luckdragon2009 - 日々のスケッチブック(Archives)

luckdragon2009 - 日々のスケッチブック [過去記事]

患者の心配と、医学生の杞憂、そして、医師の希少疾患への対処の難しさ。

昨日作った『小騒動 - #私は家庭の医学で不安になりました - Togetter』の続き。
対象の纏めを扱った、別のブログのエントリー『Before C/Anno D: シマウマ症候群/医学生症候群(用語解説)』より。

患者側がかかると「小騒動 - #私は家庭の医学で不安になりました」でも指摘されているように、ヒポコンデリー(心気症)である。

http://ashes.way-nifty.com/bcad/2012/03/post-c6d2.html

(中略)

ただし、希少な疾患というのは、珍しいとは言え実在するわけで、それゆえに見過ごされる危険も大きい。20世紀後半、イギリスで天然痘の小流行があった際、多くの医師は見逃してしまい、天然痘と診断できたのは過去に天然痘患者を診察した経験のあった老医師だったという話がある。

http://ashes.way-nifty.com/bcad/2012/03/post-c6d2.html

そう。ここが重要で、病気の大抵はありふれたものか、患者の杞憂で、実際には病気ではない、単なる体の普通の感覚を病気と思い込むものだったりするが、病気には稀な疾患というものが常に存在するわけで。
本職、つまり病院の医師は、この稀な可能性というものと常に戦っている。
よく臨床の「地雷原」と称される、何気に見落としがちな疾患群は、そういった頻度としては少数ながらに、でも確実にある病気に対する備えを説いたものがある。
最近では、子宮外妊娠の訴訟に絡む話『2012-01-31』とか、または、虫垂炎に絡む話『2011-11-29』であるとか...。
患者は、単なる悩みで済むが、医者にとっては症状見逃しが職への危機にも繋がるので、笑えない。
また、状況によっては医師の苦悩が理解されずに、患者側からの非難、ときには同僚からの批判にも繋がったりする。
そういう状況を理解するのは、とても大事なのではないかな...。
患者、医者、視点が違うし、いわゆる情報の非対称性によって、医者は患者が知らない大量の知識と、視点を持っている。


...今日は取り留めなく、そういった、専門職と、専門職以外の立場の違いを書いてみました。
そういう事に考えが及べば、医者の診療態度も、正しい態度で望めるのではないか。いわゆる医療崩壊への対策として、一助になれば幸いです。

参考書籍*1
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関連リンク
『小騒動 - #私は家庭の医学で不安になりました - Togetter』
『Before C/Anno D: シマウマ症候群/医学生症候群(用語解説)』

『2012-01-31』
『2011-11-29』

*1:古典的な、原典とも呼べる内容。今では少々古いかな...。