そういちコラム

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専制国家・中国と、多元的で「民主主義」のインド

先日(2022年9月30日)アップした当ブログの記事で、「中国は権力集中の専制構造の社会で、日本は権力分散の団体構造の社会」ということを述べました。

現代中国の研究者にも、歴史学者にも、つぎのようなことを言う人がいて、私も「そうだな」と思うのです。

・中国は、バラバラの個人である14憶人が、トップの権力者によって束ねられている(権力集中の専制構造)
・日本は、大小さまざまな団体や、いろんなレベルの階層ごとに権力が分散(権力分散の団体構造)

現代中国の研究者の益尾知佐子さんは「中国人の組織ではボスと部下たちは基本的に1対1の権威関係で結ばれている。部下たちは互いに独立し、協力しあうことはあまりない」と述べています。

たとえば飲食店で厨房とホールが互いの仕事を手伝うことはめったにない。これは従業員どうしの関係が悪いのではなく、相手のテリトリーを犯すと、ボスに認められたその人の立場を否定することになるからだ……そんなことを益尾さんは述べている。

これに対し日本では厨房とホールが互いに手伝うのは普通のことであるはずです。

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権力集中の社会は、「正解」がわかりやすい、先進国を追いかける「模倣」の段階では効率がいいところがあるのでしょう。権力者が示した「正解」の方向へみんながまい進して、それでだいたいまちがいないからです。

でも、先進国に近づくほど「何が正解か」は不明確になるので、中国における権力集中の弊害は、今後大きくなるかもしれない。

一方日本では、いろんなレベルの組織・団体が、慣習やしがらみに制約をうけて、身動きがとれない状態になっていると感じます。

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そんなことを、先日のブログ記事では書きました。

この記事に関し、SNS上で友人からこんな主旨のコメントがありました。

「なぜ中国では民主主義が根付かないのか? それは、中国のような人口の多いところで、民主主義で多様な意見をみんなが述べて議論し始めたら、収拾がつかなくて何も決まらないか、内紛になるからではないか」

「だから今後も中国に民主主義が根付くことはない。「皇帝」が治めるしかない――なんの勉強もしていないシロウトの見方ですが、そんなふうに考えます」

これに対し私はつぎのような内容のコメントをしました。

「私も、人口は政治体制と関係があるかもしれないと思うこともあります。でも、アメリカやインドのような、専制国家ではない人口大国もあるわけです。私はやはり歴史(どう国家が形成し展開してきたか)がやはり重要だと思います」

「中国の場合は、“地域社会やさまざまな団体などの中間的な権力が徹底的に潰された末に成立した帝国“と“そのような帝国が正統的なものとしてくりかえしあらわれて支配し続けた歴史”が今も影響し続けているという感じがします」

すると、今度は友人から、以下の主旨の質問が。

「ではインドってどういう政治体制なのでしょう? アメリカや中国の体制はある程度イメージができるのですが、インドは人口があんなにいるのに、専制という様子もないし、民主制なのでしょうか? 」

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インドについて、私たちはアメリカや中国にくらべて、わずかの情報やイメージしかもっていません。

大きな書店や図書館で「各国事情、国際情勢」のコーナーの棚をみると、アメリカや中国関連の本がたくさんあるのにくらべ、インド関連の本はかぎられています。

インドは中国と並ぶ人口大国で、世界のなかでまぎれもなく大きな存在ですが、私たちの関心はたしかに薄いです。「インドの政治体制は(ざっくりと)どんな感じなのか」について自信をもって答えられる日本人は少数派かもしれません。私も現代インドについて、ごく大雑把なことしか知りません。

以下は、友人の問いに対するコメントに大幅に加筆・修正したものです(片山祐ほか『アジアの政治経済入門』有斐閣、近藤治『インドの歴史』講談社現代新書などによる)。

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インドは、複数の政党や、各種の利権団体が存在し、選挙が機能しているという意味で、民主主義といえます。

しかし、昔からの地主が地方議員や首長に立候補して、地主のもとで働く農民が否応なくそれに一票入れて……みたいなことが横行する「民主主義」です。

中国では、分裂の時代もありましたが「専制権力に一元的に統合された時代」が「正統」であり、一種の「デフォルト」です。

一方インドでは分立・分裂が「正常」で、統一帝国の時代は比較的短いです。「インド」とされる文化圏全体を統一した王朝は、紀元前200年代のマウリヤ朝(アショカ王による統一)や、1600年代以降のムガル朝くらいのものです。

あとは、北インドを統一したグプタ朝(西暦300年代に繁栄)が「半分統一」といえるくらい。

しかも「統一」が安定した期間は比較的かぎられています。統一かそれに近い状態は、支配者(皇帝)が三代くらい続くと、あとは崩れていく――それがくり返されてきました。

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「統一国家の期間が短い」というのは、地理的に大小さまざまに区分される複雑な地形などの条件が大きく作用しています。インドは中国の中核地帯のように大きな平地が広がる地形ではない。

そこで、地方政権が割拠しやすかったのです。中国のように、一元的で巨大な権力集中は起きにくかった。

そのような歴史から、インドでは地域レベルや、職種・身分単位のさまざまな権力が重なり合って成立する、多元的な社会になっている。

また、イギリスの植民地だった時代(1800年代後半以降)に、さまざまな地方権力・団体を統治する手段として一定の議会政治も発達しました。

つまりイギリスによって、その支配を正当化し反抗の動きをコントロールする手段として、議会による自治が(限界はあるものの)インドに導入されていたのです。その議会政治に、地方権力者・地主などを議員として参加させました。

その結果、一定の民主主義的な政治家が育成され、国民も選挙というものに慣れていったわけです。

なおイギリスは、インド人が団結して反抗しないよう、インドにおけるさまざまな権力の分立・社会の分断を促す政策や工作も行っています。

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あと、インドの独立(1947年)は独立戦争ではなく、イギリスとの話し合いでなされました。だから、独立戦争を戦った強力な革命勢力は存在しません。

たとえば、「暴力」による革命を起こし、革命を防衛する戦争を遂行した、ロシア革命におけるボルシェビキ(のちの共産党)のようなものは成立しませんでした。このことも独裁・専制の体制にならなかった要因のひとつだと思います。

私には、インドの「民主主義」は、有力者の談合の手続きのように思えます。

しかし有力者(地主や資本家、それと結びついた政治家)も「民衆の支持を得ておかないと、社会主義の革命が起きる恐れがある」と考えて、それなりに気を使ってきた。

それで恐ろしい専制権力が成立せず、国家の大規模な内紛も起きないのなら、結構なことだとも思えます。

ただ、インドの民主主義は盤石かというと、かならずしもそうではないかもしれません。

1970年代のインドでは、非常事態宣言が出されて議会が停止するという事態もありました(1975年)。

このときはインディラ・ガンジー首相と、その強権的な政治姿勢に反発する与党の一派や野党との対立が激化していました。それで反対派が投獄され、労働運動などが弾圧された末に非常事態宣言となったのです。

今のインドにも、ヒンズーとイスラムそれぞれの原理主義者のあいだの対立など、火種はいくつかあるわけです。社会の対立が激化すると、対立する片方が権力の側であれば、民主主義をやめて敵を力で押さえ込むようになることはあり得るはずです。

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以上に対し、友人からは「なるほど。人口は同じくらいでも、中国とは全然事情が違いますね」とのコメント。

中国とインドは同じような人口規模の大国で、どちらも古い歴史を持っているのですが、その歴史の中身は全然ちがう。対照的といってもいいのです。

そしてその歴史のちがいが、現在の社会体制にもたしかに反映しています。

中国とインドを比較すると「社会は歴史的につくられる」という基本的なことを、あらためて強く感じます。また、両者を比較することで、それぞれの国への理解も深まるはずです。

そして、頂いたコメントから、考えや知識を整理したり深めたりすることができました。こういうことがたまにありますが、ブログの大きな楽しみです。

 

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