''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

かどや の「もの字焼き」を頂きました より。

仕事場のパートのおばさんHさんから、お裾わけにどら焼きを頂きました。
ふんわりとして、とても甘いどら焼きです。
カステラ生地のふんわりとして焼き上がりに、う~ん唸ってしまいましたね。
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(株)かどやの「もの字焼き」と言う商品です。
大阪市西成区天下茶屋に会社はあるようです。
もの字と言うパッケージのデザインも、斬新な感じもします。

菓子であるがゆえに、味もインパクトがないといけません。
最近食べた中では、ふんわりとして、どら焼きぽいどら焼きでしたね。
京都には、東寺さんの行事に合わせて、日にち限定の筒型したどら焼きもあります。
それを、金太郎飴のように、輪切りにした形が、銅鑼に似ているからとの由来もあったように、記憶しています。

でも、私達世代を含めて、どら焼きと言えば、アニメの『ドラえもん』ですよね。
好物です。
私達の子供の頃に、アニメ番組がテレビ放映が始まりました。
世代を超えた定番番組でしょう。
家族で見ても楽しめる今や数少ない国民的なテレビ番組とも言えます。

無意味なような設定も、意味があります。
いじめっ子、いじめられっ子と言う別々の立場が、良く分かります。
良いとか悪いとかでなく、社会の縮図がそこにあります。
これは、子供たちにとっても、いい社会勉強です。

だからと言って、いじめられっ子が、大人になって社会で、成功しないとは言えません。
要領のいい奴、悪い奴、いろんなタイプの人間のいることが、大前提になっています。
大人になっても、いじめはありますし、社会的なハラスメントもあるわけです。

この世は、不平等の世界です。
それが、当り前ですから、何も気にすることはありません。
禅の言葉、禅語にも、「竹に上下の節あり」と言うのもあります。
もちろん、対句の「松に古今の色無く」の二つがあって、初めて成り立つ意味合いです。

そこには、大乗仏教の法理も含蓄する奥深い世界でもあります。
平等即差別・差別即平等だと真理にかなった円満な見解を表現しているようにも、見えます。
古歌にある「雨あられ雪や氷とへだつれど とくれば同じ谷川の水」を意味する所は同じようです。(我愛読書『禅語の茶掛 一行物』羽賀幸四郎著 淡交社刊 参照)

人の振り見て我降り直さないといけませんね。
アニメの『ドラえもん』には、設定された立ち位置があると思うんです。
自分が、誰の立ち位置を再確認出来ます。
それは、子供さんにとっても同じです。

どうしようもない子にも、救いの手があるわけです。
それが、ドラえもんなんですよね。
架空の存在ながら、あればありがたい存在です。
ある意味、私にとっての観音様ですね。

困り事があれば、名を一心に唱え、不愉快な事があれば、名を一心に唱える。
常に、その傍らに存在を感じます。
見えはしませんが、身近いに感じます。
心の三毒を廃して下さるありがたい存在です。

音のしないドラを鳴らして、それが妙音であったり、観世音であったり、梵音であったり、海潮音であったり、 勝彼世間音であったりするのかもしれません。
その聞こえない音に、そっと耳をすませば、何か思う所あります。
ありがたいと手を合わせます。

日々の暮らしの中、感謝して暮させてもらっています。
ありがたいです。
心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮したいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、甘い甘い話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。