アマル・オシム
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名前 | ||||||
ラテン文字 | Amar Osim | |||||
キリル文字 | Амар Осим | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ボスニア・ヘルツェゴビナ | |||||
生年月日 | 1967年7月18日(57歳) | |||||
出身地 |
ユーゴスラビア サラエヴォ | |||||
身長 | 195cm | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1986-1991 | ジェリェズニチャル | 52 | (5) | |||
1991-1992 | SR Saint-Dié | |||||
1992-1996 | ASPV Strasbourg | |||||
1996-1997 | ジェリェズニチャル | 7 | (1) | |||
通算 | 59 | (6) | ||||
監督歴 | ||||||
2001-2003 | ジェリェズニチャル | |||||
2006-2007 | ジェフ千葉 | |||||
2009-2013 | ジェリェズニチャル | |||||
2014-2016 | アル・フライティヤート | |||||
2018-2021 | ジェリェズニチャル | |||||
2022- | ヴェレジュ・モスタル | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
アマル・オシム(Amar Osim、1967年7月18日 - )はボスニア・ヘルツェゴビナのサッカー選手・監督。サラエヴォ出身。父親はイビチャ・オシム。
選手としては主にボスニア紛争以前のFKジェリェズニチャルで活躍した。2001年から2003年までFKジェリェズニチャル監督。2006年から2007年までジェフユナイテッド市原・千葉監督。ジェリェズニチャルでの選手、監督、ジェフ千葉での監督のキャリアは父と同一である。
経歴
[編集]- 1967年 サラエヴォに生まれる
- 1970年 父の仕事の都合によりフランス・ストラスブールに移住
- 1972年 父の仕事の都合によりスダンに転居
- 1975年 父の仕事の都合によりヴァランシエンヌに転居
- 1976年 再びストラスブールに転居
- 1978年 サラエヴォに戻る。この時までにセルビア・クロアチア語を忘れかける。
- 1986年 FKジェリェズニチャル・サライェヴォに入団
- 1991年 ジェリェズニチャル退団。以降フランス・ドイツの3部リーグでプレー。内戦前夜のボスニアを去る。母と妹はサラエヴォに包囲される。弟と父は直前にベオグラードに移動。
- 1997年 ボスニアでのリーグ再開を受けてジェリェズニチャルに復帰
- 1998年 現役を引退。ジェリェズニチャルユース監督に就任
- 2000年 トップチーム監督に就任
- 2000年/01年 プレミイェル・リーガ優勝。
- 2001年/02年 プレミイェル・リーガ優勝。UEFAチャンピオンズリーグ予選1回戦でレフスキ・ソフィアに敗北
- 2002年/03年 ボスニア・ヘルツェゴビナ・フットボール・カップ優勝。UEFAチャンピオンズリーグ予選3回戦でニューカッスル・ユナイテッドに敗北、UEFAカップ1回戦敗退
- 2003年/04年 プレミエル・リーガでの不振(最終的には10位)によりシーズン途中にジェリェズニチャル監督を解任。サポーターから解任反対運動が起こる。
- 2004年 ジェフユナイテッド市原(当時)コーチに就任
- 2006年 日本代表監督に就任した父・イビチャの後任として、ジェフユナイテッド千葉監督に就任、Jリーグヤマサキナビスコカップ優勝(チームとしては連覇)
- 2007年 成績不振により千葉監督を解任される。
- 2008年 解任後も父・イビチャ看病のため、日本に滞在していたが6月にボスニアに帰国。ジェリェズニチャル本拠地近くでカフェを営む。12月にジェリェズニチャルより監督就任の打診があったが、クラブフロントへの不信と給与未払い未解決により就任せず。
- 2009年 6月に再度ジェリェズニチャルより監督就任の打診あり、給与の未払い問題の解決、経営陣の総入れ替えなどにより、7月上旬、同クラブ監督に二度目の就任。
- 2009/10シーズン プレミイェル・リーガ優勝。監督復帰1年目から8シーズンぶりにタイトルをもたらす。ボスニア・ヘルツェゴビナ・フットボール・カップ準優勝。
- 2010/11シーズン プレミイェル・リーガ3位。ボスニア・ヘルツェゴビナ・フットボール・カップ優勝。来期UEFAヨーロッパリーグへの出場権を得る。
- 2011/12シーズン プレミイェル・リーガ優勝。ボスニア・ヘルツェゴビナ・フットボール・カップ優勝。少ない予算とボスニアリーグの混乱にもかかわらず、チームをまとめ上げ、2冠を達成。リーグ戦・カップ戦合わせて、35試合連続負け無し(間に5連勝2回、6連勝、8連勝含む)のボスニアリーグ記録を達成。来期UEFAチャンピオンズリーグへの出場権を得る。
- 2012/13シーズン プレミイェル・リーガ優勝。ボスニア・ヘルツェゴビナ・フットボール・カップ準優勝。監督に復帰してから毎年タイトル獲得。来期UEFAチャンピオンズリーグへの出場権を得る。通算リーグ優勝5回、準優勝1回、カップ戦優勝5回、準優勝3回。
- 2013/14シーズン シーズン始めのUEFAチャンピオンズリーグ予選2回戦でFCプルゼニに敗退後、監督を退任し、クラブのスポーツディレクターに就任。
タイトル
[編集]監督時代
[編集]- FKジェリェズニチャル・サライェヴォ
- プレミイェル・リーガ:5回(2000-01、2001-02、2009-10、2011-12、2012-13)
- ボスニア・ヘルツェゴビナカップ:4回(2000-01、2002-03、2010-11、2011-12)
- ボスニア・ヘルツェゴビナ・スーパーカップ:1回(2001)
- ジェフユナイテッド市原・千葉
- 個人
- ボスニア・ヘルツェゴビナ年間最優秀コーチ:2回(2002、2012
- プレミイェル・リーガ年間最優秀監督:3回(2010、2011-12、2012-13)
- カタール・スターズリーグ:月間最優秀監督:1回(2015年2月)
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- アマル・オシム - Soccerway.com
- アマル・オシム - FootballDatabase.eu
- アマル・オシム - WorldFootball.net
- アマル・オシム - Transfermarkt.comによる選手データ
- アマル・オシム - Transfermarkt.comによる指導者データ
- アマル・オシム - J.League Data Siteによる監督データ