モジモジ君のブログ。みたいな。

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似非科学を似非科学的に批判すること

 「陰謀論やニセ科学と市民運動について」ï¼ Demilog
 似非科学を批判するな、ってんじゃないんだけど。


 似非科学的な人が、護憲を主張してるというときに、その似非科学的なところを批判するのは、まぁ、当然だと思う。ただし、「似非科学的な人が護憲を主張してるから、護憲の主張自体もうさんくさい」などという態度は、それ自体が似非科学的だろう。似非科学的な人でも、窓から身を投げれば落ちることくらいは認めてるだろう。だったら、万有引力の法則はうさんくさい、と言うのか。言うわけがないだろう*1。──これはむしろ、万有引力の法則は認めてもいいが、護憲は認めたくない、と言っているに等しい。似非科学的な上に、典型的な自己欺瞞なわけだ。

 別に、似非科学を批判するな、ってんじゃないんだけども。しかし、「似非科学的な人が市民運動やってると、市民運動全体の信用を下げるから問題だ」というようなロジックを採用するならば、それは上述の似非科学の論理を自らも採用しているということは自覚した方がいいんじゃないかな。あなた方は似非科学的な護憲派からは距離をとったかもしれないが、似非科学からは距離を取れていない。


 以下、少し論点を変える。
 アメリカがアフガニスタンやイラクを攻撃したときの理由づけは、実にトンデモであった。「大量破壊兵器を持っているに違いない」、あれこそまさに陰謀論であって、その陰謀論にしたがって実際に戦争までやった。たくさんの人を殺した。さらには、それが見つからないとなっても、ともかく攻撃そのものが間違いだったことは絶対に認めない。これこそまさに似非科学である。こうした一連のことを、わが国の首相も全面的に追認していたわけだ。これはどうしようもないトンデモであるね。そういやあの首相は、「非戦闘地域がどこかなんて、私知りません」という、スゴイ答弁もしてましたね。しかも、その首相は、イラク戦争後の総選挙で未曾有の大勝利を手にしたわけだ。あのとき自民党に票を投じたすべての人間がトンデモだ、と言っていいと僕は思うね*2。──僕らの社会には、およそトンデモではないものを探す方が難しい。こうした人たちの中に、護憲派似非科学な人よりマシな何かを見つけることができるだろうか?僕にはできないけど。

 だとすれば、なぜこうした似非科学的態度は、保守全体の信用を損なったりしないのだろう。言うまでもなく、一人一人は信じたいものを信じているだけであって、それが科学的だから、似非科学的ではないから信じているわけではないからだ。その意味で、右も左も圧倒的多数は似非科学的なのであり、市民運動だけでなく、市民運動を敵視・蔑視する人たちもまた「壊滅的」、オカルトやら陰謀論との分離はできていない。──どっちも壊滅的なんだから、特に気に病むようなことはない(違うか)。


 最後に、運動について。この世にはびこる非合理主義に反対する運動と、具体的な政策の実現・阻止のための運動とは別物。前者は一つ一つの発話の積み重ねの中で、長期的にやるしかないものだ。そして、一人一人の考え方は完全に同じということはないのだから、究極的には一人でやるしかないもの。何人かがグループを作ってやっているように見えても、一人でできる人がたまたま近くに集まっているだけのこと。そして後者においては、たとえば「教育基本法「改正」阻止」のような、具体的な目標が一点に定まっているなら、それ以外は一切不問というのが基本的なスタンス。「教育基本法万歳」な人も「欠点はあるが、改正案よりマシ」という人も、(そういう人がいたかどうか知らないが)「教育基本法を変えるなというお告げがあった」という人も、一切不問。もちろん、「お告げ」の話をする人は、周囲から生暖かく聞き流されるわけですが。──どうしても一緒にされたくなければ(「お告げ」派が大多数を占めるグループなら、そう思うこともあるでしょう)別でやればいいわけで、やらない理由にはならない。

 結局問題になるのは、それぞれの主体性、ということなわけだ。


【追記】ついでに言えば、いちいち自分で調べてられないから、とりあえず前提にしてしまう、判断留保してしまう、ってやってることはいくらでもあるのであって、その意味では僕でも(誰でも)似非科学的なものに片足突っ込んでるはずだ。でも、一体どこで片足つっこんでるかが自覚できないからこそ、厄介なわけで。なので、「どこかではそうなんだろうな」と、いつでも想起するよう心がける、以上のことはできない。──善意なら似非科学でもかまわないとは言わないが、悪意と一緒くたにしようとも、僕なら思わないかな。


【追記2】ブクマコメについて。

id:rna 人に対する信頼は科学的に判断されるものではないのだからその批判は当たらないのでは。また菊池氏の911陰謀論批判では不合理そのものよりもその背景にある偏見や無神経さが批判されている。

 護憲・改憲に対する態度を「人に対する信頼」で決める態度は、批判されてしかるべきでしょう。また、僕は本記事の中で、菊池氏に対する批判をしていません。

*1:万有引力の法則が、別の何か具体的な証拠によって批判されうる、という話は、また別。

*2:自民以外に投じた人たちがトンデモではない、とは言っていない。また、もちろん、「争点はイラク戦争ばかりではない」などと言い訳するだろう。そのとおり、イラク戦争だけではないね。後期高齢者問題もあの頃から準備されてきたことだし(障害者自立支援法の流れを見ればわかるだろうに)、道路に偏る公共事業の問題も、小泉政権下での高速道路なんかの議論を思い出せばいい。