武藤俊憲
Toshinori Muto | |
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基本情報 | |
名前 | 武藤 俊憲 |
生年月日 | 1978年3月10日(46歳) |
身長 | 173 cm (5 ft 8 in) |
体重 | 76 kg (168 lb) |
出身地 | 群馬県 |
経歴 | |
成績 | |
優勝回数 | 日本ツアー:7勝 |
初優勝 | マンシングウェアオープン KSBカップ(2006年) |
賞金ランク最高位 | 日本ツアー:8位(2011年) |
2019年9月30日現在 |
武藤 俊憲(むとう としのり、1978年3月10日 - )は、群馬県出身の男子プロゴルファー。赤城カントリークラブ、ホリプロ(スポーツ部)所属。前橋育英高等学校卒業。
来歴・人物
[編集]母方の実家がゴルフ練習場だった事もあり、小さい頃からクラブを握っていた。前橋育英高等学校入学後にゴルフ部に入り、本格的にプレーを開始。2001年10月にプロに転向した。
プロ転向後は厳しいシーズンが続いたが、2005年のクオリファイングトーナメントで最終日に65をマークし、35位でフィニッシュして翌2006年のシード権を獲得。そして、2006年5月21日、マンシングウェアオープン KSBカップ(岡山県玉野市)で最終日に64〈8アンダー〉をマークし、7打差を逆転してツアー初優勝を果たした[1]。同年にシード権を確保して以来、2014年まで8年連続してシード権を維持し続けている。またツアー優勝は6回ある。賞金ランキングは2011年の8位が最高。
過去3回(2008年,2009年,2011年。参考記録ながら2006年も入れると4回)、トータルドライビングで1位をマークしているようにドライバーを使ったゴルフを得意とする。そのため、爆発的なスコアを叩き出す事も多く、先述の2005年クオリファイングトーナメントでの出来事を始め、過去6回の優勝の内、やはり先述の2006年マンシングウェアオープンの他に2009年のザ・チャンピオンシップ・バイ・レクサス[2](最終日2打差3位スタートから64〈7アンダー〉をマーク)、2011年のダンロップフェニックス(最終日[3]4打差6位スタートから63〈8アンダー〉をマーク)と、3回が逆転で優勝を決めている。2012年8月の関西オープンでは、初めて4日間首位を明け渡さない完全優勝を達成した。反面ムラもあり、2013年10月の東海クラシックでは最終日に首位で迎えながら76〈4オーバー〉を叩いて5位に終わるなど、突然崩れるケースも少なくない。
2012年5月のミズノオープンで2位になった事から出場権を得た2012年全英オープンでは、初日終了後6位に付ける快走で、3度目の挑戦にして初めて予選通過した(最終日に78〈8オーバー〉の大叩きで、11オーバーの72位で終えた[4])。
2015年現在、『ゴルフレッスンコミック』(日本文芸社)にて、『武藤俊憲のシンキングゴルフ』(画:池原しげと、構成:坂本静児)が連載されている。
優勝歴
[編集]日本ツアー (7)
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No. | 日時 | 大会 | 優勝スコア | 打差 | 2位 |
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1 | 2006年5月21日 | マンシングウェアオープン KSBカップ | -14 (68-69-73-64=274) | 2打差 | 溝口英二 |
2 | 2008年10月5日 | コカ・コーラ東海クラシック | -11 (69-70-69-69=277) | 2打差 | 池田勇太 |
3 | 2009年11月8日 | ザ・チャンピオンシップ・バイ・レクサス | -16 (68-65-71-64=268) | 3打差 | 金庚泰 |
4 | 2011年11月20日 | ダンロップフェニックス | -12 (68-70-63=201)[3] | 4打差 | ゴンサロ・フェルナンデス・カスタノ |
5 | 2012年8月19日 | 関西オープン | -18 (64-65-68-69=266) | 1打差 | 金亨成(キム・ヒョンソン) |
6 | 2015年6月28日 | ISPSハンダグローバルカップ | -14 (68-68-66-68=270) | プレーオフ | アンジェロ・キュー |
7 | 2019年9月29日 | パナソニックオープンゴルフチャンピオンシップ | -21(65-70-64-64=263)[5] | 4打差[6] | 今平周吾[6] |
その他優勝 (1)
[編集]No. | 日時 | 大会 | 優勝スコア | 打数 | 2位 |
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1 | 2015年9月13日 | 片山晋呉招待ネスレマッチプレーレクサス杯 | 3 & 1 | 片山晋呉 |
脚注
[編集]- ^ 2008年を以て大会が終了。ちなみに翌2007年に優勝したのが、当時まだアマチュアで15歳8ヶ月だった石川遼である。石川の優勝記録は2015年現在も日本男子ゴルフツアーの最年少優勝記録として残っている。
- ^ 2010年を以て大会が終了。
- ^ a b 3日目が雨によるコースコンディション不良のため中止。54ホールに短縮された。
- ^ 武藤俊憲、終盤に崩れ11オーバー72位タイゴルフ情報ALBA.Net、2012年7月23日記事。
- ^ 2019年 パナソニックオープンゴルフチャンピオンシップ 最終日 スコア結果 - ゴルフダイジェスト・オンライン、2019年9月29日配信、2019年9月30日閲覧
- ^ a b 41歳・武藤、4年ぶり7勝目!若手よ「かかってこんかい」/国内男子(1/2ページ) - サンケイスポーツ(産経デジタル)、2019年9月30日配信、同日閲覧
外部リンク
[編集]- 武藤俊憲 - 日本ゴルフツアー機構のプロフィール
- 武藤俊憲(【群馬県のゴルフ場】赤城カントリー倶楽部|公式プロフィール)
- 武藤俊憲(ホリプロ)
- 武藤俊憲のプロフィール(ゴルフ情報ALBA.Net)
- 武藤俊憲 プロフィール 選手情報 | トーナメント | ゴルフ GDOニュース
- バリューゴルフレッスン 武藤俊憲のレッスン デジタルブック版