''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

梅の香りを添えて、大阪天神様より。

昨日は大阪天満宮に参りました。
この時期、受験の時期ですね。
合格発表の通知もそろそろと届きます。

そんな時期です。
今から受験の方もおありです。
頑張った成果が出るとよろしいですね。
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学問の神様というと、やはり天神様でしょうね。
菅家こと菅原道真は、梅の花とご縁がありますね。
平安中期まで、花と言えば梅でした。
しかし、平安後期以降には、花と言えば桜です。

まだ寒いこの時期梅の花がつぼみを付けています。
気の早い花は、咲いています。

飛梅が有名ですよね。
さだまさしさんの歌にもありますよね。
こちらはmomoさんの分野です。

道真公は901年に藤原時平らの讒言によって、右大臣の地位から、筑前国の大宰府に権帥(ごんのそち)として左遷され、903年にこの世を去っています。
ちょうど、大蔵大臣から、九州統括する総知事になったようなものです。

流されたと言っても罪人ではありません。
あくまでも大宰府の長並びになります。

朝廷の中央から九州の地方長官ですから、大変な左遷ですね。
軍事的にも重要ですから、国の為には重要なポストですけどね。
名目のためだけです。

その怒りは如何ばかりだったでしょうね。
その為、死後天変地異に見舞われます。
その対症として、神としてお祀りすることがその由来です。

政治家として学者として、日の本の為にやれることがあったはずです。
また、やりたいことがあったはずです。
中国文化との決別した、遣唐使の廃止、894年(白紙に戻す)を提案して断行した人物です。

そこにはいろいろな利権もありましたからね。
誰を遣唐使に推挙するのか、いろいろな政治的な旨味があったはずです。
藤原氏全盛に、それ以外の菅家が政治の中枢にあったわけですからね。
藤原氏の妬みや政治的な離反もあったことに寄ります。

道真公が、京の都を去る時に詠んだ歌が、ふと口ずさみます。

「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」

さすが菅家です。
歌のリズムといい、その梅にこめたる思いが伝わります。
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大阪天満宮にも、一対の梅の花が、置かれています。

左手に「唐衣」、右手には「あけぼの」、ともに樹齢100年を超えているようですね。
さすが天神さまです。
境内には、梅の花が咲いています。
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この日は、骨董市です。
いろいろな物を楽しく見て回りました。
楽しい一日でした。
ありがたいと感謝の気持ちです。

私事ながら、ご利益でしょうか、少し思いが遂げられました。
少しだけいい思いが出来ました。

やはり、ありがたいことです。
手を合わせます。

今日も穏やかな一日が過ごせますように祈ります。

最後まで、匂いは伝わりませんが、梅の香りをお伝えする記事に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。