代表についてのtweet

代表についての自分のtweetをまとめておく。分人民主主義や民主主義/一般意志2.0の議論とも関連するので、そちら関係のtweetも後半に載せておくが、時期的には前後する形になる。

代表について

政治的に有効な力能を持つ(主権の掌握に寄与可能な)主体たり得ない者の利害は全く無視してよいということでない限り,代表≒表象を棄却することはできない.しかし,ここをもう少し進んでみると,そもそも投じられる票や支持/不支持を叫ぶ声,さらには振り下ろされる鍬でさえ,表象の一種であろう.
12 Aug via web http://twitter.com/#!/ryusukematsuo/status/20974802893

特定の人物や党への投票にせよ,特定の政府や政策への支持/不支持にせよ,そこには様々な異なる理由が結び付いており,同一主体の中でも単純ではない.渾然とした利害や感情が一つの言動に集約して表されるのであり,政治はもとより表象と切り離せない.デモクラシーに直接/間接の区別は本来無効.
12 Aug via web http://twitter.com/#!/ryusukematsuo/status/20975254493

そこで表象の在り方をどう設計するかという話は,1人1票を支えている人格制度の扱いにもかかわってくる.この辺は分人民主主義や一般意思2.0などと関連する点.そっちはそっちでやればいいとして,ひとまず現行の制度や体制を前提とするこちらは,表象の反映性と多様性と他なる補完可能性を.
12 Aug via web http://twitter.com/#!/ryusukematsuo/status/20975818893

単純に利害の反映ということを考えると,プープル主権的に委任代表みたいなことも手段だが,利害の均質性を前提困難な現況では無理だろう.しかし,それは代表の正統性自体の困難.逆に,代表性は事後的に構成されるしかないのかもしれない.しかし,それは敗北主義では?国民代表の統御問題は同じだが
8 Dec via web http://twitter.com/#!/ryusukematsuo/status/12170324300795904

代表「される」ことが重要で,代表を「選ぶ」ことがそれ程でないとすると….単に利害が顧慮される受動的権利だけでなく,それを自ら実現する能動的自由が重要なのだと考えるとしても,それが直接「選ぶ」行為に結び付く必然性はないかもしれない.被代表可能性の多様な可能性は認められてよい.
8 Dec via web http://twitter.com/#!/ryusukematsuo/status/12171610052100100

代表が事後的に構成される,被代表可能性が多様なルートであり得る,ということが,カテゴリ的に規定された代表性が外に開かれていく事態に結び付けば.まぁ,これは良いところしか見ない議論だし,あまりカテゴリを無闇に開いていくのもどうかという批判もあり得るとは思うが.
8 Dec via web http://twitter.com/#!/ryusukematsuo/status/12173148686393344


代表は代表される利害や選好を前提としなければならないが、討議による学習や選好の変容を重視するならば、所与の代表性を決定的なものとして扱うことはできない。代表を代理や委任の原理で捉える立場は採れない。もし、利害が伝達されることと決定に満足できることが重要だとすれば、伝達の仕方、そのルートは単一でなくてもよいだろう。代表性を既存の集団に基づかせることの必然性は疑われる。プープル主権でないナシオン主権、国民代表の原理をもう一度見直してみる必要がある。その上で、「国民」を解体し、開いていくことができるのならば――。

分人民主主義と民主主義/一般意志2.0について

「分人民主主義divicracy」の議論は,1)一人一票が抱える問題性と,2)個々人の利害/選好/能力の濃淡の問題を,相互に区別せず同時に論じることによって解りにくくなっている気がする.http://bit.ly/9NQZ51
16 Jun via web http://twitter.com/#!/ryusukematsuo/status/16237071892

(承前) 1)は,個人内部の多面性や複数のイシューに対する関心にもかかわらず,自らの影響力を行使する手段が一回的な投票しかない上に,選挙においては異なる政策・代表がパッケージ化されて問われている問題に対する反発と捉えられる。
16 Jun via web http://twitter.com/#!/ryusukematsuo/status/16237359426

(承前) 2)は,人それぞれ当該の問題に対する利害関係の大きさや関心・選好の強さや判断する能力が違うのに,同じ問題に対して皆が同じ一票を与えられることへの違和感がある,と思われる.cf. http://bit.ly/bfhhwO
16 Jun via web http://twitter.com/#!/ryusukematsuo/status/16237570090

(承前) 1票を分割するという発想は主に1)から,票の移譲という発想は主に2)から出ていると思われる.1)と2)を繋げて同時に解決する方法として,「分割して委任する」という手段が構想されているわけだが,それぞれ別の対応が考えられてもよい.
16 Jun via web http://twitter.com/#!/ryusukematsuo/status/16237825180

(承前) 1)に関しては,票ではなくイシューを分割する,つまりパッケージを外す手段を考えることもできるだろう.また,政策・統治への影響力を行使し得る機会と形態を複数化・多様化することが先ず行い易いはずである.
16 Jun via web http://twitter.com/#!/ryusukematsuo/status/16238645343

(承前) 2)について.能力については参加による教育効果の議論があるところだが,私自身はあまり重視していない.無知・無関心でいる自由は認めてよい.ただ,権利不行使の容認を権利移譲の議論へ直ちに繋げてよいかどうか.
16 Jun via web http://twitter.com/#!/ryusukematsuo/status/16239048625

(承前) 2)について続き.興味が無い人は端的に不参加でよいのではないか.なぜ,権利移譲まで認めなくてはならないのか.判断能力は無いが関心はあるということなら,それを賭け金にして参加をすればよい.政治参加の教育効果は,そうした自発的関心を前提にしてこそのものであると思う.
16 Jun via web http://twitter.com/#!/ryusukematsuo/status/16239369279

(承前) 2)について最後に.利害関係や選好強度の濃淡については,国際機関のように票数を調整することも有り得る解なんだけれども,むしろイシュー毎の討議(熟議)を通じた決定を,というのが私の立場.過程への参加を通じてこそ発見される利害もあるので.最初の賭け金は人それぞれ違っていい.
16 Jun via web http://twitter.com/#!/ryusukematsuo/status/16239734102

http://twilog.org/ryusukematsuo/date-100616

  • 関連で、鈴木氏も出演したニコ生を視聴してのtweetを、twilogリンクのみ。

http://twilog.org/ryusukematsuo/date-100522

  • 同番組についてのtwitterまとめは、以下。

http://togetter.com/li/23025