平和主義についての何度目かの呟き、あるいは思想の継承と発展について


2007/05/23(水) 21:09:13 http://awarm.blog4.fc2.com/blog-entry-342.html

映画『パッチギ!LOVE&PEACE』を観た。素直に良い作品だと思った。前作と比べて格段に低い評価を与える向きもあるようだが、私は賛同しない。


丁度ここ数日の頭がそういう方面に向かっていたということもあるのだが、こういう映画を観ると、戦争、あるいは国家の暴力ということについて改めて考え直さなければならないという思いが大きくなる。


何と言うのかな。例えば、『理戦』の最新号に仲正昌樹憲法9条論が載っている。仲正は戦後左翼の非現実的主張を批判しながら、結論として、太田光的な理想主義を個人的価値観として抱きつつ現実論としては長谷部恭男的な「穏和な平和主義」の立場を採ることこそ左派が選ぶべき道であるとしている。


こうした立論はまぁまぁ説得的だし(但し、仲正の議論の細部に問題が無いわけではない)、実際、個人的信条としては自衛隊廃棄OKだけど現実政策としてそれを主張することはしないという私の立場とかなり重なるのだけれど、それでいいのか?という思いが拭い切れない。立場としては外見的に似ていても、率直に言って、私にはどうも「穏和な平和主義」的感覚が馴染めない。割り切った見方と言うか、こざっぱりしすぎていて、抵抗を感ずるところがある。これは私の中にある戦後民主主義的DNAのなせる業なのだろうか。


確かに、これは大部分趣味の問題なのかもしれない。けれども、それが現実的だからという理由で「穏和な平和主義」のように「スマート」な見方へ(安易に)スイッチしていくことは、戦後の思想と運動が積み重ねてきたものをあっさりそのまま捨て去ってしまうことを意味しかねない。私は平和主義に訣別した身だが*1、絶対平和主義という理想を中心として語られてきた戦後の思想には、それなりの意味があると思っている。もっとエゴイスティックな方向から言えば、私は自分の立場を、絶対平和主義について真剣に考えたこともないような奴の「現実主義」と一緒にされたくない。


あまり厳密な話ではないが、「穏和な平和主義」路線というのは、結局英米的「リベラル」の思想だと私は思っていて(印象だが、ウォルツァーとかロールズとか)、それは結構どストレートな正戦論に基づいており、危ういところがあると感じている。ちょっとこの辺り、面倒なので飛躍するが、要するにそれは、戦後の日本で一定の勢力を保ち続けてきた「人の命は地球より重い」という価値観とは相容れない。私たちが極限的には功利主義的発想を捨てられない以上、「人の命は地球より重い」というテーゼは当然虚構であるし、時には欺瞞として批判されるべきものではある。けれども、実際殺される側にとっては真で有り得る以上、それを簡単に捨て去っていいんですか?と私は思う。


「正しい戦争がある」と敢えて言い切る人に葛藤が無いとは言わない。絶対平和主義についての真剣な検討を経て、その立場に至った人も少なからずいるだろう。そのように言い切った上で、「正しさ」の範囲について綿密に検討し、現実の縛りをかけていこうとすることの意義も理解できる。しかし、思想は、もう少し違うことができるのではないか。個人的な趣味や信条と、現実的な政策および方針の、いわば間にあるものとしての思想には。


仲正が太田の言葉から引くように、憲法9条は極めて特殊な状況が生んだという意味で希少価値を持っている。失ったら二度と取り戻せない。しかし、希少であったのは9条という条文だけではない。戦争のみならず軍隊の放棄をも明確に定めた特殊な条文が生んだ、数十年間も絶対平和主義という選択肢が少なくとも議論のテーブル(の片隅)には載り続けている、という驚異的な状況も希少価値を持っている。絶対平和主義を他者に押し付けるのは私も好ましくないと思うが、それを単なる「悪い宗教」として片付けてしまうことは、戦後の思想が持っている特殊な価値を全て押し流してしまうようで私には受け入れ難い。


国家というもの、社会というものの暴力性の中で、私たちはどうしようもなく押し流されてしまう。そして、そういう暴力は、結局私たち一人一人の行為の集成に基づく力学で動いている。現実はどうしようもないものとして常に目の前にあるのだけれど、思想とか社会科学というものは現実に内在しつつ現実を批判し超えていこうとするものだから、現実との緊張関係を失ったらそれは死ぬ。特に思想は、(これは東浩紀の言葉だが)100年先とか1000年先を見据えて編まれるべきものだ。そういう意味では趣味や政策の間どころか、そのどちらも超越した位置にあるのかもしれない。100年先も人は殺し合っているだろうけど、絶対平和主義と穏和な平和主義とその間で葛藤する立場と、思想としての尖鋭さを保っているのは一体どれなんだろう。


まぁ、何はともあれ、生きろ。