長谷川優貴
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長谷川優貴 女流二段 | |
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平成27年11月28日、姫路市で行われた人間将棋にて | |
名前 | 長谷川優貴 |
生年月日 | 1995年9月13日(29歳) |
プロ入り年月日 | 2011年10月1日(16歳) |
女流棋士番号 | 44 |
出身地 | 兵庫県明石市 |
所属 | 日本将棋連盟(関西) |
師匠 | 野田敬三七段 |
段位 | 女流二段 |
女流棋士DB | 長谷川優貴 |
2012年2月2日現在 |
長谷川 優貴(はせがわ ゆうき、1995年9月13日 - )は、日本将棋連盟(関西本部)所属の女流棋士。女流棋士番号は44。野田敬三七段門下。兵庫県明石市出身。兵庫県立明石城西高等学校卒[1][2]。
棋歴
女流プロになるまで
- 長谷川の師匠である野田敬三と、長谷川の祖母は、いとこ同士である[1]。野田が明石市内で開く「野田将棋教室」に通って将棋を覚えた祖母は、長谷川が小学4年生の時に将棋の手ほどきをした[1]。将棋を覚えた長谷川は「野田将棋教室」に通い始めた。プロ入り後も「野田将棋教室」に通っている(長谷川談)[1]。長谷川は、今(2012年4月8日、第5期マイナビ女子オープン五番勝負第1局の日)でも週に1、2回は顔を見せている(野田六段談)[3]。
- 小学6年生の時から、井上慶太が加古川市内で開く、プロ棋士の数々を輩出した将棋教室「加古川将棋倶楽部」にも通い、毎週のように大会に出ていた[1]。「加古川将棋倶楽部」に通い始めた頃はアマ5級で、アマ二段まではスムーズに上がったが、アマ三段に上がるには、規定の成績を取った後、井上に駒落ちで勝たねばならないため2年近くかかった[1]。
- 「加古川将棋倶楽部」でアマ四段に上がって、2010年3月14日、日本将棋連盟・関西研修会に入会[1][2][4]。母が「まだ早い」と反対するのを1年近く説得しての、研修会入会であった[5]。
- 2011年9月25日、6連勝で研修会C1に昇級し、女流3級の資格を得る。ただし、この時点で、女流3級から女流2級に昇級する規定『女流1級に相当する成績(マイナビ女子オープンで本戦入り)』を満たしていたため、女流2級でのプロ入りとなった[4]。女流棋士_(将棋)を参照。
女流プロ入り後
- 2011年10月1日付で、日本将棋連盟(関西本部)所属の女流2級(野田敬三六段門下)としてプロ入り[6]。
- 2011年10月29日、女流棋士としての初対局となる、第5期マイナビ女子オープン本戦2回戦で甲斐智美女流王位(当時)と対局。前女王でもある甲斐を相手に1局目は195手までで持将棋となる。持将棋は女流棋戦において約6年ぶりで、プロ初対局が持将棋となるのは男女通じて史上初であった。30分の休憩後に行われた指し直し局で勝利し、マイナビ女子オープンベスト4進出。これにより女流初段への昇段規定「マイナビ女子オープンベスト4」を満たし、同日付で女流初段に飛付昇段(女流2級から、女流1級を飛ばして、女流初段に昇段)。女流棋士昇格後の初対局で女流初段に昇段したのは史上初で[7][8]、また女流棋士昇格後のプロとしてのデビュー戦でタイトルホルダーを破ったのも史上初であった。
- 引き続き、第5期マイナビ女子オープン本戦で、2012年1月11日の準決勝で斎田晴子を、2月2日の挑戦者決定戦で清水市代を127手で破り、第5期マイナビ女子オープン挑戦者となると同時に、女流二段への昇段規定「タイトル挑戦」により同日付で女流二段に昇段[9]。五番勝負では、上田初美女王にストレートで敗れ、初タイトル獲得はならなかった。
- プロ入りしてから4戦目[注釈 1]でタイトル挑戦を決めて女流二段に昇段したのは最短記録であり[10]、プロ入りから4ヶ月でのタイトル挑戦は、女流棋界の草創期を除けば最速記録である[11]。
- 2011年度は上述の通り快進撃を続け、女流デビューから第39期女流名人位戦決勝(対村田智穂)で敗れるまで、6連勝を記録した。
- 2012年7月13日の第6回朝日杯将棋オープン戦では山本真也に、同9月14日の第61期王座戦では澤田真吾に、同11月14日の第44回新人王戦では当時奨励会三段の千田翔太と、男性棋戦に3回出場したが、全て敗退した。
- 2014年度、第8期マイナビ女子オープンで予選を勝ち抜き、3年ぶりの本戦出場を果たすが、3年前に番勝負を戦った上田初美と1回戦で再戦し敗退した。
棋風
昔は、相振り飛車が苦手だったので、相手が振り飛車なら居飛車にしていた。今は相振り飛車でも構わない。先手では中飛車、後手では四間飛車を良く指すが、後手の中飛車も勉強中。棋風は攻め将棋。受けには少々恐れがあるとのこと[1]。
人物
- 女流棋士を志望した動機は中学1年生の時に大阪での将棋イベントに参加し[注釈 2]、4学年上の高校2年生で、その年に初タイトルの倉敷藤花を獲得した里見香奈が、何人ものファンを相手に多面指しで指導する姿を見て「(私と里見さんは)年もそう変わらないのに、格好いい」と憧れた[5]。
- 2011年10月1日に女流2級、10月29日に女流初段、2012年1月11日に女流二段とスピード昇段[1]。そのため「2級の色紙も5枚くらいしか書いていません。お世話になった方に差し上げました。初段は20枚くらいだと思います」と語っている[1]。
- 長谷川が入学した兵庫県立明石城西高等学校には将棋部がなく個人では大会に出場できないので、教諭が将棋同好会を作ったが、部員は長谷川のみだった[1]。
- 棋士の出口若武は同郷かつ同い年で、弟の世話などをしてもらっていたという。出口のプロ入り決定時、祝福のコメントを贈った。
アマチュア時代の戦績
- 2007年2月18日、11歳(小学5年生)の時に、第23回関西女流アマ名人戦でCクラス(5級 - 8級)で優勝。
- 2008年7月27日、第1回女子アマ王位戦・神戸大会(7月27日)で優勝(準優勝は室谷由紀)[16]。神戸大会優勝の長谷川は、続く優勝者決定戦に出場し、準優勝[17]。
- 同年8月3日 - 4日、第29回全国中学生選抜将棋選手権大会女子の部に出場し、4位入賞[18]。
- 2009年7月19日、第2回女子アマ王位戦では神戸大会で北村桂香に敗れて準優勝[19]。優勝者決定戦に出場できず[19]。
- 同年8月12日 - 14日、第12回中学生将棋王将戦の団体戦に出場し、優勝[20]。
- 2010年8月3日 - 4日、第31回全国中学生選抜将棋選手権大会女子の部で準優勝[21]。
- 同年8月13日 - 15日、第13回中学生将棋王将戦の団体戦に、4位入賞[22]。
- 同年8月22日、第2回中学女子名人戦で優勝[23]。
- 2011年8月12日、高校生王将戦団体戦に出場し、3位入賞[24]。
- 同年、第4期マイナビ女子オープンでアマチュアとして唯一の本戦入りを果たすも[25]、本戦1回戦で上田初美女流二段に敗れる[26]。
- 2011年の第5期マイナビ女子オープンでは、主催者推薦で、女流棋士と同じ扱いで一斉予選から出場[27]。同年7月16日の一斉予選を勝ち抜き、2度目の本戦入り[28]。本戦1回戦で中澤沙耶アマに勝利[29]。
昇段履歴
→「将棋の段級 § 女流棋士」も参照
- 研修会時代
- 女流棋士以降
- 2011年10月 1日 : 女流2級 = プロ入り[6]
(女流1級は飛び級) - 2011年10月29日 : 女流初段(マイナビ女子 ベスト4〈第5期〉= 飛付き昇段、女流通算1勝0敗)[7]
- 2012年第5期マイナビ女子、女流通算4勝0敗)[9] 2月 2日 : 女流二段(タイトル挑戦/
主な成績
タイトル挑戦
タイトル挑戦 1回(獲得 0期)
年度別成績
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出演
ウェブテレビ
- 叡王戦記念特番 東西対抗 詰将棋カラオケ(2019年3月30日、ニコニコ生放送)[44] - 西チーム
脚注
注釈
- ^ 第5期マイナビ女子オープンでの3戦に加え、2012年1月19日の第39期女流名人位戦予選第1回戦で山田朱未女流二段を破っている。
- ^ 出典の読売新聞記事[5]には「(長谷川が)中学1年の時」「(里見が出演した)大阪の将棋イベント」と書かれている。長谷川が中学1年生であった2008年11月23日に、里見は初タイトルの倉敷藤花を獲得した。
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 「第5期マイナビ女子オープン挑戦者 長谷川優貴女流二段 まずは地元で勝たないと!」『将棋世界』、日本将棋連盟、2012年4月、78-81頁。
- ^ a b “将棋の女流プロ棋士 明石市・長谷川優貴さん”. 神戸新聞 (2011年10月18日). 2011年10月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年11月6日閲覧。
- ^ 「第5期マイナビ女子オープン五番勝負第1局-上田初美女王 VS 長谷川優貴女流二段」 『将棋世界』 2012年6月号、114-123頁。
- ^ a b c d “長谷川優貴研修会員が女流棋士3級の資格を取得”. 日本将棋連盟 (2014年1月28日). 2018年9月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年9月26日閲覧。
- ^ a b c 読売新聞(兵庫) 2012年2月2日 『プロ4か月 最速“詰め”-明石の16歳 長谷川さん』(2012年2月6日閲覧)
- ^ a b 「長谷川優貴さんが10月より女流2級に」『日本将棋連盟』2011年9月29日。
- ^ a b 「長谷川優貴女流2級が女流初段に昇段」『日本将棋連盟』2011年10月31日。
- ^ 『週刊将棋』 2011年11月19日号、10-11面
- ^ a b 「長谷川優貴女流初段が女流二段に昇段!」『日本将棋連盟』2012年2月6日。
- ^ 日本将棋連盟 2012年2月2日 『長谷川優貴女流初段がマイナビ女子オープンの挑戦者に!』
- ^ 毎日新聞 2012年2月3日 『将棋:マイナビオープン 長谷川女流初段、上田女王に挑戦』(Web魚拓)
- ^ “谷口徹|プロ棋士”. 関西棋院. 2020年2月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年2月2日閲覧。
- ^ a b “長谷川優貴女流二段が結婚”. 日本将棋連盟. 2020年2月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年2月2日閲覧。
- ^ “将棋の長谷川女流二段と囲碁の谷口四段が結婚をイブ発表”. スポーツ報知 (2019年12月24日). 2020年2月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年2月2日閲覧。
- ^ a b 囲碁の谷口徹四段と将棋の長谷川優貴女流二段が結婚 - 産経WEST(2019年12月24日)
- ^ LPSA 2008年7月27日 『第1回女子アマ王位戦・神戸大会』
- ^ LPSA 2008年10月26日 『第1回女流王位戦優勝者決定戦 表彰式』
- ^ 日本将棋連盟 『第29回全国中学生選抜将棋選手権大会 女子決勝トーナメント』
- ^ a b LPSA 2009年7月19日 『第2回女流- 王位戦 神戸大会』
- ^ 日本将棋連盟 第12回中学生将棋王将戦
- ^ 日本将棋連盟 2010年8月24日 『第31回全国中学生選抜将棋選手権大会』
- ^ 日本将棋連盟 『第13回中学生将棋王将戦』
- ^ LPSA 2010年8月22日 『第2回中学生女子名人戦 全国大会結果』
- ^ 関西将棋会館公式サイト 『第7回高校生王将戦』
- ^ マイナビ女子オープン中継ブログ 『第4期マイナビ女子オープン 一斉予選』
- ^ マイナビ女子オープン中継ブログ 『第4期マイナビ女子オープン 1回戦 上田-長谷川戦』
- ^ 「第5期マイナビ女子オープンチャレンジマッチ-いざ一斉予選へ!アマチュア選手は9名が突破!」 『将棋世界』 2011年7月号、196-197頁
- ^ マイナビ女子オープン中継ブログ 『第5期マイナビ女子オープン 一斉予選』
- ^ マイナビ女子オープン中継ブログ 『第5期マイナビ女子オープン 1回戦 長谷川-中澤戦』
- ^ 2011年度女流棋士成績・記録 - 日本将棋連盟
- ^ 2012年度女流棋士成績・記録 - 日本将棋連盟
- ^ 2013年度女流棋士成績・記録 - 日本将棋連盟
- ^ 2014年度女流棋士成績・記録 - 日本将棋連盟
- ^ 2015年度女流棋士成績・記録 - 日本将棋連盟
- ^ 2016年度女流棋士成績・記録 - 日本将棋連盟
- ^ 2017年度女流棋士成績・記録 - 日本将棋連盟
- ^ 2018年度女流棋士成績・記録 - 日本将棋連盟
- ^ 2019年度女流棋士成績・記録 - 日本将棋連盟
- ^ 2020年度女流棋士成績・記録 - 日本将棋連盟
- ^ 2021年度女流棋士成績・記録 - 日本将棋連盟
- ^ 2022年度女流棋士成績・記録 - 日本将棋連盟
- ^ 2023年度女流棋士成績・記録 - 日本将棋連盟
- ^ 女流棋士通算成績(2024年3月31日対局分まで) - 日本将棋連盟(2024年4月1日時点のアーカイブ)
- ^ “【叡王戦記念特番】東西対抗 詰将棋カラオケ”. ニコニコ生放送 (2019年3月30日). 2020年3月21日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 日本将棋連盟 プロフィール
- 長谷川優貴 (@yuukichi0913) - X(旧Twitter)
- 野田将棋教室
- 加古川将棋倶楽部