猫のいない猫まみれの生活

5年近く一緒に暮らしたタマとお別れして、約一ヶ月経った。


先月下旬、猫アレルギーによる気管支喘息が急に酷くなって急遽里親を募集する一方で、やむなく猫をペットホテルに預けて6日後、猫は知人の家に貰われていった。
その日、猫は知人宅に着くなりどこかに隠れてしまって出てこなかったそうだが、一週間経って知人から「タマ、元気です。いまだ家の中を探検中。被っていた猫も剥がれてきました」とのメールがあった。
今はもうすっかり新しい環境に慣れた頃だろう。


でも私の方はいまだに、猫のいない生活に慣れることができないでいる。どころか、ちょっとヤバい状況になっている。
● 気がつくとネットの猫サイトやYOUTUBEの猫動画を貪り見ている。そのうち涙が出てくる。
● 気がつくとネットの通販で猫グッズ(猫柄の文房具、雑貨、バッグ、靴、服、ショール、ハンカチ、傘、アクセサリー、生地など)を次々「買い物かご」に入れ、後から冷静になって「別にいらないか‥‥」とまた一個ずつ削除する、ということを毎日繰返している。
● にも関わらず、この一ヶ月で5万円くらい猫グッズに散財した。
● 猫柄の生地を大量に買って座布団カバー、クッションカバー、枕カバー、ティッシュボックスカバーなどを作り始めた(これやってる時が一番シアワセ)。
● タマを撮った写真や動画を見ながらクロッキー帳に猫の絵を描いている(これやってる時もシアワセ)。
● 毎朝、「今日もタマのいない一日が始まるのか」と思うと胃の辺りがキュウとなって起きたくなくなる。
● 休日はペット販売店巡りをして子猫のウィンドウの前に張り付く。
● 近所のノラ猫に「タマ‥‥」と呼びかけた。
● 1年半前に猫アレルギーとわかって猫を手放す手放さないで口論になり結局夫が折れ、それ以降やたらと猫が自分に甘えてくるようになったので「タマちゃんはずっとおうちにいていいからね。タマちゃんの面倒はオバチャンがずっとみてあげるからね。なんにも心配しなくていいんだよ」と言い聞かせていたのを思い出して泣く。
●「タマに逢いたいよぅ。タマちゃん夢に出てきてよぅ」と泣きながら寝る。


私「私、なんかおかしい?」
夫「おかしい」
私「病気?」
夫「病気」
私「あーあ、タマ今頃どうしてるかな」
夫「そんなに気になるなら、電話して様子聞いてみりゃいいじゃないか」
私「んー‥‥‥。でももうYさんちの猫なんだし、元の飼い主があまり気にして聞くもんじゃないと思うの」
夫「じゃあまぁ忘れるんだな。タマもおまえのことなんかとっくに忘れてるって」
私「‥‥そうだね(泣」
こういうのをペットロスというのですか。


私「そんなわけで、タマがいなくなってから前より余計に猫グッズに目が行っちゃって困る」
母「そう言えば、こないだスーパーでよく会う女の人、60代後半くらいかしらね‥‥とバスで一緒になったんだけど、その人がリアルな猫の絵のついた大きなバッグ持ってたの。あなたがタマちゃんの話ばかりするから私もなんか猫が気になっちゃって、思わず「可愛い猫ちゃんですね」って声かけたら、その人とっても嬉しそうに「私、猫好きで4匹飼ってるんだけど、猫のモノも大好きでね」て言って、バッグから猫のお財布やハンカチやポーチを「これも」「これも」って出して見せてくれたのよ。よく見たらその人、細かい猫柄のブラウス着てて猫のイラストのついたスニーカー穿いてた。「なんでも猫だから家族には呆れられてる」って」
私、その人のこと笑えない。昨日も、猫のぺたんこシューズに猫のネックレスつけて仕事に行った。


猫はどうか知らないが、人は関係性の生きものだ。タマが私の生活から消えたということは、単に飼い猫という所有物を手放しただけでなく、親密な関係性の一つを失ったということだ。誰でもそういう体験の一つや二つはあるのだろうから、ありふれた話なのだ。
ただこの一ヶ月弱、猫のいない猫まみれの生活を送りながら厭と言うほど思い知らされているのは、タマという猫との関係性、自分が作り上げた「タマと私の物語」に、自分自身がいかに依存してきたかということ。


‥‥‥なんてブログに書いてみたりするのが、自己治癒の過程なのか傷口をわざわざ広げているのかもよくわからない。
「病気」はいつ頃治るのだろう。




こんなに作ってどうすんの‥‥また生地追加注文しちゃったし。



ボールペンで。熊谷守一の猫クロッキーと比べると足下にも及ばぬ(露出を弄ってたらまちまちになってしまった。見苦しいのはご容赦)。



クロッキー帳の表紙はもちろん猫。YUKO HIGUCHIというイラストレーターの名前がある。幾つになってもこういうのが好き。



5年前に買った猫グッズ第一号の写真を追加。友人に誘われて行った瀬戸の猫まつりでふと目に留まったもの。その3週間後にタマがうちに来たから、この猫は「タマを呼んでくれた猫」として玄関に大切に飾ってある。