2016年 9月17日 秋田県湯沢市の院内銀山異人館,石切場跡,愛宕神社ころり地蔵,岩井堂洞窟,銀山跡,樺山水力発電所, 山形県最上郡最上町堺田の分水嶺

2018年03月14日
0
0
秋田県
増田町の内蔵で使われている礎石が院内石だと聞いて,湯沢市の院内地区に行ってみました。
横手市増田町の内蔵→2019年 6月1~2日 秋田県横手市の蔵の町とまんが美術館,湯沢市の小安峡と川原毛地獄
→2016年 9月11日 秋田県横手市増田町
院内というのは増田町へのドライブで初めて知ったんです。
「院内」? 大分県のそれは有名なんだけど・・・
地名の由来について調べましたが,結局分からず。
でもきっとあるんだろうなぁ。調査続行です。
銀山が有名だったんですね。その銀山も含めてまわってきました。


院内銀山異人館
かつて院内銀山にあった異人館を再現した建物です。
JR院内駅を併設し,銀山も含め院内に関する資料館になっています。
DSC_2002.jpg

DSC_1995.jpg

DSC_1998.jpg

DSC_2000.jpg

DSC_2001.jpg


院内石の石切場跡に行きました。湯沢市のジオパークになっています。
周囲を見渡すと外輪山に囲まれているのが分かります。院内は大きなカルデラらしいですよ。
院内石について湯沢市ジオパーク推進協議会のブログからコピペします。

院内石とはどのような石で、どのように出来たのかを簡単にご案内いたします。
まず、いつごろできたのか?
これにはいくつかの説があり、はっきりしたことは分かっていませんがご案内いたします。
①今から800万年前~600万年前ころ現在の院内地区で大きな火山活動が3回起きました。
その火山活動により、大きなくぼ地が出来ました。(カルデラ)そこに火山活動で噴出した膨大な量の火山灰が堆積しました。
厚さはなんと400ⅿから600ⅿだそうです。その火山灰が長い年月をかけて岩石となり、その岩石のことを院内石と呼んでいます。
火山灰が固まって出来た石なので、『凝灰岩』と呼ばれています。‥灰が固まって出来た石 
・・最近では、年代が400万年前という先生もいます。もっと詳しく調査をして、年代特定が出来ることを期待します。
②この石の特徴は、耐火・耐圧、耐水に優れたものだそうです。特に熱を通しにくいという点があり、酒蔵・米蔵・倉庫・かまど、最近ではピザ釜などに利用されています。
院内の町中を歩くと、院内石で出来た倉庫や塀、石垣神社、神社の階段等を見ることが出来ます。
③院内石はいつごろから利用されるようになったのか。
雄勝町史によると、江戸時代の寛政2年(1790年)より採石が始まったと書かれています。
その場所は院内町のシンボルである館山(院内城跡)にあります。山の中に大きな院内石の露頭が2か所見られます。
④院内石採石の最盛期は、明治・大正・昭和で町には15軒の石屋さんがあったそうです。ちなみに現在はゼロ軒に等しいです。
⑤院内石の採石の仕方はほとんど手堀でしたが、昭和35年から電動ノコが使われ、効率よく採石できるようになりましたが、
昭和39年の新潟沖地震以降、建築基準法が変わり、コンクリート一体構造型でないといけなくなり、また、外国から品質が良く、安い石が輸入されたり、職人の高齢化が進んで採石量が減り、平成17年で採石は終了しました。

カルデラならではの石なんですね。
地区内に何カ所か石切場があるのですが,私が行ったのは一番見学しやすいところでした。
駅から歩いていってもさほど遠くはないですよ。


石切場に通じる道です。
この日は団体さんの見学があってガイドツアーさんもいました。
なんとなーく聞き耳をたててお話しをうかがうことができました。
DSC_2005.jpg

たんぼ道をてくてく歩いて行くと,石切場が見えてきます。
DSC_2013.jpg

瓜割石庭公園と較べると,自然の侵食が進んでいると感じました。
→2019年 5月4日 山形県 山形市の宝珠山立石寺と垂水遺跡 高畠町の亀岡文殊菩薩,安久津八幡宮,瓜割石庭公園,山形交通旧高畠駅舎
→2016年 8月9日 山形市山寺 高畠町 宮城県白石市
DSC_2024.jpg

DSC_2044.jpg

これらの石が増田の内蔵を支えているのですね。
周囲を見渡すと外輪山が見えます。カルデラであることがよく分かるのです。
DSC_2040.jpg

愛宕神社 ころり地蔵尊
私が車を駐めた愛宕神社にはころり地蔵があって,大切にされていました。
DSC_2060.jpg

DSC_2061.jpg

DSC_2062.jpg

DSC_2063.jpg


お昼は異人館前にある久米食堂でいただきました。
大きな餃子が売りですね。美味しかったです。
ラーメンも美味でしたよ。特に麺が美味かったなぁ。
十文字ラーメンの流れを汲んでいるのか麩がのっていました。
DSC_0504_201912262212422f7.jpg

DSC_0505.jpg


岩井堂洞窟
縄文時代の住居跡です。
岩陰遺跡というもので,縄文時代にかなり長期にわたって住居として使用されていたようです。
こういう遺跡を見ると竪穴式住居というのはかなり画期的なのが分かります。
さらに言えば現代の壁や屋根がきちんと施工されている住居は縄文時代の彼らから見れば,想像すらできなかったでしょうね。
DSC_2069.jpg

DSC_2078.jpg

DSC_2075.jpg

DSC_2089.jpg

DSC_2090.jpg


せっかくなので院内最大の見所でもある銀山跡にも行ってみました。
ここはかつて銀の採掘量で何度も日本一になったことがあるそうです。
江戸時代には出羽の都と言われるほど隆盛を極めたそうです。

銀山の入り口付近にある異人館跡地です。
ドイツ人技師を住まわせるための建物でした。
復元されてものがJR院内駅の駅舎になっています。
DSC_2105.jpg

沢沿いに狭い道を車で進めると神社が現れました。
DSC_2125.jpg

銀山なのですが神社は金山神社です。
DSC_2129.jpg

さらに奥に進むと,明治天皇が巡幸された御幸坑の入り口があります。
DSC_2141.jpg

DSC_2148.jpg

他にも山形との境にあることから関所跡なども見所にあるようです。


樺山水力発電所
院内石を使った建物が残っているということで訪れてみました。


湯沢市の国道108号線から秋ノ宮に入ってすぐのところにあります。
明治33年に建設された発電所ですが,まだまだ現役で稼働している発電所です。
がんばれ!東北電力!
DSC_2160.jpg

DSC_2175.jpg

DSC_2165.jpg

DSC_2167.jpg

DSC_2166.jpg


旧川井橋遺構
宮城と秋田を通っている国道108号線にかかっている橋の遺構です。
昭和9年に作られた橋で,変わった構造をしており,とても頑丈だったらしいです。
増水で橋脚は流されても橋桁は無事だったとか!
すごいですね!
でもさすがに鉄筋コンクリートとはいえ,積雪量の多いこの地域の風化には逆らえないこと。
この道幅では車社会での対応が難しいとのことで平成4年に解体されたそうです。
独特の形状をもっているため,遺構として新しい橋のたもとに一部展示しています。
DSC_2189.jpg

DSC_2191.jpg

DSC_2195.jpg

DSC_2197.jpg

DSC_2193.jpg


堺田分水嶺
予定よりも早めに秋田から宮城に戻ったのです,国道47号線を山形方面に向かいました。
松尾芭蕉が宿泊したという封人の家の向かいにJR陸羽東線堺田駅があります。
駅のすぐ近くに分水嶺があるんです。
分水嶺とは水の流れが二手に分かれるところです。
堺田の分水嶺は三叉路になっていて,山から流れてきた水が太平洋方面と日本海方面に別れるという壮大な場所なんですが・・・・
DSC_2213.jpg

DSC_2211.jpg

DSC_2217.jpg

DSC_2219.jpg



どんな大河であろうと,初めは一滴の水からなのですね。
自らもコツコツと修養し,周りの流れも集めて大河になるのですね。
私もかくなりたいなぁと思いつつ帰路につきました。
関連記事
Snufkin
Posted by Snufkin
ご訪問ありがとうございます。
気に入ったところは何度でも行っちゃうんです。
どうぞよろしくお願いします。

Comments 0

There are no comments yet.