言葉(話法)は内面から生まれてくるもんなんだろうか

http://d.hatena.ne.jp/akio71/20070530#p1
とこの前書いた
http://d.hatena.ne.jp/setofuumi/20070531#p2
あたりの話を考えたり適当に話していたりして出てきた疑問がタイトル。


ここらへんはたぶん言語学的にも割れている*1ので正しい見解はないんだろうな、とうすぼんやりと思ったがそれは措いといて、akio71さんのいうところでは「何らかの効果を狙って用いられる」のが(ここでは"あほのこ")口調や話法、ということで「内面や欲求によってその口調、話法が生まれた」ように読めたんだけど、どうも自分としてはそうとは思えんなあ、という。
詳細は0531に書いたんだけど、人間というのは内面や欲求からまったくオリジナルな言語を作り出せるようには思えんのよな。何かモデルがあってそれを評価、採用していった、と考える方が自然に思える。そこは元のakio71さんのエントリでも「普及」という言葉を使っているから考えていないでもないんだろうけれども、どうなんだろうかな。ちょっとややこしいのでゆっくり考えてみたい。

*1:赤ん坊は言語モデルを持ってるのか学習によって言語能力を持つのかでだいぶ揉めた、とかいう話を聞いた

対戦するゲーム

id:Dryadさんがブクマしてたので
http://blog.livedoor.jp/borisgoto/archives/50802269.html
から。
俺はMMOにおいてそれなりにやりこんでるコミュニティに属していたんだけど、そういった層の中で「対戦して競う」型のゲームは結構需要があった。MMOでコミュニティ形成→その面子で対戦型ゲーム、という流れ。俺としてはそういうのがもっとフレキシブルに繋がっていったら面白いだろうな、と考えていたりしたが、そうでもなかった(まあ部分的にはあったりもしたが)。コミュニティ内で、MMOやるか、他の対戦型ゲームやるかがその都度、気分と面子と流行で決定されていた感じ。
で、面白かったのが、MMOやりこんでた一人(元気な若者。男性。)が将棋にはまってた。将棋おもしれー、っていってかなりやってたんだけど、(ソフトはハンゲームのだったんだけど)ロビーいって見知らぬ人とやるか、っつーとそうでもない、といった感じで。
なんというか、ゲームは将棋でいいんだよな、と思ったりした。で、それはたまたま将棋だったけど、将棋と同じくらいのゲーム性(便利用語)があれば、それは何にでもなる可能性はあるし、それは巡り合わせや運によるのかな、といったところ。

嫌いと言うには元気が必要

http://artifact-jp.com/mt/archives/200402/murakami.html
たまたま読んだら俺がうすぼんやりと考えていたことが色々と書いてあった。
http://d.hatena.ne.jp/setofuumi/20070109#p3
ここの中二病どうこうを書いたのにもらったブクマコメとかに繋がる話。

「嫌いだ」って言うのは元気が必要だという。

とかが我が意を得たりな感じ。
思うに、(ネットで色々な人の色々な文章を)読む側としては、それがポジティブにしてもネガティブにしてもエネルギーがあったほうが何かと良い。
中二病のあれこれの中で「見下した方が良い」と書いたことに引きつけて書いてみると
俺の中では

元気のあるポジ>元気のあるネガ>元気のないポジ>元気のないネガ

↑は誤解されるのを恐れすぎたので誤解されそうな表現をすると

エネルギー溢れる「好き」>エネルギー溢れる「嫌い」
 >エネルギー使ってない「好き」>エネルギー使ってない「嫌い」

という評価基準なんだけど、時折

全てのポジ>全てのネガ

という評価がされて、元気のあるネガ(これが嫌いだ!)というエネルギーがスポイルされるのは(読む側としては)嫌だな、ということだったりする。同じようなことを
http://d.hatena.ne.jp/setofuumi/20070104#p2
で書いたりした。
何かによりかかって(中二病だから貶して良い、とか、最近だと作画崩壊とか)ネガティブな言説を吐くのは確かに有害だと思うんだけれども、溢れるエネルギーでもって「これが嫌いだ!」という主張は、俺はネットで読んでみたいと思うし、どんどん出てきて欲しいと思う。