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2009年08月17日
米国経済の破綻は、日本自立のチャンスだ! 3/3
(衆議院比例区東海ブロック・国民新党公認候補)
日本は新自由主義を超克し、
世界新秩序形成を主導せよ
対談
政治評論家森田実
中央大学大学院客員教授稲村公望
(『月刊日本』08年11月号より)
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小泉改革の本質はアメリカと財務省の握手だった<稲村>
【稲村】 小泉構造改革の本質は、アメリカと日本の財務省の握手だった。アメリカは、市場原理主義を日本に実現させて、利益を得る。財務省は財政を引き締められるだけ引き締め、国民が自ら増税が求めるような状況を作りだし、増税社会を実現する。この両者が手を組んだことによって、小泉構造改革のパワーが生まれたのである。
財務省は2011年のプライマリー・バランスの達成を目指している。これを金科玉条のごとく守ろうとして、徹底した歳出削減を進めた。ところが、民主党もプライマリー・バランスの達成という目標を維持するとしている。つまり、民主党政権ができても何も変わらない。ここに日本の不幸がある。
【森田】 私は、もし小沢内閣が誕生すれば、それは近衛内閣のようになるのではないかと心配している。近衛は国民の大きな期待を背負って登場したが、日本はさらに悪い方向へと暴走していった。つまり、自民党への幻滅、政権交代への強い期待の中で誕生する小沢政権が、現在よりさらに悪い方向に暴走することを懸念せざるを得ない。それは、アフガン戦争への参加の問題だ。
この際、日本国民は、好き嫌いの感情に流されることなく、自立した日本を確立するための新たな政治運動のセンターを作るべきだ。それは「自公」「小沢民主党」の両方を超克する政治運動である。例えば、かつての薩摩、長州、土佐のように、独自の方針を持った自治体が主導権を握り、新秩序形成を牽引していくことはできないか、と私は考え始めている。
【稲村】 今回のアメリカの経済破綻を喜んではいられないが、市場原理主義の破綻がはっきりしたという点ではホッとしている。
簡保と郵貯の資金を外資が狙っていたとの話は当然であり、民営化の法律を成立させる過程でも、外国政府や資本の圧力が陰に陽にあった。しかし、その中身は未だに公表されずにいるだけではなく、実際の目標が外国政府の文書にまず掲載され、日本国内では不問に付され、マスコミが報道しないというのは、全く遺憾なことである。
しかし、ようやくここに来て、この日本の国民資産を海外に持ち出して、荒稼ぎをしようとした陰謀は潰え去った。地方や伝統や、文化を切り捨てて、日本の郵便局が蓄えてきた財産を切り売りし、あるいは海外での戦争遂行の原資としようとした陰謀は失敗に終わった。
特に、目減りしてしまったとはいえ、180兆円ある郵貯や簡保の資金が外資に奪われることなく残ったのだから、これを日本国民のために有効に活用することを考えるべきだ。ただ寝かせておいてはいけない。
アメリカ経済の破綻は日本自立のチャンスだ<森田>
【稲村】 いまこそ日本は逆張りの政策に転じるときだ。プライマリー・バランスを目指すのではなく、まず規制緩和の停止、民営化の停止、公共事業の再開に踏み切る必要がある。この三つをやるだけでも大きな効果があるはずだ。そして郵政民営化などの一連の民営化をただちに停止すべきだ。
ところが、新自由主義の信奉者たちには反省が全くない。10月2日付の『朝日新聞』朝刊は、「郵政民営化一年」という特集記事を掲載し、竹中平蔵の論説を掲載している。竹中の論説には、「政治は邪魔するな」という題がついている。政治で、根拠のない構造改革をすすめ、郵政民営化を強行した上に、政治の口出しをやめろとは、暴論である。
また、この10年間で、官僚制度は形骸化、空洞化した。官公庁で出世しているのは、新自由主義に賛意を示し、忠誠を誓った人ばかりだ。
「官から民へ」「中央から地方へ」「大きな政府から小さな政府へ」の中身を検証することなく、ただマントラのように唱えた人間だけが出世した時代だ。しかも、小泉時代には意図的に人事が行われた、と私は感じている。
麻生内閣でも、郵政民営化論者で、しかも国際物流という夢物語を唱えて、完敗した官僚を起用している。麻生内閣の人事掌握能力がなく、市場原理主義者の手にゆだねられていることがわかる。こうした人事を一日も早く終わらせなければならない。また、経済財政諮問会議のような組織も解体すべきだ。
私が主張したいのは、官僚制度の中立を回復しなければならないということだ。官僚制度はときの権力に迎合するのではなく、日本の国体について真実を語り、日本の権威と精神に忠実な組織に作り変えるなければならない。外交官もまた、一部の資本家の手先になったり、アメリカの貿易代表部のような存在になるべきではなく、日本の国益を守り、日本の伝統と文化を主張する存在として、法むことなく行動すべきだ。
【森田】 日本は、終戦後アメリカの占領下に置かれ、独立後も完全に支配下に置かれてきた。そして、レーガンからブッシュの時代には、日本の国富はアメリカに吸い取られ、食い尽され、奪われ続けてきた。
だが、アメリカ経済は破綻し、地獄に向かって落ちつつある。日本はこれに巻き込まれつつあるが、しかし、これは日本にとって大きなチャンスだ。今こそ、日本は巨大なアメリカ帝国主義の支配から脱して、自立国家としての政治を確立すべきときだ。アフガン戦争、イラク戦争という一神教の戦いには巻き込まれないということを大義として掲げ、アメリカの政策から自立していくべきである。
日本が世界に向けてメッセージを発信していくためには、まず日本は世界のモデルになるような国になる必要がある。かつて、池田政権時代に日本は、資本主義では不可能とされていた「総中流社会」を作った。これを再現することによって、日本は世界に範を示すことができるのだ。
国民を幸せにできる国家となって初めて、日本は世界にメッセージを発信できる。中南米諸国とも、ロシアを含むユーラシア大陸諸国とも手を結び、クーパーのいう「パックス・グローバリズム」に移行する方向に世界を導くため、日本は努力すべきだと思う。そのためにも、日本は一日も早く国民経済を安定させなければならない。(文責月刊日本編集部)
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2009年08月17日
米国経済の破綻は、日本自立のチャンスだ! 2/3
(衆議院比例区東海ブロック・国民新党公認候補)
日本は新自由主義を超克し、
世界新秩序形成を主導せよ
対談
政治評論家森田実
中央大学大学院客員教授稲村公望
(『月刊日本』08年11月号より)
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【森田】 稲村さんが『月刊日本』10月号で紹介した通り、アメリカは新自由主義を導入するために「シヨック・ドクトリン」という手法を使った。平然と人権侵害さえ行われてきた。アルゼンチンでは3万人をも抹殺してシカゴ学派の提唱する政策を実現した。
その結末が今回の経済破綻だ。「日本は大丈夫だ」などと呑気なことを言っている人がいるが、日本はアメリカに搾り取られたうえに沈没させられる運命にある。日本でほとんど報じられていないが、アメリカに忠実に従って新自由主義の改革を行った韓国はデフォルトの危機に直面している。
アメリカは金融安定化法を成立させたが、この程度の措置で安定しないことは、その後の株価の暴落でもはっきりしている。すでにアメリカ政府は、コントロールする力を失っている。
世界について言えば、パックス・アメリカーナが崩壊したということだ。そして、無秩序世界となったわけだ。
もはや我々は新たな世界協調体制を再構築するしかない。そのためには、先進国だけの力では無理で、新興国の参加が必要である。ロバート・クーパーが『国家の崩壊 新リベラル帝国主義と世界秩序』(日本経済新聞出版社)で述べているように、世界はパックス・アメリカーナから「パックス・グローバリズム(全世界による平和)」へ移行していくしかない。
ただし、その移行過程では絶望的な混乱期を経なければならないだろう。日本の政治家はこういう議論をほとんどしていない。ナオミ・クラインの著書『The Shok Doctrine』の存在すら、ほとんどの政治家が知らない。
『The Shok Doctrine』が世界の恩想を変える<森田>
【森田】 それにしても、稲村さんがあの700ページもの本を読破され、その本質を紹介された意義は大変大きい。『The Shok Doctrine』は、ケインズの『雇用、利子およぴ貨幣の一般理諭』、さらに言えばカール・マルクスの『資本諭』、アダム・スミスの『国富論』に匹敵するほど重要な本なのではないか、と思うほどである。
『The Shok Doctrine』によってアメリカの市場原理主義者たちが次々に転向しているという話を耳にした。「フリードマンよ、さようなら!」運動が起こっている。有名なネオコンまでもが自己批判したともいう。同書は、アメリカとヨーロッパの思想を変えつつあると言っても過言ではない。
日本では、伊藤千尋氏が昨年末、『反米大陸』(集英社新書)を上梓したが、これも極めて重要な著作だ。そこには、「ショック・ドクトリン」の理論のエッセンスが盛り込まれている。
ここで伊藤氏は、「南米の政権交代をもたらしたのは、アメリカ流の新自由主義の経済をそのまま採用した政府の失敗だったが、政府を変えたのは市民の力である。格差を広げ、弱肉強食の社会を作ろうとする政府に対して市民が反対の意志を、投票やデモなどの形で明確に表明した」と書いている。
いま、アメリカの裏庭である中南米は一斉に「脱米」に向かって動き出している。しかも、新自由主義と決別した国々は、栄え始めている。アメリカを乗り越えるモデルは中南米諸国にある。我々は、中南米諸国をも引き込んで、新たな世界的協調体制を作り上げるべきだ。そこには、アメリカもこ札までとは異なる立場で参加することになる。
徳川幕府が明治維新によって政治体制を変えたように、アメリカ幕府体制から「パックス・グローバリズム」に変わる過程で、アメリカの地位はその構成国の一つに変わりつつある。
明治維新の世界版をやるべきなのだ。坂本龍馬が起草した新国家体制の基本方針「船中八策」のような発想で、日本は中南米と手を組んで、「船中八策」の世界版の方針を打ち出すくらいの発想を持つべきだ。
ところが、現在の日本の国会の議論は絶望的だ。世界金融危機すら話題にする議員が少ない。しばらく前にやっていた金融の議論の蒸し返しをしているに過ぎない。自民党も民主党もピントはずれの議論ばかりしている。いま、政党、政治家がなすべきことは、日本国民に、日本の生き方、生きる方向を示すことである。
世界は「修正資本主義」、ないし「社会民主主義」の方向に転換しようとしている。代表質問においても、新自由主義か修正資本主義かという経済政策の原理について議論すべきだった。この重要な議論をまったくしていない。
次の選挙では民主党が勝つかもしれないが、民主党には新自由主義を否定する発想もないし、どのような経済路線をとるべきかといった主張も不十分だ。また、イラク戦争、アフガン戦争の議論もない。どのような世界秩序を目指していくのかといった議論もない。恐ろしいほどの退廃、無知、魂の貧困だ。
【稲村】 日本総ボケの状況だ。危機感が全くない。心配なのは、経済が停滞する中で、戦争を画策する動きが出てくることだ。実際、イラン、グルジアなど各地できな臭い状況になってきている。日本は、主体的な立場で世界の安定のためにリーダーシップを発揮するべきだ。世界第二の経済大国である日本が、アメリカに追随しているのはおかしい。
先月、バンコクに行ってきたが、タイは危機を認識し警戒警報を早く出すことのできる国だと思う。06年2月ごろ、タイではタクシン政権に対する反政府デモが発生し、その後、軍事クーデタが起こった。タクシン首相が、巨万の富を築きあげた電気通信会社の株式を外国資本に譲り渡して脱税したことが、タイ国民の怨嗟の対象となる大きな原因であった。
つまり、新自由主義に陥ったタクシン政権と、グローバリズムを扇動する彼の背後関係に対するタイ国民の抗議の声である。その後、タイは民政に戻ったが、タクシン政権の後継となった現政権に対する抗議が続いているのである。このようにタイは、警戒警報を出すのが早い。
明治維新の時代には日本人の感受性は、もっと強かったはずだ。ところが、現在の日本の指導者には激動の時代に適応しようという感受性が欠如している。目の前のことしか考えていない。
「蛮社の獄」の高野長英にしろ、渡辺崋山にしろ、国際情勢の変化をとらえ、先駆けて警鐘を鳴らそうとした人々がいたが、当時の体制を維持しようとする勢力に弾圧された。それと似たような状況で、森田先生は早くから警鐘を鳴らそうとしていたため、マスコミから干されてしまった。正しいことを堂々と述べた言論人は、マスコミという権力によって潰されてきた。
【森田】 小泉構造政革でマスコミが失ったものは大きい。大マスコミは国民の信用という最も大切なものを失った。マスコミが新自由主義の手先となったために、国民のマスコミに対する信用は地に落ちた。テレビを見る人も減り、しかも半信半疑で見ている。
大マスコミが依存してきた大企業からの広告収入も、限界に達している。私は3年前にマスコミの仕事を失ったが、逆にマスコミ批判の自由を得た。これから、私は徹底的にマスコミ批判を行っていく。
日本は一神教間の争いに巻き込まれるな<森田>
【森田】 9.11事件以後のブッシュの演説を調べたことがある。いかに神がかったものが多いかに驚かざるを得ない。そこには、神という言葉が頻繁に便われている。「我々は神の意志に基づいて戦う」とか、「善なるアメリカと悪なるテロリストとの戦いだ」とか、「我々は新たな十字軍である」といった言葉が用いられている。「新十字軍」の演説があまりにも強い反発を受けたために、その後、ブッシュの話はトーンダウンしたが、本質的には、アメリカは新十字軍戦争を戦っているという意識が続いているのではないか。イスラム側の意識は「十字軍との戦い」だ。
「テロとの戦い」という言葉で日本のマスコミは鯛されているが、この「ブッシュの戦争」の本質を見失ってはならない。ブッシュの十字軍戦争を支えているのが、数千万のキリスト教右派であり、それを理論化したのがネオコンだ。アメリカとイスラムの戦争は、きれいな言葉を使えば、「文明の衡突」なのだ。
つまり、アメリカは宗教戦争という泥沼に自ら嵌まっていった。かつての十字軍戦争は2世紀にわたって続いた。その過程でイスラムは「ジハード(聖戦)」の意識を強め、やがてキリスト教側は勝てなくなり、最後には敗北して逃げ帰った。
ブッシュが継続している戦争は、日本が喜んで乗るような戦いではない。この戦争に加坦することは大きな間違いなのである。オバマが大統領になれば、アメリカはイラクからは撤退するだろうが、アフガニスタンについては、共和党、民主党とも徹底的に戦争を続けると言っている。オバマの場合には、イラクから撤退した軍隊はアフガンに集中させるという方針を示している。アメリカは、アフガニスタンの国際治安支援部隊(ISAF)に日本が参加することを求めている。
私が最近、小沢一郎を批判しているのは、「私が政権をとったら、自衛隊をアフガンに派兵する」と、小沢が言ったからだ。
アフガンというのは、不思議なところだ。アレキサンダー大王の遠征もアフガンでつまづいた。ジンギス・ハンの遠征もアフガンでつまづいた。さらにイギリスも、そしてソ運も、アフガンで同様の敗北経験をした。つまり、アフガンは、そこに侵攻した国が崩壊への道をたどっていく、不思議な土地なのだ。しかも、アフガンがイスラム化された後には、アフガンに手を出すとイスラム全体を敵に回すという法則ができ上がっている。
アメリカに加担してアフガンに派兵することは、宗教戦争に我々が加担していくことになる。イスラム側からは、日本はキリスト教右派陣営の一員とみなされ、反撃の対象とされるだろう。
こうした無茶苦茶なことを、自民党政権だけではなく、小沢民主党までがやろうとしている。由々しきことだ。ここに日本の重大な問題がある。日本は無益な宗教戦争を止めさせる立場に立つべきだ。こんな馬鹿なブッシュの戦争をいつまでも続けさせていたら、人類は滅ぶ。
世界平和のために各宗教は調和し合って共存していくしかない。日本政府は「アフガンには自衛隊を派遣しない。費用も負担しない」と、アメリカに対してはっきい言うべきだ。一神教間の文明の衝突を回避するための役割を、日本は積極的に果たしていくべきだ。多様なものを包み込む包容性と寛容性を特徴とする日本文明こそが、非妥協的な力の対決を克服する方策を示すことができるのだ。
【稲村】 日本には、日本にふさわしい主体的な対外政策があるはずだ。植民地主義ではなく、平等互恵の関係を基本として、アジア、特に東南アジア諸国への貢献をした1970年代の日本の政策は、評価していい。1960年代、70年代の日本の経済政策もそれほど悪くなかった。都市と農村の格差も縮小した時代だ。
ところが、日本が市場原理主義に毒されてから、経済政策はおかしくなり、日本は格差社会となった。そして、東南アジアに対する協力も薄くなり、日本に対するアジア諸国の信頼も揺らいでいる。それでも、アジアには日本に対する尊敬の念は残ってはいる。
マハテイール前首相、タイの国王陛下をはじめ、アジアには本来の日本の真価を理解している人々がいる。また中南米にも友好的な勢力はいる。例えぱ、ブラジルには150万人の日系人がいる。我々は、新自由主義に抵抗し、主体的な政策を目指す勢力を糾合していくべきだ。
ところが残念なことに、日木の経済社会システムを新自由主義の方向にさらに変革しようという目論見は続いている。モルガンスタンレーの日本通のエコノミストなどは、例えば、オープンスカイ協定、移民1,000万人計画、農地の売買自由化、ソブリン・ウエルス・ファンド(SWF)の設立、公務員の昇格基準にTOEFL650点を入れる、小学校一年生からの英語教育、40歳定年制度、会計基準の国際基準への収斂、国税庁を財務菅から切り離す、処方薬の広告自由化といった具体的な破壊策を豪語している。
アメリカの多国籍企業が儲かるように、中南米などの政策を誘導するために暗躍したエコノミック・ヒットマンが、日本国内でも民間人を装って破壊工作を進めている。こうした事態が進んでいることに、国民の注意喚起をぜひ促したい。
国益を重視する政治家もいて、市場原理主義を停止し、財務省の財政再建至上主義を停止しようとする動きもあるが、外国勢力を含む新自由主義勢力の猛烈な巻き返しがあり、状況は予断を許さない。
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2009年08月16日
米国経済の破綻は、日本自立のチャンスだ! 1/3
(衆議院比例区東海ブロック・国民新党公認候補)
日本は新自由主義を超克し、
世界新秩序形成を主導せよ
対談
政治評論家森田実
中央大学大学院客員教授稲村公望
(『月刊日本』08年11月号より)
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アメリカは頂点から転落を始めた<森田>
——アメリカ経済が破綻しつつある。
【森田】 アメリカは、昨年からサブプライムローンでつまづいたが、手を打てないまま事態が深刻化した。経済を立て直すためには、膨大な資金を投入しなければならない。ところが、戦争を継続して、そこに巨大な資金をつぎ込みながら、底が抜けたかのような経済の立て直しを試みている。しかし、それは不可能なのだ。
そして、リーマン・ショックに至り、アメリカの没落が始まった。02年1月に、歴史家のポール・ケネディは、「世界はアメリカの時代になった。アメリカは唯一の超大国であるだけではなく、歴史上例のない超大国になった。軍事も政治も経済も文化も、すべての分野で世界をおさえた。アメリカは古代ローマ帝国も及ばないほどの超大国になった」と、書いた。それから、わずか6年の間に、アメリカは頂点から転落を始めたのである。
結局、歴史は繰り返すのだ。1929年にウォール街の株価大暴落に端を発した経済恐慌が起こり、結局経済は立ち直らず、第二次世界大戦に突入していった。アメリカでは、「日本が戦争を仕掛けた」との見方があるが、日本はアメリカに乗せられた、というのが事実だと思う。アメリカは経済恐慌を処理できなくて、戦争への道に走ったのだ。現状のまま進むと、この悲劇的な歴史が、これから繰り返される恐れがある。
恐慌前のアメリカは自由経済で繁栄していた。ところが、一転して滑って転び、沈没していった。頂点にいたものが、地獄に落ちていくとき、全世界を引っ張り込んでいった。こうして、第二次世界大戦の悲劇が生まれた。アメリカはそのことを隠しているが、それが1930年代の歴史の本質だったのだと思う。
21世紀を迎えたいま、世界は容易ならざる危機にある。しかも、1930年の時点での世界におけるアメリカよりも、08年の世界におけるアメリカの存在はずっと巨大なのだ。その影響力は格段に大きい。アメリカが真っ逆さまに落ちていき、ヨーロッパを巻き込み、日本を巻き込み、そして新興国を巻き込んで、転落していこうとしている。
われわれは、いま巨大な世界経済破綻の入口にいるのだ。そうした歴史的把握をぬきにしては、処方箋を書くことはできない。
1930年代の恐慌に際して、何がうまく機能し、何がよくなかったかなどを吟昧して、有効な対処策を講じる必要がある。ところが、いまアメリカは戦争を止めようとしない。軍産複合体は何が何でも戦争をやるという立場だ。絶望的を現実だ。
新自由主義は目本国民の生活を破壊した<森田>
——そうしたアメリカに日本は追随し続けている。
【森田】 10月8日付の『日本経済新聞』に注目すべき記事が出ている。アフガニスタンヘの軍事支援費の一部として、アメリカが日本に2兆円の分坦を期待する意向を伝えてきている、との内容だ。すでに、アメリカは今回の金融危機で20数兆円を日本に出させて
いる。いまや日本はアメリカに食い尽され、絞り取られている。由々しき事態だ。
日本政府がアメリカに対してはっきりものを言わない限り、日本を守ることはできない。日本はアメリカに対して「経済破綻に対処するためにいますべての資源を集中すべきだ。戦争を継続したまま経済破綻に対処することは無理なのだから、もう戦争はやめてもらいたい」と、明確に言うべきだ。ヨーロッパでさえアメリカへの支援をしぶっている。ところが、日本だけがホイホイとアメリカの言うがままに支援しようとしている。このままでは、日本はアメリカによって潰されてしまう。
マキャベリが、「戦争を始めるのは簡単である。しかしそれを止めるのは至難である」と言っている通り、一度戦争を始めると簡単には終結できない。だから、簡単に戦争を始めてはいけないのだ。
アメリカ政府は簡単に戦争を開始し、泥沼に陥り、辞める決断ができなくなってしまっている。第二次世界大戦時の日本と似たような状況になっている。
つまり、政府が無政府的状況になると、一方が亡びないと戦争は終わらない。だが、イスラムはしぶとい。引き下がらない。いまやアメリカが不利になっている。しかしアメリカという超大国が亡ぶまでに、どれほど世界が大きな被害を受けることか。
新自由主義によって世界中が迷惑を蒙っている。すでに日本国民の生活は目茶苦茶に破壊されてしまった。日本政府には国民を守る責任があるわけで、しっかり対応してもらわなくては困る。
私は、もはや自民党には政権を担当する力がないと思う。選挙をすれば、政権を手放なさざるをえないような体たらくだ。
では、民主党が政権をとってやっていけるのか。そこが問題なのだ。私は一時、民主党を支援したことがあるが、その後調べてみると、結局、民主党も従米主義、市場原理主義の立場だと感ずるようになった。だから、民主党政権になっても物事は解決しない。
民主党政権ができたら国民の鬱憤は晴れるかもしれないが、日本の政治は、従米主義、市場原理主義を乗り超えることができないと思う。
私は、二大政党制の試みは頓挫すると思う。いま国民が一番望んでいるのは大連立だが、大連立でも問題は解決できないだろう。結局はアメリカに追随する政治家の集団だからだ。だが、やがてそうした路線は破綻する。
苦しいことだが、そこから、日本の本当の変革期が始まることを、我々は覚悟しておかねばならない。
アメリカでも中国のように暴動が起きる<稲村>
【稲村】 私は、1970年代に研究員としてアメリカに滞在していた。当時のアメリカの学生は、貧困の問題、自由の問題をはじめ、ある種の価値について、強い関心を持っていた。
ところが、2000年に同窓会でアメリカを訪れたとき、ある国際法の先生が、「アメリカは超大国なのだ。先制核攻撃もできる。アメリカは単独行動をとることが正しいし、そうする力もある」と言ったのである。するとフランスの元留学生が「あなたは何を言っているのだ。気でも狂ったのか。自由の女神を誰が寄付したのか忘れたのか」と反論した。その翌年9・11事件が勃発した。
私は、この30年ほどの間に、アメリカは劇的に変化したと考えている。1970年代には、優秀な学生の多くは、自由の価値や人間の尊厳といった問題に強い関心を寄せていたが、やがて優秀な学生たちはニューヨークの金融機関に入るようになった。エリート層の中枢の考えが、「とにかくカネだ」という方向に向ってしまったのである。
かつてアメリカは、貧富の格差の問題にもそれなりに取り組んでいた。ところが、そうした運動は極めて低調になってしまった。いまや、アメリカでは5,500万人が医療保険にも入っていないような状況に至っている。これからアメリカの没落が始まるとすれば、アメリカでも中国のように暴動が起きる可能性がある。
中南米諸国は新自由主義を克服しつつある<稲村>
【稲村】 かつて、アメリカの市場原理主義によって最も被害を受けていたのが、中南米諸国だった。ところが、その中南米諸国は、いまや新自由主義と決別し、独自の経済政策を推進している。
そのうち、ベネズエラのチャベス大統領などは、公然とアメリカに逆らい、新自由主義に敵対する立場を鮮明にし、周辺国に影響を与えている。
ブラジルが現在の金融危機の影響を受けずに済んでいるのは、新自由主義と決別したからだ。ブラジルは、すでに1970年代、80年代に新自由主義によって酷い目に遭っていた。だが、03年に労働組合の指導者だったルーラが大統領に就き、経済政策を転換した。こうして、ブラジルは飛行機を製造し、日本航空に15機も売るような勢いをつけている。
ブラジルは、アメリカ支配から脱するために、人材育成に力を入れてきたため、独自の技術力も獲得した。エタノール車など、自前の技術力による製品開発にも成功するようになっている。石油掘削技術も自力で確立した。
アルゼンチンでも、03年にキルチネルが大統領に就任し、市場原理主義から離れた。パラグアイでは、「解放の神学」の司教が大統領に就任して、バチカンもこれを追認した。
いまこそ、我々日本も新自由主義と決別し、独自の政策を採用すべきである。
これまで、日本人の一部は市場原理主義者による破壊工作に加担し、アメリカに奉仕してきた。この結果、アジア諸国から日本は尊敬されなくなってしまった。アジアの人達は、日本の惨状を見て、よくこれほどまでにアメリカの言うなりになっていると驚いている。マレーシアのマハティール前首相などが、「いつかはアメリカに対して、ゲリラ戦でもやってくれる日本人が出てくるだろう」と語ったほどだ。
真の友好関係とは、言いなりになることではなく、「間違いは間違いだ」と、直言できる関係だ。アメリカに対して、日本は不当な戦争をやめるよう直言すべきだ。日本はアメリカ追従をやめ、主体的な政策を採用し、世界の変革を促していく必要がある。その手本になるのが中南米諸国だ。
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2009年08月15日
医療の市場化、郵政民営化は亡国の改悪だ
(衆議院比例区東海ブロック・国民新党公認候補)
07年9月(マイケル・ムーア監督映画『シッコ(Sicko)』評)
稲村公望
医療の市場化、郵政民営化は亡国の改悪だ
マイケル・ムーア監督の新作ドキュメンタリー映画『シッコ(Sicko)』が日本でも封切りになった。
「シッコ」とは、お病気という俗語だが、アメリカの医療保険制度の欠陥を追及した話題の映画だ。
アメリカでは、保険に未加入の人口が約5,000万人あり、病院にも行けないで死亡する人が、毎年約1万8,000人もいるという。
世界保健機構の順位では、アメリカの医療保険の充実度は、世界第37位。一昔前でも歯科治療の法外な値投は有名で、出張や留学する場合には、海外旅行保険をかけていくのが常識だった。
ニューヨークでは、盲腸炎の手術するのに200万円はかかるとの調査で(日本では33万とか)、保険がなければ、大変なことになる。
医者にかかるには、いちいち保険会社にお伺いをたてる制度で、どの病院を使えとか、保険の適用・不適用を指図する。その団体の審査医が、とにかく10%ぐらいの保険の申請は拒否しろ、そうすれば、給料が上がり、昇進する、成果主義? の医療体制になっている。
電気ノコで中指と薬指とを切断したときに、どちらの指をつなぐかを保険会社が指図する(筆者の知人がベトナムで五本の指を落とす事件があったが、合気道の名人で、あわてず騒がず指を病院に待ち込み、縫合手術に成功した。アメリカだったら、機転はきかなかったか)。
費用が払えなくなった入院患者には、タクシー券を渡して、路頭に放り出す。もちろん救急車は有料だ。アメリカの病院の周りにはホテルがあるが、これは入院費が高いので入院しないためで、退院を急ぐのは、料金が高いからである。
カナダは国民皆保険制度だから、車で国境を越えて病院に行くほうが格安で、医療費用捻出のための偽装結婚すらある。
世界貿易センターのテロの後の瓦礫の中で英雄的な仕事をした消防士に呼吸器に障害が出て、1本125ドルの薬を保険会社が認めないので治療を控えていたが、テロリスト収容所のあるキューバにまで行って、ようやくまともな治療が無料で受けられた。同じ薬が1ドルもしない。
イギリスは、租税負担の国立病院では無料診療で、病院までの交通費すら払い戻す。日本にもまだないのだが、パリには24時間の医者の往診サービスがある。さすが、国境なき医師団の発祥の地だ。子供が生まれると、週2回、ベビーシッターのサービスもある。夕食の用意もする。出生率が上がるわけだ。
フランスは、食料の自給率も100%を越えている。フランスの航空会社を、なぜ民営化しないのだと聞いたら、世界で一番おいしい機内食を出しているのに、何でそういうことを聞くのか、と逆に食ってかかられた。
『シッコ』は、日米構造協議とやらで圧力をかける側の医療制度が劣悪であることを天下に明らかにした映画である。
アメリカの業界の意見は、アメリカ人の声を代表しているわけではない。ヨーロッパの医療制度が発達したものであることを見せつける。
医療費の社会化、一朝一夕にはならず
もちろん、タダより高いものはないような話もあった。
モスクワの暖房は無料だったが、暖房を止められると凍死するから、政治的な主張をする活動家は携帯の白金カイロをうらやましいと思うのが本音だったし、病院も格安ではあったが、注射針も使いまわしして、家畜用の麦をパンにして食べさせた共産主義国の話も多々あった。一党独裁の中国の医療は、現金前払いでなければ、医者に診てもらえない制度になってしまった。
イギリスやフランスやイタリアでは、無料だからといって医療水準が低いわけではない。アメリカのように一部の医療水準は高くても、多数の国民が医者にかかれない国は先進国といえるだろうか。
日本は、昭和36年にやっと国民皆保険の国となったが、映画『シッコ』では日本の例は残念ながら紹介されていない。
「医療改革」と称して、自己負担の割合が増えたり、企業の保険組合が赤字になったりして、財政赤字を理由にどんどん改悪を進めて、世界の医療保険優良国の地位から外れてしまったのかもしれない。
日本の国民皆保険は、一朝一タに成り立ったわけではない。
国民の医療費の重圧から解放するために、医療の社会化を目指した、鈴木梅四郎のような人物の思想と行動が結実したものである(1928年に『医業国営論』を著し、衛生省を頂点とする医療国営を提唱している。同書は戦後原書房から再刊されている)。
郵便局の簡易保険なども、大正の時代に、国民の医療費を補うために設計された無審査の、どこでも、誰でも入れる、画期的な文字通りのユニバーサルな制度であった(現在でも危険な職業の、例えば自動車レースの運転者などが入れるのは簡易保険だけであった。
小泉・竹中劇場政治の日本では、「規制改革」を掲げる市場原理主義を追従する連中が、病院の株式会社化とか、介護の民営化とか、混合医療の解禁とか、人間の病をネタに金儲けするアメリカ保険業界の手法を、次々と強気で提案してきた。
郵政民営化でも簡易保険を廃止せよと拍迫られて、米国の保険業界のロビイストが暗躍した。
郵政民営化が10月1日に実施されれば、簡易保険は大正以来の社会政策の歴史を閉じる。郵政民営化自体が、アメリカ保険業界の陰謀が作用したことは、もはや明らかである以上、早急に凍結、見直しを図り、不要の混乱と破壊を回避しなければならない。
この映画を見れば、日本がアメリカを真似して導入した色々な分野の構造「改革」が、亡国の改悪にしか過ぎないことが容易に想像できる。
市場原理主義は、同胞・はらからの安寧と幸せを四方に念じる、日本の国体にはなじまない拝金の無思想である。
百聞は一見にしかずの映画です。ぜひ見てください。
2009年08月14日
構造改悪路線を見直せ
(衆議院比例区東海ブロック・国民新党公認候補)
中央大学大学院客員教授 稲村公望
(『月刊日本』08年2月号より)
まさに一目瞭然である。
日本の1人当たりの国民総生産は、この12年間(1995〜2006年)で大幅に順位を下げた。バブル後の急激な信用収縮は鬼のような日銀の施策によるものであったし、鉱工業生産の図表をみれば、逆噴射の財政政策の数々は明らかである。
その間、「宿命に生まれ、運命に挑み、使命に燃える」小渕総理時代には、短期間ながら持ち直した。彼が、世界一の借金王と揶揄され、江沢民の不敬を軽くいなしながら、日本の再生を目指した努力は、数字で証明されている。しかし、その後の小泉・竹中政治は、日木の経済を完全に凋落させた。
急激に順位を伸ばしたノルウェーあたりも、バブルがなかったわけではない。総じてヨーロッパでは、早期にバブルを克服して、安定的な成長路線をとったのだ。
ところが、日本はというと、死に至る病のデフレ政策を後生大事に維持したり、不良債権処理として銀行つぶしに狂奔した。今にして思えば、日本の富は日本の国内の経済成長のためではなく、外国金融資本を経由して、外国の市場化のために使われたのだ。
サブリンファンドとかで、シンガポールがタイの電話会社を買収し、北京政府の代理人が簡易保険保養センターを物色するのと同じように、郵政資金を中小企業や農業振興などのために活用すればよかったのだ。ところが、民営化と称して巨額の国民資産を、海外に流出させる儲け話に安易に乗っただけである。
規制緩和によって何かが活性化されたわけではない。タクシーが過当競争になって、いつの間にか値上げをするといった結果を招いただけ、と同様のことだ。
営々として創り上げてきた国民皆保険制度などを破壊して、一部の運中が、あるいは、外国保険会社が巨万の利益を上げることを官民挙げて黙認しただけのことではないのか。
フランスやドイツは、さっさと市場原理主義を脱却して、水道を民営化しようとしたヴィヴェンディや、亜流のフランクフルトの銀行頭取などを失脚させている。
「ヨーロッパの病人」といわれたイタリアですら政権を交代させ、順位こそ後退しているが、1人当たりのGNPを増加させている。また、スペインはマドリッド市街を改装することに成功している。
日本では、グローバル化の掛け声ばかりで、おこぼれさえも頂戴していない。
この図表を作成した、観光経済の分析に詳しい渡久地明氏によれば、沖縄にノルウェーからの観光団が訪れるようになったという。
しかも、日本の高度成長期の農協の海外旅行のように、旗を持って隊列行進する格安団体の観光客ではなく、単価が150万円を超える豪華版だった由である。
経済政策の常道に戻して、日本経済の凋落をくい止めなければならない。あらゆる民営化、規制緩和策などの構造改悪路線を見直さなければなるまい。
追記:その後、IMFのデータを調べたところ、世界180カ国余で1995〜2007年で一人当たりGDPが減ったのは、日本、ジンバブエ、アルゼンチンなど8カ国しかなかった(ビックリ)。参考にそのグラフも下に示す。(渡久地明)
2009年08月10日
新自由主義に抵抗する救国勢力よ、結束せよ(3)
(衆議院比例区東海ブロック・国民新党公認候補)
新自由主義に抵抗する救国勢力よ、結束せよ
中央大学客員教授 稲村公望
(『月刊日本』08年10月号より)
3/3
■新自由主義という名のカルト的危険思想
新自由主義が達成する世界観は、脳に電気刺激を与える人体実験の思想に酷似している。1950年代に、CIAがカナダのモントリオールの精神科医とともに人体実験を行ったことが情報開示によって明らかになった。人間の心を人為的に制御することができるかという実験を行っていたのである。1988年には9人の元患者から提訴され、アメリカ政府は75万ドルの賠償金を支払い、カナダ政府は1人10万ドルの賠償を行った。
1940年代、ヨーロッパと北アメリカでは脳に電気刺激を与えるという療法が流行した。脳の切除を行うロボトミー手術よりも、永久的なダメージが少ないとされたが、このショック療法においては記憶喪失が起こり、幼児に戻るような後退現象が見られた。この後退現象にCIAが目をつけ、1953年には2,500万ドルの予算で人体実験を行った。
これこそが新自由主義のアレゴリーである。記憶を抹消し、まっさらなところに新しい記憶を与えること、これこそが新自由主義の本質であり、危険なのである。
新自由主義は支出を削減し、あらゆる部門を民営化し、意図的に景気後退を生み出す。こうしてショックを与え、さらに新自由主義改革を推し進め、共同体、公共圏を破壊する。そして、歴史性も共同体も失われたところに、市場原理主義を植えつけていく。
こうした新自由主義十字軍ともいうべきカルト的危険思想に、遅まきながらも世界はようやく気づきだした。ピノチェトですら、政権後期にはシカゴ学派の言うことを聞かなくなった。民営化した鉱山会社はアメリカ資本の雫に置かれ、国の収入源は民営化しなかった銅山会社だけになってしまい、国民の45%が貧困層になったからである。現代の中南米は明らかに、新自由主義と決別する方向に動いている。
■今こそ新自由主義に抵抗する救国勢力の結束を!
こうした一連の新自由主義の動きは、ここまで過激ではないにしろ、着実に日本の中でも起きている。確かに、9・11や拷間といったような過激な手段は、未だとられてはいない。しかし、新自由主義に反対する政治家が国策捜査によって政治から追放され、刺客選挙が行われ、郵政民営化をはじめとする、小泉・竹中による新自由主義改革によって我が国経済・社会は着実に後退した。幸い、日本は中間層が厚く、一気に貧困社会となることはなかったが、非正規雇用、ニートといった潜在的失業率はかつてないほど高まっている。中産階級は劣化し、地方と東京都の格差は拡大の一途をたどっている。
もはや限界は明らかだ。「過ちを改めざるを過ち」と言う。信念の人であれば思い改めることも可能であろうが、カルト相手には、決然と戦いを挑まねばならない。新自由主義は将来の発展のために「今は痛みに耐えよ」と言う。だが、その将来とはいつなのか。その間に、我が国の共同体、同胞意識は次々に破壊さ札ていく。このままでは、もはや回復不能なまでに破壊されるだろう。
新自由主義に反対の声をあげる者は、旧態依然の「抵抗勢力」と呼ばれる。
だが、市場が原理主義である必然性などない。公共の学校があっても良いではないか。国営の石油会社が存在して、エネルギーを安定供給することは悪いことなのか。郵便局が国営で何が悪いのか。世の中には自らの責任ならずとも不遇の立場に置かれている人もいる。それらをすべて自己責任であると切って捨てるのが政道なのか。経済的な不平等を解消するために税を徴収し、再配分することは許しがたいことなのか。
我々は今こそ、新自由主義に対して決然と、「否」、を突きつけるべきである。我々は記憶を抹消され、ロボトミー化されて、市場原理主義しか考えられないような存在となることを望まないからである。新自由主義に対する戦いは、人間らしい生存を回復する戦いである。我々は抵抗しなければならない。
「抵抗勢力と呼ばば呼べ」。我々は人間性を抑圧する市場原理主義にあくまで抵抗するのである。
来るべき政界再編は、自民党か民主党かなどというレベルのものであってはならない。それは、新自由主義に抵抗する救国勢力の結束による政界再編でなければならないのだ。
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2009年08月10日
新自由主義に抵抗する救国勢力よ、結束せよ(2)
(衆議院比例区東海ブロック・国民新党公認候補)
新自由主義に抵抗する救国勢力よ、結束せよ
中央大学客員教授 稲村公望
(『月刊日本』08年10月号より)
2/3
■新自由主義は共同体を根こそぎ壊滅させる危険思想
フリードマンは「危機のみが真の変化をもたらす。危機が起きれば、現在ある政策の肩代わりを提案して、政治的に不可能であったことを政治的に不可避なことにしてしまう」と述べている。いわば、災害に備えて缶詰や水を備蓄しておくのと同様に、災害に備えて新自由主義政策を一気に進めるべく政策を準備しておくというのだ。
このような発案の元には、フリードマン自身の経験が影響していると見られる。70年代中ごろに彼はチリの独裁者ピノチェト政権の顧問をしていた。ピノチェト政権にはシカゴ大学経済学部の出身者が大量に登用されており、「シカゴ学派の革命」とも呼ばれた。事実、ピノチェト政権においては減税、自由貿易、民営化、社会政策予算の削減、規制緩和が、急激に行われたのである。これらは、スピードが大事であるとして、一度に全てを変えてしまうという方法が採用された。
ここから、「ショック療法」という概念が、新自由主義に滑り込んできたのである。独裁政権下においては、それは経済的ショックと同時に、拷問という肉体的ショックとも併用されて新自由主義改革が進められた。
「敵の意志、考え方あるいは理解力を制御して、敵を文字通りに、行動あるいは対応する能力を失わせる」という「ショック・ドクトリン」が、生まれたのである。
クライン女史は実証的に、新自由主義がこの「ショック・ドクトリン」によって推進されてきたことを明らかにしている。たとえば、スリランカにおけるスマトラ沖地震による津波被害の復興である。そこでは、被災者をパニック状態に落とし込む一方で、海岸線をリゾート化する計画が進められていた。ニュー・オーリンズでもやはり、住民の土地・家屋を修復することもなく、ただ更地にすることだけが進められたのである。
新自由主義にとって邪魔なのは、市湯原理主義に反するような非資本主義的行動や集団である。そうした非資本主義的集団として、地域共同体や、歴史や伝統に根ざした「共同体」が存在するが、新自由主義はこうした集団を徹底的に除去する。災害復興の名目で公共性、共同体を奪い、被災者が自らを組織して主張を始める前に、一気に私有化を進めるのである。これは、日本で行われた新自由主義改革とも一致している。
郵政民営化は公共財産である郵政事業を民営化するという、典型的な新自由主義政策であった。民営化後、郵便局にはテレビカメラが取り付けら札、『郵政百年史』といったような郵政の歴史と文化を記した本も撤去している。
ジョージ・オーウェルが『1984年』で書いたような、極めて不自然で、歴史性を欠いた組織に一気に改変されている。オーウェルは「我々はあなたを完全に空っぽにし、その体に我々を注入する」と不気味な予言をしている。
■「ショック・ドクトリン」から見えてくる世界
衝撃を与え、一気に新自由主義改革を進めるという「ショック・ドクトリン」から世界を見ると、世界は今までとは異なる姿で立ち現れてくる。「改革」のために、平然と人権侵害が行われてきたことに気づくのだ。アルゼンチンでは3万人を抹殺して、シカゴ学派の提唱する政策を実現した。1993年にはエリツィン政権下のロシアで国会放火事件が起き、その後、国有資産は投げ売りされ、「オリガルヒア」という新興の超資本家が生まれた。
1982年のフォークランド紛争も、炭鉱労働者のストライキを破壊して、西洋で最初の民営化を強行する結果になった。1999年のNATOによるベオグラード空爆も、結局、旧ユーゴでの民営化に結びついたのである。アジアでは1998年にアジア通貨危機が仕掛けられたが、これによってIMFが介入し、民営化するか、さもなくば国家破綻か、が迫られた。
その結果、国民の意思ではなく、日本の経済財政諮問会議のような一部の「経済専門家」と称する新自由主義者によって、国の政策が支配されることになったのである。
また、天安門事件の大虐殺も「ショック・ドクトリン」の一環と見ることもできる。事件の前年9月、フリードマンが北京と上海を訪問している。中国が中国流の「ショック・ドクトリン」を利用して、開放路線を発動したと考えられるのだ。今年の四川大地震では、現地は復興特需に経済が活発化しているという話も聞こえてくるのだが、中国版災害資本主義が発動されている可能性は高い。
かつて、アイゼンハワー時代には、アメリカ国内ではこの「ショック・ドクトリン」は適用されていなかった。おそらく、軍産複合体の行き過ぎを懸念したのである。しかし、レーガノミックスを経た95年ごろから、ネオコンが中心になってショック療法型の経済政策が本格化する。
そして、9・11のとき、大統領府はフリードマンの弟子たちで埋め尽くされる。ラムズフェルド国防長官(当時)はフリードマンの親友である。「テロとの戦い」が叫ばれ、恐怖が煽られた。そして何が変わったか。軍隊の民営化、戦争の私有化である。戦地を含む治安維持関連の民間外注が2003年には3,512件、2006年には11万5,000件にまで増えた。
現代の新自由主義下においては、戦争の経済的役割が全く違ったものになった。かつては、戦争によって門戸を開放し、その後の平和な時代に経済的に干渉するという手法であったが、いまや、戦争自体が民営化され、市場化されているのである。だから、確実に儲かる。
クライン女史によると、現にイラクではPMC(プライベート・ミリタリー・カンパニー)が米正規軍13万人に対して40万人を派遣しており、ハリバートン社は2007年には200億ドルの売上をあげ、アメリカ資本のみならずイギリスやカナダ資木も戦争ビジネスで澗っているという。カナダのある会社は、プレハブを戦場に売ることで儲け、危険な戦場で働く人のために保険会社が莫大な売上をあげているとのことである。
このように見てきたとおり、新自由主義は、その「リベラル」で柔らかいイメージとは裏腹に、政治的自由とは一切関係なく、それどころか、災害がないならば災害を起こせばよい、ショックを与えて、一気に改革を進め、共同体も歴史性も破壊し、市場原理主義というのっペりとした原則だけで動く世界を構築しようという危険な思想である。
新自由主義者にとっては、そのような共同体も歴史も存在せず、無機質で根無し草な、ただ市場原理だけで説明ができる世界というのは、ユートピアに見えているのかもしれない。だが、人間はそのように合理性だけで生きている存在ではない。非合理的感情や共同体意識、歴史性があってこそ人間であり、そうした矛盾も非合理も抱え込んだ人間存在の幸福を図るのが「政道」である。
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2009年08月10日
新自由主義に抵抗する救国勢力よ、結束せよ(1)
(衆議院比例区東海ブロック・国民新党公認候補)
新自由主義に抵抗する救国勢力よ、結束せよ
中央大学客員教授 稲村公望
(『月刊日本』08年10月号より)
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歴史や公共性を崩壊させる新自由主義
日本の国力は急激に低下しつつある。我が国経済が全体的に収縮し、国民一人ひとりへの配分自体が減少し、未曾有の格差社会を増殖させている。
世界惰勢においては、偶然は存在しない。特に経済政策は、一見経済理論と現実には隔たりが見えるようでありながらも、必ず因果関係がある。確かに、自然災害など、偶然が経済に干渉することはある。だが、強力な経済理論はそうした偶然さえ必然として絡め取ってしまう。
私がここで念頭に置いているのは、今世界を席巻している新自由主義、あるいは市場原理主義という経済理論だ。新自由主義の三本柱は「規制緩和・民営化・公共予算の削減」である。新自由主義はこの三本柱によって、国家の市場への介入を最小化し、市場に任せておけば経済はうまく回るという、「レッセ・フェール」(市場放任)の立場をとっている。
しかし、それが現実政治に適用されるとき、アダム・スミス流のレッセ・フェールとは、似ても似つかぬ新自由主義のカルト性が姿を現すのだ。
ここに一冊の本がある。カナダのジャーナリストであるナオミ・クライン女吏が書いた『The Shock Doctrine』である。同書は、ニューヨーク・タイムズのベストセラー欄の上位を長らく独占していた。日本ではまだ翻訳は出ていないが、アメリカ本国でこの衝撃的な「新自由主義の本質」に鋭く迫った本が出版され、しかもベストセラーになっているというのは、一つの時代の転機といえるだろう。
彼女によれば、新自由主義とは結局、破壊と衝撃を与えることによって歴史性や公共性を崩壊させ、強引に更地にして全てを私物化していく手法だ。
フリードマンという教祖
この新自由主義の教祖はミルトン・フリードマンである。彼が教鞭を執ったシカゴ大学経済学部の入り口には「経済とは測定だ」と、鋼版に記してある。ここからも、このシカゴ学派が工学的発想に基づいた、人為によって社会を溝築できるという思想を蔵していることがわかるだろう。
フリードマンは、1912年生まれのハンガリー系ユダヤ人移民の子供である。彼は、新自由主義こそが完璧なシステムであり、市場を政府の介入から救い、汚染されていない資本主義へ回帰することによって、ユートピアを実現できると考えた。彼の提唱した新自由主義とは、政府のあらゆる規制を撤廃し、政府財産を全て売却し、社会政策の予算を大幅に削減し、税率も最小限かつ貧富の格差に関係なく一律とすることである。ここにおいては、全ての価格は賃金も含めて市場が決めるのであり、医療保険、郵便局、教育、年金といった公共の福祉に関するものもすべて民営化すべきだ、と説いた。
フリードマンによると、政府が持つのは警察と軍隊で十分ということになるのだ。では、この理論は現実にどのように適用されたのだろうか。
一番良い例が、2005年にルイジアナ州を直撃したハリケーン「カトリーナ」の災害復興だ。当時93歳のフリードマンは、いわば人生最後の政策提言として、『ウォールストリート・ジャーナル』に寄稿している。
それによると、ニュー・オーリンズの学校が破壊されたことは悲劇ではあるが、これは教育制度をラディカルに改革する機会である。公共の学校を復興するのでなく、この災害を奇禍として、バウチャー(引換券)を各家庭に配布し、私立の教育機関(チャータースクール)を設立し、このバウチャーを活用することによって教育の民営化を促すべきだとした。
このフリードマンの提言を受けて、ブッシュ政権は学校を民営化するための資金を数千万ドルにわたって投入した。
ところが、現在アメリカに着いてはチャータースクールによって教育が二極分化しており、教育の低下が社会階層の固定化に結びつき、かつて公民権運動で勝ち取られた成果が無に帰しつつある。ニュー。オーリンズではカトリーナ前に123あった公立学校はわずか4つになり、7つしかなかった私立学校が31にまで増えた。こうしてニュー。オーリンズは私立敦育機関設置の実験場とされた。「公共」の制度を潰して、「私」の制度に置き換えていったのだ。
これは日本にとって対岸の火事ではない。途中で潰えたものの、昨年の安倍政権がやはり教育バウチャー制度を導入しようとしたことを思い出すべきだ。起訴休職外務事務官・佐藤優氏が、保守主義と新自由主義の間で股裂きになったのが安倍政権の自壊という現象だ、と指摘したが、まさに現下の日本の格差社会・貧困社会化には新自由主義の影響がある。こうした事態に対して無自覚であることは、政治家にとっては許されない怠慢である。
ここで、急激な民営化に「カトリーナ」という災害が巧妙に利用されたことに注目して、クライン女史はこれを「Disaster Capitalism」、すなわち「災害資本主義」と名づけている。
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