俺たちはきっと灰にあこがれていた
「ウィザードリィの深淵」を読んだ。
読んだ……というか、今、少しずつ読んでいる途中だ。もったいなくて、高いお酒をちびちびとやるように、毎日、少しずつページをめくっている。
だって冒頭から須田PINさんのロングインタビューとかが載っているのだ。
「誰それ?」などと思ったやつは帰れ。
いや、うそうそ。
帰らずに、もう少しおじさんの昔話につきあってほしい。
俺が最初に触れたウィザードリィは、ゲームボーイ版の外伝Iだった。
副題は「女王の受難」
どんな話だったかはおぼえていない。副題から察するに女王がたいへんな目に遭う……すなわちクイーンズブレイド的なあれだったかもしれない。いや、たぶんそうじゃないと思う。
ウィズは(俺はさしたるウィザードリィフリークではないと自認しているが、ここではいかにも通っぽく”ウィズ”と略していく)ゲームの中でたいしてストーリーを語らないので、おぼえてないのもしかたがない。
たしか中学生のころ、友人のワカバヤシくんに借りてこのゲームをプレイした。
今思えば、当時のウィズはセーブデータが1つしか持てなかったが、普通に最初の最初からプレイした記憶があるので、ワカバヤシくんは俺にソフトを貸すにあたってわざわざデータを初期化してくれたのかもしれない。俺に最大限ゲームを楽しませるため、自らが手塩にかけて育てたキャラクターをすべて消去したのかもしれない。
何十年も経過してから、古い友の密かな、そして深い思いやりに気づく。四十路を前にすると、振り返って後悔や感謝をするにはあまりに遠く、色あせすぎているようなことばかりだ。
話がそれたが、外伝Iの話だ。
この外伝Iはシリーズではじめてオートマッピングが搭載された作品であった。旧来のファンからは批判があったようだが、ウィズ入門作としてはこの上ない適切な配慮であった。外伝Iでウィズの面白さに目覚めた俺は、その後、ファミコン版のウィザードリィIを買い、方眼紙にマッピングする楽しさにも目覚めていったのだが、もし最初にオートマッピングありのウィズで遊んでいなければくじけていたかもしれない。
ファミコン版ウィズIでは、いちおうワードナを打倒し、村正(最強武器)を入手するぐらいまでは遊んだ。
キャラクターのレベルを1000にするだとか、そういう気違いじみたやりこみはしていない。(ゲームをクリアできるのはレベル13ぐらいなので、これはもう本当に気が狂ったレベルのやりこみと言える)
しかし、そこまでのやりこみを産んだ、ウィズの魅力とはなんだろう。
ハック&スラッシュ要素と、それが苦にならない軽快な動作。
探索と戦闘のおもしろさ。
秀麗なグラフィック。
転職などによる自由な育成。
それはもう数え切れないほどいろいろあるが、俺が特に惹きつけられたのは「灰」のシステムだ。
ウィズでは、キャラクターが死亡すると、寺院で金を払い蘇生を試みることになる。
運良かった場合はそれで無事に復活できるが、そうでない場合はキャラのステータスが「死亡(DEAD)」から「灰(ASHED)」に変化する。
灰の状態でもう一度蘇生を行い、もし失敗した場合、そのキャラクターは永遠に失われる。いわゆる消失――「ロスト」――である。
これは衝撃的だった。
当時の代表的なRPG、たとえばドラゴンクエストやファイナルファンタジーなどでは、キャラクターが何度死んでも金さえ払えばノーリスクで確実に生き返る。ゲームにおける死は、せいぜいが少しばかり深い眠りのようなもの。それが常識だった。
しかしウィズにおいて迷宮での死は、ともすれば「灰」に繋がり、「消滅」に繋がる。
どれだけレベルを上げてもニンジャの一撃で首を刎ねられることもある。
ウィズのキャラクターは、俺たち生身の人間同様の「逃れ得ぬ死」を与えられていたのだ。
ファミコン版、ゲームボーイ版ウィズのキャラクターには顔グラフィックの一つもなく、なにかセリフをしゃべることもない。
あるのは名前、性別、種族、職業、その他各種パラメータの羅列。
それでも俺たちは彼らに愛着を持ち、執着し、そこから無数の物語を見出した。
ときに灰となり、ときには消滅する彼らをこの上なく愛した。むしろ灰になり、消滅する可能性のある彼らだからこそ愛したのだろう。もしかしたら尊敬すらしていたのかもしれない。
そんな俺たちの心を心地よく震わせたのが、元祖(たぶん)ウィズ小説であるベニー松山先生の「隣り合わせの灰と青春」である。もうタイトルだけで既に傑作であることがわかる。
ちなみに続編の「風よ。龍に届いているか」も、大好きな作品である。タイトルも内容も傑作であり、今はこれらの傑作がkindleで手軽に読めるので未読の人はぜひ読むといい。
ウィズの世界ではどんな強いキャラであろうと死んで灰になる可能性があるが、実際に死ぬのはたいてい弱いキャラである。
新米同然の低レベルなキャラクターや、そこそこレベルが高くても育成をしくじって妙に虚弱なキャラクター。
そういう弱いやつから死んでいく。
弱いやつが灰になる。
消滅したキャラクターはどこかのちっぽけな墓石の下に埋葬され、二度と顧みられることはない。
ウィズの原作者が火葬を意識して「灰」のシステムをつくったのかどうかはわからないが、やがて死に、焼かれて灰になるさだめの俺たちは、そんな彼らに自らのなにかを重ねずにはいられない。
悪の魔術師や竜を倒すこともなく、伝説の武具を手に入れることもなく、英雄や王になれずにただ朽ち果て、消えていく冒険者たち。誰からも物語られず、記憶にも留まることのできない彼ら。
その死を幾度か看取ってきたはずの俺も、もう思い出せない。
レベル10かそこらのサムライが死んで、灰になって、消滅してすごくつらかったことはおぼえているが、その名前はどうしても思い出せない。性別も思い出せない。本当にサムライだったのかどうかも怪しいものだ。
それでも感じるこの気持ちは、おそらく哀悼などと呼ばれるものだ。
心から悲しむにはもうひどく遠くて、色あせすぎてはいるけれど。
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