一人と一匹、たまに二人

午前中、買い物から帰ってくると、「やっぱり今日行く」と、落ち着かなそうに夫が言った。
「え、今日? 明日じゃなかったの」「うん、明日雨降るって言うし。これから発てば夕方には着くだろ」
見ると、リビングの隅に置いてあった手荷物はもう愛車に積んだらしく、一個もない。
なんだ‥‥。今夜家で夕食食べると思って、いっぱい材料買ってきちゃったよ‥‥。普段なら、突然の計画変更を詰るところ。でも夫の頭は新しい住まいや仕事のことで一杯らしいし、愚痴を言って送り出すのもアレなので、「じゃ、気をつけてね。着いたら連絡して」と言って見送った。
先々週に住まいを決めて必要なものを買い整えこちらから荷物を運んでから、なんだかあっという間だったなと思った。


夫はこの3月で30年務めた予備校非常勤講師の仕事を辞め、4月から新潟の私立高校に勤務する。定年の60歳まで、5年間の単身赴任だ。
去年の5月頃、「新設高校の教員を探しているので、理数系科目で誰か適当な人がいたら紹介してほしい」と古い知人から頼まれた夫は、周囲の若手講師に当たってみたが、子供の学校の問題があったり奥さんが反対したりで、なかなか行き手が見つからなかった。東京、大阪、名古屋のような都市在住者からすると、「新潟‥‥? 冬は寒いし田舎(失礼)だろうしなぁ」といった躊躇もある。
それで試しに「僕では駄目ですか」とその知人に訊ねてみると、ベテランの講師が来る気になるとは思われてなかったようで、「あなたが来てくれるなら、それに越したことはない」という話になった。


それでも夫はしばらく迷っていた。今の仕事に最後までしがみつきたいという欲は、何年も前から希薄である。この10年、周囲ではリストラも多く彼の仕事も一頃よりはかなり減らされ、私の目から見ても、あまりぱっとしない状態が続いていた。
ただ新潟という土地には馴染みがなく、この少子化の折の新設校なので先がどうなるのかはまったくの未知数。55歳になって、突然家族や古くからの友人たちと離れて寒い地方での一人暮らしも、二の足を踏ませる要因だった。
「おまえ、一緒に来れんかな」と一度だけ聞かれたが、私は細々ながらもこちらに仕事があるし、双方の高齢の親も比較的近くに住んでいるので、あまりこの地を離れたくない。親に何かあった時に新潟と名古屋を行ったり来たりするのは、ちょっとしんどい。


「行くべきかな、どうしようかな」と逡巡している夫に、「行ったらいいじゃない」と私は言った。
先が見えないのはどちらの仕事でも同じだ。それなら、ビクビクしつつ不満を溜めながら今の職場にいるよりも、先方から望まれて新しい仕事にトライする方がいいんじゃないの? 精神衛生にもそれがいいんじゃない? だいたいその歳で転職&収入アップのチャンスなんか、滅多にないよ。もしも数年でダメになったら、その時また考えればいいじゃん。親のことは私に任せなさい(と、大見得を切った)。


今の時代、50歳を過ぎてから転職する人は、そんなに珍しくないと思う。
また卑近な例だが、妹の夫も同じだ。長年、半導体のメーカーで主に海外の顧客企業に対する窓口業務をしていたが、3年前に辞めて国内企業相手の翻訳業に転職した。
それまでの仕事人脈だけを頼りに個人事業主として始めたので、何もかも決めた後で「たぶん最初の一年はほとんど収入ないと思うから」と妻に言ったらしい。ちょうど娘が受験期で、「これからお金もいるのにどうしよう」と専業主婦の妹は焦ったそうだが何とか貯金でやりくりし、今では旦那さんの仕事も軌道に乗ってきているという。


そんなわけで昨年の夏、二人で新潟に出かけ、校長先生(になる人)に会って話を聞いたり学校の建物を見たりして、夫は決心を固めた。長年の大学受験指導のキャリアを見込まれて行くというのも、彼の自尊心を満足させた模様。予備校では医大受験コースから落ちこぼれクラス、大検コースとさまざまな生徒を相手にしており、もともと面倒見のいいタイプなので、たぶん高校の教師業も大丈夫だろうと思う。
話が決まると、夫は急に元気になった。大手予備校の講師間の熾烈な生き残り競争と上からの厳しい締め上げにウンザリしていた彼にとって、何もかも一から始まる新設高校でそれなりに采配を任され伸び伸びやれそうだ(何しろその担当科目は自分一人)というだけでも、新たなやる気が沸き起こってくるらしかった。


大層寂しがっていたのは、夫の母と私の母だ。義父は何も言わなかったが、80歳の義母は「あんたが帰ってきた頃には、私らはもうおらんかもしれんわ」とションボリしていた。それはわからないけれども、夫が帰ってくる前にどちらかが要支援か要介護になって、私が同居する必要性は出てくるかもしれない。
私の母は「話を聞いた時、『行かないでーっ』って心の中で叫んだわ」と言った。先月父が亡くなったこともあり、このところわりとまめに二人で実家を訪ねて話し相手になっていたので、母は妙に私の夫を頼りにしていた。
友人たちは「よく決心したね」「それは寂しくなるね」「でもある意味理想的でしょ」「亭主元気で留守がいい?(笑)」と賑やかだった。


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犬を飼おうと夫が言い出したのは、新潟行きを決めた去年の夏の終わりのことである。
飼い犬のコロが老衰で死んで、まだ2ヶ月くらいしか経っていなかった頃。そのうち新しい犬が飼いたくなるだろうなとは思っていたが、まだその相談をするのは早いと思った。第一、どうせあんたは来年新潟に行っちゃうんだから、犬を飼ってもあんまり構えないじゃん。なのになんで?
「やっぱり犬がおらんといかん。おまえ一人で用心悪いしな」と、夫は私の疑問には答えずもう決定したように言った。
本当に、不用心だから軒先に「番犬」がいた方がいいというセキュリティ上(?)の判断からなのか。それとも、新しい犬の面倒を見ることで私がペットロスから立ち直れるだろうという配慮のつもりだったのか。もしかして、自分がいなくなると私が寂しいだろう‥‥とかそういうこと?


18年前、夫と喧嘩が重なり私が怒って家を出て半別居状態になった後、夫が一人で飼い出したのが、前のコロだった。彼にとって犬は、「一人になっちまった」という寂しさを癒す存在だったのでは‥‥と私は邪推している。つまり(自分は一人新潟暮らしで)寂しいなという気持ちを、相手に投影しているに違いない。
だがそれを言っても夫は、「俺? 俺は別に」と認めないのだった。


思い出してみると、18歳で実家を出てから浪人・大学時代を含めて9年一人暮らしをし、結婚して10年二人暮らしをし、半別居して8年、再び二人暮らしで10年経った。この間に犬を17年、猫を5年弱飼った。
一人で暮らしたり、二人で暮らしたり、犬や猫が加わったり、去っていったり。その中で、自分と周囲の関係も、自分の精神生活もさまざまに、だが大きく変化した。
今日から、「一人と一匹、たまに二人」の生活が始まる。今度は、何がどんなふうに変わるのだろう。とても楽しみだ。



●追記
前の記事「子犬を交通事故に遭わせてしまった話」に、たくさんのお励まし、ありがとうございます。お陰さまで、タロの脚の骨折は急速に快癒に向かっています。まだ膝は曲がらないものの、元気一杯です。