日本初の一覧
ウィキメディアの一覧記事
(日本初から転送)
日本初の一覧(にほんはつのいちらん)は、現存の是非にかかわらず、日本で(あるいは日本人による)初めてのことがらの一覧である。
- 日本固有の文化や行事は除外する。これらは各記事を参照すること。
- 日本で一番早いという意味で、日本一の一覧のサブカテゴリーである。
- 日本初でかつ現存している場合は、日本最古の一覧へも記載する。
- 世界初でもある場合は、世界初の一覧へも記載する。さらに、現存している場合は同様に世界最古の一覧へも記載する。
- 日本の女性として初めて何らかの業績を達成した人物は日本初の女性一覧に記載する。
- 日付を詳しく表す場合の決め事として、新暦導入以前(1872年以前)の日付は和暦による旧暦を主とし、丸括弧内に西暦(1581年以前はユリウス暦、1582年以降はグレゴリオ暦)を添える(※あくまで原則で、建国記念の日のように慣例がこれに当てはまらない場合もある)。同年4月(4月)は旧暦4月(新暦4月)、同年4月(4月か5月)は旧暦4月(新暦では5月の可能性もあり)を意味する。
総記
編集学問一般
編集- ノーベル賞受賞 - 1949年(昭和24年)、湯川秀樹:物理学賞。「日本人のノーベル賞受賞者」も参照。
- ウルフ賞受賞 - 1985年(昭和50年)、小平邦彦:数学部門
- イグノーベル賞受賞 - 1992年(平成4年)、資生堂横浜研究所:医学賞
- フランクリン協会のベンジャミン・フランクリン・メダル 受賞 - 1999年(平成11年)、外村彰:物理学賞
- ガードナー国際賞 - 1973年(昭和48年)、石坂公成・石坂照子
- アルバート・ラスカー医学研究賞受賞 - 1982年(昭和57年)、花房秀三郎:基礎医学研究賞
- ルイザ・グロス・ホロウィッツ賞受賞 - 1982年(昭和57年)、利根川進
- ダーウィン・メダル受賞 - 1992年(平成4年)、木村資生
- フィールズ賞受賞 - 1954年(昭和29年)、小平邦彦
- ガウス賞受賞 - 2006年(平成18年)、伊藤清
- 王立天文学会ゴールドメダル受賞 - 1936年(昭和11年)、木村栄
- プリツカー賞受賞 - 1987年(昭和62年)、丹下健三
書誌学
編集- 辞典 - 坂合部磐積による『新字』(逸書):682年(天武天皇11年)。
- 近代百科事典 - 西周による『百学連環』:1870年(明治2年)頃。
- 本格的な雑誌 - 西洋雑誌 1867年10月
- 総合雑誌 - 明六雑誌 1874年4月2日
- 週刊誌 - 團團珍聞 1877年3月24日
- 社内誌 - カネボウの『兵庫の汽笛』1904年
- 本格的なフリーペーパー - フジサンケイリビングニュース 1971年6月
ジャーナリズム
編集- 日本語の日刊新聞 - 横浜毎日新聞:1871年1月28日
- 夕刊紙 - 東京毎夕:1877年11月12日
- タブロイド紙 - 萬朝報:1892年11月1日
- 予想紙 - 中島高級競馬號:1924年
- スポーツ新聞 - 日刊スポーツ:1946年3月6日
コンピュータ関連
編集- 機械式計算機 -「自働算盤」矢頭良一が開発。四則演算ができる。(1902年)
- リレーコンピュータ -「ETL Mark I」通商産業省工業技術院電気試験所(現:産業技術総合研究所)が開発。(1952年)
- 電子式コンピュータ(真空管式)-「FUJIC」富士フイルムがレンズの設計用に開発。(1956年)
- トランジスタコンピュータ -「ETL Mark III」通産省工業技術院電気試験所が開発。(1956年)※世界3番目
- プログラミング言語 -「SIP(Symbolic Assembly Program)」森口繁一が開発。(1959年)
- オフィスコンピュータ -「NEAC 1201」日本電気製電子会計機(1961年)
- パーソナルコンピュータ -「TK-80」ただし組み立てキット。なお日本初のマイコンキットではない。(1976年)
- 日本語ワードプロセッサ専用機 -「JW-10」東芝製(1978年)
- インターネット -「JUNET」(1984年9月)
- インターネットサービスプロバイダ - インターネットイニシアティブ (IIJ) が鈴木幸一によって設立される。(1992年)
- 消費者対象インターネットサービスプロバイダ - ベッコアメ・インターネット(1994年)[1]
- CD-ROMソフトウェア -「最新科学技術用語辞典」三修社(1985年10月1日)[2]
- 検索エンジン - 千里眼(1994年12月)
- Webページ - 高エネルギー加速器研究機構のサイト(1992年9月30日)
- YouTubeの動画 - yasushinの「First time jump on wakeboard ウエークボード」と題する動画。(2005年6月26日)[3]
- コンピュータゲーム - セガの「ポントロン」とタイトーの「エレポン」(1973年)
- 家庭用TVゲーム機 - エポック社の「テレビテニス」(1975年)
- 家庭用カセット交換式TVゲーム機 - タカトクの「ビデオカセッティ・ロック」(1977年)
- コンピュータエンターテインメントレーティング機構教育・データベース指定ソフト - ゼンリンの「みんなの地図」(2006年)
宗教
編集キリスト教
編集- キリスト教 - 1549年(天文18年、フランシスコ・ザビエルが薩摩半島(鹿児島県)の坊津に上陸。
- 正教会 - 函館ハリストス正教会(函館市)1861年
- 女子修道院 - トラピスチヌ修道院(函館市)1898年
仏教
編集歴史
編集地理
編集探検
編集- 世界一周 - 津太夫、儀兵衛(儀平とも)、左平、太十郎
- 南極探検 - 白瀬矗:1912年(明治45年)1月16日から2月4日までの間、南極大陸を探検、1月28日、南緯80度5分に到達し、この地点を大和雪原と命名した。
- 南極点到達 - 南極地域観測隊第9次越冬隊極点調査旅行隊(隊長・村山雅美):1968年(昭和43年)12月19日。雪上車を使用。
- 北極点単独到達(犬ぞり) - 植村直己:1978年(昭和53年)4月29日。世界初でもある。
- 記録で確認できる、外国人による富士山登頂 - ラザフォード・オールコック(イギリス初代日本総領事)一行:万延元年7月27日(1860年9月11日)。
- マッターホルン登頂 - 麻生武治:1923年(大正12年)。
- アコンカグア登頂 - 早稲田大学山岳部遠征隊:1953年(昭和28年)1月26日。
- キリマンジャロ登頂 - 早稲田大学山岳部遠征隊:1957年(昭和32年)。
- エベレスト登頂 - 日本山岳会エベレスト登山隊(総隊長・松方三郎)、初登頂者は松浦輝夫・植村直己:1970年(昭和45年)5月11日。
- デナリ(マッキンリー)冬季単独登頂 - 植村直己:1984年(昭和59年)2月12日。(下山中に消息不明となる。)世界初でもある。
- K2登頂 - 重広恒夫・中村省爾:1977年(昭和52年)8月8日。
- アルプス三大北壁(マッターホルン北壁、アイガー北壁、グランド・ジョラス北壁)登頂 - 高田光政:1967年(昭和42年)7月22日。
- 五大陸[注 1]最高峰登頂 - 植村直己:1970年(昭和45年)8月30日。世界初でもある。
- 七大陸最高峰登頂
- 洞窟潜水探検 - 太田正道と杉村昭弘:1962年(昭和37年)3月21日と25日、秋吉台の秋芳洞。
- 動力機による航空機の飛行 - 日野熊蔵:1910年(明治43年)12月14日。
- 小型ヨット単独無寄港太平洋横断航海 - 堀江謙一:1962年(昭和37年)8月12日。(兵庫県西宮市 - サンフランシスコ)[9]
- 小型ヨット世界一周航海 - 栗原景太郎、武田治郎、白瀬京子[注 3]:1970年(昭和45年)8月22日。(マゼラン海峡を通過。)
- 小型ヨット単独無寄港世界一周航海 - 堀江謙一:1974年(昭和49年)5月4日。
法と政治
編集憲法と国のかたち
編集- 天皇制
- 大王 / 天皇 - 神武天皇
- 実在が確実視される大王 / 天皇 - 一説に第15代・応神天皇(3世紀頃)、一説に第26代・継体天皇(5世紀頃)
- 上記の有力な2説のほかにも諸説あり。詳しくは別項「天皇の一覧#初期天皇の実在性」を参照のこと。
- 女性天皇 - 推古天皇
- 「天皇」号の使用 - 一説に天武天皇の頃、他説では推古天皇の頃
- 皇族外出身の皇后 - 光明皇后
- 女性皇太子 - 安倍内親王(のちの孝謙天皇)
- 天平10年(738年)、立太子。
- 内閣
- 国会
- 華族出身の公選国会議員 - 徳川頼貞
- タレント国会議員 - 定義が曖昧なため、特定は不可能。
- 公選によるタレント国会議員 - 石田一松
- 「タレント」と呼ばれたタレント国会議員 - 藤原あき
- 1962年(昭和37年)7月の第6回参議院議員通常選挙全国区において116万票の大量得票でトップ当選した。立候補するにあたっての彼女の職業は「タレント」であり、ここに「タレント議員」という用語が生まれた。
- 動画配信タレント出身のタレント国会議員 - 東谷義和(ガーシー)
- YouTuber(暴露系)。2022年(令和4年)に行われた第26回参議院議員通常選挙に「ガーシー」名義でNHK党公認比例代表として立候補し、当選した[11]。当選したと同時にYouTubeのアカウントは「バン(※利用停止措置)」され、YouTuberでなくなっている。したがって、議員活動は元YouTuberとして行うことなった。ただし、海外にいる東谷には日本国内で詐欺容疑の逮捕状が出されており、帰国するとただちに拘束されることから、国内で議員活動を全く行うことなく任期を終える可能性まであるとの憶測を呼んでいる[12][13]。東谷は多くの問題を抱える議員であり、それについては該当記事を参照のこと。
- 作家の国会議員 - 東海散士
- 画家の国会議員 - 黒田清輝
- アスリート出身の国会議員 - 岡崎勝男
- 外交官でありながら、陸上競技選手として1924年パリオリンピックの長距離走に出場したアスリートでもあった。1949年(昭和24年)、第24回衆議院議員総選挙に民主自由党から立候補して当選し、国会議員になった。
- 格闘家出身の国会議員 - 八田一朗
- 「日本レスリング界の父」と呼ばれるレスリング競技者。1965年(昭和40年)の第7回参議院議員通常選挙に自由民主党から立候補して当選し、国会議員になった。これをもって「スポーツ議員第1号」と呼ばれることが多いが、上述した岡崎勝男のほうが16年ほど早く、また、水球の1932年ロサンゼルスオリンピックおよび1936年ベルリンオリンピックの代表選手であった阪上安太郎の1958年(昭和33年)第28回衆議院議員総選挙当選のほうが7年ほど早い。つまり、正しくは「スポーツ議員第3号」である。ただ、目を見張る実績を挙げたアスリートということでは、八田が第1号である[注 4]。
- 音楽家の国会議員 - 須藤五郎か
- 1950年(昭和25年)の第2回参議院議員通常選挙で日本共産党から全国区で立候補して当選し、国会議員になった。なお、音楽学者も含めるなら、1947年(昭和22年)当選の徳川頼貞が早い。
- 漫画家の国会議員 - 赤松健 [15][11]
- その他
- 名称に外来語を含む国民の祝日 - スポーツの日 - 「スポーツ」は英語由来語。
- 名称に片仮名表記を含む国民の祝日 - スポーツの日
- 元号 / 年号 - 大化
- 一世一元の制に基づく元号 - 明治
- 元号法(法律)に基づいて改元された元号および戦後(第二次世界大戦後)に改元された元号 - 平成
地方自治
編集- 都道府県議会 - 千葉県議会
- 議員報酬の日当制 - 福島県矢祭町
- 2008年(平成20年)3月31日以降の矢祭町議会から適用。
- 史実として確認される戸籍 - 渡来人に関する戸籍
- 全国規模の戸籍 - 庚午年籍
- 住民参加型市場公募地方債 - 愛県債(現・ぐんま県民債):2002年3月25日発行。
- 平仮名のみの地方公共団体名 - 長野県諏訪郡ちの町
- 片仮名のみの地方公共団体名 - 滋賀県高島郡マキノ町
- 平仮名のみの市 - 青森県むつ市
- 1960年(昭和35年)8月1日、大湊田名部市から改称。
- 片仮名のみの市 - 沖縄県コザ市
犯罪と刑法
編集- ハイジャック事件 - よど号ハイジャック事件:1970年(昭和45年)3月31日発生。
- 銀行強盗事件 - 赤色ギャング事件:1932年(昭和7年)10月6日発生。
- 航空機の強取等の処罰に関する法律第2条(致死罪)適用 - 全日空61便ハイジャック事件:2005年(平成17年)3月23日発生。
- 「良心の囚人」の認定 - 立川反戦ビラ配布事件の3被告:2004年(平成16年)12月16日に判決が下る。
- 史上初めて死刑された人物 - 山部大楯 [16][17]
- 古代日本の豪族。罪状は、女鳥王(めとり の ひめみこ、雌鳥皇女)が着用していた玉釧[注 5]の窃盗。『古事記』によれば、山部の罪は、女鳥王(仁徳天皇から求婚されたものの、太后・石之日売命〈『日本書紀』では磐之媛命〉の嫉妬〈cf.〉を怖れて〈古事記〉これを拒み、速総別命〈はやぶさわけ の みこ、『日本書紀』では隼別皇子〉と結婚した。ここで夫は天皇の暗殺を企てたため、夫婦は天皇から討伐命令を出された。)と隼別皇子の追討を命じられ、これを果たすも、女鳥王が着用していた玉釧を掠め盗り、妻への贈り物としたことであった。後日、新嘗祭の後の豊明節会で、山部の妻が件の玉釧を身につけて参内した際、それが女鳥王の玉釧である事実に太后が気付いたことで犯行が発覚した。山部の妻は退席させられ、改めて呼び出された夫の大楯は、犯行を非難されたうえで死刑に処されることとなった。執行年月は、『古事記』での出来事を『日本書紀』の紀年で比定した場合、仁徳天皇40年11月(推定 西暦352年12月頃)となる。執行手段は不明。ただし、『日本書紀』では、追討者は山部大楯ではなく、吉備品遅部雄鯽(きびのほんちべ の おふな)および佐伯阿俄能胡(さえき の あがのこ)となっている。また、女鳥王の手に巻いていた玉釧の窃盗行為に対しては、佐伯阿俄能胡が自白して自らの土地を献上したことで死罪を免れたことになっている。
- 検察による許可の下、参観者がいる状態で死刑を執行された人物 - 赤井景韶(あかい かげあき)[18][19]
- 史上初めて斬殺刑に処された人物 - 凡河内香賜 [21][17]
- 史上初めて絞首刑に処された人物 - 蘇我倉山田石川麻呂に連座した15人 [17]
- 15人の名前不明。死刑理由:謀反の疑いをかけられた蘇我倉山田石川麻呂の連座。乙巳の変(この変の際、蘇我倉山田石川麻呂は皇極天皇の御前で朝鮮使者の手紙を読み上げていた。その際、蘇我入鹿暗殺計画を知っていたため、冷や汗をかきまくり、蘇我入鹿に不信がられた。)後に、日本初の右大臣に就任。大化5年(649年)3月に、異母弟の蘇我日向が石川麻呂が謀反を起こそうとしていると中大兄皇子に讒言。この讒言を信じた中大兄皇子が孝徳天皇に報告した。その後、孝徳天皇は2度マヘツキミを石川麻呂のもとに派遣して事の虚実を問わせた。石川麻呂は使者に対して、直接孝徳に陳弁したいと答えたところ、孝徳天皇により派遣された蘇我日向と穂積咋が兵を率いて山田寺を包囲した。長男の興志は兵士を集め抗戦することを主張したが、結局石川麻呂は妻子8人と共に山田寺で自害した。そして、自害した蘇我倉山田石川麻呂に連座する形で、斬殺された者14人、絞首刑により執行された者が15人に上ったという。
- 史上初めて銃殺刑に処された人物 - 須田秀広
- 窃盗による死刑
- 不明(記録上は、山部大楯)(上記)
- 明治以降期間の定めのない懲役の判決を受けた女性
- 懲役など労働を伴う刑
- 入墨刑
- 警察官 - 1871年(明治4年)の東京府に設置された邏卒(らそつ):のち「巡査」に改称。「日本の警察官」も参照。
民事法
編集- 法人
- 知的所有権
- 日本人初の特許取得 - 平山甚太による "Daylight Fireworks"
- 国内初の特許取得 - 堀田瑞松(東京府の木竹彫刻家)による「堀田式錆止め塗料及びその塗法」
- 国内初の商標登録 - 平井祐喜(京都府の薬店経営者)による膏薬(こうやく)丸薬
- 国内初の意匠登録 - 8代目須永由兵衛(栃木県足利市の織物業者)による「雲井織」
裁判と手続き
編集- 初の違憲がどうかが争われた裁判 - 死刑合憲判決[要出典]
- 初の法令違憲の判決 - 尊属殺重罰規定違憲判決
- 裁判員制度による事件 - 足立区女性整体師刺殺事件
- 裁判員制度による死刑求刑事件 - 新橋耳かき店員殺害事件:判決は無期懲役。
- 裁判員制度による死刑判決事件 - 横浜港バラバラ殺人事件
- 裁判員制度による被告人が未成年の事件 - 石巻3人殺傷事件:裁判員による初の未成年への死刑求刑事件でもある。
- 裁判員制度による性犯罪事件 - 十和田市2女性強盗強姦事件
- 死刑判決が破棄・無罪となった冤罪事件 -免田事件
- 被告人が特定少年として検察に起訴され、実名を公表された事件 - 甲府市殺人放火事件:特定少年に対する初の死刑求刑・死刑判決事件でもある。
国際政治・外交
編集政治各論
編集社会
編集経済
編集- 通貨
- 官銭 - 和同開珎(708年)
- 金貨 - 開基勝宝(760年)
- 銀座 - 伏見銀座:慶長6年5月(グレゴリオ暦1601年の5月か6月)に成立。
- 紙幣 - 山田羽書(1603年)
- 記念貨幣 - 東京オリンピック記念千円硬貨と百円硬貨(1964年)
- 色付き硬貨(カラーコイン)- 第5回アジア冬季競技大会記念貨幣(2003年)
- 人物肖像が入る記念貨幣 - 坂本龍馬の千円硬貨(地方自治法60周年記念)(2010年)
- バイメタル貨
- 記念貨幣として - 地方自治法施行60周年記念五百円貨幣(2008年)
- 一般流通用貨幣として - 五百円バイカラー・クラッド貨(2021年)
- 金融・決済手段
- 銀行 - 第一国立銀行(1873年8月1日営業開始、現・みずほ銀行の前身の一つ)
- 先物取引(差金決済を含む先物取引)- 大阪の堂島米会所で行われた帳合米取引
- 損害保険会社 - 東京海上保険(1879年、現・東京海上日動火災保険)
- 生命保険会社 - 明治生命(1881年、現・明治安田生命保険)
- クレジットカード - 丸井が発行:1960年(昭和35年)。
- キャッシュカード - 住友銀行(現・三井住友銀行) 新宿支店・梅田支店が採用:1969年(昭和44年)[41]。
- 現金自動預け払い機 - 住友銀行新宿支店・梅田支店に設置:1969年
- プリペイドカード - テレホンカード:1982年(昭和57年)
- デビットカード - J-Debit:1999年(平成11年)
教育
編集→「学校に関する日本初の一覧」を参照
国防・軍事
編集- 歴史上の戦争 - 倭国大乱
- 詳細の明らかな戦争 - 磐井の乱
- 海外の国家との国家間戦争 - 不明
- 近代的国家間戦争 - 日清戦争
- 全面降伏した戦争 - 第二次世界大戦
- 史実として確認される軍神の崇拝 - タケミカヅチ(武甕槌神)信仰とフツヌシノカミ(経津主神)信仰
-
- 日本在来の軍神の崇拝 - 上に同じ。
- 渡来系の軍神の崇拝 - 一説に、八幡信仰(ヤハタノカミ〈八幡神〉の信仰)
- 秦氏が日本に帰化する際に一族の神を持ち込んだとする説[42][43]を採る場合、百済起源の神ということになる。
- 古代の朝鮮半島の特に済州島で祀られていた風と海の女神にして姥神[43]であるヨンドゥン・ハルマン[42][注 12]に起源があるとする説[42][43]でも、朝鮮半島南部に由来する神ということになる。
- ただし、宇佐神宮(宇佐八幡宮)の縁起『八幡宇佐宮御託宣集』(鎌倉時代後期に成立[44])は、古墳時代後期中葉にあたる欽明天皇32年(571年)頃に豊前国宇佐郡の厩峯(馬城嶺、御許山)に囲まれた菱形(ひしがた;菱潟[注 13])の畔に鍛冶翁(かじのおきな)の姿で示顕したと伝えており[42][45]、ここでは鍛冶神が起源ということになっている[42][43]。ほかにも、海神[42][43]、「ヤハタ」という地域の土地神[43]、幡を立てて祀る神[43]、焼畑神[42][43]などに起源を求める諸説が古くからある[42][43]。
- 飛鳥時代後期にあたる文武天皇元年(697年)、神峯山寺(大阪府高槻市所在)に日本で初めて像が安置されたと、『神峯山寺秘密縁起』に記されている。
- なお、帝釈天信仰は、毘沙門天信仰と同等の古さがあり、7世紀中ごろに[46]法隆寺に安置された玉虫厨子(※推古天皇の時代に安置されたと寺伝にあるが、研究の結果、そこまでは遡れないことが確認されている[46]。)に描かれている「施身聞偈図」(せしんもんげず)」に見られる図像[47]が、最古の遺存例である。つまり、遺存例に関しては帝釈天のほうが少なくとも半世紀ほど古い。ただ、バラモン教において最有力な英雄神で軍神でもあるインドラが護法神という役割で仏教に取り込まれた形である帝釈天は、人間の戦さに関与する「軍神」の性質を失っており、「仏教に由来する(日本の)軍神」には該当しない。毘沙門天は、帝釈天とは逆に、バラモン教においては財宝神であったのが、護法神としてインドで仏教に取り入れられた後、中央アジアから中国に伝わる過程で軍神の性質を強めていったものである。
- 将軍 - 四道将軍(大彦命、武渟川別命、吉備津彦命、丹波道主命)
- 東夷征討を任とする将軍(征夷大将軍の前身)- 巨勢麻呂
- 征夷大将軍 - 大伴弟麻呂
- 女性自衛官
- アメリカ海兵隊員 - 高梨公利(たかなし きみとし)
- 軍事関係裁判における死刑
民俗学・文化人類学
編集- 釈迦の誕生日を祝う行事 - 推古天皇14年(606年)に飛鳥寺で行われたとされる(第1回の)灌仏会か
- 花見会 - 特定不可能
- クリスマス - 天文21年12月9日(1552年12月24日)の降誕祭のミサ
- 雪祭り - 古来、行われてきた催事であり、日本初は特定不可能。
- 下記の通り、一定条件を課せば限定は可能である。なお、雪祭りは雪具供養等の祭事の側面をもつ場合があり、宗教色のない催事とは区別する。また、「雪まつり」と称し、地方公共団体等が開催する現代的なイベントだけを恣意的に過去の雪祭りと切り離して区別・定義することは辞典的でなく、ここでは避ける。
- バレンタインデー - 諸説並立して、定説なし
- 確認できている販売促進活動で最も早期に当たるものは、神戸モロゾフ製菓(現・モロゾフ)による1936年(昭和11年)2月12日起源説。詳しくは「バレンタインデー#沿革」を参照のこと。
- ハロウィン - 不明
自然科学
編集気象学
編集- 近代科学に基づく天気予報 - 1875年(明治8年)6月1日、東京気象台による[59]。
- 近代科学に基づく気象警報[60] - 暴風警報:1883年(明治16年)5月26日発表[59]。
- 高所気象台、山岳測候所 - 山階宮筑波山測候所(現・筑波山神社・筑波大学計算科学研究センター共同気象観測所)[61]:1902年(明治35年)1月1日開設(通年観測の開始)[62]。
天文学・宇宙開発
編集- 御池山クレーター - 長野県飯田市(旧・上村)の御池山にある隕石クレーター
- 反射望遠鏡 - 国友一貫斎によるグレゴリー式望遠鏡。(1820年頃)
- 屈折望遠鏡はそれ以前にヨーロッパから日本に伝わっていた。最も古い国産のものは、岩橋善兵衛の窺天鏡(1793年)が代表としてある。
- 天文台 - 天武天皇4年1月5日(ユリウス暦675年2月8日)に天皇自らが開設した占星台(占星術天文観測所)が確認可能な最古。
- プラネタリウム - 大阪市立電気科学館に設置されたドイツ製のプラネタリウム「カールツアイスII型25号機」:1937年(昭和12年)開設。アジア初でもある。
- 人工衛星 - おおすみ(1970年2月11日打ち上げ)※世界4ヶ国目
- 科学衛星 - しんせい(1971年9月28日打ち上げ)※太陽電池パネルを搭載した日本初の衛星でもある
- 静止衛星 - きく2号(1977年2月23日打ち上げ)※世界3ヶ国目
- 学生が設計・開発に携わった人工衛星 - 鯨生態観測衛星 観太くん(千葉工業大学)(2002年打ち上げ)
- 日本で初めて民生部品を使用した人工衛星でもある。
- 学生だけで設計・開発した人工衛星 - 小型人工衛星、XI-IV(東京大学)・CUTE-I(東京工業大学)(2003年打ち上げ)
- XIとCUTE-Iは日本初のCubeSatの打ち上げケースでもある。
- 惑星間探査機 - さきがけ(1985年1月8日打ち上げ)
- 月探査機 - ひてん(1990年1月24日打ち上げ)
- 火星探査機 - のぞみ(1998年7月4日打ち上げ)
- 小惑星探査機 - はやぶさ(2003年5月9日打ち上げ)
- 小型月着陸実証機 - SLIM(2023年9月7日打ち上げ)
- 宇宙飛行士(選ばれた日基準)- 毛利衛、向井千秋、土井隆雄:1985年(昭和60年)に選ばれた。
- 宇宙へ行った宇宙飛行士 - 秋山豊寛
- ロシア製宇宙船に搭乗した宇宙飛行士 - 秋山豊寛:1990年(平成2年)12月2日。ソユーズ。
- アメリカ製宇宙船に搭乗した宇宙飛行士 - 毛利衛:1992年(平成4年)9月12日。スペースシャトル。
- 宇宙遊泳(船外活動)をした宇宙飛行士 - 土井隆雄
- 宇宙船搭乗科学技術者 - 毛利衛
- スペースシャトルの搭乗科学技術者(ペイロードスペシャリスト)として1992年(平成4年)9月12日に飛行。
- 宇宙船搭乗運用技術者 - 若田光一
- 宇宙船操縦士 - 野口聡一:ソユーズTMA-17の副操縦士として2009年(平成21年)12月20日に飛行。
- 国際宇宙ステーションに長期滞在した宇宙飛行士 - 若田光一:2009年(平成21年)3月15日に飛行。
- 宇宙船船長 - 若田光一:2013年(平成25年)11月7日に飛行。第39次ISS長期滞在ミッションでISSコマンダー(司令官)就任。
- 宇宙へ行った日本の動物 - ニホンアマガエル:秋山豊寛の1990年(平成2年)12月2日の飛行に伴う。
生物学
編集- 日本の植物に学名を命名 - ヤマトグサ:1889年(明治22年)、牧野富太郎が新種として学術誌に記載(命名)。
- 日本領内での恐竜化石の発見 - ニッポノサウルス・サハリネンシス
- 日本領内での首長竜化石の発見、新種首長竜化石の発見 - フタバサウルス・スズキイ(フタバスズキリュウ)
- 恐竜の足跡化石の発見 - 1985年(昭和60年)4月3日、群馬県多野郡中里村(現・神流町の恐竜王国中里)
- 近代的動物園 - 恩賜上野動物園(1882年)
- 水族館 - 第2回水産博覧会での和楽園水族館(神戸市)(1897年)
- 順路のない水族館 - 鳥羽水族館:世界初でもある
- 寄生虫に特化した博物館 - 目黒寄生虫館:1953年(昭和28年)開設。日本初にして唯一。世界初でもある(2017年12月に韓国ソウルの江西区にて世界で2つ目の寄生虫博物館が開設されている)。
- 臨海実験所 - 江ノ島臨海実験所 - 1877年(明治10年)7月17日、エドワード・モースが東洋初の臨海実験所を江の島に開設し、海洋生物の研究を行った。当地は海洋生物学発祥の地。
医学
編集- 公共医療施設の設営 - 記録上の最古は、天平2年(730年)の施薬院
- 西洋医学の医師 - 免許制の導入は1874年(明治7年)。
- 全身麻酔による手術 - 文化元年(1804年)、華岡青洲による
- 史実と確認できるものでは世界初。
- 種痘術 - 文政7年(1824年)、中川五郎治による
- 性転換者 - 1950年(昭和25年)から1951年(昭和26年)にかけて日本国内で数回の手術を受けた、永井明子 (MTF)
- 臓器移植
- 授精・出産
- エイズ患者の認定 - 1985年(昭和60年)3月21日
- 献体者 - 1869年(明治2年)8月13日、江戸の遊女だった美幾(前日に34歳で死去)。献体希望者としての第1号は、洋学者・軍学者の宇都宮三郎ともいわれている(1868年(明治元年)に希望したが、その後病から回復。1902年に67歳で死去したが、解剖すら行われなかった)。
- 医学書 - 安倍真直、出雲広貞らにより、808年(大同3年)に『大同類聚方』が編纂された。なお、799年(延暦18年)に和気広世により編纂されたといわれる『薬経太素』が日本初の医学書であるとする説[注 20]がある。
- 製薬会社 - 三光丸(1319年以前) ※創業としての日本初であり、会社としての設立はこの限りではない。
工学・技術
編集建築
編集- 西洋式城郭 - 戸切地陣屋(ヴォーバン方式)(北斗市)1855年
- 西洋式ホテル - 横浜ホテル 1860年
- 10階以上の建物 - 凌雲閣(12階建て、東京都浅草)1890年
- なお、大阪茶屋町にも同名の凌雲閣が1889年に開業しているが、こちらは9階建てである。
- 西洋式劇場(本格的なもの)- 帝国劇場(東京都千代田区)1911年
- コンクリート造り寺院 - 真宗大谷派函館別院(函館市)1915年
- 駅ビル - 阪急電鉄梅田駅の阪急本社ビルディング(大阪市)1920年[64][65]
- 絶対高さ制限(住居地以外31 m)を超える建物 - 第一生命ビル(軒高40.75 m、最高高さ41.23 m、日本初の12階建てビル、大阪市北区梅田)1953年5月20日[66][67][68]
- 官民合同ビル - 三重会館(津市)1956年[69]
- 億ション(高級マンション)- コープオリンピア(東京都渋谷区神宮前)1965年
- 超高層建築物(高さ100 m以上)- 霞が関ビルディング(東京都千代田区)1968年
- ペンション - 綿貫ペンション(群馬県草津町)1969年
- ツインタワー(本格的なもの)- TWIN21(大阪市)1986年
- 連結超高層ビル - 梅田スカイビル(大阪市)1993年
- スーパートール(高層ビル・都市居住協議会=CTBUHの基準による高さ300 m以上の超高層建築物)- あべのハルカス(大阪市)2014年
- 電動式エレベーター - 浅草の凌雲閣(1890年11月10日)
- 安全面に問題があり、すぐに撤去された。11月10日はエレベータの日とされる。
- エスカレーター - 大正博覧会で設置(1914年)
塔
編集土木
編集- 本格的な中国風都城 - 藤原京(橿原市)694年
- ニュータウン - 千里ニュータウン(豊中市・吹田市)1962年初入居
- サイフォン - 馬頭サイフォン(佐賀県)1611年
- ガス灯 - 仙巌園の石灯籠(鹿児島市)(1857年)
- 動く歩道 - 阪急梅田駅ムービングウォーク(1967年)
- 公害事件 - 足尾鉱毒事件:明治時代初期。
- ダムの撤去-熊本県営荒瀬ダム(河川法で定義された高さ15mでは初となる。2018年3月に撤去作業を完了)
- 重力式コンクリートダム - 布引五本松ダム(布引貯水池)(神戸市)1900年
- バットレスダム - 笹流ダム(函館市)1923年
電気・電子工学
編集- クォーツ腕時計 - セイコー「アストロン」(1969年)
- 国産電子顕微鏡 - 菅田榮治による倍率一万倍のもの。(1940年)
- サイクロトロン - 理化学研究所の小型サイクロトロン(1937年)
- シンクロトロン - 東京大学原子核研究所の7億eV電子シンクロトロン(1961年)
- 発・変電工学
- 火力発電所 - 東京電燈により、日本橋茅場町に設置。(1887年)
- 水力発電所 - 三居沢発電所(1888年)※世界2ヶ国目
- 宮城紡績所の自家用水力発電所。
- 地熱発電所 -(別府市)1925年
- 風力発電所 - 山田風車(稚内市)1938年
- 原子力発電所 - 実験炉JPDR 1963年10月26日初発電
- 商用原子力発電所 - 東海発電所(1966年7月25日稼働)
- イギリスから輸入された出力16万6千キロワットのコールダーホール型。
- 太陽光発電所 - 松山太陽光発電所(1996年3月21日実証研究として稼動)
- 洋上風力発電 - 風海鳥(かざみどり)(せたな町)2004年4月1日本格稼動
- 電力会社 - 東京電燈(1883年、現・東京電力ホールディングス)
- 民間シンクタンク - 電力中央研究所(1951年)
- 照明工学
- アーク灯 - 工部大学校内に設置(1878年3月25日)
- 点灯された3月25日は「電気記念日」とされる。
- 蛍光灯 - 法隆寺金堂に20W昼光色蛍光灯を136灯設置[70](1940年8月27日)
- イルミネーション - 第5回内国勧業博覧会での建物のライトアップ(1903年)
- ラジオ・音響
- 国産蓄音機 - ニッポノホン(1910年)
- 国産ラジオ受信機(鉱石ラジオ)- 早川電機工業(現シャープ)(1925年)
- 国産テレビ - 高柳健次郎がブラウン管テレビに実験で文字を表示 (1926年)
- 国産テープレコーダー - 東京通信工業(現・ソニー)(1950年)
- 国産ビデオテープレコーダ - ソニー(1958年)
- 民生用VTR一体型ビデオカメラ - ソニー「BMC-100」(1983年)
- CDプレーヤー - 1982年に発売
- DVDプレーヤー - 東芝製(1996年)
- DVDレコーダー - パイオニア「DVR-1000」(1999年)
- BDレコーダー - ソニー「BDZ-S77」(2003年)
- 通信工学
- 通信機器メーカー - 明工舎(現沖電気工業)(1881年)
- (無線電話の)アマチュア無線局 - 浜地常康に無線電話「東京1番・2番」を許可[71](1922年)
- 標準電波 - 船橋の東京海軍無線電信所 JJCが毎月第一金曜日の13:00より長波で定時発射開始(1923年8月3日)
- 家庭電化製品
- 冷蔵庫 - 三井物産がアメリカから輸入(1923年)
- 国産冷蔵庫 - 日立製作所の試作品(1927年)
- 国産白物家電 - 芝浦製作所(1930年 - 1933年。電気炊飯器のみ1955年)
- 電子レンジ - 東芝が1959年に開発。
機械工学
編集- 腕時計 - 服部時計店(現・セイコーホールディングス)が1913年に製造販売した「ローレル」。
- ロボット - 學天則:1928年、西村真琴(大阪在住の生物学者)が制作。
- 二足歩行ロボット - WAP-1:1969年、加藤一郎(早稲田大学のロボット研究者)が開発。世界初でもある。
精密工学・光学
編集- 国産顕微鏡(本格的なもの)- M・KATERA(エム・カテラ)松本福松・加藤嘉吉・神藤新吉・寺田新太郎(1914年)
- 最も古いと考えられている国産顕微鏡は江戸時代のものがある。木製フレームのカルペッパー型顕微鏡などが現存している。
- カメラ - ダゲレオタイプカメラ(1848年)
- 写真 - 島津斉彬の銀板写真(1857年)
- 国産の市販カメラ - チェリー手堤用暗函 小西本店(のちコニカを経て現コニカミノルタ)(1903年)
- 国産印画紙 - 同じく小西本店製(1903年)
- 国産カラーフィルム -「さくら天然色フヰルム」(1940年)
- 国産一眼レフカメラ - 旭光学(現リコーイメージング)が35mm一眼レフカメラを発売(1952年)
- デジタルカメラ -「FUJIX DS-1P」富士写真フイルム(現富士フイルム)(1988年)※市販用としては世界初でもある
産業
編集第1次産業
編集→「日本の農業および漁業における発祥地の一覧」を参照
- BSE牛 - 2001年(平成13年)9月21日に千葉県で確認された個体:9月10日に疑陽性と農林水産省が発表し、のちに確定した。
- 水産物の商標登録 - 佐賀関町漁業協同組合(現・大分県漁業協同組合佐賀関支店)による「関あじ」と「関さば」。1996年(平成8年)10月、同時に地域団体商標登録された。
- 国産タバコ - 『スター』『チェリー(初代)』『大和』『敷島』『朝日』『山桜』の6銘柄。
- 1904年(明治37年)6月29日発売開始。
- 国産フィルター付きタバコ - 『ホープ』
- 1957年(昭和32年)7月1日発売開始。
- 通信販売 - 「農学雑誌」におけるトウモロコシの種:1876年(明治9年)。
採鉱・冶金
編集- 金鉱山 - 天平時代の陸奥国小田郡(現・宮城県遠田郡)の金山
- 近代高炉 - 大島高任らが設計・操業の大橋高炉(釜石市)(1857年11月26日火入れ、12月1日初出銑)
- 12月1日は鉄の記念日とされる。
- 官営製鉄所 - 釜石製鉄所(1880年9月13日操業を開始するが98日目で停止、1883年廃止が決定)
- 民間製鉄所 - 釜石鉱山田中製鐵所(1887年7月設立、日本の近代製鉄業始まる)
- 銑鋼一貫製鉄所 - 八幡製鐵所(1901年操業開始[注 21])
インフラ
編集製造業
編集- 石油化学コンビナート -(四日市市)1963年
- 本格的な器械製糸工場 - 富岡製糸場(富岡市)(1872年操業開始)
- 国産の鉄砲 - 八板金兵衛清定が作った火縄銃(1543年)
- ストーブ -「カッヘル」(1856年)
- 化学繊維 - ナイロン6 東洋レーヨン(現東レ)(1941年)
小売業
編集- 朱座 - 蜷川親世の『蜷川親俊日記』「天文十二年三月二十六日条」に記された朱座
- デパート(百貨店)- 三越(現・日本橋三越本店)(東京・日本橋)1904年[75]
- 公設市場 - 日用品供給場(大阪市)1918年
- 中央卸売市場 - 京都市中央卸売市場(京都市)1927年
- スーパーマーケット - 紀ノ国屋(東京・青山)1953年
- 本格的なショッピングセンター(ショッピングモール)- 玉川高島屋ショッピングセンター 1969年
- コンビニエンスストア - 諸説あり
- アウトレットモール - アウトレットモール・リズム(埼玉県大井町) 1993年 ※2011年に閉店
運輸・交通
編集→「交通に関する日本初の一覧」も参照
- バスガイド - 東京周遊バス:1925年(大正14年)12月に始まる。「バスガイド#歴史」も参照。
- 航空機乗務員
- ガソリンスタンド - スタンダード・オイル・ニューヨーク社(現・エクソンモービル)が横浜に設置。
- ビジブル式ガソリンスタンド - 奥田友三郎商店:1919年(大正8年)。
- セルフ式ガソリンスタンド - 鈴与商事セルフ24:1998年(平成10年)。
- 宅配便 - 特別小口扱:1927年(昭和2年)。
通信
編集- 旗振り通信 - 江戸時代中期
- 郵便
- 電信
- 電信機 - 佐久間象山による指針型電信機(1849年)
- 電信サービス(有線)- 公衆電報が東京-横浜間で開始された。(1869年)
- 国際電信 - 長崎居留地(長崎市)(1871年8月12日)
- 無線電信機 - 松代松之助が無線通信の実験に成功(1897年)
- 電話
- 電話 - ベル式電話機2台を金子堅太郎と伊沢修二がアメリカから輸入(1877年)
- 電話サービス - 東京〜横浜間(1890年)
- 1889年に一年間、東京〜熱海間で商用実験。
- 公衆電話 - 上野駅と新橋駅に設置(1900年)
- 電話ボックス - 京橋に設置(1901年)
- 携帯電話 - 日本万国博覧会に日本電信電話公社が出展(1970年)
- デジタル携帯電話 - NTTドコモ「デジタル・ムーバ」(1993年)
- スマートフォン - 諸説あり
- カメラ付き携帯電話 - J-PHONE(現ソフトバンク)向け端末「J-SH04」シャープ製(2000年)
- テレビチューナー内蔵携帯電話 - ボーダフォン(現ソフトバンク)向け端末「V601N」NEC製(2003年)
- ラジオチューナー内蔵携帯電話 - au向け端末「A5503SA」三洋電機製(2003年)
- ハードディスク搭載携帯電話 - au向け端末「W41T」東芝製(2006年)
観光
編集- 世界遺産 - 法隆寺地域の仏教建造物、姫路城、屋久島、白神山地(1993年12月)
- 国立公園 - 瀬戸内海国立公園、雲仙国立公園(現・雲仙天草国立公園)、霧島国立公園(現・霧島屋久国立公園)(1934年3月16日)
- 西洋式運動公園 - 外国人居留遊園(現・東遊園地)(神戸市)(1868年)
- 居留地の外国人専用であった。
- 営造物公園 - 公園#日本における近現代公園史より、東京の上野公園、浅草公園、芝公園、飛鳥山公園、深川公園の5公園が、「明治6年太政官布告第16号」により公園として初めて定められた(1873年3月25日)。
- 遊園地 - 浅草花やしき(1853年)
- 屋上遊園地 - 松屋浅草の屋上にあったプレイランド(1931年)
- テーマパーク - 博物館明治村[77](1965年)
- 屋内型テーマパーク - サンリオピューロランド[78](1990年)
- メリーゴーラウンド - 第5回内国勧業博覧会(大阪)(1903年)
- 観覧車 - 日露戦争戦捷紀念博覧会(大阪市)(1906年5月)
- コースター - 宝塚新温泉のウェーブコースター(1952年)
- ジェットコースター - 後楽園ゆうえんちのジェットコースター(1955年)
- 宙返りするジェットコースター - 谷津遊園のコークスクリュー(1977年)
- 流れるプール - 豊島園(東京都練馬区)(1965年)現在は閉園。
- ウォータースライダー - 船橋ヘルスセンター(1963年)
放送
編集放送局・放送免許
編集- 放送局 - 社団法人東京放送局(現・日本放送協会のNHKラジオ第1放送)
- 民間放送ラジオ局の本放送 - 中部日本放送(現・CBCラジオ)[81]
- 民間放送テレビ局 - 日本テレビ 1953年8月28日開局[82]。
- 民間放送ラジオ・テレビ兼営局 - ラジオ東京(現・TBSホールディングス)1955年4月1日テレビ放送(現・TBSテレビ)開始[83]。
- コミュニティ放送 - FMいるか:1992年12月24日。
- 国内向け外国語放送(米軍放送を除く)のFM放送局 - FM COCOLO:1995年10月16日[84]。
- 放送持株会社 - フジ・メディア・ホールディングス:2008年10月1日のフジテレビジョン分社化に伴い移行。
- 閉局など
ラジオ
編集ラジオ放送に関するインフラ・技術
編集- 中継放送 - 名古屋放送局(のちのNHK名古屋放送局)による天長節祝賀式中継(会場・第3師団練兵場):1925年10月31日[86]
- 中継ネットワーク(ラインネット) - NHK仙台-東京-名古屋-大阪-広島-熊本の各局:1928年11月5日[87]
- 収録放送 - 「国際聯盟会議の経過」(アセテート盤による):1932年11月22日[88]
- 短波放送 - NHK短波同時放送(のちのNHKワールド・ラジオ日本):1934年6月1日
- 有線放送 - 新潟県東頸城郡牧村(現・上越市)にて :1937年
- FM放送局 - NHK-FM(1957年12月24日)[89]
- サテライトスタジオ - ニッポン放送:1962年11月、小田急百貨店新宿店内に開設。
- 衛星放送によるラジオ放送 - セント・ギガ:1991年3月30日開局。2003年3月30日に閉局。
ラジオ放送の形式
編集- 立体放送 - NHK東京第1・第2放送:1952年12月20日開始。2つの受信機を利用した一種のステレオ放送。
- AMステレオ放送 - TBSラジオ:1962年7月21日実験放送開始。1964年まで実施。
- CS-PCM音声放送 - ピーシーエムジャパン:1992年6月15日
- 文字多重放送 - TOKYO FM「見えるラジオ」:1994年10月1日開始。
- FM補完中継局 - 北日本放送新川FM中継局:1991年9月26日開局。
ラジオ番組のジャンル
編集- 臨時ニュース - :1925年3月5日(仮放送5日目)。深川区(江東区の前身)での火災発生を伝えたもの[79]。
- 演芸番組 - 5代目柳亭左楽の落語『女のりんき』:1925年3月2日(仮放送2日目)[79]
- スポーツ中継番組 - 第13回全国中等学校優勝野球大会:1927年8月13日 - 8月20日[90]
- 宗教番組 - NHKラジオ第1放送「聖典講義」:1934年3月1日開始[91]。
- 政見放送 - NHKラジオ第1放送:1946年4月(第22回衆議院議員総選挙)[92]
- 深夜放送 - ラジオ東京(TBSラジオ)『イングリッシュ・アワー』:1952年4月1日開始。
- リクエスト音楽番組
- ワイド番組 - ラジオ東京(TBSラジオ)『東京ダイヤル』:1957年4月1日開始[95]。
- 道路交通情報 - 文化放送『交通ニュース』:1957年開始[96]。
- ラジオショッピング - 文化放送ラジオショッピング:1973年開始[97]。
テレビ
編集テレビ放送に関するインフラ・技術
編集- テレビ実験放送 - NHK放送技術研究所が1940年4月13日より開始
- テレビ放送 - NHKが1953年2月1日に開始[98][82]
- テレビの収録放送 - キネコ形式による歌舞伎の収録番組(タイトル不明):1954年10月[99]
- ケーブルテレビ
- 直接受信衛星放送 - NHKが1984年5月12日に試験放送開始。
- 放送衛星を利用した衛星放送(BS放送)本放送 - NHKが1989年6月1日に開始。
- 通信衛星を利用した衛星放送(CS放送) - スカイポート:1992年4月開始[102]。
- 映像技術
- スクリーン・プロセス - 『NTV劇場 私は約束を守った』[103]
- 字幕
- 時刻表示 - 日本テレビ、1956年8月19日[104]
- 音楽番組における歌詞字幕の使用 -『夜のヒットスタジオ』のサザンオールスターズ
- テレビジョン放映されたCG - みんなのうた『算数チャチャチャ』
- CG合成が使用された実写番組 -『少年探偵団 (BD7)』
- 本編にCGが使われたアニメ -『タイムボカン』
- モザイク処理が使用された番組 -『象印クイズ ヒントでピント』
- 3D映像が使用された番組 -『オズの魔法使い』
- デジタル放送における3D放送は『3D立体革命』
- 地上デジタル放送では『驚きの嵐!世紀の実験 学者も予測不可能SP&奇跡を呼ぶ実験的生ライブ!!』
- 番組セット
テレビ放送の形式
編集- カラーテレビ実験放送 - 1956年12月より開始
- カラーテレビ本放送 - 1960年9月10日に開始
- UHFテレビ局 - NHK UHFテレビ実験局
- 音声多重放送 - 日本テレビが1978年9月28日にステレオ放送を開始[106]。
- 文字多重放送 - NHKと日本テレビが1985年11月29日に開始[107]。
- ハイビジョン実験放送 - 1989年6月1日に開始。
- ハイビジョン本放送 - 2000年12月1日に開始。
- データ放送 - セント・ギガ衛星データ放送 スーパーファミコンアワー:1995年4月23日開始。
- デジタルテレビ放送 - パーフェクTV!(現・スカパー!プレミアムサービス):1996年9月30日開始。
テレビ番組のジャンル
編集- テレビのスポーツ中継番組 - 後楽園球場でのパシフィック・リーグ 大映対近鉄、毎日対東急:1951年(実験放送)
- 本放送 - 大相撲夏場所:1953年5月
- 国産テレビドラマ - 『夕餉前』:1940年放送(実験放送)。
- 国産テレビアニメ - 『漫画ニュース』:1957年放送。
- 国産の連続テレビアニメ -『インスタント・ヒストリー』:1962年放送。
- 国産カラーテレビアニメ - 『もぐらのアバンチュール』:1958年放送。カラー実験放送。
- 著名人の結婚披露宴生中継 - 三浦友和・山口百恵
- テレビの政見放送 - 1969年9月(1969年徳島県知事選挙)[108]
- 報道番組
- 本格的キャスターニュースショー -『JNNニュースコープ』[109]
- ローカルワイドニュース番組 -『RABニュースレーダー』[110][111]
- 24時間ニュース専門チャンネル - NNN24(現・日テレNEWS24)
- ワイドショー -『木島則夫モーニングショー』[112][113]「モーニングショー」は司会を交代しながら続いている、ANN系の最長寿番組。
- テレビショッピング -『東京ホームジョッキー』
- 長時間特別番組 -『宮城まり子のチャリティーテレソン』[114]
スポンサー・CM
編集芸術・文化
編集ファッション
編集- 扇(扇子)- 奈良時代後期の発掘品があり、折り畳み出来る扇子は、紙不足の難に窮したが故の日本の発明品である。 日本最古扇司は上京区。
- 西洋理髪店 - ヘアー・ドレッシング・アンド・シェイビング・サロン:文久3年/元治元年(1864年)、ファーガソンが横浜ホテルで開業。
- テーラー -「(金)柴田音吉洋服店」(神戸市):1883年、日本人最初のテーラーである柴田音吉が元町で開業[2]。
- パーマネントウエーブ -「オリエンタルホテル理髪部」(神戸市):1923年(大正12年)。
食文化
編集→「日本の食文化の発祥地一覧」を参照
スポーツ
編集→「スポーツ」および「スポーツに関する日本初の一覧」も参照
音楽
編集- オペラ歌手 - 高島一恵
- レコードへの録音 - 川上音二郎の『オッペケペー節』1900年
- 音楽用CDのアーティスト - ビリー・ジョエルと大瀧詠一 1982年
- 着うた - CHEMISTRYの「My Gift to You」2002年12月
- 五線譜による音楽教科書 - 小学唱歌集(1879年(明治12年) - 1884年(明治17年)出版)
- カラオケ機 - 井上大佑が開発した「エイトジューク」(1971年) - 世界初でもある。
ヒットチャート
編集日本(日本レコード協会)におけるミリオンセラー認定は1989年1月21日以降に達成されたものに限られている(ゴールドディスクを参照)。
- ミリオンセラーのアルバム - 井上陽水の『氷の世界』1974年[117]
- 10代での連続アルバム(3作連続)ミリオンセラー達成 - 宇多田ヒカル
- 着うたダウンロード件数100万件を突破した楽曲 - 大塚愛の『さくらんぼ』2004年7月19日[118]
- 着うたフルダウンロード件数100万件を突破した楽曲 - GReeeeNの『愛唄』2007年8月3日[119]
- 音楽チャート主要6部門完全制覇アーティスト - ORANGE RANGE
- シングル、アルバム、配信、カラオケ、有線、音楽DVDの6冠[120]。
- YouTubeでの再生数1億回を突破したミュージック・ビデオ - AKB48の「ヘビーローテーション」2014年2月23日[121]
- YouTubeでの再生数1億回を突破した1990年代発表の楽曲 - スピッツの「ロビンソン」2019年9月2日[122]
- YouTubeでの再生数1億回を突破したカバー楽曲(歌ってみた動画) - 天月-あまつき-の「小さな恋のうた」2021年3月22日[123][124]
- YouTubeの週間再生回数ランキング1位を獲得した楽曲 - ピコ太郎の「ペンパイナッポーアッポーペン」 2016年[125]
- 2016年9月30日〜10月6日付の「YouTube Music Global Top 100」で1位を獲得[126]
- Spotifyでの再生数1億回を突破したアーティスト - ONE OK ROCK 2017年5月11日発表[127]
- Spotifyでの再生数10億回を突破したアーティスト - ONE OK ROCK 2021年8月3日発表[128]
- Apple Musicの全世界デイリーチャート「トップ100:グローバル」で1位を獲得した楽曲 - Adoの「新時代」2022年9月1日発表[129]
- アメリカ音楽ヒットチャート1位を獲得したシングル - 坂本九の『上を向いて歩こう』1963年
- ビルボード誌(Billboard Hot 100)、キャッシュボックス誌ともに1位を獲得。
- アメリカでミリオンセラーを達成したシングル - 坂本九の『上を向いて歩こう』1964年
- アメリカでビルボードのBillboard 200で100位以内にランクインしたアルバム - ソロシンガーでは坂本九の『Sukiyaki And Other Japanese Hits』1963年、最高14位。グループではYMOの『Yellow Magic Orchestra』1980年、最高81位。
- アメリカでビルボードのBillboard 200で10位以内にランクインしたアルバム - Jojiの『Ballads 1』2018年、最高3位
- ゴールドディスクの認定取り消し - 交響曲第1番 (佐村河内守) 2014年2月8日発表。ゴーストライター問題が発覚し、発売元から辞退申し出があったため。
- 日本でストリーミング・サービスの再生数1億回を突破した楽曲 - 洋楽ではエド・シーランの「シェイプ・オブ・ユー」2019年2月7日発表[130]。日本の楽曲(Billboard Japan調べ)ではあいみょんの「マリーゴールド」2019年6月3日付[131]。
- 日本でストリーミング・サービスの再生数1億回を突破した2000年代発表の楽曲(Billboard Japan調べ) - Mr.Childrenの「HANABI」[132]
- 日本でストリーミング・サービスの再生数10億回を突破した楽曲(Billboard Japan調べ) - YOASOBIの「夜に駆ける」[133]
コンクール
編集- 国際コンクール参加および入選 - 井上園子(1933年):ウィーン国際音楽コンクールピアノ部門に入選。
- 国際コンクール受賞者 - 原智恵子(1937年):ショパン国際ピアノコンクール入選[134]・特別聴衆賞。
- 国際コンクール最高位獲得 - 田中希代子(1952年)
- ジュネーヴ国際音楽コンクールピアノ部門に1位無しの2位特賞。日本初の国際コンクール正規入賞でもある。
- 国際コンクール優勝 - 高野耀子(1954年):ヴィオッティ国際音楽コンクールピアノ部門。
作曲・演奏
編集- オーケストラ - 宮内省雅楽課の有志により創設(1879年)
- 民間オーケストラ - 東京フィルハーモニーの会管弦楽部(1915年):東京フィルハーモニーの会は1909年に設立。
- パーマネントオーケストラ - 新交響楽団(現・NHK交響楽団)(1928年):一時的な公演ではなく、継続的に活動を行った日本で最初のオーケストラ。
- 自治体直営オーケストラ - 京都市交響楽団 1956年
- 吹奏楽団 - 薩摩藩軍楽伝習隊 1869年
- 民間吹奏楽団 - 東京市中音楽会 1888年
- ピアニスト - 久野久
- プロバイオリニスト - 幸田延 1895年
- クラシック器楽曲を作曲 - 幸田延 1897年[135]
- ダンスバンド - ハタノ・オーケストラ 1915年
- プロジャズバンド - ラッフィング・スター・ジャズバンド(神戸市)1925年
- 電子音楽 - 黛敏郎の『素数の比系列による正弦波の音楽』1955年
- 船上ライブ - 地洋丸にて 1912年
- スタジアムライブを行ったアーティスト - 後楽園球場のザ・タイガース 1968年8月12日
- ドーム球場ライブを行ったアーティスト - 東京ドームのTHE ALFEE 1988年3月19日のオープニングイベントにて演奏。
- ドーム球場でソロライブを行ったアーティスト - 東京ドームの美空ひばり 1988年4月11日
- 5大ドームツアー - SMAP
- 弾き語りドームツアー - ゆず 2019年
- 路上ライブ - 新宿西口フォークゲリラ 1969年
- 滑走路ライブを行ったアーティスト - レミオロメン 2006年
- 武道館ライブを行ったソロアーティスト - 西城秀樹 1975年
- 武道館ライブを達成したソロロックアーティスト - 矢沢永吉 1977年
- 武道館ライブを達成したソロラッパー - KREVA 2006年
- 引退興行 - ザ・ピーナッツ 1975年(さよなら公演記事参照)
- 野外フェスティバル - 全日本フォークジャンボリー 1969年
- 年越しコンサート - サザンオールスターズ 1984年
- 同一アーティストグループによる2会場同時併催ライブ[136] - 乃木坂46 2018年7月 :明治神宮野球場と秩父宮ラグビー場での同時開催
- 常設の専用劇場船による公演[137] - STU48 2019年4月16日
映画
編集- 映画上映 - 神戸市の神港倶楽部でキネトスコープ上映、1896年11月25日
- 活動弁士 - 上田布袋軒、1896年11月25日
- 映画興行 - 大阪市難波の南地演舞場、入場料一般席10銭、特別席20銭、フランスのリュミエール兄弟製作作品、1897年2月15日
- 国産映画 - ドキュメンタリー短篇映画『大坂道頓堀の図』『大坂舞子の踊り』『芸者の手踊り』、会場歌舞伎座、1899年6月20日
- 劇映画監督 - 現代劇:駒田好洋・柴田常吉『ピストル強盗清水定吉』、1899年
- 脚本家 - ≪未編集≫
- 映画俳優 - 横山運平『ピストル強盗清水定吉』、1899年
- 映画専門館 - 電気館 - 浅草公園六区、吉沢商店、1903年
- 鉄骨・鉄筋コンクリート建築の映画館 - 大阪松竹座(1994年取壊、当時の建物は現存せず正面だけ保存)、設計木村得三郎、施工大林組、1923年5月17日開場。
- 撮影所 - 吉沢商店目黒行人坂撮影所、1908年
- ロケーション撮影 - 千葉吉蔵撮影『己が罪』、片瀬・江ノ島、吉沢商店、1908年:当時は「出写し」と呼ばれた[140]
- キネマカラー映画 -『義経千本桜』、監督吉野二郎、天然色活動写真、1914年
- 国産アニメーション映画 - 短篇映画『凸坊新畫帖 芋助猪狩の巻』、監督下川凹天、天然色活動写真、1917年
- トーキーアニメーション映画 - 中編映画『力と女の世の中』、監督政岡憲三、松竹蒲田撮影所、1933年
- アダルトアニメ - 短篇映画『すヾみ舟』、監督木村白山、1932年
- 成人指定アダルトアニメ - 長編映画『㊙劇画 浮世絵千一夜』、監督レオ・ニシムラ、レオ・プロダクション、1969年
- 特撮映画 -『豪傑児雷也』、監督牧野省三、1921年
- トーキー上映 - アメリカ映画『進軍』『南国の唄』、新宿武蔵野館、1929年5月9日
- ディスク式トーキー映画 -『戻橋』、監督マキノ正博、1929年7月5日公開
- 字幕入り外国語映画 -『モロッコ』、監督ジョセフ・フォン・スタンバーグ、製作・本国公開 1930年、日本公開 1931年2月[141]
- トーキー映画 -『マダムと女房』、監督五所平之助、1931年
- 短篇カラー映画 -『千人針』、監督三枝源次郎、大日本天然色映画、1937年 - 戦後不完全欠損版が、ロシアで発見された。
- 国際合作映画
- 日独合作映画 -『新しき土』、監督アーノルド・ファンク、1937年
- 日米合作映画 -『東京ファイル212』、1951年
- 潜水艦映画 -『潜水艦1号』、監督伊賀山正徳、1941年
- 国産長篇アニメーション映画 -『桃太郎の海鷲』、監督瀬尾光世、1943年
- 長篇カラー映画 - ドキュメンタリー映画『寺子屋』、監督マキノ正博、1950年
- シネマスコープ映画 -『鳳城の花嫁』、監督松田定次、東映、1957年4月2日
- 長篇カラーアニメーション映画 -『白蛇伝』、1958年
- 70mm映画 -『釈迦』、監督三隅研次、大映、1961年
- 3D映画 -『侍戦隊シンケンジャー 銀幕版 天下分け目の戦』、東映、2009年8月8日公開
- 本格的シネマコンプレックス - ワーナー・マイカル・シネマズ海老名、1993年
- 本格的フィルム・コミッション - 大阪ロケーション・サービス協議会、2000年2月23日設立
- 海外コンクール受賞 -『五人の斥候兵』、1938年ヴェネツィア国際映画祭イタリア民衆文化大臣賞受賞
- 海外コンクール最高賞獲得 -『羅生門』、1951年ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞受賞
- アカデミー賞 →「アカデミー賞 § 日本との関係」を参照
- 美術賞ノミネート - 『巨星ジーグフェルド』エディ今津 1936年度(第9回)
- 名誉賞(現在の外国語映画賞)受賞 - 『羅生門』(黒澤明監督作) 1951年度(第24回)
- 衣装デザイン賞受賞 - 『地獄門』(衣笠貞之助監督作)和田三造 1954年度(第27回)
- 助演女優賞受賞 - ナンシー梅木 『サヨナラ』1957年度(第30回)日本人女性初受賞
- 科学技術賞受賞 - キヤノンの向井二郎、広瀬隆昌 1972年度(第45回)映画用マクロズームレンズの開発による
- 作曲賞受賞 - 『ラストエンペラー』坂本龍一 1987年度(第60回) デヴィッド・バーン、蘇聡との共同受賞
- アカデミー名誉賞受賞 - 黒澤明 1989年度(第62回)
- 短編ドキュメンタリー映画賞受賞 -『パーソナルズ〜黄昏のロマンス〜』(伊比恵子監督作) 1998年度(第71回)
- 長編アニメ賞受賞 -『千と千尋の神隠し』(宮崎駿監督作) 2002年度(第75回)
- ゴードン・E・ソーヤー賞受賞 - 宮城島卓夫2004年度(第77回)レンズの開発
- メイクアップ&ヘアスタイリング賞受賞 - 『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』辻一弘 2017年度(第90回)デヴィッド・マリノフスキ、ルーシー・シビックとの共同受賞。辻は2006年と2007年にもノミネートされていた。
その他
編集脚注
編集注釈
編集- ^ この場合の「五大陸」とは、ヨーロッパ大陸、ユーラシア大陸、アフリカ大陸、北アメリカ大陸、南アメリカ大陸を指す。なお、ヨーロッパ大陸はモンブランを登頂した。
- ^ ここでいう「日本公認」は「当時の日本陸軍の公認」を踏襲したもので、今日においても12月19日が「日本初飛行の日」とされている論拠である。
- ^ 白瀬京子は、マゼラン海峡を含む一部区間、乗船していない。このため、白瀬個人は、ヨット世界一周は達成していない。
- ^ 岡崎は途中棄権と棄権で終わっている。阪上は最高成績が第4位である。
- ^ 玉釧(たまくしろ)とは、玉(ぎょく)で飾った腕輪。
- ^ 神庭。神の儀式を行う場所。
- ^ 天皇や皇后に近侍し、食事など身の回りの庶事を専門に行う女官。
- ^ 山下知恵は、父である山下万蔵に最初は怒って拒絶していたが、3日後に情事が行われる。この情事により、密通で出来た子供がいる状態であったが、懐妊した。しかし、1872年(明治5年)3月に山に登っている途中転落して、流産している。その後も情事を重ねていたが、同年7月3日に捕まり、翌年7月7日に父と共に無期懲役(終身懲役)の判決が出る。当時の法では、この様な行為は違法であった。また、判決前に神奈川県から司法省に出した伺いでは、父娘共に梟首(獄門)にするよう求めていた。山下知恵の他に2件(東京府と愛媛県で其々1件)、同様の理由で父娘共に無期懲役の判決が出ており、どちらも1873年(明治6年)に判決が下され、この年に無期懲役の判決が下された女性の判決理由は全員父との情事となった。また、東京府では、植村ヒテが14歳であり15歳以下であったため、収贖[26]することで、無期懲役を受刑することを免れている。なお、当時の無期懲役の収贖金額は35円(現在の価値で70万円)である。
- ^ 植村ヒテは、1874年(明治6年)3月9日夜に父である植村虎次郎の欲情をきっかけに情事を重ねる。そして、同年5月上旬に再び重ねる。そして、植村虎次郎の病気により生活が困難であるため妾になるように、両親(母は実母ではない。)に言われたが断ったため、両親が怒る。この状況に困り、同年6月2日に自首し、翌日に父が逮捕される。そして、同年10月17日に無期懲役(懲役終身)の判決が父と共に下される。但し、植村ヒテは15歳以下であったため、35円の収贖することで、無期懲役を受刑することを免れている。なお、ヒテは、植村虎次郎の不倫により出来た子供でもある。
- ^ 科刑理由:住吉仲皇子側についた阿曇連浜子に従ったため。
住吉仲皇子は、皇太子で兄の去来穂別(いざほわけ:のちの履中天皇)であると偽り、黒媛(羽田矢代宿禰の娘)との情事を重ねた。この行為発覚を恐れ、天皇の宮を包囲し放火。脱出した去来穂別は、軍を再編し竜田山を越えたところで、数十人の武器を持って追いかけててくる者たちがいた。皇太子はそれを見て怪しみ、近くにやってきた時に人を遣って尋ねた。 彼らは、「淡路の野島(のしま)の海人である。阿曇連浜子の命令で、仲皇子のために、太子を追っています」と答えた。そこで、伏兵を出して、取り囲んで捕えられた。後に、本来反逆であり死刑になる所、徒刑に減刑され、倭(やまと)の蒋代屯倉(こもしろのみやけ)での労働を伴う刑を受けた。 - ^ 科刑理由:住吉仲皇子側について反乱に加担したため。
古代日本の豪族。住吉仲皇子側についたが、皇太子の弟の瑞歯別皇子(のちの反正天皇)が仲皇子暗殺を報告し、村合屯倉を与えられたその日に捕らえられた。履中天皇は、即位後の4月に阿曇浜子を呼び出して、死刑から減刑し、入墨刑にすることを宣告。宣告した日の内に、目の縁に入れ墨をした。 - ^ 朝鮮語で「婆さん」を意味する俗語[43]。
- ^ 現在も境内にある「菱形池」。当時は山々に囲まれて菱の実の形をしていた潟であったと考えられる。
- ^ 夜中に垣を乗り越えて脱走した罪で銃手7人の死刑が1869年(明治2年)8月13日に可決された。
- ^ 罪状は倉庫に侵入し383円95銭相当(1円を2万円で換算した場合、約770万円[31])の官物を窃盗したことである[51]。1877年(明治10年)11月1日に死刑執行が確定し、同月28日に死刑が執行された。他に、上官や同僚から19円62銭の金銭と他人の官給品、逃亡した際に6人に詐欺を行い207円10銭を得たこと、1876年(明治9年)7月3日の脱獄の犯罪を犯している。[52]
- ^ 脱賊であったが、長鯨丸に降伏し、艦内に服役する形で働いていた。罪状は、艦内のクロノメーターを盗み、逃走したこと。1869年(明治2年)9月8日に死刑が可決された。
- ^ 「大会形式」であり、個人的な遊びが大規模になっただけのものは含まない。「近代的」であり、昔から行われてきた雪遊びの延長線上のものは含まない。以下同様。
- ^ 興りが「住民主催」であったものだけでなく「法人主催」であったものも含む。
- ^ 「住民主催」であり、学校等の法人主催は含まない。
- ^ この説に対しては『薬経太素』なる書は存在しないとする強い批判がある。そもそも同書は『日本後紀』延暦18年(799年)2月乙未(21日)条に「(和気広世)大学会諸儒講論陰陽書新撰薬経太素等」とあり、これを「大学に諸儒を会して陰陽の書を議論し、新たに薬経太素等を撰す」と訓じたことに由来する。しかし、同条については、「大学に諸儒を会し、『陰陽書』、『新撰薬経』、『太素』等を講論す」と訓じる説が通説である。『陰陽書』は、詳細は不明であるが、呂才撰『陰陽書』(『大唐陰陽書』)などの陰陽道の基本書を指すと考えられる。また、『新撰薬経』は、蘇敬ほか撰『新修本草』の薬図・図経(略して薬経)のこと、『太素』は、楊上善撰『黄帝内経太素』のこととみられ、両書とも当時の医学の基本書を指すと考えられる。したがって、『薬経太素』なる書は『日本後紀』を誤読した結果生まれた偽書(『続群書類従』に採録された『薬経太素』は後世〈寛文元年[1661年]-延宝元年[1673年]頃か〉になって作られたと考えられる)であり、現在、その存在を支持する説はない。
- ^ 八幡製鐵所は1901年操業開始だが、当初状態が不安定だったため、翌年1902年に稼動を停止。本格的に稼動したのは2年後の1904年から。釜石鉱山田中製鐵所は1887年に操業開始、1903年より銑鋼一貫製鉄所として稼動している。
- ^ 既婚女性や男性を含む「美人」コンテスト(「ミス・コンテスト」より広義)
出典
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- ^ モロッコ - allcinema, 2009年11月27日閲覧。
外部リンク
編集- 神戸が発祥物語
- 横浜が発祥地 - ウェイバックマシン(2004年7月12日アーカイブ分)[リンク切れ]
- ものの始まりなんでも堺
- 歴史のはなし(長崎) - ウェイバックマシン(2002年4月16日アーカイブ分)[リンク切れ]
- 京都発 日本初[リンク切れ]
- 種子島は一番
- いばらき・もの知り情報[リンク切れ]
- 千葉市発祥じまん[リンク切れ]
- ジェットコースター何でもNo.1(歴史的にNo.1!) - ウェイバックマシン(2002年12月29日アーカイブ分)[リンク切れ]