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田島朝由

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
田島 朝由
三司官
任期
1710年 – 1716年
前任者幸地良象
後任者勝連盛祐
個人情報
生誕 (1655-05-17) 1655年5月17日
死没1737年8月9日(1737-08-09)(82歳没)
唐名向 元良
称号親方

田島親方朝由(たじまうぇーかたちょうゆう、1655年5月17日 - 1737年8月9日)は、琉球王国官僚[1]。唐名は向元良(しょう げんりょう)を名乗った。

奥間朝充の長男、浦添朝師の孫にあたる。1703年尚貞王が琉球王国の公式な典籍を編纂する旧記座を設置した際、田島は初代旧記奉行に任命された[2]。田島は琉球王府史上最古かつ最も巻数の多い地誌である『琉球国由来記』を編纂し、1713年には尚敬王へ上覧された[3]

1710年から1716年にかけては、三司官を務めた[4]

脚注

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  1. ^ "Tajima Chōyū." Okinawa konpakuto jiten (沖縄コンパクト事典, "Okinawa Compact Encyclopedia").
  2. ^ The Origins of Banana-fibre Cloth in the Ryukyus, Japan
  3. ^ "Ryūkyū-koku yūrai-ki." Okinawa konpakuto jiten (沖縄コンパクト事典, "Okinawa Compact Encyclopedia").
  4. ^ 中山王府相卿伝職年譜 向祐等著写本
公職
先代
幸地良象
三司官
1710 - 1716
次代
勝連盛祐