カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2017.4.20  「任運自在」

                                                  カメキチの目

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 きょうは禅語です。

たまには社会から隔絶(ムリでも)し、気分だけでも仙人になり、じっくり内に向きあおう。

 

      任 運  自 在
             
       
(にんうん じざい)

  
その通りに読めば、

「運(命)」に任せば 自由自在ということ。

 「宿命」といえば一方的に与えられっぱなし、選択の余地がなくなるイメージが強くなります。自分の無力感におしつぶされそうになります。

ところが、「運(命)」といえばちょっと自分でなんとかできそうな気配がします。

あくまでちょっと、ちょっぴりですが…

 

 その「ちょっと」が、ややこしい。

 問題は、どこまで精進するか。

 どれほど努力したら満足、なっとくするのか。 

「努力」や「精進」したからといって、成功、成就するとは限らない。

 

そんなことはわかっているのですが、それでもなお目的達成しないのは努力が足りないのだと自分を責める方がおられます。それはそれで立派な態度とは思いますが…

 

「運(命)が悪かった」としかいえないことは人生で避けられません。

(私は身体障害になったり胃をうしないましたが、ただ「運が悪かった」とだけ思っていいる。でも死ななかったこと、胃がなくてもおいしく食べられるのは「運が良かった」と思っています)

 

「自分で自分をほめてあげたい」。

こう言った有森選手は一流のアスリートですが、彼女のように有名ではなくとも、一人ひとりが自分の人生では立派な一流のアスリートだと思う。


「運(命)」にあえて抵抗せず、あきらめ、任せることも必要。

望むようにはいかず、「失敗」に終わっても、「探せばまだ他の道があるかもしれないが、ここまでやった自分に満足、納得」できたなら、それでいいと私は思うのですが。

もちろん、その事態を「運(命)」と受けいれず、納得できず、もっと精進・努力しなくては…と思うことだってあります。そう「思う」なら、そうすればいいですね。

 

「自力本願」もいいけれど「他力本願」もいいです。

 人生に勝ち負けなんてない。

 人生は比較できない。

 

この禅語が載っている本には、自分へのこだわり、執着(我執)を断ちきるのは容易ではないが、ちっぽけな分別、損得勘定をすて去ってみようと書かれてありました。

自分のことで選択したことは自分や家族にはね返ってくるだけで、それが「悪い結果」にしても(よくはありませんが)、自分や身内のことなのでいちおう納得できます。が、他人のウソ・イツワリ・サギ・口先・ソンタク(もともとの「忖度」の意味は違います)…が平気で通用する世の中では、「任運自在」とは納得できません。

                  
ちりとてちん

 

4月の課題 「一本の木」がある風景写真

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