ICHIROYAのブログ

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僕が19年勤めた会社を辞めた時、後悔した12のこと

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 ひとつの会社で、サラリーマンを19年やった。
 残念ながら、僕のサラリーマン人生は失敗だった。まだ、課長レベルだったけど、すでに先は見えていた。
 自分ではデキるつもりで突っ走っていたのだけど、自分なりに壁を感じていたし、人事の同期から漏れ聞く会社の評価も、中程度のものであった。
 
 僕らの世代(いま50代中盤)のサラリーマン人生も過酷だ。
 順調なひとたちは、すでに取締役になっているが、最近のリストラで今更会社を辞めざるを得ないひともいる。
 サラリーマンを続ける以上、上位に評価されるようにしなければ、若いころのわずかの差が、20数年後には無残な差となって突きつけられる。

 いまでも、ときどき、ああこうすればよかったな、と思い出して後悔することがある。
 そして、若くて元気なひとたちを捕まえて、オレみたいになるなよ、と説教したくなってしまう。
 でも、僕の話など誰も聞いてはくれないので、こうやってブログでブツブツと嘆いているのだ。
 成功者の話は、聞いてもあんまりためにならない、と言われる。
 しかし、実際のところ、若い人たちは、失敗者の話も、その話者が失敗者であるがゆえに、真剣に耳を傾けてくれようとはしないのだ。
 ちょうど、若いころの僕のように。
 あんたが、失敗したのは、あんたがあまりにも馬鹿だからで、オレはあんたとは違うし、と。

 それはわかっているが、今日はやっぱりそれを書きたい気分なので、書いておく。
 また、ひとつだけ、追記しておくが、僕はサラリーマン生活では失敗したが、人生そのものの成否は、まだついていないと思っている。
 あしからず。
  

1.入社初日から社長を目指して、全力疾走すればよかった

 僕が入社させていただいたのは、百貨店だったのだが、とても入りたいと思って入った会社ではなかった。
 だから、入れていただいておいてまったく失礼な話なのだが、今から思えば、最初から気が入っていなかった。よそ見しながら走っていたようなものだ。
 だが、同期の中には、有名大学で流通のゼミに所属し、入社初日から、社長目指して全力疾走しているような連中がいた。
 勝てるわけがなかった。

2.ゴルフをすればよかった

   ともかく、ゴルフをはじめればよかった。 
 ゴルフをはじめれば、貴重な土日の休みを上司とのつきあいに「浪費」しなければならないもの、と思っていた。
 しかし、会社を離れても、あるいは大学の友達と、ゴルフを楽しんでいるみんなを見ていると、後悔の念がむくむくと起き上がってくる。
 

3.会社のカラーに染まりたくないと思わなければよかった

 僕の悪い癖で、いつもいつも、その時に属している集団のあるべき姿というか、望まれている人物像に、反発を感じてしまうのだった。
 へそ曲がりなのだ。
 だから、会社のカラーに染まりたくないと思ったし、会社の価値観に反発した。
 うまく書けないのだけど、キモチのうえで、会社の内側に入ることができなかったのだと思う。

4.社内のひとのことに、もっと興味を持てばよかった

  社内の噂話が嫌いだった。
 誰それがどこどこ卒で誰々の後輩とかいう話も、退屈で仕方がなかった。
 だが、社内の人事や人物に興味がないということは、逆に言うと、社内から自分も興味をもたれないということでもあった。
 また、課長ぐらいのとき、「だれでも引っ張ってくるから、必要な人間を言え」と言われて、とても困った。
 そのとき、結局引っ張ってきてもらった人は、できる人ではあったが、すでにいるスタッフのひとりと仲が悪いことで有名な人だった。
 その後、僕がふたりの間に立たされて、泣きに泣いたことは言うまでもない。

 

5.思い上がらなければよかった

 自分なりには、かなりの業績をあげて会社に大きく貢献したと思うことが何度かあった。
 たぶん、その時の僕の顔は、鼻持ちならないものだったと思う。
 サラリーマン生活は、長いマラソンを走るようなもので、ちょっとした期間だけを早く走れても、それだけのことなのだ。
 

6.できない上司、嫌いな上司に優しくすればよかった

  失礼ながら、どう考えてもできないと思われる上司に仕えたこともあるし、頭は良くてもあまりにも利己的で人間的に好きになれない上司に仕えたこともある。
 慣れない業務で四苦八苦されている上司に仕えたこともある。
 そんなときの僕は、優しくなかった。
 まったく、優しくなかった。とても後悔している。

7.あのひとのようになりたいというひとを、もっと早くみつければよかった

 サラリーマンは上司を選べない。だから、入社して最初に仕える上司が、その後のサラリーマン生活に与える影響は大きい。
 上に書いたように、会社の価値観に染まるものかと思っていたので、心底、「あのひとのようになりたい」というひとに出会ったのは、入社後何年も経ってからであった。
 社内のことにもっと興味を持っていたら、もっと早くにそういうひとと出会えたのではなかったのか、と思うのだ。

8.男気なんてゴミ箱に捨てればよかった

 さて、会社の価値観にも染まらず、「自分が唯一無二である自分である」と思うためには、筋を通す、意味のない指示などには反対する、部下を守る、取引先との約束を守るなどということであった。
 どうせ会社は自分のことを評価してくれないと思うと、そういう考えがさらに強く、身体の芯に凝り固まったような気がした。
 まったくもって、馬鹿だった。
 もっと柔軟に、もっと上層部の意向を理解して動けばよかった。 

9.もっと勉強すればよかった

  とくに若いころ、もっともっと勉強すればよかった。
 経営陣が突きつけられていることをもっとリアルに実感できるように、勉強することはヤマのようにあったのに、ただ漫然と日経新聞を読み、ランダムにビジネス書を読んで勉強した気になっていた。
 何を勉強したらいいのか、どこを着地点として目指すべきなのか、わからなかったのかもしれない。 

10.できる評判を得たいために、長時間働き続けなければよかった

  課長ぐらいのとき、めちゃくちゃ仕事をした。ほとんど会社を休まなかった。
 なにかで大きな成功をしたあと、また、次も次もと、抱えきれない仕事を自ら自分に課して、狂ったように仕事をした。
 不健康だったし、家族との関係もまずくなった。
 短距離走ではなく、マラソンであるという認識を、しっかりとたもつべきだった。
 

11.同期が先に昇進したとき、笑って忘れればよかった

  いまから思えば、昇進に遅れることは、なんら不思議ではない。
 でも、当時はどうしても飲み込めなかった。
 狂ったように働いている最中だったので、余計に飲み込めなかった。
 飲み込めないことが、さらに僕に悪い影響を与えた。
 周囲からすれば、「おまえごときが何を思っているか!」であったろう。
 飲み込む、あるいはすくなくとも、完璧に飲み込んだふりをすればよかった。

12.社内での自分の評判に、もっと気を使えばよかった

 そんなこんなで、会社のなかで、使いにくい「頑固な変わり者」になってしまった。会社のなかでの、その評判・イメージは、もう自分から引き剥がすことはできなかった。
 会社のなかで、あるいは業界のなかでも同じだが、いったん自分についたイメージというのは、相当なことがない限り、変えることができないのだった。
 僕は自分のイメージを、社内へ伝える重要なメッセージのひとつとして、もっと慎重につくりあげるべきであった。

番外.もっと早く辞めればよかった

 ここまで読んでいただいた大方のかたには、「そりゃ、サラリーマンとしては、ダメやわな」であろう。
 上の目指してがんばっている若い方も、僕のように馬鹿じゃないだろうけど、まあ、ひとつでも思い当たるところがあって、そうかもな、と思ってくださると嬉しい。

 でもね、僕の個人的なあくまで超個人的な結論は、これ。
 もっと早く辞めればよかった。
 

*写真は明治の袱紗 鯉に乗った琴高仙人

(追記1 あまりの反響にこちらに追記記事書きました ) 
(追記2 勤務年数間違えていました。18年間でした。1983年から2001年まで)
(追記3 本になりました!書ききれなかったことを書いていますので、よろしければぜひ!)

 

僕が18年勤めた会社を辞めた時、後悔した12のこと

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*組織で働くこと、夢と野心など、伝えきれない思いを短編小説にしています。

 

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