斉藤和夫
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
名前 | ||||||
カタカナ | サイトウ カズオ | |||||
ラテン文字 | SAITO Kazuo | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1951年7月27日(73歳) | |||||
出身地 | 埼玉県浦和市(現さいたま市) | |||||
身長 | 175cm | |||||
体重 | 69kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF | |||||
ユース | ||||||
1967-1969 | 浦和南高校 | |||||
1970-1973 | 法政大学 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1974-1989 | 三菱重工 | 248 | (3) | |||
通算 | 248 | (3) | ||||
代表歴 | ||||||
1976-1984[1] | 日本 | 32 | (0) | |||
監督歴 | ||||||
1989-1992 | 三菱自動車 | |||||
1997 | 川崎フロンターレ | |||||
2000 | 浦和レッズ | |||||
2014 | ジェフユナイテッド千葉 | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
斉藤 和夫(さいとう かずお、1951年7月27日 - )は、埼玉県浦和市(現さいたま市)出身のサッカー選手、コーチ・監督。現役時代のポジションはディフェンダー。
経歴・人物
[編集]法政大学から日本サッカーリーグ(JSL)の三菱重工(現-浦和レッドダイヤモンズ)に入団、JSLでは通算248試合出場3得点を記録、ベストイレブンにも3度輝いた。日本代表では国際Aマッチ32試合出場の記録を残した[1]。
1989年、三菱がJSL2部に降格すると監督に就任、圧倒的な強さを見せて優勝、1年で1部復帰を果たした。1992年に監督を退任すると三菱から名前の変わった浦和レッドダイヤモンズのコーチ、ジェフ市原のコーチを歴任した。
川崎ではJリーグ昇格を期待されたが、後半戦の山場である第20節から3連敗し、昇格圏外の3位へ後退すると更迭された。結局、同年の川崎は3位に終わり、Jリーグ昇格に失敗した。
その後は浦和のフロントとなり2000年、J2に降格した浦和の監督に就任。ぶっちぎりでのJ1復帰を期待されたが、開幕ダッシュにこそ成功したもののその後は思うように勝てず、特に昇格のライバルのコンサドーレ札幌には4度の対戦で1分3敗と1度も勝てなかった。それでも辛うじて昇格圏内の2位は確保していたが、10月1日、アウェーでのアルビレックス新潟戦に2-4で敗れ、3位の大分トリニータに迫られると横山謙三が総監督に就任することとなり監督の肩書はそのままに指揮権を返上した(実質的にはコーチ降格)。結果として、浦和は1年でのJ1復帰に成功したが、斉藤への評価は低いものとなった。
2000年シーズン終了後、斉藤は浦和を退団。その後、ジェフユナイテッド市原(現・千葉)に再び招かれ、同クラブのアマチュアチームの監督に就任し、千葉県リーグ1部優勝と関東リーグ昇格に導いた。2005年には三菱養和クラブの監督となり、ユース(高校生)年代の選手育成に努めている。斉藤の指導下で三菱養和クラブは2009年の高円宮杯第20回全日本ユースサッカー選手権 (U-18)大会で3位に入り(準決勝進出)、Jリーグクラブの下部組織ではない、いわゆる「街クラブ」としては同大会での最高成績へと導いた。
2010年からはJ2に降格したジェフユナイテッド千葉のヘッドコーチに就任した[2] が、1年でのJ1昇格に失敗し、2011年からは同クラブのスカウトを務めている。2014年6月、鈴木淳監督の解任に伴い関塚隆が新監督に就任するまで監督代行を務めた[3]。
所属クラブ
[編集]個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | JSL杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1974 | 三菱 | 13 | JSL1部 | 15 | 0 | - | |||||
1975 | 3 | 18 | 0 | - | |||||||
1976 | 17 | 1 | |||||||||
1977 | 18 | 1 | |||||||||
1978 | 13 | 0 | |||||||||
1979 | 14 | 0 | |||||||||
1980 | 18 | 1 | |||||||||
1981 | 18 | 0 | |||||||||
1982 | 18 | 0 | |||||||||
1983 | 12 | 0 | |||||||||
1984 | 15 | 0 | |||||||||
1985 | 21 | 0 | |||||||||
1986-87 | 19 | 0 | |||||||||
1987-88 | 20 | 0 | |||||||||
1988-89 | 12 | 0 | |||||||||
通算 | 日本 | JSL1部 | 248 | 3 | |||||||
総通算 | 248 | 3 |
・JSL東西対抗戦 2回出場(1979年、1983年)
・JSL選抜チーム(1979年 2試合/0得点、1983年 5試合/0得点、1984年 1試合/0得点、1986年 1試合/0得点)
代表歴
[編集]出場大会など
[編集]- モントリオールオリンピック予選
- ワールドカップアルゼンチン大会予選
- アジア競技大会 (1978年)
- ロサンゼルスオリンピック予選
試合数
[編集]- 国際Aマッチ 32試合 0得点(1976-1984)[1]
日本代表 | 国際Aマッチ | その他 | 期間通算 | |||
---|---|---|---|---|---|---|
年 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
1976 | 14 | 0 | 6 | 0 | 20 | 0 |
1977 | 5 | 0 | 25 | 2 | 30 | 2 |
1978 | 9 | 0 | 7 | 0 | 16 | 0 |
1979 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1980 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1981 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1982 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1983 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1984 | 4 | 0 | 2 | 0 | 6 | 0 |
通算 | 32 | 0 | 40 | 2 | 72 | 2 |
出場
[編集]No. | 開催日 | 開催都市 | スタジアム | 対戦相手 | 結果 | 監督 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1. | 1976年01月28日 | 大阪府 | 長居陸上競技場 | ブルガリア | △1-1 | 長沼健 | 朝日国際サッカー大会 |
2. | 1976年02月01日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ブルガリア | ●0-3 | 朝日国際サッカー大会 | |
3. | 1976年03月14日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | フィリピン | ○3-0 | オリンピック予選 | |
4. | 1976年03月17日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | フィリピン | ○3-0 | オリンピック予選 | |
5. | 1976年03月21日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | 韓国 | ●0-2 | オリンピック予選 | |
6. | 1976年03月27日 | ソウル | 韓国 | △2-2 | オリンピック予選 | ||
7. | 1976年03月31日 | ソウル | イスラエル | ●0-3 | オリンピック予選 | ||
8. | 1976年08月08日 | クアラルンプール | インド | ○5-1 | 二宮寛 | ムルデカ大会 | |
9. | 1976年08月13日 | クアラルンプール | ビルマ | △2-2 | ムルデカ大会 | ||
10. | 1976年08月16日 | クアラルンプール | タイ | △2-2 | ムルデカ大会 | ||
11. | 1976年08月18日 | クアラルンプール | 韓国 | △0-0 | ムルデカ大会 | ||
12. | 1976年08月20日 | クアラルンプール | マレーシア | △2-2 | ムルデカ大会 | ||
13. | 1976年08月22日 | クアラルンプール | マレーシア | ●0-2 | ムルデカ大会 | ||
14. | 1976年12月04日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | 韓国 | ●1-2 | 日韓定期戦 | |
15. | 1977年03月06日 | テルアビブ | イスラエル | ●0-2 | ワールドカップ予選 | ||
16. | 1977年03月10日 | テルアビブ | イスラエル | ●0-2 | ワールドカップ予選 | ||
17. | 1977年03月26日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | 韓国 | △0-0 | ワールドカップ予選 | |
18. | 1977年04月03日 | ソウル | 韓国 | ●0-1 | ワールドカップ予選 | ||
19. | 1977年06月15日 | ソウル | 韓国 | ●1-2 | 日韓定期戦 | ||
20. | 1978年05月23日 | 愛知県 | 名古屋市瑞穂公園ラグビー場 | タイ | ○3-1 | ジャパンカップ | |
21. | 1978年07月13日 | クアラルンプール | イラク | △0-0 | ムルデカ大会 | ||
22. | 1978年07月15日 | クアラルンプール | インドネシア | ●1-2 | ムルデカ大会 | ||
23. | 1978年07月17日 | クアラルンプール | シリア | ○3-2 | ムルデカ大会 | ||
24. | 1978年07月19日 | クアラルンプール | 韓国 | ●0-4 | ムルデカ大会 | ||
25. | 1978年07月21日 | クアラルンプール | マレーシア | ●1-4 | ムルデカ大会 | ||
26. | 1978年07月23日 | クアラルンプール | シンガポール | ●1-2 | ムルデカ大会 | ||
27. | 1978年07月26日 | クアラルンプール | タイ | ○4-0 | ムルデカ大会 | ||
28. | 1978年12月15日 | バンコク | 韓国 | ●1-3 | アジア大会 | ||
29. | 1984年03月06日 | バンダルスリブガワン | ブルネイ | ○7-1 | 森孝慈 | 国際親善試合 | |
30. | 1984年04月18日 | シンガポール | マレーシア | ●1-2 | オリンピック予選 | ||
31. | 1984年04月21日 | シンガポール | イラク | ●1-2 | オリンピック予選 | ||
32. | 1984年04月26日 | シンガポール | カタール | ●1-2 | オリンピック予選 |
監督成績
[編集]年度 | 所属 | クラブ | リーグ戦 | カップ戦 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
順位 | 試合 | 勝点 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | JSL杯/ナビスコ杯 | 天皇杯 | |||
1989-90 | JSL2部 | 三菱 | 優勝 | 30 | 70 | 22 | 4 | 4 | 2回戦 | 1回戦 |
1990-91 | JSL1部 | 三菱 | 10位 | 22 | 24 | 6 | 6 | 10 | 1回戦 | 2回戦 |
1991-92 | JSL1部 | 三菱 | 11位 | 22 | 21 | 5 | 6 | 11 | 1回戦 | 準々決勝 |
1997 | 旧JFL | 川崎 | - | 22 | 46 | 16 | - | 6 | - | - |
2000 | J2 | 浦和 | - | 33 | 66 | 22 | 3 | 8 | 1回戦 | - |
2002 | 千葉県1部 | ジェフ・アマ | 優勝 | 9 | 24 | 8 | 0 | 1 | - | 予選敗退 |
2003 | 関東2部 | ジェフ・アマ | 3位 | 14 | 28 | 9 | 1 | 4 | - | 予選敗退 |
2014 | J2 | 千葉 | 3位 | 2 | 3 | 1 | 0 | 1 | - | 準決勝 |
- 1997年は22節まで。
- 2000年は36節まで指揮(37節以降は横山謙三の総監督就任に伴い指揮権返上)。
- 2014年は21節まで。
出典
[編集]- ^ a b c “斉藤 和夫”. サッカー日本代表データベース
- ^ 斉藤和夫ヘッドコーチの就任について(2009年12月9日ジェフユナイテッド市原・千葉オフィシャルHPより)
- ^ 『鈴木淳監督の契約解除について』(プレスリリース)ジェフユナイテッド市原・千葉、2014年6月23日 。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 斉藤和夫 - National-Football-Teams.com
- 斉藤和夫 - Soccerway.com
- 斉藤和夫 - FootballDatabase.eu
- 斉藤和夫 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 斉藤和夫 - Transfermarkt.comによる指導者データ
- 斉藤和夫 - J.League Data Siteによる監督データ