会では、十分に機能しないと、私は思います。

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そして、「ネット警察」の創設についてですが、じつは目端の利く官僚や政治家のなかには、すでに考えている人はいるのではないかと、私は思います(具体的なことは不勉強で知りませんが)。

それが国民や社会のニーズにこたえるものだから、というだけではありません。国家権力の強化や、新たな利権の創出(たとえば天下り先や政治献金を増やす)にも、じつに有効な手段だからです。

「ネット警察」は、運用しだいでは、表現の自由を損なう強力な検閲機関にもなりえます。「治安維持」というのは、過去において検閲や政府による過剰な統制の口実になってきました。

しかし、そのように考えると、「ネット警察」は、国民の利害・ニーズと、権限や利権を拡張したいという政府側の思惑が一致するので、かなり実現性がある、ともいえるでしょう。

それでも、国家への不信感から「ネット警察」に反対する世論も強くあるかもしれません。そのような意見対立を乗りこえることができず、結局話がまとまらないということもあり得ます。また、「どこの組織が・誰がイニシアチブをとるか」といった、官庁や権力者のあいだの縄張り争い的な(もしくは責任転嫁的な)ごたごたが、実現を遅らせる可能性もあるでしょう。

しかし、「社会におけるさまざまな利害の対立を適切に調整しうる、強力な政府」を発達させ、それが暴走しないようにコントロールできてこそ、一流の文明国・先進国ではないでしょうか。

「ネット警察」というかたちでなくても、今のインターネット上のさまざまな問題を解決するには、国家に何らかの新たな強い権限をあたえる必要はあるはずです。

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あまり賢くない国家や国民は、そういう場合に、結局有効な対処の決定ができないか、あるいは強い権限をあたえた政府に暴走を許してしまうわけです。

そのどちらでもない道を、私たちは行くべきだと思います。

でも、「どちらでもない道」というのは、相当に狭い道です。私たちにその狭い道を行く芸当がほんとうにできるのか? その不安や不信は、やはり残ります…

 

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