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勝連盛祐

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

勝連親方盛祐(かつれんうぇーかたせいゆう、? - 1719年7月17日)は、琉球王国官僚。唐名は毛応鳳(もう おうほう)を名乗った。別名に、保栄茂親方盛祐(びんうぇーかたせいゆう)がある。

尚敬王は即位に際し、1714年江戸謝恩使を派遣した。この際勝連は副使に任命され、正使の金武王子朝祐と共に江戸に派遣され、翌年に帰沖した。

1716年から1719年にかけては、三司官務めた[1]

脚注

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  1. ^ 中山王府相卿伝職年譜 向祐等著写本”. 2017年9月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年7月4日閲覧。
公職
先代
田島朝由
三司官
1716 - 1719
次代
伊江朝叙