コンテンツにスキップ

伊藤眞雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

伊藤 眞雄(いとう まさお、1878年明治11年〉8月9日 - 1937年昭和12年〉10月8日)は、日本経済学者。兵庫県立神戸高等商業学校初代校長、元大阪商科大学教授。専門は応用経済学[1]

略歴

[編集]

新潟県刈羽郡士族・伊藤男松の長男として新潟県北蒲原郡新発田町(現 新発田市)に出生[2][3][注 1]

1897年明治30年)3月に新潟県尋常中学校を卒業[注 2]1900年(明治33年)7月に第四高等学校を卒業、1904年(明治37年)3月に京都帝国大学法科大学政治学科を卒業[3]

1904年(明治37年)4月に堺中学校嘱託教授に就任、1905年(明治38年)4月に大阪高等商業学校嘱託教授に就任、9月に同校教諭に就任[3]1906年(明治39年)3月に堺中学校を退職、1912年大正元年)9月から1915年(大正4年)2月までイギリスロンドン・スクール・オブ・エコノミクスドイツに留学[注 3]1917年(大正6年)2月に職制改正により大阪高等商業学校[注 4]教授に就任[3]、12月に同校校長事務取扱に就任[3]1918年(大正7年)4月に同校校長事務取扱を退任、1926年(大正15年)7月から1927年昭和2年)11月まで欧米を視察、1928年(昭和3年)7月に大阪商科大学予科教授を兼任[3]1929年(昭和4年)3月に大阪商科大学教授に就任[3]、同大学高等商業部教授を兼任、4月に同大学を依願退職、兵庫県立神戸高等商業学校校長事務取扱に就任[3]、8月に兵庫県立神戸高等商業学校初代校長に就任[7]

大阪高等商業学校の大学昇格のために校長の武田千代三郎と奔走した[8]。また、欧米の経済研究所を調査し、大学に昇格した際に付設される経済研究所はハーバード大学経済研究所[注 5]と同じように実務家に資料を提供するものとなった[9]

栄典・表彰

[編集]

親族

[編集]

著作物

[編集]

著書

[編集]
  • 『經濟學通論』大日本商業学会、1909年。

訳書

[編集]

主な論文

[編集]
  • 「大阪工塲分布槪論」『商業及經濟硏究』第1冊、105-139頁、市立大阪高等商業学校出版部、1916年。
  • かんなん敎授ノ人口論」『商業及經濟硏究』第2冊、208-224頁、市立大阪高等商業学校出版部、1916年。
  • 「英國住居政策ノ由來及ビ住居供給ニ關スル法制」『商業及經濟硏究』第4冊、631-658頁、市立大阪高等商業学校出版部、1916年。
  • 「英國ニ於ケル住居改修ニ關スル法制ノ發達」『商業及經濟硏究』第6冊、1020-1043頁、市立大阪高等商業学校出版部、1917年。
  • 「英國住居政策の由來及び住居改良に關する法制(上)」『大阪市商工時報』第7号、201-229頁、大阪市役所商工課、1917年。
  • 「英國ノ一九〇九年「住居」及「都市計畫」條例(一)」『商業及經濟硏究』第9冊、1469-1481頁、市立大阪高等商業学校出版部、1918年。
  • 「英國ノ一九〇九年「住居」及「都市計畫」條例(二)」『商業及經濟硏究』第10冊、1626-1638頁、市立大阪高等商業学校出版部、1918年。
  • 大阪市に於ける工塲分布」『大阪市商工時報』第13号、1-26頁、大阪市役所商工課、1918年。
  • 西成東成兩郡の工塲分布」『大阪市商工時報』第14号、21-40頁、大阪市役所商工課、1918年。
  • 「英國ノ都市計畫法(一) 」『商業及經濟硏究』第12冊、212-223頁、市立大阪高等商業学校出版部、1918年。
  • 「英國ノ都市計畫法(二、完)」『商業及經濟硏究』第15冊、664-681頁、大阪市立高等商業学校内 商業及経済研究会、1919年。
  • 「人類の環境改良と住居問題の發生に就いて」『商業及經濟硏究』第28冊、1047-1069頁、大阪市立高等商業学校内 商業及経済研究会、1922年。

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 伊藤眞雄の父の伊藤男松と同姓同名の人物が伊藤眞雄が生まれた頃に新潟県の職員として新潟県北蒲原郡新発田町(現 新発田市)に勤務している[4]
  2. ^ 1892年明治25年)8月21日に伊藤眞雄は新潟県尋常中学校の寄宿舎に入舎した[5]
  3. ^ 1913年大正2年)1月14日に伊藤眞雄は小泉信三と一緒に茶を飲んだり何かした[6]
  4. ^ 1919年(大正8年)4月1日に大阪市立高等商業学校と改称、1928年昭和3年)4月1日に大阪商科大学高等商業部と改称。
  5. ^ 1917年(大正6年)に設立されたが、世界恐慌のため1935年(昭和10年)に解散し、事業はハーバード大学経済学部に引き継がれた。

出典

[編集]
  1. ^ 新潟縣人物誌』43頁。
  2. ^ 越佐と名士』475頁。『商大論集』第73巻第1号、46頁。『青山百年史』32頁。『靑山百二十年史 I』32頁。
  3. ^ a b c d e f g h 伊藤真雄任命ノ件 - 国立公文書館デジタルアーカイブ(第4画像目から第6画像目)
  4. ^ 新潟縣官員錄』8頁。
  5. ^ 青山百年史』32頁。『靑山百二十年史 I』32頁。
  6. ^ 青年小泉信三の日記』319頁。
  7. ^ 越佐と名士』475頁。
  8. ^ 大阪商科大學六十年史』262・264・282・284・292・536頁。
  9. ^ 大阪商科大學六十年史』342頁。
  10. ^ 辭令」『官報』第1342号付録、4頁、内閣印刷局、1917年1月25日。
  11. ^ 敍任及辭令」『官報』第2307号、160頁、内閣印刷局、1934年9月7日。
  12. ^ 敍任及辭令」『官報』第2854号、236頁、内閣印刷局、1936年7月8日。
  13. ^ 田中博 - 20世紀日本人名事典 - コトバンク
  14. ^ 田中博 - デジタル版 日本人名大辞典+Plus - コトバンク
  15. ^ 田中博翁夜話 京都財界半世紀』2・201頁。

参考文献

[編集]

関連文献

[編集]