そういちコラム

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戦争という破壊がもたらした平等化

歴史学者のウォルター・シャイデルによる、世界上のさまざまな「破壊がもたらした平等化」を扱った『暴力と不平等の人類史』(東洋経済新報社、2019年、原著2017年、鬼澤忍・塩原通緒訳)という本があります。

その本では、アジア太平洋戦争による「平等化」に1章が割かれています。シャイデルによれば「日本は、戦争由来の平等化の教科書的な事例」だそうです。

第ニ次世界大戦前夜の時代、日本も欧米も、今の私たちの感覚では激しい格差社会でした。

経済史の研究者・森口千晶さんのレポート(『週刊エコノミスト』2014年8月12・19日合併号所収)によれば、1930年代(昭和戦前期)の日本では「成人人口の上位1%」の限られた富裕層が、全国民の所得の2割ほどを得ていました。

そしてこの「1%」の戦前の富裕層の所得の約半分は、金融資産や不動産からの不労所得です。

しかしこの「1%シェア」は、2010年頃だと1割ほどに大きく低下。その7~8割は給与所得で、不労所得の割合は比較的少ない。

また、1930年代の日本では上位0.1%が全国民の所得の8~9%を得ていました。同時代のアメリカ・イギリス・フランスにおける「0.1%シェア」も、日本と同水準です。

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しかし、アジア太平洋戦争が終わった直後(1945年)には、日本における「上位1%」が占めるシェアは6~7%になりました。「上位0.1%シェア」は2%ほどに下がっています。

また、富裕層の所得の大半を占めていた、配当・利子・地代などの不労所得は激減しました。

これはまず、戦争の被害によって多くの社会資本が失われてしまったからです。シャイデルの本によれば、1945年9月時点で、たとえば日本国内の商船の80%、建物の25%、工場設備の34%は失われていました。そして、これらの失われた資産の多くは、富裕層の所有物だったわけです。

こうした破壊とともに、戦時中の経済統制も、富裕層(企業のオーナー・地主層)にダメージを与えました。

利益配当や役員報酬の制限、所得税・法人税の引き上げ、小作料や土地価格の据え置き等々……戦時中の国家は、戦争遂行のために社会の富を国家に集中させようとしたのです。

ここでは立ち入りませんが、戦後の財閥解体や農地改革などの影響も、もちろん大きいです。

このように、アジア太平洋戦争によって、富裕層は国家に富を搾り取られたり破壊されたりする結果となった。そして戦後の改革では多くの既得権を失った。もちろん人それぞれということはあるにせよ、全体の傾向としてはそうなった。

しかし一方、庶民は戦争で「命を搾り取られた」のです。アジア太平洋戦争を通じて、230万人の軍人・兵士が戦死し、民間人は80万人が亡くなりました。

そして空襲で家を失った庶民の多くは、財産を失っただけでは済まず、生存をおびやかされたのです。また食料・物資の欠乏で、健康や命の被害を受けました。

欧米のおもな国ぐにの格差も、戦争(第二次世界大戦)によって一挙に縮小しました。ほぼ日本と同じことが起こったのです。

そして1960~1970年代にはこれらの欧米諸国の「0.1%シェア」は、日本と同じ2%程度でした。

戦争による膨大な犠牲と破壊のうえに、こうした「格差縮小」「平等化」がもたされたのでした。

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しかし、この30~40年、世界のおもな国ぐにの格差は再拡大の傾向にあります。とくにアメリカとイギリスでは、1980年代から「0.1%シェア」は急速に上昇し、2010年代のアメリカでは第二次世界大戦前の水準に達しました。

日本でも、2000年頃から「0.1%シェア」の上昇がみられ、2010年代には3%弱まで上昇しました。(森口千晶氏のレポートによる)。

こうした「世界的な格差の再拡大」のことが、近年いろいろと論じられているのは、ご存じのとおりです。

その代表格であるトマ・ピケティの『21世紀の資本』(みずず書房、2014年、原著2013年)には、こうあります。

《1970年代以来、所得格差は富裕国で大幅に増大した。特にこれは米国で顕著だった。米国では、2000年代における所得の集中は、1910年代の水準に戻ってしまった》
《イギリスとカナダでも事態は同じ方向に動いている。大陸ヨーロッパと日本では、現在の所得格差は20世紀初頭よりはるかに小さい》。しかし《10年、あるいは20年の遅れがあるとはいえ、この国々の軌跡はいくつかの点で米国に似ている》(山形浩生・森岡桜・森本正史訳)

また、シャイデルの本の冒頭では、現代世界におけるすさまじい「富の集中」について、つぎのようなデータを取り上げています。

・2010年には全世界の貧しいほうから半分の人びとの個人資産と同額の富を、世界で最も裕福な上位388人が所有していた。しかし2015年には、世界の下位半分の人びとと同額の富をわずか上位62人で占めるようになった。

この手のデータは、アップデートされながら、よくとり上げられます。

20世紀前半の世界大戦や社会主義革命によって富裕層の富や既得権が破壊され、その後の改革などで平等化がすすんだ。しかしその後の一応の平和、つまり世界大戦レベルの事態がない状態が長く続くなかで、戦前のような格差が復活してきたのです。

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このような格差の拡大は、世界を不安定にする要因です。格差の問題は、平和のうちに民主的にうまく取り扱う必要があります。

つまり「民主的な意思決定による、課税と分配」によって対応するということ。また経済成長や技術革新によって、人びとの生活レベルを底上げすることも重要でしょう。

でも、私たちはほんとうに格差の問題をうまく扱えるのでしょうか?

世界史上の格差縮小について幅広く論じたシャイデルの著書を読むと、そこはかなり悲観的になります。

シャイデルは、世界史において「戦争」「革命」「(国家の)崩壊」「疫病」といった暴力的破壊こそが不平等を強力に是正した「平等化の四騎士」だったと述べています。

そのほかの有力な平等化のメカニズムは、歴史上に見当たらないのだというのです。

ただしシャイデルによれば、この「四騎士」のうち西ローマ帝国の滅亡のような壊滅的な「崩壊」や、中世ヨーロッパのペストのような激烈な「疫病」は、20世紀までには少なくとも先進国ではみられなくなった。

そして20世紀には、世界大戦のような「戦争」と、ロシアや中国の社会主義革命のような「革命」が、平等化を促す暴力的破壊として大きな影響力を持ちました。

20世紀前半に起こったロシアや中国の社会主義革命も、それぞれ百万~千万単位の犠牲者を出す大きな暴力をともなうものでした。それらの革命には、世界大戦の破壊に匹敵する平等化の作用があったのです。

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しかしシャイデルは、現代では世界大戦のような《大量動員戦争は、もはや過去のもの》《変革的革命は、大量動員戦争以上にすっかり時代遅れとなった》とみています。

たしかにそうかもしれません。しかし今の私たちは、平等化を促す強力な手段として戦争や革命以外の「時代遅れ」ではない何かを持っているでしょうか? 

まず考えられるのはやはり「高い税率(とくに富裕層への)と幅広い人びとへの再分配」という政策です。しかし、それを推進するむずかしさは、近年における富裕層への富の集中をみれば明らかです。

近年は世界の多くの国で、税制などが富裕層に有利な方向に傾いていると、多くの識者が指摘しています。

シャイデルが示すところでは、アメリカでは、1980年から2013年にかけて、収入の多い上位0.1%の世帯への平均の所得税率は42%から27%に、資産への平均の課税率は54%から40%に下がっているのです。富裕層は、政治資金提供で政治に大きな影響力を持っています。

現行の政治・経済のしくみのなかでは、格差の是正ということは容易ではないようです。

うーん、どうしたいいのか? 専門家たちも有力な処方箋を示し切れていないようです。とにかく「戦争や暴力的革命で格差を是正する」などという方向に陥らない安定した社会を築くには、それこそ戦争や革命を行うのに匹敵する努力がいるのでしょう……

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