『望郷戦士(ティアフルソルジャー)』1988 工藤かずや・北崎拓 東京が壊滅した世紀末もので時々無性に読み直したくなる

望郷戦士(1) (少年サンデーコミックス)

評価:★★★★星4つ
(僕的主観:★★★★★星5つ)  

最近、古い名作を一気読み幸せを覚えてしまって、散財しているペトロニウスです。BookWalkerの還元率がいいときに一気買いする習慣ができてしまった。徳弘正也さんの古典的ディストピアもの大傑作『狂四郎2030』(1997-2004)が僕は死ぬほど好きで何度も繰り返し読んでいるんだが、これを全巻一気に読み直したら、ディストピアものとか世界が滅亡後の北斗の拳的MADMAXワールドでサバイバルする系統が読みたくなってしまった。そこで思い出したのが、往年の渋めの傑作『望郷戦士(ティアフルソルジャー)』(1988-1989)を読み直す。1988年に週刊少年サンデーで連載してた。ペトロニウスが、実に中学1年生の14歳の時に出会った作品。当時は、石渡治さんの『B・B』(1985-1991)や河合克敏さんの『帯をギュッとね!』(1989−1995)連載してたころ。


全巻購入して、この30年間(笑)、何度も読み返して、そして今なお思い出してデジタルで全巻購入するくらいには、好き。古典的な名作と言っていいと思う。いわゆるこの時代に流行った世紀末モノの類型。


簡単なあらすじは、1988年の夏休みに、中学2年生の倉田迅(主人公)らが東京から長野県へ、宝探しの、なんてことない旅に出かける。彼らが洞窟に入っている間に、第三次世界大戦による核戦争が勃発して、生き埋めになってしまう。そこからやっと脱出したところ、外の世界は13年が過ぎてタイムスリップしてしまており、北斗の拳的な無法地帯が広がる日本を、東京まで戻る旅に出ることになる。


この作品の魅力は、残念にもだが、7巻という短さで終わったが故に、非常にシンプルに各エピソードがまとまっていて、オチがしっかり描かれているところ。なので、ワンセットで全体のストーリーが、記憶によく残っている。

また評価が分かれるところは、最後のオチの部分。滅びてしまった東京を、主人公の同級生(13年経って自衛隊の成れの果ての首都防衛部隊の指揮官いなっている)が日本国民に見せないようにしていることを見つけ出すところ。日本の復興のために東京が核ミサイルで滅びたことを見せなかったことが、良かったのか悪かったのか。ちょっと俯瞰してみると、こんなことをしているから、日本人が絶望しないで、殺し合ったり、壁の外側に街を作ったりするので、日本の国の復興を遅らせる原因になっただけないんじゃないかなと思える。

しかしながら反面、中学1年14歳の僕がこれを見た時に衝撃は、大きかった。2024年時点で36年ほど前。この時代は、押井守監督の廃墟のイメージや、滅びにとても惹かれる時代の感覚がありました。今思い返すと、まだ1980-1990年代は、本当の意味での絶望や滅びを受け入れる用意ができていなかった、、、ということが手触りでわかります。だから、「滅びを受け入れられない」足掻きを描くこと、それを受け入れて「現実の新世界」でちゃんと生きていこうという希望の選択肢を選ぶ倉田迅たちの清々しさに、とても気持ち良いものを感じたのを覚えています。この滅びのイメージは、1995年のオウム真理教による地下鉄サリン事件に結実していく時代の雰囲気なので、とてもクリアーにこの路線を拒否して、現実に生きていこうとする倉田迅の感覚は、当時の僕には、とても清々しくうつりました。

ドラゴンヘッド(1) (ヤングマガジンコミックス)

評価:★★★★★星5つ
(僕的主観:★★★★星4つ)  

この4−5年後に描かれる、同コンセプトで描かれた世紀末モノのが、望月峯太郎さんの『ドラゴンヘッド』(1994-1999)で、構造が非常に似ていて、マクロ結論も同じなのに、受ける絶望感が全然違います。この辺りの、滅びをガチで受け入れはじめてきたこと、滅びに伴う個々の人間の内面の恐怖にクローズアップされてきてることが感じられます。もう少し敷衍すると、上記の記事で、『ドラゴンヘッド』が恐怖をテーマにしています。そしてラストがどうなったかが、いまいちわからないのですが、大規模な災害にあい、北斗の拳的MADMAXワールドでサバイバルしていく時に、どういう構造をしているか少し分解してみましょう。

マクロ:結論は同じ
望郷戦士:東京は核攻撃で壊滅。壁で囲った周辺に集落ができて、日本は復興しつつある。
ドランゴンヘッド:東京は壊滅。郊外が生き残っており、東京周辺で復興が始まっている。しかしそれを示す図像を一枚描いているだけで、主人公たちに希望があるわけではない。

ミクロ:80年代の楽観主義と、90年代の悲観主義の差がわかる。
望郷戦士:倉田迅:東京(故郷)が壊滅した現実を受け入れ、仲間たちとの絆(家族)を作り上げ、新しい人生と歩み出す。
ドランゴンヘッド:青木照:、テルたちがずっと恐怖=ドランゴンヘッドという内面の感覚を執拗に観察し続けるロードムービーになっており、希望と未来をつくりあげる感覚がない。

mangaski.com

この比較を見れば、倉田迅たちが、、、、友情を深め、迅は蘭(ラン)と夫婦になって家族を作ることは、もう自明だと思うんですよね。不良の哲雄や杓子定規な学級委員長の小野俊介たちが、この過酷な世界で、大事なものを再確認していくこと、80年代の彼らが生きた「子ども時代の平和な感覚を貫き通す」ところにこの物語のコアがある。なので、内面的には、東京が滅びても、あまり変わっていない。ある種の青春成長物語になっている。しかし、ドランゴンヘッドの青木照(テル)、瀬戸憧子(アコ)らの旅路は、大災害や自分の想像力を超える悲劇に出会った時に感じる、内面の恐怖がどのように人間と社会を、共同体を狂わせていくかを、執拗に描き続ける。テルたちを見ていて、マクロ的に東京は良い方向へ復興しているのに、テルたち自身が自分を立て直して共同体や家族を再構築するような希望を見出すのは難しい。この差は、80年代と90年代の差になっていると思う。

チャイルド★プラネット(1) (ヤングサンデーコミックス)

評価:★★★★★星5つ
(僕的主観:★★★★★星5つ)  

あと同じく、東京や日本が滅びる世紀末の感覚は、週刊ヤングサンデーで連載していた『チャイルド★プラネット』(1996-1997)原作原案竹熊健太郎、作画永福一成も思い出しますね。大人だけを短時間で殺してしまう殺人ウィルスによるバイオハザードのお話。最終話が、希望もクソもない人類の滅亡と改変みたいなレベルなのに、とても希望に満ちて感じる、不思議な作品だった。『がっこうぐらし!』(2012−2020)のゾンビアポカリプスものなのに日常系というわけわか(笑)な作品だが、これらの方向へパンデミックものが、変化していくのと比較すると、1990年代の「滅び」に対する容赦のない絶望感は、とても大きい気がする。ブルース・ウィルス主演、テリー・ギリアム監督の『12モンキーズ』(1995)や『バイオハザード(Resident Evil)』(2002)なんかも比較しながら見たいところ。

12モンキーズ(字幕版)

評価:★★★★★星5つ
(僕的主観:★★★★★星5つ)

この辺やはり20年近く経っても覚えている古典的な作品は、★5つ級ばかりですね。テリー・ギリアム監督といったら『未来世紀ブラジル』(1985)が有名ですが、渋くこちらの方が僕は好き。のちにドラマシリーズ化されることからも、このテーマって面白いんだろうと思う。人類がほとんど滅びている世界で地下に住む人類の、刑務所の囚人・ジェームズ・コールが、人類が滅びた理由を探すとともに、汎用ワクチンの作成のために、タイムスリップをする話。

完全版 飛ぶ教室 (希望コミックス)

評価:★★★★★星5つ
(僕的主観:★★★★★星5つ)

このあたりも傑作。ひらまつつとむ『飛ぶ教室』(1985)。やはり80年代の方が、マクロ的には、絶望の度合いが大きい。米ソによる核戦争のイメージが強いから、滅びるときは、ガチで根っこから滅びるという感覚が強い。小松左京の小説を映画化した『復活の日』(1980)も思い出される。バイオテクノロジーによる破滅テーマの本格SFとしては、かなりの原初的な作品。

サバイバル 1巻

評価:★★★★★星5つ
(僕的主観:★★★★★星5つ)

これも好きですね。


ちょっち、色々な過去の名作を思い出させる読書でした。