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luckdragon2009 - 日々のスケッチブック [過去記事]

自己満足ではなく、会話を始めよう。「聲の形」のこと。

まとめは、障害が元でいじめられた体験からの違和感、ですが。
今日は、まとめコメントを、そのまま載せておきます。私が感じた「聲の形」の感想です。
『求めていたのは和解ではなく拒絶~普通学校で虐められた聴覚障害者が読んだ聲の形~ - Togetter』のコメント欄より。

読んだ。評価が難しい。考察してから書く事にするよ。

http://togetter.com/li/459715

ひとまず、難しいけど、ちょっとだけ書いてみる。 確かに、これ耳の聞こえが悪い少女の物語ではない。 それを目撃し、何かを感じて、何かを体験(ここで少女との同体験に繋がる)し、行動した少年の物語だね。

ある意味、少女は自分の「怒り」を隠して、行動しているようにも見える。(ただし、これは少年との間で爆発を一回みせる) そういう意味では、唯一本音を見せたのかな? 少年に。

うーむ。難しいな。ひとまず、ラストは、会話という形で、少年が再会としての回答をしたように見えた。(ただ、手話は唐突なんだよな。まあ、読み切りだから、色々ページ数が足りなくて、仕方ないのかも。)

そうか。違和感というか勘違いし易いけど、これ、耳の聞こえが悪い人の心理は基本的に書いていないんだ。 少年の側の見え方しか書いていない。 だから、ある意味、ステレオタイプの障害者に見えちゃう。

http://togetter.com/li/459715

さて。この漫画の一番の問題点としては、これを読んだだけで、耳の聞こえない人を分かったつもりの自分に満足してしまう事なのではないか、と思った。(単に手話を習ってみよう、とか。)

実際には耳の聞こえない人、聞こえ難い人には、漫画では見えない悩み、トラウマ、苦しみ、そして現実に住むことの「楽しみ」さえある(普通に暮らしているんだから。)。

そこに踏み出し、実際のリアルな聾唖者と会話して欲しいな(手話でなくても筆談だって良いよ。)。 そこまで行って、はじめて、この漫画が意味を持つ。(自己満足では意味はあまりない。)

漫画ではあまり彼女の内面の描写がないのは、作品が「知ろうとしてくれ」というメッセージを発していると受け取りました。私は。

http://togetter.com/li/459715

実際には聴覚障害者も、感覚が相違するとはいえ、重なる現実世界に住んでいる。自己満足で終わらず、会話を始めて欲しい。

参考リンク(まとめの趣旨とも重なる)
『乙武洋匡オフィシャルサイト』