luckdragon2009 - 日々のスケッチブック(Archives)

luckdragon2009 - 日々のスケッチブック [過去記事]

人との交流は、相手を尊重してこそ。人権は、自分も大切だが、相手も大切、と思うこと。

『人権かながわ 2011』より、最初は、これは誰かを伏せて、引用します。

彼は、人間が好きで、人間を大切にしたくて弁護士という職業を選んだ。彼は、事務所に入ったときからあの事件までの2年7ヶ月の間、その志を持って活動していた。

 人権を大切にするということの根底には、人間が好きということがあり、自分を大切にするし、それと同じように他の人も大切にするということがある。

http://www.yokoben.or.jp/profile/info/data/JINKEN2011.pdf

...重要な視点だと思います。
最初に、「自分を大切にする」という事。...そして、同じように「他の人も大切にする」という事。
まず最初に、自分自身を大切にしなければ、健康的で幸福な人生は送れない。...そして、それと同様に、相手、つまり他の人も大切にする。自分と同じように健康的で幸福な人生*1を送ってもらう。
それが、人権に対して考察を行う上での、基本的な姿勢なのではないか。


相手に対するレッテル張り、差別発言、誹謗・中傷、身体・精神への攻撃、それらはみな、相手を軽んじ、相手を大切にせずに、行動を行うことから生じる。


相手を尊重しているのなら、レッテルや、ステレオタイプに惑わされずに、相手と会話を行う事で理解を深めようとするはず。
もし、そこで相手との穏やかな会話を行わずに、相手の所作を自らの単一視点での基準に当てはめ、決め付けたら、交流は途絶え、その視界には相手の歪んだ姿*2が残るだけだろう。
また、相手の身体的、精神的な攻撃に及ぶのも、相手の痛みを感じ取れない、という理由からであろう。


...そういう事が感じ取れない集団に埋没した人間たちが、何をしたか。

...でも、未成年者を出家させ、親との面会すら認めようとしないオウム真理教に対してはもっと厳しく批判していた。それは、「人間の成長に必要なのは、特に子供に必要なのは、いろんな考え方や価値観に触れ、悩み、考えながら、時にはそれまでの自分の考えを変えたりしながら進んでいくこと。しかしオウム真理教のやり方は、多様な価値観・考え方に触れることから子供を遮断し、人間としての成長の機会を奪っている」からだった。
 それがどんな人間を作っていってしまうのかを、まさにオウム真理教が1995年に世の中に示してしまった。

http://www.yokoben.or.jp/profile/info/data/JINKEN2011.pdf

...彼とは、坂本弁護士です。
そして、特定の価値観に埋没し、多様な価値観を認めず、相手にレッテル張りをして、分かったつもりになる状況は、オウム真理教に限らず、他のどんな集団でも、社会組織でも発現します。
最近、目につくのは放射性物質*3に過敏に反応する集団。それに関連するもの総てに、自分で勝手に決めた偏見の像を当てはめる集団、または個人でした。
行動の誤りが、些細なもので済んでいるうちは「気の迷い」で終わりますが、重大な問題を引き起こした場合には、行為の責任を問われることもあるでしょう。
前に『404 Not Found』で、「謙抑主義」について述べました。
「どうしても刑罰でなければ十分な処罰を行うことができないという場合に限って刑罰を用いることが許されるという原則」という事であれば、逆に述べると、不可避ならば「刑罰を用いることが許される」という事になります。


...その条件が成立してしまうことが無いように、願っています。

『人権かながわ 2011』
『404 Not Found』

参考文献*4
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*1:勿論、価値観が異なっている場合は、それぞれの価値観の中での、幸福な人生、という事だが。

*2:自分好みのレッテルで、歪められた像。

*3:不思議なことに、それも自分が認識できる範囲の、偏った放射性物質?に対して。

*4:偏見の源にある、ステレオタイプについての書籍。防止策についても、考察あり。