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「世界一過酷なモータースポーツ競技」と言われるパリ・ダカールラリー(略して”パリダカ”)が今年は中止になったことは結構大きく報道されたのでモータースポーツに関心のない方でもご存じだと思う。
これまでも何度も中止の危機に見舞われながらも1979年から連綿と続けられてきたけど、ついに。という感じ。良くも悪くもパリダカの象徴だった創始者ティエリー・サビーヌがレースの途上で事故死して以後、「偉大なる草レース」の香りは次第に薄れ、ベスパやミニまでエントリーしていた初期の頃とは違って今やとてつもないモンスターマシンを投入するメーカー対抗戦になってしまった観のあるパリダカにはわたしも興味を失いつつあったのだけど、それでも中止になるとなんだか寂しい。 オフロードバイクに乗っていると「一度はこんな砂漠を疾走するラリーレイドに出場してみたいもんだ...。」などと子供じみた夢想にかられるのだけど、ノービスもいいところのライディングの腕前と薄っぺらな財布の持ち主であるわたしにはパリダカやあるいはアメリカ大陸の1000マイルをノンストップで走り抜けるバハ1000は選ばれし戦士達のものにしか思えずギャラリーとしてひたすら感嘆のため息をつくしかない。 ところがこの先鋭化してしまったラリーレイド界の潮流を置き去りにして、私のようなへたっぴで貧乏なライダーでも出られるかも?と思わせてしまうレースがあったのだ。 別名「貧乏人のパリダカ」と呼ばれている、その名も「ブダペスト・バマコ・ザ・グレート・アフリカン・ラン」。 ハンガリー共和国のブダペストからマリ共和国のバマコまでの9000キロ弱を15日間で走り抜ける、ロケーションと距離はパリダカにまさるとも劣らない壮大なスケール。なのだが寸刻を争ってしのぎを削るレースではなく実はアフリカの貧しい村々へのチャリティを目的としたもので、出場する車やバイクには薬品や衣料品や文具などを積み込んでアフリカの貧しい村や学校に寄付してゆくべし、というのがレギュレーションなのだ。さらにエントリーはコンペ部門とツーリング部門に別れており、ツーリング部門には通常のラリーレイドのようなタイムチェックは行われない。 公式サイトを見てみると「貧乏人のパリダカ」の別名も頷けることがいろいろ書いてあってなかなか愉快だ。 たとえば「費用はいくらかかるか?」との質問の答えには「あなたがレース中トラバントのバックシートに寝てツナの缶詰を食ってるかハマーに乗って毎晩五つ星ホテルに泊まるかで変わるが、まあだいたい1000〜2000ユーロくらいかな。」、あるいは「帰りは車はどうしたらいいんだ?」には「以下の方法もある。1、ギニアかセネガルから船に乗せてそれぞれの国に帰る。2.バマコで売る。3.貧しい村に寄付する。」なんて書いてある。 エントリーしてる車種もこれまた「君、バマコにたどり着ける自信ほんまにあるんか!?」って言いたくなるようなのが混じってて呑気でいい雰囲気。 旧ソ連車とはいえパリダカでもとりあえずは完走しているラダ・ニーバなどはまだしも、空冷ビートルや古いワンボックスワゴン、あげくはほんとにトラバントやあるいはロシア製のウラルなんていう太古バイクまで出てる。もちろんハマーやランドローバーのような高価な車でエントリーしてる人々もいるのだけど、でもどう見たって主役はビートルやトラバントの方だ。ハマーでなら完走してあたりまえの道程もビートルやトラバントでの挑戦は冒険そのものなんだから。 ティエリー・サビーヌの遺した有名な言葉、「私にできるのは、”冒険の扉“を示すこと。扉の向こうには、危険が待っている。扉を開くのは君だ。望むなら連れて行こう」。 冒険の扉の形やサイズは違うけど、あなたがホームセンターにトイレットペーパーを買いに行くのに使ってるミラでもその扉を開くことが出来る「ブダペスト・バマコ・ザ・グレート・アフリカン・ラン」、今年のレースは先月終わったけど、来年もありますよ。
by sivaprod
| 2008-02-21 17:12
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