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前回のエントリにリンク付けたような在日コリアンや中国人に対する排外主義的な物言い(”言論”なんて言いたくない)を若い世代がためらいなく口にするのを見聞きすると気持ちが沸々煮えたぎって仕方ない。それはともするとそういう彼らに対する憎悪、という彼らと同じような暗黒面にワタクシを向かいさせかねない危機をも含む。
でそういう青少年に対して私はどうすればいいのか?などとも考えてしまうのであるが、彼らには知や論理が全く通じない様子をあちこちで見るにつけますます絶望的な気分になってしまってたのであった。 ところが最近ふと「これってもしかしたら奴らにとってリストカットと同じなんじゃないか?」って思ってしまって。彼らが嫌悪する対象はリアルな他者じゃないんだよね。どう見ても彼らがリアルな在日コリアンや中国人の暮らしを知る訳も無く、彼らが排除を叫んでるのは彼らの中にいる幻想の他者でしかない。いみじくも在日韓国人であるとあるブロガーが「日本には外部ってもんが全くない」と嘆いておられるが、なんつか、外部=国外という意味よりも彼ら自身がリアルに触れている外部ってもんが感じられないのだ。 以前私自身も軽度なリストカッターであったと書いたけど、リストカットって「私を見て!私に触って!」っていうメッセージに他ならない。手首より吹き出す温かい血液によって”他者”である自分がもう一人の自分という生き物を実感する。で私の場合リアルな”他者”との逃げようの無い交渉事(恋愛とか仕事とか)によってリストカッターでなくなったのだったが、在特会だのチャンネル桜だのに依る若い人々を見ていると「私を見て!私に触って!」って叫んでるように見えてとても痛々しいのだよね。 排外主義的な物言いをする若者の多くがなぜか二次元趣味の持ち主であったりするのだけど、それは偶然ではなくって実は彼らの叫びはリアルで誰にも繋がれず誰にも触ってもらえない疎外されてる若者達の叫びなんじゃないだろうかと思ったりもする。だからといってそれが正当化されるわけではないんだけど、でももしそうなら理を説いたりするのも、あるいはバカにしたり憎悪で返したりしても無力なんじゃないかなとも。どうなんだろうね?
by sivaprod
| 2009-10-20 04:17
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