いつものようにホテルの朝食
昼食は、とろろ蕎麦にする。
救援便がいつ出るか、というのがテレビの報道でもちらほら流れ始める。
マスコミからの取材も切羽詰まってきた。
19時, この時間で連絡無いのであれば脱出は明日以降だろうと呑気に構えていた。
晩御飯を頂きにレストランに向かう。
いつもより人が少ない。
限定メニューの和風ラーメンを頼んで何気なくメールチェックすると大使館からの集合メール。
19:15 現在
集合は20:45
急いでラーメンを流し込む。
慌てて部屋に戻り準備をする。
大使館からのメールには荷物はスーツケース一人一つと指示がある。
かみさんと大きめのスーツケースをそれぞれ一つづつ準備して、迷いながら詰め込む。
集合場所のホテルロビーに向かう。
ホテル横の脇道には既にバスが到着していた。
出発を待つ。
5,6才の男の子がいた。
お母さんも側にいたが、どうやら話を聞くと、日本国籍の子供は救援便に乗れるが、中国籍のお母さんは許可が降りなかったらしい。 子供だけ一人で帰国させるようだ。
空港への移動中、ずっと「お家に帰りたい」と言い続けていた。周りに面倒見てくれる人もいたが、子供一人では気の毒だ。
高速道路の空港ゲートでしばらく待たされる。
このゲートを通るには外事弁公室の担当官がいないと通してくれないらしい。
30分はかかるそうだ。
我々日本人の前にはアメリカ人への対応で空港でも大分時間かかる。
ようやくチェックインで待っていると一番によばれたが、発熱を自己申告したら結局は一番最後に回される。
最後尾の座席にぶち込まれた。
搭乗後機内で2時間は待たされた。
また発熱で発汗し過ぎ、気分悪くなるが、我慢するしかない。
もう上半身ビショビショだ。
知らない間に眠っていた。
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by shangkato2
| 2024-03-15 00:12
| 武漢日記
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