まだ今年を振り返りたくなんかないけど

少し前に、強く地面に打ちのめされるような悲痛さを感じる出来事があった。月日の経過とともにその悲しみも少しずつ癒えているものの、まだつらさが残雪のように存在している。そんなわたしをやすやすと置いていくみたいに毎日は流れ、気づけば今年も終わってしまうらしくて、それもしんどい。だから振り返りたくなんかないんだけど、でも楽しいことを振り返ったほうが絶対に気持ちがよいので、思い出してみる。

・初めてのZINEを作った

オタクの卒業文集のつもりで作った、2017年から今年の秋までに書き溜めていた文章をまとめたZINE。文フリ39がなければたぶん完成することはなかった。推し活=すばらしいこと、と捉えられがちだが、わたしはそのすばらしくない一面、みっともなくて、ださくて、アイドルから離れられないひとのばかばかしい真摯さみたいなものを捉えたかったし、まあまあできたかなとも思う。この本をひとりで作れたことはわたしのひとつの起点になるような気がする。文章を書いたり入稿データを作るなどの作業のひとつひとつは大変だったけどとても楽しくて、その楽しさが忘れられなくて、今も新しい本の準備をしている。(もしこの本で読みたい方がいましたらご連絡下されば嬉しいです:hmbllue*gmail.com Instagramでも構いません)

 

・文学フリマに出品した

というわけで作った本を文学フリマ39に出品した。わたしは当日用事があって、というかコンサートに行っていたので、こういった同人誌即売会の経験のある友達に託した。用意した在庫はすべて売れたと聞き、本当に信じられない気持ちになった。その場で試し読みをして購入して下さった方が多いらしい。本当にありがたい。次回5/11の文学フリマ東京40にも出る予定なので、そのときはおひとりおひとりとお話ができるといいなと思う。

・韓国と台湾と韓国に行った

ソウル(3月)

台北(5月)

ソウル(5月)

短期間に行きすぎてて笑ってしまう。結局このやたらと短いスパンで行った3回が2024年の海外旅行になった。来年の正月明けに久しぶりにソウルへ行こうと思ったが、2月に友達と旅行が決まったのでたぶん行かないだろう。冬のソウルが好きなので来年末とかに行けたらいいな。3回とも一日25000歩くらい歩き回っていたので毎日重たくて強烈な疲労を感じていた。でもなかなか来れないと思うと歩みを止められなかった。このあたりの体力の調整もうまくなりたい。

 

・オタクをやめなかった

というわけでずっとオタクをやめるとかなんとか言っていたが続けている。でもそれは流されているというよりは、自分の意思で好きでいることを選択しているような思いが今はすごくある。7月に東京、8月に名古屋、9月に福岡、12月の頭に大阪に行った(このあたりの逡巡をZINEでは取り上げている)。今は自分のペースを一番大事にして楽しめている。来年は東京とツアーのラスト公演以外は我慢するつもり。

 

・一番好きなグループ以外のコンサートにもよく行った

一番好きなグループ以外のコンサートはなかなか腰が重く、これまであまり行かなかったけど、けっこう意識していろんなところに足を運んでいた。すべて楽しかったけど一番ぐっときたのはNewJeansだった。

 

・女友達のことがもっと好きになった

わたしには親友はいない。でもいい女友達はたくさんいて、そのひとりひとりに支えてもらったり励まされたり、話を聞いてもらったり、気楽な時間をともに過ごしてもらったり、一緒にZINEを作ったりしていた。彼女はみんな年齢やバックグラウンドは違うけど「わたしをリラックスさせてくれる」という自分にとって大変すばらしい共通点がある。わたしは基本的に対人関係が得意ではなくすぐに緊張して疲れてしまうので、自然体でいさせてくれる人は本当に感謝しているし、大事にすべきだなと思うことが多かった。女友達ひとりひとりもそうだし「友達同士」の関係がもっと好きになれた一年だった。

 

・新しい知り合い、新しい居場所を作りたくなって行動した(している)

フルリモートとなると本当に顔を合わす人が限られてくるので、知らない人の話が聞きたくなったこと、あと新しい自分の居場所が欲しくなって、秋くらいからリーディングパーティとか、カフェのイベントとかに顔を出すようになった。リーディングパーティでまったくの初対面の人と本の感想を言い合って、それがきっかけで知り合いができた日のことはたぶん忘れられないと思う。居場所に関してはまだ奮闘している。頑張りすぎずにやっていきたい。

 

・今年よかった新作アルバム

・Clairo『Charm』
・Kelly Lee Owens『Dreamstate』
・Erika de Casier『Still』
・Charli XCX『brat』
・Claire Rousay『Sentiment』
・The Last Dinner Party『Prelude to Ecstasy』
・Newdad『MADRA』
・柴田聡子『Your Favorite Things』

 

・ほぼ一年間継続して日記を書いていた

なんかずっと日記とか文章書いてたなあ……というのが今年のぼんやりとした感想。日記自体はメモっぽいものを昔からずっと書いていたものの、うっすらと人に見せる前提のものを書くと自然と言い回しや説明を入れるようになっていった。わたしはそこで自分なりに頭を使うようになって、文章を書く筋肉がすごく発達した感覚がある。そしてすごく思うのが、日記を書くことはわたしにとって自分との対話なのではないかということ。前述もしたけど個人的にとても悲しい出来事があって、自分の気持ちを整理するために感情の揺れを克明に記録していたけど、それは自分を見つめる作業でもあるし、自分で「あなたは今こう思っているんだね」と自身と対話をする行為にも思う。もはや日記を書くことはわたしには欠かせない。

 

・日記を書く場所をはてなブログからInstagramに変えて、毎日ストーリーで公開することにした

簡単に言うと5月の文フリに日記本やエッセイを出すつもりなのだけど、はてなよりもInstagramにひたすら毎日上げ続けたほうが興味を持ってもらえるんじゃないか。まずそんな理由で移動した。とにかくストーリーだと24時間で消えるのがいい。書いたものがいつでも読める状態だと売上に影響が出そうだし、高頻度で上げ続けると関心を持ち続けてもらえそう、というガバガバな理由でInstagramに上げている。けっこういいんじゃないかと思う。ほとんど毎晩更新しているのでよかったら。ちなみに本日12月18日の日記はすごく雑なのであんまりおもしろくないかも。普段はもうだいぶ読み応えがあると思う。はてなはたまにリラックスして文章を上げていきたいです。

https://www.instagram.com/hmbllue/

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何回繰り返すんだという感じだがつらい出来事があって間もないので、どうしても今年あったことを思い出そうとするとその悲しみの色で一色になりがちである。でもこうやって挙げてみると今年はけっこう楽しかったんじゃないか。そう思わずにいられない。来年も日記を書き、本を作り、新しい居場所や新しい知り合いができたらいいなと思う。

わたしの子ども

これまで生まれてくるかもしれなくて、これから生まれる可能性のあるかもしれないわたしの子どもについて考える時がある。わたしがそう言うと、恋人はこの言葉に対してどう返していいのかわからないまま、何か言うのをためらっているような表情を浮かべた。

三十歳ごろから卵子の数が少なくなって、どんどん妊娠しにくくなることを最近知った。それ以来、自分の身体に「あなたは子どもを生むんですか、生まないんですか」と常に問われているような気がする。自分にとって妊娠とか出産などのトピックは、銀河や深海といったような、はるか遠く、スケールの大きなものと同じようなカテゴリーに分類されていた。わたしはわたしだけの人生をやるのにいつも精一杯だったから子どもを持つことなんて考えたこともなかったし、何より自分自身が幼少期より「生まれてきてよかった」と思うことより「生まれなければよかった」と感じることのほうが圧倒的に多かったので、誰かに同じような思いをさせないこと、つまりは誰も生まないことが自分がこの人生でできる最良の選択だと思っている。だから自分の心境に大きな変化がない限り、わたしの子どもと会うことはないだろう。わたしはそのことが自分にとってよろこばしいことなのか、悲しいことなのか、よくわからない。時おりからっぽのお腹を撫でる。これまで生まれてくるかもしれなかったわたしの子ども。これから生まれてくるかもしれないわたしの子ども。あるいは死ぬまで会うことのかなわないわたしの子ども。わたしはたまに呼びかける。あなたはどこにいて、何をしているの。

今月も生理が来る。毎月毎月飽きもせず、決まったようにやってくる。先月もあなたは妊娠しませんでした。では今月は?そう身体から言われている感じがする。子宮を押さえつけるようなこの鈍痛は子どもを生まない罰なのだろうか。ベッドでうずくまりながら、わたしの子どものことを考える。わたしはあなたを生まないからこんな罰ゲームを受けてる。わたしはあなたに会いたいのか会いたくないのか、よくわからない。あなたもたぶんそうだよね。生まれたいかどうかなんて、わかんないよね。生まれるって、あなたの意思と関係なく勝手に行われてしまうことだもんね。闇夜の奥に小さく金星が見える。ぎらぎらと光っている。どこかにいるわたしの子どもにも見えるだろうか。あの輝きは見てほしいかも。でもあなたを生むことを選択する勇気は今のわたしにはない。わたしはからっぽの子宮を撫でながら、なめらかな惰眠のなかへと落ちて落ちて落ちていく。

文学フリマに出す本と、Instagramに日記を投稿することにした

既にnoteで告知しているのでほぼそちらからのコピペになるのですが、12/1の文学フリマで本を出します。

ZINEの内容について

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『推し絡まってハローグッバイ』というエッセイZINEを出します。本当に変なタイトルで正直まだあんまり、ぜんぜん馴染んでないんですが、それなりにきちんとした理由はあって由来は本に書いてあります。

アイドルのオタクをやめる。
でもその前に、オタクとして全力で生きた自分のためにレクイエムを作る。
そう決めたのが今年のはじめでした。わたしはこの愉しく烈しく、奇妙な七年間について振り返る必要があり、それが達成されない限りはこの月日とオタクだった自分に別れを告げることも、供養をすることもできないような気がしていたのです。ファンが抱く感情やこれまでのオタクとしての経験を元にした短編小説もどきを書いてみたり、短歌を詠んでみたり、はたまたラップをはじめ、リリックや曲を書いてみたりとひとり奮闘していましたが、なんだかどれもしっくりきませんでした。 そんなときにただ単純に、この数年間に書き溜めていた文章……本人には絶対に届かないとわかっていながらもインターネットの彼方へと投げずにいられなかったラブレター、憂鬱まみれの日記、気持ちの整理のために書き殴っていた文章などをまとめ、さらにオタクをやめ、アイドルと思い出に手を振るまでの過程までもドキュメンタリーみたいに捉えてみてはどうか? そう思いついたのが、この本のはじまりでした。

2017年の12月にはじまり、今年の10月初旬までの文章を収めています。
そもそもなぜやめたいと思うようになったのか、やめようと決めている時の心情、やめようと思っていたのに続けることにしたきっかけやその心の移り変わりについて、特に中盤から後半はかなり細やかに書いてます。実際にリアルタイムで自分の気持ちの揺れをずっと記録していたので、どことなくドキュメンタリーみたいな印象を受けるかもしれないです。

アイドルそのものについてのZINEではなく、何かを熱狂的に好きでいることも、またそれによってあれこれ悩むこともやめられない人の本だと自分では思っています
わたしは7年という短くはない年月を「オタク」として生きて、推しは2回変わりました。いつだってアイドルのことは大好きで仕方がなかった。でも、自分がアイドルに向ける「好き」の気持ちには常に大小さまざまな痛みが伴っていました。

「推し活は素晴らしいもの」「推しと出会えてよかった」という言説が巷にあふれかえるようになって久しいです。自分自身「アイドルを好きになってよかったな」と思う瞬間はたくさんあります。でもわたしはすぐこんなにアイドルに夢中になっていいのか悩み、アイドルを追いかけてばかりの人生なんてよくないと自責したり、自分の選択がすべて間違っている気がして苦しみ、アイドルの精神的成長をうまく受け止められずつらくなったり、アイドルを愛する自分自身が醜く思え、嫌悪感を感じたりしています。

世間一般にあたりまえの感情として存在していることになっている「推し活は素晴らしいもの」「推しに出会えてよかった」の思いと、その裏にある感情の揺らぎを同時に捉えることができないだろうか?そう考えながら本を作りました。

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後日、つけっぱなしのテレビでたまたま彼らを見た。胸が痛んだけれど、その痛みがどこまでも愛おしく感じられ、そんな自分に驚いた。そしてこの胸の痛みこそ裕翔くんのことが大好きで仕方なくて、自分の世界のすべてだった証に思えた。降りると決意する直前に感じていたのはできたての生傷のような強いひりつきだったけれど、現在の甘く波打つような痛みはきっとノスタルジックな感傷でしかなかった。

 このひとはどんな大人になるんだろう。そんな思いを抱きながら、スビンを見つめはじめたことを覚えている。二十歳。彼は少年と大人のあわいにいて、パンデミックのせいで静けさに包まれてしまった世界のなかで歌い踊っていた。あのころのスビンはいつも静かにおびえたり混乱しているような目をしていて、どんなに楽しそうにパフォーマンスをしていても、メンバーとはしゃいでいても、その切れ長の目の奥はガラスの破片のような物悲しい光を放ってるみたいに思えた。それはパンデミックという特殊な環境がもたらしたものか、年齢がもたらしたものか、あるいはその両方なのかはよくわからなかった。スビンを見ているとよく二十歳の自分を思い出した。あのころのわたしもたぶんあんな目をして、ブルーにこんがらがっていた。わたしは彼の青く沈んだような、不安げな姿がすごく好きだった。

何かを好きでい続けることは絶対的に孤独と隣り合わせで、その歳月においては幸福と喪失が月の満ち欠けのようにひたすら繰り返されていくことを悟った。それってなんだかすごく人生みたいだと思った。わたしはこれまで好きになった、たくさんの映画や音楽や本を思い出した。何かを好きになることは、わたしの人生そのものだった。自分がいま感じている孤独のこともいつか好きになれるといいと思った。

とんでもなく共感できるかもしれないし、あるいは信じられないくらいダサくてみっともなさすぎる本かもしれません。何かを好きで、でも好きでいることがきっかけで気持ちがめちゃくちゃに揺らいでしまう人の滑稽な悲しみ、アイドルへ向けるばかばかしいくらいの真摯さが伝わって、それをおもしろがったりしてもらえるのが理想です。

推し絡まってハローグッバイ
B6サイズ/132ページ(本文)
イベント販売:1000円
オンラインでの匿名販売:1200円
イベント以外での手渡し販売:1300円
※値段の変動に関しては後に記述があります

 

本を販売する文学フリマ東京39に関して

日時:2024年12月1日(日)
12:00〜17:00 入場料:1,000円(18歳以下無料)
会場:東京ビッグサイト 西3・4ホール
ブース:P13「偶像だいすきクラブ」 

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わたしは当日いないので、一緒にサークルをやっている友達に委託販売します。この友人とふたりで作った「偶像だいすきクラブのマガジン」という身も蓋もないタイトルのフリーマガジンの配布もあります。 お互いのベストアイドル楽曲10曲を発表しあったり、ああでもないこうでもないと自由におしゃべりしている冊子です。 

今回の本作りが楽しすぎて来年の5/11にある文フリ東京40にも出ることになりました。オタクやアイドルとはまったく関係ない内容のなんかの本を作ろうと思っています。そういった趣味活動についてのアカウントを新しく作ったので、もし気になる方がいたらぜひフォローをお願いします。記事の最後の方に貼ってあります。

 

値段設定に関して

参加できる人が限られる対面イベントのみでの販売は元から考えていないので、年明け〜遅くて二月半くらいから、BASEを利用したオンライン販売を行う予定です。

自費出版本の購入経路として文フリなどのリアルなイベント/オンライン購入/イベント以外での手渡し販売のだいたい3パターンに分かれると思うのですが、購入方法で値段を若干変動する予定です。


・イベントでの値段(¥1000)
本そのものの値段は1000円です。現金会計がベースとなる対面販売で計算・会計がしやすいように設定しました。イベントに来てもらう行為はいわゆる「ご足労をおかけする」ことだとも思うので、最も安い値段に設定しています。

・オンラインショップでの購入(¥1200)
オンラインショップでは送料は購入側が支払うシステムになっています。そのためイベントで購入するよりも送料分かかってしまうことはこちらも重々承知なのですが、オンラインショップは出品側にも購入毎に手数料が発生し、本に設定してある金額そのままの利益を得られるわけではないんですね。そのためイベント販売よりも少し高く設定しています。値段が最も安いネコポスを利用し、匿名配送で発送をする予定です。

・イベント以外での手渡し販売(¥1300)
これは主に自分の知人に向けてですね。何人かの知り合いに「手渡しで本を買いたい」「買いたいので会おう!」と非常にうれしい言葉を頂いているのですが、なぜこの値段かというと、まずオンラインショップで送料分支払ってくれる方とできるだけ値段の差をつけたくないことと、あとこれはとても個人的な思想なんですが「友達だから安くするよ!」みたいなのにすごい嫌な特権性を感じるいうか、作者と知り合い同士(=つまりごく一部の人間)じゃないと不可能な行為でまったく平等じゃないなと思っているのでこの値段にしました(ええ〜って感じる方もいると思いますが……)。

というわけで値段が三段階に分かれています。本買いたいけど送料出したくない!今お金なくて買えない!とにかく一番安い値段で買いたい!という人が万が一いたら、来年の5/11の文フリにもこの本を持っていく予定なのでその時のご購入をおすすめします。ちょっと先すぎるけど、次回は会場に絶対何がなんでもいるので……

 

Instagramに日記を投稿することにした

一年くらい継続してはてなブログに日記を投稿していましたが、インスタのストーリーにほぼ毎晩上げることにしました。24時間経ったら消えるのがいいなと思って。ハイライトからいくつかピックアップした過去の日記が見れます。

https://www.instagram.com/hmbllue/

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日記と、あとZINEなどのクリエイティブ活動(?)についてのこともこのアカウントで呟きます。日記じゃない記事はこちらで更新するかも。
ZINEとインスタともども、よろしくお願いします。

241028 - 241103

10/28 月
12月のコンサートに一緒に行く友だちからアップグレード席に当選したといういい知らせ。うれしい。しかしここ数日、好きなアイドルが所属している会社が炎上しているらしい。今年だけで何回目だろう。気分わるい。調べると社員が他の事務所の容姿を批判するコメントを書いているとかで、どうしたらこんなにも狂った会社と社員になるのだろうとただただ疑問。わたしの好きなアイドルがこんな気持ち悪い会社にいると思うと嫌悪感で頭がくらくらする。アイドル本人たちと事務所は分けて考えたいけど、自分の楽しみの背後にはあの会社が存在していると思うとうんざり。
友だちと作るZINEの作業が進んだが、本当に時間がない。もう11月だ。はたして完成できるんだろうか。でもわたしはやっぱり何かを作ることも文章を書くことも好きだから、いま作っている本が完成しても書いて作ることは何らかの方法で続けていきたいし、自分のライフワークにすべきことなのではないかと思っている。夕飯を食べ、10時ごろから作業を始めて気づけば1時になっていた。ぜんぜん進まなかったフライヤーが急にできたけど、深夜に投下したツイートやストーリーがだいたいやばいように、朝起きてなんだこれ……とならないことを願いながら寝る。

 

10/29 火
深夜まで過集中モードのまま作業したせいで朝ぜんぜん起きれない。寝る前に「朝起きてこのデザインよくないな……」と思ったらどうしようと思ったが、まあまあの出来だと思う。昼休みにブラッシュアップの作業を行い、もうひとつ作る。
仕事終わりに外に出る。寒い。マフラーを巻くか悩んだけどけっきょくやめた。やめてちょうどよかった。一緒にZINEを作っている友だちと会う。渋谷で友達を待っているとき、女の子に話しかけられた。どうやら韓国から来たらしく、電車の案内をした。本当に久しぶりに韓国語を喋ったが、あんなにも勉強したのにずいぶん忘れていることを痛感した。女の子とありがとう、カムサハムニダ、と笑顔で言い合って別れ(즐기세요のほうがよかった)、友だちと待ち合わせる。土日に作ったデザインを見せると大喜びしてくれた。ふたりのおしゃべりを録音して文字起こしし、ZINEに載せようとしている。ちょっとしゃべったところでお店の閉店時間が来てしまい、この日はおしまい。お店の閉店時間が気になりすぎてあまり友だちの話を深掘りできず、ちょっと後悔している。

10/30 æ°´
前々からいいなと思っていたネイルサロンに衝動に駆られるようにして行きたくなって、明日滑り込みで予約を入れた。夜は作業。文字起こしと文字の流し込み。疲れた。ここ最近ちょっとがんばりすぎだと思う。でもとめられない。とまったらさみしくなったり悲しくなったりむなしくなったりしそうでこわい。最近かなり忙しくしているからか、恋人のことを思い出す回数がとても減った。ふだんは本当に必要最低限しか連絡を取らないことにさみしさを抱いているが、そういえばぜんぜん感じていない。さみしさを感じないことは気持ちが満たされている証拠なのかもしれない。でもわたしはさみしさを感じないことがすごくさみしかった。

 

10/31 木
連日ずっとずっとZINEの作業をしていたから今日は何もやらない日に決めた。午後休を取って、夕方ネイルサロンに行く。昨日の夜から無性に読書がしたくて仕方がなく、でも作業を優先させないと気持ちがどうにも休まらずひたすらパソコンに向かっていたので、ネイルサロン近くのカフェに早めに入って本を読もうと思っていた。でも集中できなくてページすら開かなかった。
今日行くのは初めてのネイルサロン。音楽や映画の趣味がすごく似ている人だった。カルチャー趣味の強いお客さんはかなり少ないらしく、そういった話をできることへの喜びをネイリストさんはうまく隠せていなかった。わたしもうれしかったけど昔から他者から好意的な感情をを見せられるとちょっと引いてしまうときがあって、今回もそれが発動してしまった。不快じゃないのになんか発動したことへの罪悪感でいっぱいになった瞬間がたまにあった。誰も何も悪くないのにな。
それはそれとして、ネイル整体や美容室もそうだけど人に施術をしてもらうたび、こうしたサービスって本当に精神的なケアと深く繋がっていることを実感する。お金を払って身体をほぐしてもらったり爪や髪を綺麗にしてもらうことを自ら選択する行為は、わたしにとって自分をいたわることとイコールだ。接客業の方は本当にすごい。変な感情にはなってしまったが(自分のせい)、ネイルはすごくかわいくて気に入っている。スウェットにパンツばかりの自分にはかわいすぎるかなと思ったけど、ネイリストの方が「そういうカジュアルな格好でかわいいネイルっていうギャップもいいですよ!」と言ってくれた。来月も予約を入れる。そして帰宅してこの日記を書いたせいで本を読む時間がなくなった。

11/1 金
いつもより早く起きれた11月のはじまりの朝だった。いつもならぎりぎりまでベッドにいるけど読書をする。自分の意思でやりたいと思えることがたくさんあるとすごく楽しくて満たされていて、でも常に何かに急かされている気がするし、毎日ZINEのことを考えて暇さえあれば作業し、たまに深夜までやってしまう。だからこそ自分なら読書とか散歩とか、忙しくする前にしていたことを意識的に行なって気持ちをリラックスさせる必要がある。ZINEの作業は一旦できるところまではできたので、来週半ばくらいまではゆっくりできそう。
好きなグループのコンサートがソウルで行われる。以前ならソウルであれば何が何でも行っていたけど、今回はあきらめた。行けずに悔しい気持ちはまったくない。わたしはアイドルにめちゃめちゃになっていたときの自分が望んでいたような「ほどよい」オタクになった。でもその一方で今の生活ひいては人生に対して時おりひどい空虚さを感じることがある。みんなもそうなんだろうか?

 

11/2 土
起きたら彼からラインが来ていた。「お誕生日おめでとう」。歳を重ねることはいやすぎるけど、なんだかんだ誕生日そのものはうれしい。雨が降っている。いつも誕生日は晴天だからなんだか悲しい。でも自分が外で移動する時は雨に打たれなかった。家を出る前にイ・ジュへ『その猫の名前は長い』を読み終える。女と女は(ときにはさらに女)は個人から「わたしたち」となる。「わたしたち」は手を取り合い美しい絆を築く。しかしその絆は時に彼女たちの社会的役割やまなざされる視線によって削り取られ、ばらばらにされる。それでも他者と他者が手を取り合おうとする心強さとなぐさめを繊細に描いていた。
昼過ぎに彼の家に。わたしが手料理を食べたいとリクエストしたらキンパとプデチゲを作ってくれた。注文したケーキも食べる。お腹いっぱいで幸せ。U-NEXTでアレクサンダー・ロックウェル『イン・ザ・スープ』を見る。彼がキッチンでプデチゲを煮込んでいるあいだ『犯罪都市』を流していたが暴力描写が痛かったのでなんとなくヴェンダース『パリ、テキサス』に変える。流し見しようと思っていたが最後まできちんと見てしまった。10年ぶりくらいだった。美しい景色やカットにうっとりし、胸を打たれるシーンも数多くあれど、やはり男は異常だと思う。でもこんなふうにしか生きられない人がいることも理解できるし、男は自分自身の心に原因を抱えている自覚もある。やはり自分の痛みや傷を直視しなければ他者をまっすぐに見つめられず、愛することもできないのだろうという月並みなことを思った。なんとなくFilmarksのレビューを見たら「毒親映画」と言われていた。SNSに氾濫しているわかりやすくショッキングな呼び方に映画芸術までもが無理やりくるまれていることにわたしは憤りに近い感情を覚えた。
いつも自分の誕生日にはプレッシャーめいたものを感じていた。何歳になったから今年はちゃんとしなければならないとか、そんなことばかり思っていた。でも今日はすごく気楽でよかった。


11/3 æ—¥
よく晴れている。渋谷のシティベーカリーで朝ごはんを食べる。恵比寿まで歩いて写真美術館でアレック・ソス『部屋についての部屋』。

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なんとなく好きかもと思っていたが確信に変わる。ソスの写真は親密なのに無性に哀感を感じられ、わたしはそこがすごく好きだった。被写体や不在となった部屋にいたはずの人間が持っているさみしさや物悲しさを捉えることにすごく長けている写真家なのだと思った。わたしはある一枚に釘付けになった。プロム中に、まわりが一心不乱に踊っているのにひとりだけ空虚な表情を浮かべた女性の写真だった。まわりに到来している「人生のイベント」にひとりだけのれていない自分みたいだと思った。
展示を見たあとブルーシールでアイスを食べて、中目黒まで歩く。わたしと彼は目黒川で足を止め、河川にいる鴨たちを眺めながら、とりとめもない話をする。西日がビルに反射して強い光を放っていた。何も起こらない幸せ、という言葉が浮かぶ。

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waltzに行ったあと、パスタを食べる。わたしも彼もたくさん歩いて疲れていたからか流れるように会話をする。Y2Kが流行った時点で本当に新しいものはきっともう生まれず、これまで過去に生まれた文化をひたすら取り上げアレンジするだけの時代になったことを確信した、とかなんとか。こんなことを感じるくらいにはわたしたちは長く生きたんだと思った。

今週の一曲/Sofie Royer “Young-Girl (Illusion)”