細胞のつくり
学校の顕微鏡で初めて観察する細胞。細胞の中のつくりはどうなっているのだろうか...? そう、核、細胞膜、液胞、葉緑体、細胞壁など...でできている。ではそのうち、植物細胞だけが持つものは...?液胞、葉緑体、細胞壁である。
細胞の中には液胞、葉緑体以外にも様々な器官が含まれており、細胞小器官という。細胞小器官にはどのようなものがあり、どんなはたらきをしているのだろうか?
2016年ノーベル医学生理学賞では、東京工業大の大隅良典(よしのり)栄誉教授(71)が受賞した。大隅氏の研究は「オートファジー(自食作用)の仕組みの発見」である。これも細胞小器官に関する研究だ。
「オートファジー」とは細胞が自分自身の一部を分解し、栄養源としてリサイクルしたり、新陳代謝したりする仕組で、様々な生物に共通する根源的な生命現象の謎を解いたことが評価された。
大隅教授は1988年、酵母細胞で老廃物をため込む「液胞」という小器官に注目した。細胞内のたんぱく質などが次々に液胞に運ばれて、その中で世界で初めてオートファジーが起きていることを観察した。
1974年ノーベル生理学・医学賞の概要
1974年のノーベル生理学・医学賞も細胞の研究であった。細胞の構造的機能的組織、特に細胞小器官(細胞内器官)と呼ばれるもので、細胞の中でも特別に分化した機能を持つものを対象とした研究である。細胞小器官の定義は定まっていないが、ミトコンドリアやリソソーム、ゴルジ体、ペルオキシソーム、エンドソーム、葉緑体などが、このカテゴリーに入る。
細胞小器官は生物の体内で化学反応を起こし、エネルギーの生産や物質の貯蔵といった複雑な働きにより、生体の維持に貢献している。この細胞小器官を身体の細胞として持つ生物を真核生物といい、これを持たない原核生物と区別される。細胞小器官を持たない原核生物は構造が単純であり、真核生物と比べて小さい。
クラウデはベルギー南部のワロン地区で生まれた。リージェ大学で医学を学んだ後、カイザー・ウィルヘルム生物研究所を経て、1929年夏からはロックフェラー研究所へ移った。移籍してまもなく、クラウデは細胞をつぶした後に遠心分離機にかけ、細胞小器官を大きさや密度で分ける「細胞分画法」を考案した。細胞分画法は細胞小器官の有効な手法となり、19世紀生まれの最後の生理学・医学賞の受賞者になった。
ド・デュープは、ペルオキシソーム、リソソームなどの細胞小器官を発見した。彼の研究は細胞内共生説の名づけとなった。細胞内共生説とは、例えばミトコンドリアはもともと人体にあったものではなく細胞酸素呼吸をする細胞がミトコンドリアに進化し、人体と共生していると言う説であり、現在では定説となっている。1958年にはミトコンドリアが独自のタンパク質を合成すること、さらに1963年には独自のDNAを持つことが判明しており、これはミトコンドリアが別の生物であることを証明するものである。
ノーベル賞を受賞した後のド・デユーブは、生命の起源に関する研究を行い、チオエステルがまだ地上になかったATP (アデノシン三リン酸)の代わりに対処をつかさどっていたとする「チオエステルワールド」という仮説を提唱した。
パラーデはタンパク質を合成するリボソームの研究で知られる。ルーマニアのブカレスト大学で医学を学び1946年からは研究の拠点をアメリカに移した。1958年から在籍したロックフェラー医学研究センター(1965年からは名称を変更してロックフェラー大学となる)では電子顕微鏡を用いて、リボソーム、ミトコンドリア、葉緑体といった細胞小器官の研究を開始した。
その中で発見者である彼とスイスのバイブルの名前を冠することになるバイベル・パラーデ小体と名付けられる構造を発見する。血管内皮細胞に存在する貯蔵果顆粒であるバイデル・パラーデ小体は、血液凝固因子としての止血の作用、あるいは白血球を必要な場所へ誘導して作用させるといった役割を持つ。
出血がなかなか止まらないヴォン・ヴィレブランド病の原因はバイベル・パラーデ小体が生産するヴォン・ヴィレブランド因子の遺伝的な変異によるものである。バイベル・パラーデ小体で生産されたヴォン・ヴィレブランド因子は、ゴルジ体によって二量体から多量体に加工された後、血管を通じて体内に輸送される。
リボゾームを細胞小器官としない考え方もあるがメッセンジャーRNAの遺伝情報からタンパク質を作るために大きな役割を果たす事は間違いない。パラーデの研究が基礎となった研究は、2009年のノーベル化学賞の受賞対象研究となっている。
アルベルト・クラウデ
1974年のノーベル生理学・医学賞受賞者である。受賞理由は「細胞の構造と機能に関する発見」
アルベルト・クラウデ(Albert Claude、1899年8月24日 - 1983年5月22日)はベルギーの細胞生物学者。細胞の構造と機能に関する発見により、クリスチャン・ド・デューブ、ジョージ・エミール・パラーデとともに1974年度のノーベル生理学・医学賞を受賞した。
リュクサンブール州 Longlier に生まれ、リエージュ大学で医学を学んだ。1928年から29年の冬にかけて、彼はベルリンに移り、始めはガン研究所、次にダーレムのカイザー・ウィルヘルム生物学研究所で研究を行った。1929年の夏からはロックフェラー研究所に在籍した。1930年代から40年代にかけてロックフェラー大学で働いている時、彼は電子顕微鏡で細胞の観察を行い、細胞の構造や機能に関する科学的な理解を深める仕事をした。彼はまた密度によって細胞小器官を分画する分画遠心法の原理を考案した。
クラウデは細胞の研究に電子顕微鏡を利用した最初の科学者だった。真空と電子線の衝撃に耐えられるように細胞を処理する方法を考案したのである。
1930年、クラウデは画期的な細胞分画法を考案した。細胞膜が壊れて内容物が溶出するように細胞をすり潰し、ろ過して細胞膜を取り除き、質量によって分画されるように遠心分離に供するというものである。彼は遠心で得られた液を特定の質量ごとの画分に分け、特定の画分が特定の細胞小器官を含んでいることを発見した。
1949年から1970年まで、ブリュッセル自由大学の Jules Bordet 研究所の所長を務めた。
クリスチャン・ルネ・ド・デューブ
クリスチャン・ルネ・ド・デューブ(Christian René de Duve、1917年10月2日 – 2013年5月4日[1])は、国際的に高く評価された細胞生物学者で生化学者。ルーヴァン・カトリック大学、ロックフェラー大学の名誉教授。
1974年に、細胞小器官の構造と機能に関する発見で、アルベルト・クラウデ、ジョージ・エミール・パラーデとともにノーベル生理学・医学賞を受賞した。
イギリスのロンドンでベルギーからの移民の子として生まれ、1920年にベルギーに戻った。アントウェルペンのイエズス会で教育を受け、その後ルーヴァン・カトリック大学に入学し、1947年に教授となった。また1962年にはアメリカのロックフェラー大学の教授となった。 1988年王立協会外国人会員選出。2013年、ベルギーの自宅にて安楽死した。
細胞生物学を専門とし、ペルオキシソーム、リソソームなどの細胞内小器官を発見した。リソソームの主な役割が細胞内消化であることを発見した。また、沈降速度法によってラットの肝臓細胞の酵素の分布を調べた。ド・デューブの細胞分画法の実験は細胞構造物の機能に関する新しい知見を与えた。1963年にはオートファジーの名称を定義した。
また晩年は生命の起源に関する研究を行い、チオエステルが生命の起源に重要な役割を果たしたとする「チオエステル・ワールド」という仮説を打ち立てた。
彼の研究により、真核生物細胞にあるミトコンドリアと葉緑体は元々、真正細菌が真核生物(あるいはその祖先)の細胞内に棲むようになったものであるという細胞内共生説が定説となった(ド・デューブ自身は他の幾つかの細胞内小器官についても細胞内共生説を提唱している)。
ド・デューブは、ペルオキシソームが最初の細胞内共生物で、これのおかげで地球大気中に酸素が多くなった環境でも細胞が生存することができるようになったとしている。しかしペルオキシソームは独自のDNAを持っていないため、ミトコンドリアや葉緑体の共生に比べて根拠が薄いといわれている。
チオエステルワールド
生体内ではチオエステル結合で種々のアシル基を保持するアシルCoAが存在し、代謝の中核を担っている。また高エネルギー結合とも呼ばれ、多くの生化学反応にエネルギー供与源として登場する。
クリスチャン・ド・デューブ(ノーベル生理学・医学賞受賞者)は、ATPがエネルギー通貨として登場する以前の生命の誕生するプロセスで、チオエステルに基づいた反応系からなるチオエステル・ワールドがあったのではないかという仮説を提唱した。 デュ・デューブは次のように解説する。
「チオエステルはカルボン酸 (RCOOH) とチオール (R−SH) とが結合して形成される。水分子がこのプロセスで遊離し、残ったチオエステルは (R−S−CO−R)…」
「チオエステル結合は生化学者が高エネルギー結合と呼ぶもので、アデノシン三リン酸 (ATP) のピロリン酸結合と等価である。それらは主に、全ての生体組織にエネルギーを供給する…」
「ATPの使用と再生のいくつかの主要プロセスにおいて、チオエステルは必須な中間体であることがあきらかとなった。チオエステルは脂質複合体の中に見いされるものも含めて、全てのエステル合成に関与している。そしてチオエステルは、ペプチド、脂肪酸、ステロイド、テルペン、ポルフィリンおよびそれ以外の数多くの細胞構成物質の合成に参加してもいる。
加えて、チオエステルはATPを構築する幾つかの太古のプロセスの主要中間体を形成する。これらの二つの事柄から、チオエステルはATPに比べてエネルギーを使用したり生産するプロセスの原型に近い。
言い換えると、チオエステルはATPをまだ欠いているチオエステルワールドではまさにATPの役割を担っていた。結局のところ、チオエステルはATPのりん酸結合の形成をサポートする能力で、ATPの到来を補佐したのである。」
ジョージ・エミール・パラーデ
1974年ノーベル生理学・医学賞受賞者。受賞理由は「細胞の構造と機能に関する発見」である。
ジョージ・エミール・パラーデ/ゲオルゲ・エミール・パラーデ(George Emil Palade, 1912年11月19日 - 2008年10月8日)はルーマニアのヤシ生まれのアメリカ人細胞生物学者。
1974年に細胞の構造と機能に関する発見により、クリスチャン・ド・デューブ、アルベルト・クラウデとともにノーベル生理学・医学賞を受賞した。
1940年にルーマニアのブカレスト大学医学部で医学博士号を取得し、ポスドク研究のため1945年にアメリカ合衆国に渡るまで、この大学に在籍した。アメリカでは彼はロックフェラー大学でアルベルト・クラウデらとともに研究を行った。
パラーデは1952年にアメリカ合衆国に帰化し、1958年から73年までロックフェラー大学、1973年から1990年までイェール大学、1990年以降はカリフォルニア大学サンディエゴ校で教授を務めている。
ロックフェラー大学では、ミトコンドリア、葉緑体、ゴルジ体などの細胞内小器官を観察するのに電子顕微鏡を用いた。彼の最も重要な発見はリボソームに関するものである。彼の名前は、血管内皮細胞に特徴的に見られ、数種のタンパク質などからなるバイベル・パラーデ小体(Weibel-Palade body)に残っている。1984年王立協会外国人会員選出。
バラードは、ミトコンドリアを研究し、脂肪や糖の分子の酸化を起こしエネルギーを生成すると思われる酵素の組み合わせを作ることを明らかにした。これらは細胞の発電所だった。またミトコンドリアの破片と考えられていたミクロソームを電子顕微鏡を使って研究。ミクロソームはミトコンドリアと全く異なる化学構造を持っていることがわかった。1956年にはミクロソームがリボ核酸の中に大量にあることを発見。リボソームと改名した。
参考 Wikipedia: ジョージ・エミール・パラーデ クリスチャン・ド・デューブ アルベルト・クラウデ
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