2009年08月10日
新自由主義に抵抗する救国勢力よ、結束せよ(1)
(衆議院比例区東海ブロック・国民新党公認候補)
新自由主義に抵抗する救国勢力よ、結束せよ
中央大学客員教授 稲村公望
(『月刊日本』08年10月号より)
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歴史や公共性を崩壊させる新自由主義
日本の国力は急激に低下しつつある。我が国経済が全体的に収縮し、国民一人ひとりへの配分自体が減少し、未曾有の格差社会を増殖させている。
世界惰勢においては、偶然は存在しない。特に経済政策は、一見経済理論と現実には隔たりが見えるようでありながらも、必ず因果関係がある。確かに、自然災害など、偶然が経済に干渉することはある。だが、強力な経済理論はそうした偶然さえ必然として絡め取ってしまう。
私がここで念頭に置いているのは、今世界を席巻している新自由主義、あるいは市場原理主義という経済理論だ。新自由主義の三本柱は「規制緩和・民営化・公共予算の削減」である。新自由主義はこの三本柱によって、国家の市場への介入を最小化し、市場に任せておけば経済はうまく回るという、「レッセ・フェール」(市場放任)の立場をとっている。
しかし、それが現実政治に適用されるとき、アダム・スミス流のレッセ・フェールとは、似ても似つかぬ新自由主義のカルト性が姿を現すのだ。
ここに一冊の本がある。カナダのジャーナリストであるナオミ・クライン女吏が書いた『The Shock Doctrine』である。同書は、ニューヨーク・タイムズのベストセラー欄の上位を長らく独占していた。日本ではまだ翻訳は出ていないが、アメリカ本国でこの衝撃的な「新自由主義の本質」に鋭く迫った本が出版され、しかもベストセラーになっているというのは、一つの時代の転機といえるだろう。
彼女によれば、新自由主義とは結局、破壊と衝撃を与えることによって歴史性や公共性を崩壊させ、強引に更地にして全てを私物化していく手法だ。
フリードマンという教祖
この新自由主義の教祖はミルトン・フリードマンである。彼が教鞭を執ったシカゴ大学経済学部の入り口には「経済とは測定だ」と、鋼版に記してある。ここからも、このシカゴ学派が工学的発想に基づいた、人為によって社会を溝築できるという思想を蔵していることがわかるだろう。
フリードマンは、1912年生まれのハンガリー系ユダヤ人移民の子供である。彼は、新自由主義こそが完璧なシステムであり、市場を政府の介入から救い、汚染されていない資本主義へ回帰することによって、ユートピアを実現できると考えた。彼の提唱した新自由主義とは、政府のあらゆる規制を撤廃し、政府財産を全て売却し、社会政策の予算を大幅に削減し、税率も最小限かつ貧富の格差に関係なく一律とすることである。ここにおいては、全ての価格は賃金も含めて市場が決めるのであり、医療保険、郵便局、教育、年金といった公共の福祉に関するものもすべて民営化すべきだ、と説いた。
フリードマンによると、政府が持つのは警察と軍隊で十分ということになるのだ。では、この理論は現実にどのように適用されたのだろうか。
一番良い例が、2005年にルイジアナ州を直撃したハリケーン「カトリーナ」の災害復興だ。当時93歳のフリードマンは、いわば人生最後の政策提言として、『ウォールストリート・ジャーナル』に寄稿している。
それによると、ニュー・オーリンズの学校が破壊されたことは悲劇ではあるが、これは教育制度をラディカルに改革する機会である。公共の学校を復興するのでなく、この災害を奇禍として、バウチャー(引換券)を各家庭に配布し、私立の教育機関(チャータースクール)を設立し、このバウチャーを活用することによって教育の民営化を促すべきだとした。
このフリードマンの提言を受けて、ブッシュ政権は学校を民営化するための資金を数千万ドルにわたって投入した。
ところが、現在アメリカに着いてはチャータースクールによって教育が二極分化しており、教育の低下が社会階層の固定化に結びつき、かつて公民権運動で勝ち取られた成果が無に帰しつつある。ニュー。オーリンズではカトリーナ前に123あった公立学校はわずか4つになり、7つしかなかった私立学校が31にまで増えた。こうしてニュー。オーリンズは私立敦育機関設置の実験場とされた。「公共」の制度を潰して、「私」の制度に置き換えていったのだ。
これは日本にとって対岸の火事ではない。途中で潰えたものの、昨年の安倍政権がやはり教育バウチャー制度を導入しようとしたことを思い出すべきだ。起訴休職外務事務官・佐藤優氏が、保守主義と新自由主義の間で股裂きになったのが安倍政権の自壊という現象だ、と指摘したが、まさに現下の日本の格差社会・貧困社会化には新自由主義の影響がある。こうした事態に対して無自覚であることは、政治家にとっては許されない怠慢である。
ここで、急激な民営化に「カトリーナ」という災害が巧妙に利用されたことに注目して、クライン女史はこれを「Disaster Capitalism」、すなわち「災害資本主義」と名づけている。
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Posted by 稲村公望ファン at 11:46│Comments(0)
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