『マブラヴオルタネイティヴ クロニクルズ01』 その1 地球が滅びた後の、滅びゆく人類を描くことと説教劇の相性の悪さ

マブラヴオルタネイティヴ クロニクルズ01 通常版

評価:★★★☆星3つ半 まだ完成していないので未確定
(僕的主観:★★★★★星5つ)

上記は、クロニクルズ01TDAに対する評価。物語としては、マブラブのシェアワールドとして位置付けると、突き抜けるほど面白いんだけれども、単品で見ると構造上の問題点が多いので、もう一歩。
ちなみに、TDA02と憧憬については、かなり評価が違うので、次のその2で書きます。

■地球が滅びた後の、滅びゆく人類を描くというマクロのSFテーマという目的
02デイアフター本編のみ終わりました。うん、02は、とてもマブラヴらしかった。ふと思ったのですが、クロニクルズもトータル・イクリプスも外伝は、ちょっと対象年齢が上なビターなチョコレートという感じがします。クロニクルズのTDA(THEDAYAFTER)は、なによりも「終末の地球」という絶望が本質ですし、TEは、難民問題と世界の内ゲバの複雑さがテーマになっています。ガンダムサーガででいう、ファーストに対してのゼータ的な位置づけになっているんだと思います。ゼータは、ガンダムサーガの基盤の世界観を素晴らしく複雑に豊かにしましたが、まぁ人気があるかといえば、難しいですよね。なぜならば、単純に難しくてカタルシスがビターだから。あれよりははるかに面白いですが、『トータルイクリプス』には、僕は似た感覚があります。

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マブラヴオルタの白銀の英雄物語(あいとゆうきのおとぎばなし)に対して、世界そのものをテーマとしているので、実はとても複雑な背景に焦点が合っている気がします。さらにキャラクター萌えのパワーが本編はもとよりTEよりも弱いので、クロニクルズTDAは、とてもビターなテイストに感じます。この方向は、マブラヴサーガを広げるために、そこがいい!と僕は思いますが、本編に比べると間口は少し狭くなるかもな、という気はします。そこは、キャラクターの魅力など様々な意匠が必要ですが、TDAの01ではそれが顕著ですね。というのは、クロニクルズの01時に感じたのですが、このクロニクルズの『THE DAY AFTER』ってのは、結局のところSF的に何を語るのかといえば究極一言で言えると思います。それは、


地球が滅びた後の、滅びゆく人類を描く


ということです。この設定にした時点で、そういう構造は確実に決まってしまいます。少なくとも、人類の生産力や技術体系の集積はほとんど崩壊しているわけですから、人類が仮にベータの襲撃なくしても、100年やそこらでは回復できないでしょう。だから、あの地殻変動後の地球の映像。干上がった海に転がっているタンカー。基本的に、あの映像で、もう既に「すべて語りつくされている」といっても過言ではありません。『THE DAY AFTER』の外伝としてのこの作品のオリジナル性・本質は、究極そこにあると感じます。


僕の勝手な概念ですが、マクロ(=政治やSFのレベルの次元)とミクロ(=個人の動機や関係性の次元)でいえば、TDAの脚本は、非常にマクロによったものです。なので、クロニクルズの01を見た時に、もうその映像で十分であった、と思いました。というのは、01は、基本的にあのマクロの世界観の「絶望」を描いているものだったので、逆をいえば希望がまったく描かれていない(笑)ので、その「絶望感」をいかにうまく描かれても、あの一枚の絵の持つインパクトに勝つ話には、簡単にはなりえないと思うんですよ。ということで、01は序章だなと思ったので、01のみで評価をうんぬんをすることは無駄だな、と思って、確か感想書いていないはずです。(←書いていないよね、、、記憶ないこと多いので・・・)。全体の帰結を見てみないと、何とも評価できない。単体では、アイディアは秀逸だけど、そのアイディアを超えるようなエンタメ性は今のところ描けていない(ここは後述説明)。01TDAをやった時に、「序章」と感じたのは、これって、結局、エンターテイメントとしては、この一作品単体ではボリュームに欠けるんですよね。オチがないんですもん。これプロローグなんですよ。えっと、正確にいうと、物語としてのカタルシスは、01だけではなく、デイアフターは、02も構造上同じ傾向があります。でもまー、それって実はあまり批判にはならないと僕は思っています。だって、それは、このTDAというシナリオがすべて終了してから考えることだと思うからです。単体で評価できるものではない。


では、「世界の終わりという終末を描く」という作品類型にはどんなものがあるか?という比較で考えてみましょう。テリーギリアム監督の『12モンキーズ』なんかが僕にはすぐ思いだされます。もしくは最近だとウィルスミス主演の『アイアムレジェンド』とかダニーボイル監督の『28 Days Later』ね。基本コンセプトは、世界が終ってしまっているという「絶望」的な状況では、物語構造的に、サバイバルを除けば「生きる動機が消失してしまっている」という状況で、主人公にどのような動機を調達できるか?です。これが物語を作る上でのコンセプト上の大きな解決問題点になります。そう考えると、基本的にゾンビものなんかがこのサバイバル(=生き残る)という形でアクション映画にするという手法を確立しています。『バイオハザード』のように、連作で世界中に売れまくる作品シリーズなどは、この系統でエンターテイメント(=売れる)するには、どうすればいいかの宝庫だと思いますが、基本コンセプトが、「生き残る・サバイバル」というところに特化しています。もちろんマクロの謎とかいろいろなるのですが、マクロの次元は、基本的に大衆には、マスには受けません。マスは、そういう「理解が必要なもの」は基本的に、最初の段階では拒否するものなんです。頭が悪いからではなく、そもそも娯楽としての目的で選んでいる人が、市場ニーズの過半を占めるからです。

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さて、TDA01をやった時に、このテーマを設定するときには、最終的な目的としては、純粋な形と外れるだろうけどサバイバルにならざる得ないだろうな、と思ったのですが、、、、それは置いておいて、とても上品に絶望を描いている、、、というか、絶望(=マクロの設定)が主軸に描かれているので、この01に限っては人気でないだろうな、と僕は思いました。上記で説明したように、マス受けする要素がないだもん。もちろんマブラヴのシェアワールドであるという魅力があるので、一定層は確実に買うでしょうし、序章なのはやればわかるので、次も買うとは思いますが。


これを単体で評価しようとすると、比較すべき作品は、アーサー・C・クラークの『幼年期の終わり』ロバート・A・ハイラインの短編『大当りの年…The Year of Jackpot』やのようなものになるんですね。


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実際、『幼年期の終わり』っておもしろいとおもいます?。いやね、さすがのクラークだとは思うし、面白いんですが、現代あまた出ている作品と比較すると、どうしても見劣りする。けど、これがSF史の古典として燦然と輝くし、現代文学としても古典として輝くのは、まったくこういった「人類の終末」が、考えても見られなかった進化論バリバリのイケイケ経済成長時代に書かれている、ということでものすごい意味があるんです。つまりね、概念(=コンセプト)が新しい!という面白さがあるんですね。たとえば、ウィリアム・ギブソンとかグレッグ・イーガンとか、JGバラードとか、本当みんな面白いと思います?(笑)。いやぁー、超絶面白いんですが、これってその面白さの過半は、概念(=コンセプトの新しさ)なんですよ。

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だから、「終末の風景」というのも、それ単体では、コンセプトの面白さ、にしかならないんですよ。ましてやエンターテイメントの領域でそれをしようとすると、それはある意味二番煎じなんです。もちろん、マブラヴワールドの中では、とか、いろいろ枠を狭く見れば、それ自体のコンセプトの新奇さは、非常に興味深いです。特にマブラヴオルタの中で、オルタネイティヴ5の発動は、分岐点として主要なものであるわけで、そこにこのコンセプトを持ち込んだ視点の鋭さは、僕は素晴らしいと思います。ただし、このように丁寧に分解したのは、ようはね、「コンセプトの新奇さ」だけに頼っても、『幼年期の終わり』に比較して、すでにこうしたコンセプトは二番煎じになってしまっているので、人を、特にマスをひきつける力はないんですってことが言いたいのです。



■絶望を描くマクロに偏った作品は、インパクトはあるが、大衆受けしないものであることとのバランス
実際に、いま出ている01と02の構造を見ると、シナリオの全体感では、なにがいいたかったのか、よくわかります。TDA02は、明らかにマヴラヴのコアの説教劇(これも次の記事で書きます)に回帰していますしね。本編が始まった感じがします。

けれども、構造の話に戻ると、TDA01単体って、絶望の物語なんですよね。世界がなくなってしまったところで、支援もバックアップも無い状態では「あきらめ」しかありません。その「あきらめ」の中で、それでもプライドを失わないで生きていく、という「救われようのなさ」が、01の脚本でした。その中で唯一、生き残った主人公の女の子リリアという女の子が、彼女が生きていく動機を形成する原体験のお話。僕はね、この脚本自体は、とてもいいと思います。またそもそもの「世界が失われてしまった」という絶望の風景をオリジナルに据えるという脚本のコンセプトも素晴らしく秀逸です。マクロの視点では、とても面白い視点だと思います。


けれども、もしこうした究極的には二番煎じでマスが慣れてしまっている「終末の風景」というコンセプトを舞台設定に選ぶ場合には、問われるのは「関係性がどれだけ描けるか?」ってことになるんです。そして、構造上関係性を描くのは難しい。それは、そこに生きるキャラクター達の動機が奪われている(=未来も希望もない)からです。特に、マクロが好きな作家は、ミクロが描けないか軽視する傾向があります。マクロが描けて満足してしまうからなんです。


さて、では、絶望によって「動機が奪われている状況」で、動機をどう描くか?ということでは、最高の作品があります。僕は友人と話しているときに、この01の本質は、絶望と終末の風景なのだから、単体で描くならば『SWANSONG』が目標になるんだろうな、と思いました。ちなみに、絶望を描く作品としては、マクロがテーマでありながらミクロを描き切って、ミクロからマクロにつきぬけきっているこの脚本は、超度級の傑作です。脚本家、瀬戸口廉也という人の持つ本質を突きつめてこうなったんだと思います。ちなみに以前の『キラ☆キラ』などのもっともっと関係性のエンターテイメントのみで描かれているエロゲーを作りながら、あれだけ暗い(苦笑)テイストになるので、彼が最終的にマクロの絶望的な環境を設定に選んだのは、とても正しい道筋であったのでしょう。このへんの解説は、SomthingOrangeの海燕さんが、素晴らしく秀逸で、この本質まで追いつめているので、ぜひご一読を。・・・ちょっと読み返したけど、絶望/希望をテーマにするマクロとミクロがリンクした作品としては、主人公の動機の在り方、、、関係性の本質がお互いの「感覚(=世界認識)の洗脳合戦」であるという感染仕組みなど、豊饒な人間世界が描けている。素晴らしい作品です。


『SWAN SONG』を解読する。Something Orange http://d.hatena.ne.jp/kaien/20090917/p1

この、くそったれな世界に、精一杯の愛をこめて。/SomethingOrageより
http://d.hatena.ne.jp/kaien/20080513/p1

『キラ☆キラ』 この、くそったれな世界に、精一杯の愛をこめて
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20090429/p2


ちなみに、マクロに重心が偏っている作家は、関係性が書けないケースが多いのです。それは単純で関係性に興味がないからこそ、マクロの才能があるのです。だから順番としては、マクロのコンセプトが好きで才能がある人は、自分が興味のない「関係性」や「人の動機」にどれだけ目が行くか、描けるかで作品の豊饒度が違ってくると僕は思います。まぁこれは、人生にも言えることで、僕も多分にマクロ重視の人なんですが、そういう人は「道端の小さな花」がどうでもいいものに見えるんですね。けれども「道端の小さな花」をものすごくマクロフレームアップして顕微鏡で見てみれば、そこには宇宙(ユニバース)があるわけですよ。そういうことの・・・すべてひっくるめてバランスされた「世界の豊饒さ」だということが分からないと、人生は損してしまうと僕は思います。マクロからは無駄でも、ミクロで鼻を垂らして戦ったり足掻いたりすることが、生きていく過程の喜びだと僕は思うんですよ。って、なんか人生論になってしまった…(笑)。


SWAN SONG 廉価版キラ☆キラ

で、その前提を踏まえると、TDAのようなコンセプトを展開するのに重要なのは、1)個々のキャラクターの内面をえぐっていくこと、そして、2)チームビルディングを描くこと、また3)絶望が極まって希望がない中で「生きる」ということの理由を書くこと、がテーマになります。というかなるはずになります。また、最終的な目的地点は、この「生きる理由がない」世界で、それでも、「生きなければならない(=死ぬに値する何か)」を見つけることがミクロとマクロで納得できなければなりません、という風になるはずです。


ちなみに、総括すると、クロニクルズとしてこのTDAを舞台としてあげるのは、僕はとてもいい切り口だと思います。下及び今後の記事で書くように、01は序章なんで説教劇の面白さが出ていませんでしたが、02で戻ってきていますし、311の後に「リソースがない状況下での為政者の苦悩という部分」が描かれるのは、これまでとは、かなり違った響きを与えると思うのです。もともとマブラヴシリーズの基本コンセプトは、現実を直視しろ!ですので、世界の終末、希望がない世界でどう希望を紡ぐか、というのは、エンターテイメント的には厳しいとは思いますが、僕はいいテーマだと思うのです。特に02の本編が始まってからの話が素晴らしいです。

マブラヴオルタネイティヴ クロニクルズ02


■価格設定の問題について〜価格よりも定期的に出すことのほうに意味と価値があると思う
値段の問題が、いろいろ言われているみたいですけど、、、それぞれ傑作といわれる『シュタインズゲート』とか『マブラヴオルタネイティヴ』だって、6千円から1万円前後でしょう?。僕は初回出荷時の値段をはっきり知らないし価格形成のコンセプトがわからないので、この値段云々には何とも言えません。が、そういった傑作級の作品とそんなに変わらない値段であれば、当然同じ密度を期待するというのが、消費者のわがままというものです。受け手は、作り手の価格の苦しさなんかさっぱり分からないですから。だから、このデイアフターが、たとえば、、、僕はどこまでかわかりませんが、01-04ぐらいまであるとして、そのれを一つのパッケージで1万数千円で売るのならば、価格的文句は出なかったのでしょう。この文脈で言えば、クロニクルズという形で、細切れに出すシリーズ作品は、もっと安くてもいいと消費者が思うのは仕方がありません。けど、実際には、サプライヤー側に立てば、たぶんマブラヴオルタを作るのもデイアフターを作るのも、作業としては、というかコスト(特に固定費のコスト)としてはそんなに極端に変わるはずがありません。そうすると、値段設定として、ああなるしかないというのはよくわかります。サプライヤーとして「それでも出すか?」それとも「出さないか」の選択でしょう。僕は出してほしいので、細かいことに文句を言うやつは嫌いです(笑)。だとすると、僕は妻がいるので、全くいらないのですが(笑)、リリアのおっぱいマウスパッドや今回のシーツの特典や、さまざまなメインシナリオ以外の特典をつけることによって、そのバランスをとるという「施策」以外にはありえないんでしょう。だから、コストの問題について、消費者がなにかいってもスルーするということ以外対処しようがないのだろうと思います。いや真摯に受け止めるのは、当然としても。そこは勝負の場所じゃないもの。ソフトは基本的には、クオリティー勝負であって、価格は土俵じゃありません。また02に関しては、『憧憬』がはいることで、十分なボリュームに感じましたけどね。唯一望むことといえば、別に高くてもいいけど、適切な間隔で、間をあけずに続けて出してほしいです。これって連載ものだから。最も重要的には、マーケティング的にも、戦略的な位置づけ的にも、これが定期的に出ていくことのほうがはるかに意味があります。



だから価格設定問題に、僕がどう受け取ったか?というと、僕には全くそういうことを意識したことがありません。そもそも既にマヴラブの信者である(苦笑)僕にとって、そうですね・・・1万円以内ぐらいであれば、ほとんど何も考えずに買いますね。大人買いです。マブラヴワールドというサーガに対してお布施するので、それが勘弁してくれと思うような価格設定で無い限り、買います。価格設定で考えなければいけないのは、どの層に対して販売するか?ということです。そもそもクロニクルズというシリーズは、たとえば戦術機のフィギュアを買う層に特別狙い撃ちしているユーロフロントのシリーズとかを考えると別なのかもしれませんが、すくなくとも、クロニクルズを買うのは、マブラブオルタのファンと重なるのは間違いありません。つまり「買う層」はもう何の理由もなしに買う層だと思うからです。この層は、クロニクルズのファンではなくて、マブラヴワールドのファンだからです。コアな層は、年齢層も高いと考えられます。機動戦士ガンダムで言う『ポケットの中の戦争』がOVAで出た時に買う層ですよ。

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これは経営サイドとしては、かなり苦しい問題で、というのは、本編の劣化母集団にしか売れない=新規層を取り込めないと言っているに等しいからです。でもね、オリジナル級の作品を出さない限り、新規層の取り込みはムリなんですよ。だから、クロニクルズというシリーズは、そもそも目的は、戦術機のフィギユアなども含めたマヴラブオルタワールドの全体のブランドを維持するための「サブコア的位置づけ商品」になります(勝手の僕が考えているだけですが(笑))。だから、ここで言うのならば主力コア商品は『君がいた季節』になるでしょう。君いたは、だから新規層を取り込めないと、Ageブランドの未来に影をさすものになるので、これは重要です。コアとサブコアでは、狙う層やマーケティングの仕方が異なるし、要求されるクオリティが異なります。このへんの「それぞれの商品のクオリティ」や「出す順番」・・・・こういうのを、新製品開発戦略では「パイプライン」と呼びます。何年後、どういう姿になっていたいか?という構想(=中期経営計画)があって、そこから逆算すると、どういう順番で、どういう新製品を開発して、その時々の「必要なマーケットからの評価」はどういうものか?などなどを、「あるべき姿」として設計しておくことです。まぁ、実際のビジネスは、そんな思った通りには進みませんが(苦笑)、「最初に掲げた目標」と「現実のパイプラインの数と太さと継続性」を睨みながら、いろいろなことを考えて、うち手を打つのが戦略ってやつですよね。ハードルあげるようで、個人的には申し訳ないけど、『君がいた季節』はすごく期待しています。素人なりに予測しても、いろいろ思うところありますもん。もう、震えるほど楽しみです(笑)。

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ちょっと話がずれた、けどまークロニクルズは、単品で破壊的な力を持つとか完成度を持つ必要性は僕はないと思うのです。いや、持てたことに越したことはないですよ(笑)?。でも、そういう単品だけの破壊力を持たせようとすると、今度は販売戦略的にも、物凄い労力と密度をかけることになって、気やすく数を出したり、マブラブオルタワールドというブランド商品群を密度をじわっとあげるという当初の戦略目的から外れてしまいます。いや、ほんとーにそういう戦略があるかどうかは知りませんが(笑)、、、マブラヴは、世界観の設定が、素晴らしい固定費的な安定度と深さをもつ「サーガ」であり、かつ戦術機のフィギュアなどの関連商品の広がりで儲けられる構造を持っているとすれば、ガンダムサーガ的な販売戦略を持つのが、至極妥当だと思いますし、なによりも、外伝や同人のSSなど関連の世界観を見まくって行くと、マブラヴオルタネイティヴサーガ・シェアワールドとしての「深さ」のレベルは、エンターテイメント界隈でもまずあり得ない高度なレベルに達していると思います。比肩する系統では、ガンダムしか僕は思いつきません。こういう広範な広がりを持つ作品は、その作品世界の広がり・プレゼンス(存在感)をじわってあげていくのは、とてもいい戦術だと思うのです。つまりは、一番の目的は、現在いるオルタファン層が、マブラヴオルタヴランドを継続的に支持して財布のひもを緩めてくれるものを「継続的に」出せるかどうか、なんだと思います。『継続的に』というのは重要です。損益分岐は、主力商品よりかなり下がるのは前提のはずです。そして、僕がどう受け取ったか?ということで考えると、マブラヴオルタワールドで人生が豊かになった自分としては、少なくとも、1万円前後であれば、ほとんど「お布施」とか「支持票」として、何の疑問もなく支払いますよ。そういう層をそもそもターゲットにしているはずです。ましてや通常のゲームと同じ価格ならば、僕は十分だと思う。値段下げて設定しても、売れる量は変わらないと思いますしね。そもそも、この市場でこのターゲットでこの作品という組み合わせならば。

■世界の終わりという絶望的なマクロ設定と『説教劇(=個人の動機を燃やす!)』との相性の悪さ
でも、それにしても01は厳しかったなと思うのは、これは完全にプロローグだからです。前に語りましたが、また「絶望」を軸とする世界観であるが故に、そもそもアージュ作品の魅力である「現実を実感させるために、ヘタレを叩きのめす」という説教劇(自意識解体の系列)の部分が、ほとんどなくなってしまいました。説教に価値があるのは、「いまこの苦しさから抜け出ることができるかもしれない!」という脱出の可能性があってこそです。


が、01のアメリカの空母周辺は、行ってみれば、希望が失われてしまった、もう未来が完全に閉じてしまった世界の状況です。逆にいうと、作品として「閉じてしまった世界」の美しさを書くという意味では、僕は完成していると思います。悪くはないと思いましたもの。けど、これ、、、コンテンツとして、「単品として魅力があるかどうか?」と問われると、デイアフターという全体のシナリオのプロローグであるから、リリアが生き残るなど、希望が残っているわけですよね?。そうすると、01単体としては、中途半端なんですよ。この系統の作品を単品で書くのなら、全員が死に絶えるウルトラ悲劇の話の方が良かったのです。でも、それじゃークロニクルズの意味がないかもしれません。。生き残らせるのならば、もっと希望を持てる設定にしなければならなかったのだと思います。だから、01だけでみると、凄く点が辛くなってしまう。だから、これは、デイアフターが全部完成して、その評価が定まるのであって、現時点では僕はいいも悪いも言えません。少なくとも、僕のような「物語読み」は、かなり先読みをするので、01は、実際にはとても面白かった。次の作品を買うという動機には十分なります。それは、これが全体の中での位置づけを考えてみるからです。単品では見ない。実際に、02は、本編が始まるところで、説教劇としての部分が戻ってきましたし、ここで語れる響中尉とリリアが、今後であって、なんらかのこの「失われた世界でやらなければいけないこと」を見つけ出して、チームとして仲間としての絆を形成していくだろう(それしか脚本上あり得ないと予測します)という全体像で考えると、最初のプロローグでの厳しさは、逆に輝きます。


しかしながら、マブラブオルタワールドファンにとってそのほとんどコアである、説教劇(=自意識の解体劇)という部分が好き?(マゾ?)な人にとっては、01は、上品すぎて、いやこれはなーと思ったとは思います。もちろん、戦うことの意義を、かなり説明しているんですが、非常に構造上悪いのは、そもそも、後方部隊や国家から切り離されている孤立した状況である空母という「状況」では、説教が説教として、意味を持たないんですよね。それよりも強い、「生きていることのあきらめ」が前面に感じてしまう。だって、希望がないんだもの。そしてそれは、この01の「世界が滅びた後の風景」というコアの本質からいって、正しいことなので、この上に感じる反射的感情は否定できません。そういう意味では、クロニクルズシリーズの第1話としては、ちょっとライトなマブラヴファンをさらに盛り上がらせるには、方向性が違ったかもしれません。作品自体の評価の問題というよりは、出す順番やコンテンツの組み方が問題あったのかもしれません。あと、リリアの発言が、「なんらバックアップの無い絶望しかない状況」で語られるので、はっきりいって自己欺瞞か無理で理知的な発言にしか聞こえない、という問題点がありました。「やらなきゃいけないことはある」けれども、だからといって、何の理由も希望もなしに人は動きません。また、少なくとも激しい動機を人に説得するときには、それに十分い値する「自己のさらけ出し(=泥をかぶる行為)」が必要であって、そういう意味では、01-02のデイアフターともに、主人公の動機が、僕にははっきりと見えません。そこは脚本上の問題だと思います。もう少し敷衍すれば、ミクロ・関係性・その人固有の動機、とでも言いましょうか。ミクロの関係性の演出がうまくできていないという感じです。・・・・はーなんか、書いてて思うけど、小説書いたこすらないのに、おれって偉そうだな(苦笑)・・・。まぁ、分析もある意味、芸なので、一応自分なりに偉そうだなーという自覚ありで書いていることを明記して、続けたいと思います(笑)。


ちなみに、その3まで書きあがっているので、順次掲載します。

『マブラヴオルタネイティヴ クロニクルズ01』 その1 地球が滅びた後の、滅びゆく人類を描くことと説教劇の相性の悪さ
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20110714/p1

『マブラヴオルタネイティヴ クロニクルズ02』 その2 キャラクター固有の動機を一人称で説明すること
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20110715/p2

『マブラヴオルタネイティヴ クロニクルズ02』 その3 層を明らかにするリアリティー〜現代日本根本基盤をあきらかにするには、日米同盟の構想をどう炙り出すかで決まる
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20110715/p5