カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2024.12.27 土地は誰のものか④

最後の④です。

 

「〈「商品」から「幸福」へ〉

■ 司馬遼太郎の土地「公」有論

(彼の問題意識→地価高騰の原因は)「土地所有権の私有制が原因である。

したがってこの私有制を廃止しない限り土地の病気は治療できない」

 

■ 金のなる木としての土地と、厄介物でしかない土地が極端な形で併存しているのが日本の実態

 

 

〈資本主義の危機と現代総有の登場…〉

(「現代総有」とは、「個人の所有権は尊重するが、その利用は結束した共同体が主体とな

共同で行うというもの」)

■(資本主義の特徴は)

・ 絶えず競争しながら経済の成長を目指すシステム

・ グローバルな国家や企業の経済競争だけでなく、個人にも他人より優位に立ちたい

  という欲望を搔き立てる。

(その限界は)

・ 21世紀の人類の目標-地球の環境保全と貧困を含むあらゆる「差別」をなくすことと

 相容れない。

 資本主義企業などの利潤も人類あってのもの

 

■ (ではどうすればいいか?)

資本と市場という二極の構造に対して、その中間に、

組合、地域産業、非営利事業などが参加し、公共的市場とでもいうべき新たな市場を開拓していく

→NPO、NGO、コモンズ、アソシエーション、コミュニティ」

 

    


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「■ 金のなる木としての土地と、厄介物でしかない土地が極端な形で

   併存しているのが日本の実態」

 

毎年発表されている土地価格。

「金のなる木としての土地」。

 

(土地の値段だけではないが)おかしいと首を傾げることがあっても、

「世の中とはそういうもの」と自分を納得させ割り切らないと

この世、社会では生きていけない。

(ネットの2024年度「公示地価市町村ランキング」によると、1㎡あたり1位の東京中央区は

837万9250円、最下位北海道滝上町は1750円。つまり、4788:1

需給の問題なので仕方のないこととはいえ、あまりのアンバランスに驚いた)

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土地の問題を初め社会の法制度、決まり、ルールなどは、その社会の人々の

「幸福」「幸せ」を保障するためのものでなければならないはず。

 

けれど、「土地所有権の私有制」は、資本主義社会の現代だけではなく

人間社会が不平等社会の時代に入ってからは永久的と思われるほど長い間、

ずっと続いている。

(動物、昆虫でさえも「縄張り」があり、ここからそこまでは自分の場所と主張するから

生きものにとっての「本能」のようなものなのか?

 

ある本に、「自由・平等・博愛」で有名な人権革命のフランス革命でさえ、

「土地所有権の私有制」は神聖視されていたと述べられていた。

学校でフランス革命を習ったとき、「自由・平等・博愛」ばかりに目がとまり、

「土地所有権」など思っても考えてもみなかった。

 

子どものころ、小高い山を登って村、地域全体を見降ろせば、田畑の緑、土の茶色など

自然はきれいだと感じても、土地の区割りのイビツさ、その広さの不釣り合いには

まったく目が向かうことはなく、何も感じなかった)

 

「共産主義社会」の中国。

中国はいまの姿になるまで、初めは毛沢東のもと、いろいろと大きな事件、

不幸もあったけれど、ともかく一応、「平等社会」が目指された。

(が、現実はあの通り。資本主義社会を超えた「格差」の存在)

一応、「共産主義社会」だから国土は公有ということで私有は認めていないが、

国民みんなの「幸せ」「幸福」のために土地を活かすことはしていない。

 

いまの中国は経済という社会基盤だけ、ちゃっかり資本主義を採用し、

人口が日本より圧倒的に多いので安い賃金で働く人も圧倒的に多く、

その結果、国際競争に勝ち、日本を追い越し「経済大国」になった。

(土地は原則、公有・国家のものだから経済力の大きさは「地代」として経営者から吸い上げ、

国家《習近平たち》の繁栄につなげ、経営者たちは富裕な生活が保障されているのだろう)

 

   

    


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次の「個人の所有権は尊重するが、その利用は結束した共同体が主体となり

共同で行うというもの」を「現代総有」という言うとは初めて知った。

(が、言葉は知らなくても、このような考え方は日本では昔からの「入会権」と同じ。

《「入会権」とはネットIによれば

「一定地域の住民が一定の山林・原野等に共同的に立入り、薪炭用雑木などを採取し

共同収益することを内容とする慣習法上の物権」》に見られ、人々の平等を生活基盤から保障)

 

「競争」という資本主義の特徴に、

「資本と市場という二極の構造に対して、その中間に、組合、地域産業、

非営利事業などが参加し、公共的市場とでもいうべき新たな市場を開拓…」

 

これまで読んだ社会について書いてある他の多くの本に、資本主義の打開、

生き残りの道として述べられているのが、まさしく「組合、地域産業」や

「NPO、NGO、コモンズ、アソシエーション、コミュニティ」などの

「非営利事業」、中間団体だった。

(家族を除けば自分を取りまく社会や人間集団は、国家や地方自治体のように、建前としては

自分も構成する一員とはされてはいても、受動的には感じても能動的にそこに参加しているという

実感は持てない。

しかし、目に見える集団規模の社会集団、つまり「中間」団体であれば違う。

 

「中間」団体ではないけれど、SNSもブログも自分の思い、考えを他の人に聞いてもらえ、

共通するところがあり、ありがたいと感じる)

 

 

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                              ちりとてちん

年の市 空きばこもまた 天仰ぐ  鎌倉佐弓

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