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上越新幹線からも全撤退「E2系」の皮肉な運命

土屋武之・鉄道ライター
上越新幹線から撤退するE2系=燕三条駅で
上越新幹線から撤退するE2系=燕三条駅で

 1990年代後半から約20年、新幹線の主力として活躍した「E2系」に、最期の時が近づいている。

 JR東日本は3月18日のダイヤ改正で、上越新幹線からE2系を全面撤退させ、新型車両のE7系に置き換える。E2系はここ数年、東北新幹線でも淘汰(とうた)が進み、北陸新幹線ではすでに運用を終了した。この流れに拍車がかかることになる。

 今回はE2系の歴史を振り返りたい。

新幹線高速化の旗手

 3月18日から上越新幹線の最高運転速度は、時速240キロから時速275キロへ引き上げられ、東京―新潟間の所要時間は最大で7分短縮する。ただしこれは上越新幹線のインフラ設備改良によるもので、E2系に時速275キロで走る能力がなかったわけではない。

 E2系も97年、東北新幹線に登場した際は、従来の時速240キロを超える時速275キロでの運転を実現させ、「新幹線高速化の旗手」ともてはやされた。

 それが今回、上越新幹線でも「時速275キロ運転」が可能となったのに、E2系は世代交代の波にのまれて撤退する。少々皮肉な巡り合わせだ。

国鉄の「スーパーひかり」構想がルーツ

 E2系の設計コンセプトは、国鉄末期の「スーパーひかり」構想を引き継ぐ。当時、時速220~240キロが上限だった新幹線の最高運転速度を時速260~270キロ以上に引き上げ、さらに急勾配が続く場所でも高速運転を可能とするよう研究・開発が進め…

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鉄道ライター

1965年、大阪府豊中市生まれ。大阪大学で演劇学を専攻し、劇作家・評論家の山崎正和氏に師事。出版社勤務を経て97年に独立し、ライターに。2004年頃から鉄道を専門とし、雑誌「鉄道ジャーナル」のメイン記事などを担当した。東日本大震災で被災した鉄道路線の取材を精力的に行うほか、現在もさまざまな媒体に寄稿している。主な著書に「ここがすごい!東京メトロ」(交通新聞社)、「きっぷのルール ハンドブック」(実業之日本社)など。