☆☆☆ Merry Christmas! ☆☆☆
恒例のJ.LennonのHappy Xmas~War is over の動画を・・・。
https://youtu.be/yN4Uu0OlmTg
<残酷なシーンが含まれるので、お気をつけ下さい。>
毎年、クリスマス・イヴにこの動画を見て、世界から戦争がなくなりますようにと祈っているのだが。
今年は、イスラエルの攻撃を受けているガザ地区の子供たちの姿が重なって、本当に胸が痛んだ。
ウクライナ侵攻も続いているし、内戦やテロも絶えないし。本当に何とかならないものかと、思ってしまう。
せめて、まずは自分の国は戦争をしないように。他国や他国民を攻撃、殺傷しないように。ひとりの国民として、日本が平和を守るように努めて行きたいと思う。(・・)
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クリスマスを前にチョットだけいいことがあった。"^_^"
国連の安全保障理事会が22日、ガザ地区での人道支援を拡大するための決議を採択したのだ。15の安保理事国のうち、日本を含む13カ国が賛成。自分たちの都合で拒否権を乱用するロシアと米国が棄権をしたため、可決することができた。
決議では、国連のグテーレス事務総長に対し、ガザ地区への支援物資の搬入を調整、監視する国連の担当者を任命するよう求めている。
イスラエル軍はついに市民が避難していた南部まで侵攻。水、食料や医療品その他の生活物質などが不足。避難する場所がなくなっている上、トイレなどの設備もととのっていないことから、衛生状態が悪く、感染症が広がっているという。
どうか少しでも早く人道的な支援がなされるように、世界中から圧力をかけて行きたい。(++)
ところで、今月14日、黒柳徹子さん(90)が1981年に出版した「窓際のトットちゃん」が「最も多く発行された単一著者による自叙伝」Most copies published for an autobiographical memoir by a single authorとしてギネス世界記録に認定された。
現在まで108刷を重ね、単行本だけで585万部を売り上げ、戦後最大のベストセラーに。世界では20以上の言語に翻訳され、2500万部以上を売り上げているという。(**)
<黒柳さんが司会を務める「徹子の部屋」も、9月12日に「同一司会者によるトーク番組の最多放送」Most TV talk show episodes hosted by the same presenter 1万2100回でギネス世界記録を更新した。>
黒柳さんは今年10月、42年ぶりに「窓際のトットちゃん」の続編を刊行。さらに、12月には初版をアニメ化した映画も公開された。(・・)
黒柳さんは、長い間、アニメ化も続編出版の依頼を断り続けていたとのこと。しかし、世界の情勢、ウクライナ侵攻の状況などを見て、「戦争はいけない」「平和や子供たちの生命や生活を守ることが大切」だということを伝えるために、依頼を引き受けることにしたという。
それもあって、続編やアニメ映画に関するインタビューでも、繰り返し、平和の大切さを訴えている。<TVの取材では、カメラに向かって語りかける時間を設けているケースが多い。(++)>
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『黒柳さんは70年前に日本初のテレビ女優としてNHKに入局。テレビの仕事には、戦争へ向かう世の中の流れを少しでも止める力があると信じている、そのために私はテレビに出続けたい、との決意を改めて表明しました。
「あたくしが何をやったら平和に貢献できるかというのはちょっとわかりませんけども、少なくとも反対の方角に行くのは頑張って止めるようにしています。そんな時代になったりすると大変ですので。絶対、戦争なんかない時代にしたい。わたしの子どもの時に戦争が始まりましたので、あんなに嫌なものはないと思っています」
『窓ぎわのトットちゃん』もその続篇も、平和を願って書いたもの。
「これからも続けて本が書ければいいなと思っています」(婦人公論Jp23年12月20日)』
『公開中の映画「窓ぎわのトットちゃん」制作のきっかけにも「戦争」があった。監督の八鍬(やくわ)新之介さん(42)は話す。
「シリアの内戦や2016年の相模原市の障がい者施設での事件を受けて『いま自分はどんな作品を作ったらいいのか?』と悩みました。そんなとき書店で『窓ぎわのトットちゃん』に出合い、戦争や差別のない社会への願いやヒントがあると感じたんです」
すぐに企画書を携えて黒柳さんに面会した。これまで映像化を一切断ってきた黒柳さんだが、
「シリアの話をしたときに、徹子さんの目の輝きが変わりました。パッと私の目を見て『そうね』と言ってくださった」(Aera.dot23年12月17日)』
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ユニセフ親善大使も務める黒柳さんは、以前、戦争について、こんなことも語っていた。
yahoo「未来に遺す戦争の記憶」より
https://wararchive.yahoo.co.jp/wararchive/nhk-suzusan.htmlより。
戦争が始まると「まず食べ物がどんどんなくなっていくっていうことですね。ごはんでも何でも配給じゃないとものが売ってない。」
泣いていたら「おまわりさんが来て『おい!こら!何で泣いてんだ』っていったから『寒いからです』っていったらね、『おまえ兵隊さんのこと考えたら寒いからって、泣いたりなんかできないだろ』ってすごく叱られたんですよ。そのときに『あ、戦争って泣いてもいけないんだ』って。それからどんなことがあっても泣かないようにしようって思って。」
疎開先では「手の爪の中が全部膿んじゃうの。そうするとものすごく痛いんですよね。なんだか夜寝ていると、何本もだから同時に全部が痛くなるの、ずきんって。もう病院ももちろんないですし、お薬もない。それを治す手立てはもう、自分で我慢するしかなかったんですよ」
終戦の日は青森で迎えた。『父親は中国に出征したきり行方がわからず、東京の自宅は焼けて帰れないかもしれないと聞いていました。それでも、「不安の中で生きなくていい、戦争が終わって本当によかった」と思ったといいます。』
「どんなにいい考えを持ったり、希望を持ったり、才能があったりしたって、戦争があったら全部なくなっちゃう
若い人は、『戦争反対ってあの時言えばよかったじゃないですか』って言うけど、そんなことできなかったのよ。『戦争反対』なんて言おうものなら、厳しく取り締まりされていたから。今は戦争反対って言えるからいいですけどね。これがだんだん無くなってくるような時代が来たら絶対嫌だから、そうならないよう『平和がいい』って言えるようにいつもしていきたいと思います」
黒柳さんの思いが、日本はもちろん、世界中の人たち、とりわけ子供たちに届きますようにと願うmewなのだった。(@_@。
THANKS