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「涼宮ハルヒの憂鬱」と「溜息以降」の決定的な違い


他人の褌で相撲を取るとよくわからないエントリになるという見本←こっちが本当のタイトル
「涼宮ハルヒの消失」アニメ化?おめでとう?(未決定・未確定・未確認)←こっちが裏で全てを操っていた真のタイトル

トータルとインテグラル

図解・キャラ萌えの構造 - 萌え理論ブログ
要約すると、オール・イン・ワンな作品を“トータル”にしゃぶりつくすのがこれまでの楽しみ方だったけど、キャラ性を際立たせた“薄い”作品群*1を大量に素早く消費することにより、これまでとは違う“インテグラル”な楽しみ方をすることができる、という話。と思う。俺としても100%理解できているか自信ないので、とりあえずリンク先のエントリを読んだほうがいい。と思う。

上の話を『涼宮ハルヒ』シリーズに適用する

「憂鬱」は“トータル”に完成している作品。喩えるなら完全な球形。全方位に隙が無く、想像や妄想が入り込む余地がない。“トータル”な完成度としてはシリーズ中もっとも高いので、「『憂鬱』で終わっておけば傑作だったのに」的な評価をされる。


「憂鬱」は単体で完膚なきまでに完結している作品なので、続編を出そうにも同じ方向に広げることはできない。そこで、方向を転換して“インテグラル”な方向への拡散を図ったのが「溜息」。「憂鬱」がキョンとハルヒの関係をメインとしてトータルな完成度を追及した話であったのに対し、「溜息」以降はストーリーを長門やみくるへと拡散させて、インテグラルな見方を可能にしている。


完全な球形であるよりも、潰れていたり歪んでいたりするほうが、そこにいろいろ重ねたり乗せたり補ったりできるので面白い。シリーズの中で一番歪んでいるのが「溜息」。もちろん作品単体の完成度も求められるのだけど、トータルな作品とインテグラルな作品を両立するのは不可能なので、できるかぎりの範囲で上手くバランスを取ることが必要。そして、最も上手くバランスが取れているのが「消失」。


俺は「憂鬱」より「溜息」や「消失」の方が好きです、という話。


関連?
なぜ『涼宮ハルヒの溜息』は傑作なのか - WINDBIRD
なぜ『涼宮ハルヒの消失』は傑作なのか - WINDBIRD

ここからが本題なんですが

公式サイトが変なことになっていると各所で話題になっていて、ああそういえば「消失」は12月18日の話だったなぁと思っていたのですが、これはあと数日経ったらアニメハルヒの第二期の制作発表がされるということでよろしいんでしょうか。よろしくないんでしょうか。以前から「第二期やるぞ」という話だけは出ていましたし、おそらくよろしいのだと思います。よろしいと言ってください。いやぁ、第二期ですか。となると俺の好きな「消失」がメインですよね。楽しみです。


「涼宮ハルヒの憂鬱」オフィシャルサイト
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数日後追記
思いっきり何もなかったわけですが。泣ける。

*1:“薄い”は“悪い”の意でない