ソニー

ソニーグループ傘下の電機メーカー

ソニー株式会社: Sony Corporation)は、東京都港区港南ソニーシティに本社を置く、ソニーグループ傘下の総合電機メーカーであり、テレビ・デジタルカメラ・スマホ開発事業、ネットワークサービス事業、映像制作ソリューション事業、ライフサイエンス事業を展開するエンタテインメント・テクノロジー&サービス(ET&S)事業を担うソニーグループの企業である[3]

(二代目)ソニー株式会社
Sony Corporation
本社
種類 株式会社
機関設計 監査役設置会社[1]
略称 SONY
本社所在地 日本の旗 日本
108-0075
東京都港区港南一丁目7番1号
ソニーシティ
北緯35度37分52.3秒 東経139度44分37.5秒 / 北緯35.631194度 東経139.743750度 / 35.631194; 139.743750座標: 北緯35度37分52.3秒 東経139度44分37.5秒 / 北緯35.631194度 東経139.743750度 / 35.631194; 139.743750
設立 2001年平成13年)10月1日
ソニー・エリクソン・モバイルコミュニケーションズ株式会社
業種 電気機器
法人番号 7010401045660 ウィキデータを編集
事業内容 オーディオ、ビデオ機器
テレビ
情報、通信機器
半導体
メディア
主要商品を参照)
代表者 槙公雄(代表取締役社長)
資本金 30億円
売上高
  • 1兆3611億9200万円
(2024年3月期)[2]
営業利益
  • 471億3600万円
(2024年3月期)[2]
経常利益
  • 591億1900万円
(2024年3月期)[2]
純利益
  • 560億6200万円
(2024年3月期)[2]
純資産
  • 2279億9800万円
(2024年3月31日現在)[2]
総資産
  • 5531億3400万円
(2024年3月31日現在)[2]
従業員数 約9,000名(2023年4月1日現在)
決算期 3月31日
主要株主 ソニーグループ 100%
主要子会社
外部リンク www.sony.co.jp ウィキデータを編集
特記事項:初代・ソニー株式会社(1946年5月7日設立)は持株会社制移行により2021年4月1日ソニーグループ株式会社に改組。同時に、ソニーモバイルコミュニケーションズソニーイメージングプロダクツ&ソリューションズソニーホームエンタテインメント&サウンドプロダクツソニーエレクトロニクスを吸収合併し、(二代目)ソニー株式会社に商号変更。
テンプレートを表示

2021年4月1日のグループ再編以前の法人(旧:東京通信工業株式会社、現:ソニーグループ株式会社)と、以降の法人は別の法人格であるが、商号・営業上は連続しているため、以下では特記しない限り、「ソニー」を名乗った法人について連続して扱う。

概要

編集

1946年井深大盛田昭夫太刀川正三郎らが、日本の東京都中央区日本橋にあった百貨店・白木屋の3階の一室を借りる形で事務所兼工場を設けて創業した。創業当初は中央区・日本橋に拠点を置いていたが、その1年後の1947年には品川区北品川御殿山エリア)に移転した。以後約60年間にわたって同地区に分散する形で、多数の関連施設が並ぶ状況だった。このことから「ソニー村」といわれたこともあった[4]。2007年には、港区に建設されたソニーシティに本社が移転され、分散していた施設群のほとんどもソニーシティに統合された。

社名でありブランドであるソニーSony)の商号は1955年より使用されており、音を意味する英語の「Sonic」、およびラテン語の「Sonus」と男の子(坊や)を意味する英語の「Sonny」に由来している。その際、日本人が「Sonny」を「ソンニー」と発音し「損」を連想させてしまうことを懸念した盛田が、そこから「n」を1つ取ったことで「Sony」となった。またブランド名を全面的に押し出したカタカナ語の社名への変更は、株主やメインバンクの三井銀行(現在の三井住友銀行)からも当初は反対され、「ソニー電子工業」や「ソニー電気」にすべきと提案されたが、盛田は断として、「我々が世界で伸びるため、断固、ソニー株式会社でいくべきだ」とこだわり、周りが折れる形で「ソニー」という社名に落ち着いたともされている[5]

かつては独立研究所として「ソニー中央研究所」「ソニー木原研究所」「ソニー中村研究所」「ソニー・インテリジェンス・ダイナミクス研究所」「ソニーコンピュータサイエンス研究所(Sony CSL)」 を擁していたが[6][7][8][9][10][11][12][13]、中央研究所は1990年代後半に[10]、2006年までにCSL以外のその他の研究所も本社に統合された[11][12][13]

歴史

編集

創業までの動き

編集
 
東通工時代の広告(1954年)。Soni-TapeのSoniは、SONYの語源の一つである「音」を意味するラテン語のSonusの複数形である[14][15]
井深大(左)と盛田昭夫(右)

1945年(昭和20年)9月、東京での新会社創設のため、井深大が、太刀川正三郎、樋口晃などの仲間とともに疎開先の長野県須坂から上京[16]

同年10月、井深らが東京・日本橋白木屋3階の一室に「東京通信研究所」を立ち上げる。参加した20名のうち[17]、主なメンバーは、以前に井深が設立に関与し、技術担当重役も務めていた日本測定器の若い社員7名であった[18]。この小さな研究所兼工場が、現在のソニーを生み出す母体となった[19]

のちに朝日新聞のコラム「青鉛筆」に掲載された東京通信研究所の記事が、戦時中に井深と親交のあった盛田昭夫の目に留まり、会社設立に合流する[16]

東京通信工業として創業

編集

1946年(昭和21年)、井深、盛田、太刀川などを中心に東京通信工業株式会社(とうきょうつうしんこうぎょう、略:東通工〈とうつうこう〉、: Tokyo Telecommunications Engineering Corporation)として創業[20][21][22][16]。創業当初は真空管電圧計の製造、販売を行っていた[16]。創業に際して太刀川家が持ち株比率55%となる資本援助を行った[23]。資本金19万円で、井深の義父である前田多門(終戦直後の東久邇内閣で文部大臣)が社長、井深が専務(技術担当)、盛田が取締役(営業担当)、太刀川が取締役(経理財務担当)、増谷麟が監査役、社員30名弱[17]。東通工の設立趣意書には

真面目ナル技術者ノ技能ヲ最高度ニ発揮セシムベキ

自由豁達ニシテ愉快ナル理想工場ノ建設

と記されている[24]

日本初のテープレコーダー

編集

1950年(昭和25年)には日本初のテープレコーダー(当時はテープコーダーと呼称[25])を開発[26]。この頃にテープレコーダーの音質にクレームをつけにきた大賀典雄が合流している。オランダフィリップス社のような大会社を目指して輸出に注力する方針を立てた[27] 東通工は、トランジスタの自社生産に乗り出し[28]、1955年(昭和30年)、日本初のトランジスタラジオ「TR-55」を発売した[29]

また、製品すべてに「SONY」のマークを入れることにした[29]。「SONY」以外に考えられたブランド名には、東京通信工業の頭文字である「TTK」や、略称である東通工のローマ字表記「Totsuko」、また東京通信工業を英訳した「Tokyo Teletec」などがあった。しかし、「TTK」は東洋陶器(現・TOTO)やTTKグループ英語版が略称あるいは商標として用いていた事から、候補から外れた。「Totsuko」は、盛田がアメリカに出張した際、当時のアメリカ支社の社員が発音に苦労しており、英語話者にとって発音が難しいことが分かったため、候補から外れた。「Teletec」については、同じ名のブランドを持つ企業がアメリカにあることが分かり、断念した[30][31]

1957年(昭和32年)のトランジスタラジオ「TR-63」は、輸出機として大成功をおさめた[32]

SONYに社名変更

編集

1958年(昭和33年)1月に東京通信工業株式会社からソニー株式会社に改称[32]。改称にあたっては、主要取引銀行である三井銀行から、すでに東京通信工業が日本国内で知名度を得ていることや、ソニー単独では何の会社か分からないことから、反対の意見が出た。銀行は、「Sony」にどういった会社なのかを示すために「Sony Electronic Industries」や「Sony Teletech」などの社名を提案した。

また社内でも、東京通信工業という社名に愛着を持っている一部の社員たちは、社名変更に反対した[31]。しかし、盛田たちは「Tokyo Tsushin Kogyo」では世界的な認知度を得ることは難しいと考えており、また社名に「Electronic」などの電機関係の言葉をつけることについても「ソニーが将来、エレクトロニクスの会社であるとは限らない」という趣旨を伝え、「ソニー」の社名を押し切った[33]

同年、東京証券取引所市場第一部に上場を果たした[34]。すでに東京通信工業傘下の国内販売会社は、この前年に「ソニー商事」に社名を変更していた。この販売会社の社名変更に大きな混乱はなく、むしろ認知度は上がり、業績が伸びていたことも銀行への説得材料となった[31]。1954年5月、仙台工場(現・仙台テクノロジーセンター、宮城県多賀城市)を設立。

1960年代

編集

1960年(昭和35年)には、米国に現地法人を設置し自ら販売活動を始め[27]、翌1961年(昭和36年)には日本企業として初めて株式の米国預託証券 (ADR) 発行が日本政府から認められた[35]。また1960年にはスイスに法人を設置してヨーロッパの販売代理店の統括を行うが、1968年(昭和43年)にソニーUKを設置したのを皮切りに国ごとに現地法人を設置していく[36]。1960年(昭和35年)11月に、ソニー厚木工場(現・厚木テクノロジーセンター)開設[37]

トランジスタの研究開発と応用を進め[38]、1959年(昭和34年)に世界初の直視型ポータブル・トランジスタテレビを発売するが売れず[38][39]。1961年(昭和36年)には世界初のビデオテープレコーダー(以下、VTR)[注 1]「SV-201」を開発[40]、1967年(同42)にはトランジスタ電卓を発売した[40]。1964年(昭和39年)には世界初の家庭用オールトランジスタVTR[注 2] を発表する[41][42]。その一方で放送用音響機器事業からは一度撤退する[43]

カラーテレビの開発では出遅れ、良好な画質のカラーテレビを目指して1961年(昭和36年)にクロマトロンの開発に取り組むが量産に至らず、1967年(昭和42年)にトリニトロンカラーテレビの開発に成功した[44]

この時期はエレクトロニクス製品以外の事業にも進出。1961年(昭和36年)にはショールームの建設のため不動産管理会社ソニー企業を設立[41]。1968年(昭和43年)には米国のCBSと合弁でレコード会社CBS・ソニーレコード(現:ソニー・ミュージックエンタテインメント〈SMEJ〉)を設立し、1988年には米国コロムビア・レコードを買収した[45]

1970年代

編集
 
各種Walkman。右上から時計回りに、カセットウォークマン、MDウォークマン、メモリースティックウォークマン、CDウォークマン。

1970年代は家庭用VTRの普及をめざし、1970年(昭和45年)に松下電器産業日本ビクターなどと共同してビデオカセット規格「U規格」を立ち上げる。1971年(昭和46年)に対応製品「Uマチック」を発売するが成功せず、1975年(昭和50年)に小型化・低価格化を図ったビデオカセット規格「ベータマックス」を発売する[42]。ベータマックスは日本ビクターが開発した家庭用VTRビデオカセット規格「VHS」と、家電業界を二分する激しい規格争いビデオ戦争)を繰り広げたが、結局1988年(昭和63年)にVHS機を並売する形で決着した[46]。一方でCCDを利用したカラーカメラとビデオカセットレコーダーを組み合わせた製品(いわゆるカムコーダ)の開発に取り組み、規格統一を図り1985年(昭和60年)に8ミリビデオとして発表した[46]

業務用VTRではテレビ放送局用の「Uマチック」を開発して放送用機材事業に再参入し、放送局のフィルム取材からビデオ取材[注 3] への移行を促した[43]。ベータマックスをベースに開発された1981年の「ベータカム」はENG市場の95%を占めるスタンダードとなった[47]。VTRのデジタル化、コンピュータ化にも取り組み、1980年代後半から対応製品の販売を始めた[47]

オーディオ製品においては1960年代からフィリップス社のコンパクトカセット規格のテープレコーダーの製造・販売を行っていたが、若者向け製品としてヘッドフォンで音楽を聴く形式の携帯型カセットテーププレイヤー「ウォークマン」を1979年に発売[48]。1995年度に生産累計が1億5,000万台に達した[48]。日本国立科学博物館重要科学技術史資料として登録された際には「音楽リスニングを大きく変えた」と評価されている[49]

1975年(昭和50年)には米国のユニオンカーバイド社と合弁で電池事業を始めたが[注 4]、1986年(昭和61年)にユニオンカーバイド社の経営難から合弁を解消し、単独で事業を継続。電池の研究開発を始めリチウムイオン電池を開発、1990年(平成2年)に製品化を発表した[50]

1979年(昭和54年)にはソニー・プルデンシャル生命保険を設立[45] し保険事業に参入した。

1980年代

編集

オーディオのデジタル化にも取り組み、フィリップス社と共同してCDを開発[51]、CBS・ソニー(現・ソニー・ミュージックエンタテインメント)からのソフトとディスク生産体制の提供を受け1982年(昭和57年)に発売した[52]。1984年(昭和59年)には携帯型CDプレイヤーを発売[52]

CD以降はユーザーが記録可能な光ディスクの開発にも取り組み、1988年(昭和63年)に光磁気ディスク(MO)を発売した。そして、1992年(平成4年)にMD規格を立ち上げた[53]。映像を記録する光ディスクについてはフィリップス社との共同開発が試みられたが、最終的に規格統一に合意し、DVD規格の立ち上げに参画した[53]

1970年代末からコンピュータ関連機器の開発に取り組み、1980年(昭和55年)に英文ワープロとポータブル液晶ディスプレイつきタイプライターを発売[54]。1982年(昭和57年)には「SMC-70」を発売してパソコン市場に参入[55]、さらに1983年(昭和58年)には「HitBit」ブランドでホビーパソコン規格MSXへの参入も行った[54]。しかし1980年代に開発されたこれらの商品群は、英文ワープロ用に開発した3.5インチフロッピーディスクこそ、のちのデファクトスタンダードとなったものの、多くは鳴かず飛ばずに終わった[54]。この理由としては、当時メジャーなAppleNECの言語を使わず、自社の"Sony Basic"を組み込んでいたことなどがあげられる。

また、1984年(昭和59年)には第二電電(DDI、現KDDI)の設立に関与している。そのため、当時発売していた固定電話機に搭載されていたLCRはDDIの「α-LCR」であったほか、DDIセルラーグループにも1989年の開業当初から携帯電話端末を供給していた。

1989年(平成元年)にはコロンビア・ピクチャーズ・エンタテインメントを買収して映画事業に参入[45] している。

1990年代

編集
 
PlayStation 2(プレイステーションツー)
 
サイバーショット、DSC-H1
 
Blu-ray Disc(ブルーレイディスク)

1991年、ソニー生命保険株式会社が発足。1993年(平成5年)、ソニー・コンピュータエンタテインメントを設立し家庭用ゲーム機事業に参入[45] した。1995年(平成7年)にはソニーコミュニケーションネットワーク株式会社を設立しISP事業に参入、翌年からSo-netを開始した[56]。また、1995年には最高財務責任者(CFO)を日本の企業ではじめて導入をする。

1996年(平成8年)、「VAIO」ブランドでパソコンに再度参入する[55]。また携帯電話会社に対して携帯電話端末の供給を行っていたが[57]、2001年(平成13年)にはエリクソン社と合弁でソニー・エリクソン・モバイルコミュニケーションズ(後のソニーモバイル → ソニー〈二代目〉)を設立し、携帯電話端末の開発・販売を行うことにした[58]

2002年(平成14年)にはフィリップス社やパナソニックなど9社共同でBlu-ray Disc規格を策定した[59]。2004年、ソニーフィナンシャルホールディングスが発足する。

2010年代

編集

ゲーム事業を担っているソニー・コンピュータエンタテインメントは、2012年(平成24年)3月期以降3期連続の債務超過となっており[60][61]、債務保証を行っていたが[62]、2017年3月期決算で債務超過は解消している[63]

また2012年(平成24年)エリクソンから株式を取得してソニー・エリクソン・モバイルコミュニケーションズを完全子会社とし、携帯電話端末事業がソニー単体の事業に戻った[64]

2014年(平成26年)7月にはテレビ事業を分社化し、ソニービジュアルプロダクツ設立[65]。またテレビ事業は10年連続で赤字が続き、リストラを繰り返しており、2017年(平成29年)の売上目標は当初の見通しより低く抑えている[66]。同年パーソナルコンピュータVAIO事業を売却[67]。また利益重視の姿勢を打ち出し、国際サッカー連盟のスポンサーを降板[68]

2015年(平成27年)オンラインゲーム子会社ソニー・オンライン・エンタテインメントをコロンバス・ノバに売却。SOEはソニーのプラットフォーム以外にもソフトを供給できるようになる[69]。10月にはビデオ&サウンド事業を分社化しソニービデオ&サウンドプロダクツを設立。

2016年(平成28年)4月には半導体事業を分社化し、ソニーセミコンダクタソリューションズを設立。

2017年(平成29年)4月には民生用カメラ事業や業務用製品事業を分社化し、ソニーイメージングプロダクツ&ソリューションズを設立。

2018年(平成30年)10月より、日立ブランド薄型テレビ&BDレコーダー「Wooo」の国内販売終了に伴い、「ブラビア」をはじめとするソニー製品を日立系列店「日立チェーンストール」にも供給開始した。

2019年(平成31年)4月、テレビ事業を担うソニービデオ&サウンドプロダクツとビデオ及びサウンド事業を担うソニービジュアルプロダクツが統合し、ソニーホームエンタテインメント&サウンドプロダクツが発足した。

2020年代

編集

2020年(令和2年)4月1日、エレクトロニクス・プロダクツ&ソリューション分野を統括する中間持株会社である、ソニーエレクトロニクス株式会社を設立。

2021年(令和3年)4月1日に、ソニー株式会社(初代法人)がソニーグループ株式会社に商号を変更[70]。また、ソニー株式会社(初代法人)のエレクトロニクス事業と、ソニーエレクトロニクス、ソニーイメージングプロダクツ&ソリューションズソニーホームエンタテインメント&サウンドプロダクツソニーモバイルコミュニケーションズ(存続会社)が統合し、ソニー株式会社(二代目法人)が誕生[71]。3月には3月期連結決算(2020年度連結業績)で純利益を初めて1兆円の大台に乗せた[72]

沿革

編集

社業

編集

分野別

編集

オーディオ

  • 1950年 - 国産初のテープレコーダーの試作に成功、発売する[92]
  • 1952年 - 日本初のステレオ・テープ・レコーダーを作り、NHKラジオ第1第2の2波を使ったステレオ試験放送[注 6] に使われる。このほか、立体音は宝塚歌劇文学座俳優座などの音響効果に使われた。ステレオの普及のため「ステレコーダー552型」が開発されアメリカに多数輸出された[93]
  • 1974年 - 自社初のPCMレコーダーの試作に成功。
  • 1976年 - 世界初のビデオデッキを使ったPCMオーディオプロセッサー「PCM-1」を発売[92]
  • 1978年
    • 世界初の16ビットPCMオーディオプロセッサー「PCM-1600」を発売[53]
    • 実験的高級オーディオブランドSONY ESPRITの展開を開始[注 7]
  • 1979年 - ウォークマン「TPS-L2」を発売し大ヒットした[94]
  • 1982年
    • 自社が中心になって開発したDASHフォーマットを使用した、24チャンネルマルチPCMデジタル録音機「PCM-3324」(定価:3,300万円)を発売。
    • コンパクトディスク(CD)を発表、10月1日に第1号機「CDP-101」(定価:16万8,000円)を発売[92]
  • 1984年 - 世界初の携帯CDプレイヤーディスクマン「D-50」を発売[94]
  • 1987年4月 - 民生用DATデッキ「DTC-1000ES」を発売[92][95]
  • 1989年 - 世界初の48チャンネルマルチPCMデジタル録音機「PCM-3348」(定価:3,800万円)を発売。
  • 1992年 - ミニディスク(MD)を発表、プレーヤー「MZ-1」を発売(同年11月1日)[94]
  • 1996年 - ΔΣ変調を使ったDirect Stream Digital(DSD)録音方式を開発、デモを行う。
  • 1999年5月21日 - DSD技術を用いた世界初のSuper Audio CDプレーヤー「SCD-1」(定価:50万円)を発売[92]
  • 2004年 - MDの拡張規格であるHi-MDを発表、プレーヤー「MZ-NH1」を発売。
  • 2007年 - SDリピーターを発売。
  • 2022年-アメリカでOTC補聴器を発売[96]

オーディオ・ビジュアル

  • 1958年 - 国産初のVTR試作第1号機を制作[97]
  • 1960年 - ポータブルトランジスタテレビ「TV8-301」を発売[98]
  • 1965年 - 家庭用VTR ビデオコーダー「CV-2000」を発売[97]
  • 1968年 - 世界初のトリニトロン方式によるカラーテレビ「KV-1310」を発売[98]
  • 1969年10月29日 - 当時の松下電器日本ビクターとともに、3/4インチカセット式VTRの"U規格"を発表[42]
  • 1971年10月10日 - U規格VTRの第1号機を、"Uマチック"という商標を使って発売する[97]
  • 1975年 - ベータ方式の家庭用VTRベータマックス「SL-6300」「SL-7300」を発売[97]
  • 1976年 - 米アンペックス社とともに、放送用の1インチVTRを開発。第1号機「BVH-1000」を発売[99]
  • 1982年
    • BVH-1000を改良した、世界初の1インチのハイビジョン・アナログVTRを開発。
    • ENG取材の機動力を高めるためのVTR・カメラ一体型のカムコーダを開発し、放送業務用の新規格VTR"BETACAM"を発表[47][100]。カムコーダ、据え置き型録画再生機ともに同時発売。
  • 1983年 - 世界初の家庭用VTR一体型ビデオカメラ「BMC-100」を発売。
  • 1985年
    • 放送局向けに、1インチのハイビジョン・アナログVTR「HDV-1000」の受注販売を開始[注 8]
    • 8ミリビデオ規格を発表。VTR「EV-S700」、ビデオカメラ「CCD-V8」を発売[97][101]
  • 1987年 - 世界初のデジタルVTRを発表、発売(D1方式、定価:700万円)[47]
  • 1988年
    • VHS方式のVTR「SLV-7」を発売[97]。VHS/βのVTR規格争いが終了。
    • 世界初コンポジット・デジタルVTRD2-VTRを発表、発売[47]
  • 1993年 - BETACAMにデジタル録画・再生を可能にした「Digital BETACAM」が開発、商品化される[47]
  • 1997年
    • DVDビデオプレーヤー「DVP-S7000」を発売[102]
    • DRCを搭載したフラットブラウン管テレビ「WEGA」を発売[45]
    • Digital BETACAMのハイビジョン(HD)版、「HDCAM」が開発、商品化される[45]
  • 2001年 - 初代DVDレコーダー「RDR-A1」を発売[97]。同機種はパイオニアOEMだった。
  • 2002年
    • アイワ株式交換により完全子会社し、その後合併した[45]
    • 8月 - ベータマックス機器の年内生産終了を発表。27年の歴史に幕を閉じる。
    • 11月 - CoCoonシリーズを発売[45]。以降デジタルレコーダーのラインナップを大幅に拡充。
  • 2003年
    • 4月 - 当時世界初のBDレコーダー「BDZ-S77」発売[45]
    • 11月 - スゴ録シリーズを発売[97]
    • 12月 - PSXを発売[103]。ただし、同時期に発売したスゴ録に人気が集中した。
    • HDCAMの高画質改良版、「HDCAM SR」を開発、発売。
  • 2004年
    • S-LCDを設立[104]
    • 9月 - HDV規格による世界初のHDV 1080i対応の家庭用ハイビジョン・ムービー「HDR-FX1」を発売。
  • 2005年
    • 6月 - 初代デジタルチューナー搭載スゴ録「RDZ-D5」を発売。
    • 9月 - 薄型テレビのブランド名をWEGAからBRAVIAに変更[45]
  • 2006年 - 世界の液晶テレビの出荷におけるシェア率で初の1位となる[105]
  • 2007年
    • 3月末 - アナログチューナーのみの録画機全般から撤退。デジタル放送対応に移行。
    • 4月 - ブラウン管テレビの国内向け販売終了。
    • 9月12日 - 国内向けのDVDレコーダー市場からの完全撤退を発表。BDレコーダーに移行。
    • 11V型有機ELテレビ「XEL-1」を発売[98][106]
  • 2008年
  • 2011年
  • 2014年
    • 産業革新機構の有機EL事業統合(ジャパンディスプレイを中心としたJOLEDの設立)にパナソニックとともに合意した。同社の5%の株式を保有する。

カメラ分野

  • 1988年 - 電子スチルビデオカメラ Mavica「MVC-C1」を発売[109]
  • 1989年 - パスポートサイズハンディカム「CCD-TR55」を発売[95][101]
  • 1995年 - DV規格の家庭用デジタルビデオカメラ「DCR-VX1000」を発売[101]
  • 1996年 - 初代サイバーショット「DSC-F1」を発売[109]
  • 1999年 - Digital8規格のビデオカメラ「DCR-TRV310K」を発表[110]。他社からの参入はなく、その後Digital8規格は消滅した。
  • 2000年10月 - 「DSC-P1」を発売[109]。現在も同社のデジタルカメラとしてはもっとも売れた機種である。
  • 2001年 - MICROMV規格のビデオカメラ「DCR-IP7」を発表[101]。MICROMVも独自規格のまま消滅。
  • 2004年
    • 同社初の8cmDVDを使用するビデオカメラ「DCR-DVD101」「DCR-DVD201」を発売[101]
    • 10月 - 世界初のHDV 1080i規格のビデオカメラ「HDR-FX1」を発売[101]
  • 2005年7月 - 小型HDVカメラ、ハンディカム「HDR-HC1」を発売[101]
  • 2006年
    • 同社初のHDDビデオカメラ「DCR-SR100」を発売。
    • 1月 - コニカミノルタのカメラ事業撤退に伴い、同社の資産を一部引き継ぎ、デジタル一眼レフ分野へ参入[111]。「α(アルファ)」を発表[112]
    • 世界初のAVCHD方式のビデオカメラ「HDR-SR1」「HDR-UX1」を発売[101]

コンピュータ

コンポーネント

  • 1959年 - 研究員の江崎玲於奈が発明したトンネルダイオードの試作研究に成功[38]
  • 1979年 - 12万画素CCD「ICX008」を商品化[116]
  • 1980年 - 3.5インチマイクロフロッピーディスクを開発しのちに標準規格化される[50][54]
  • 1989年 - 直径7ミクロンの世界最小のレンズ「オンチップマイクロレンズ」を実用化[116]
  • 2008年 - 裏面照射型CMOSイメージセンサ「Exmor R」を量産化[117]

番外編

NHK魔改造の夜」第5弾に「Sニー」チームとして出演。T京アールアンドデーAエイチ・アイらと対戦した。ちなみに、「ネコちゃん落下25m走」に投入した改造ネコ型玩具の名前は「ArukuNyan」であった。ロゴはウォークマンのものとそっくりであり、オマージュとしてネコはヘッドホンをしていた。

製品

編集

現行

編集

テレビ[注 9]

ブルーレイディスクレコーダー[注 9]

Ultra HD ブルーレイディスクプレーヤー[注 9]

  • (UBP)

ブルーレイディスクプレーヤー[注 9]

  • (BDP)

デジタルカメラ[注 10]

ビデオカメラ[注 10]

携帯電話スマートフォン[注 11]

ラジオ受信機[注 12]

オーディオ[注 9]

ポータブルオーディオプレーヤー[注 9]

ワイヤレスステレオヘッドセット

  • WIシリーズ
  • WFシリーズ
  • WHシリーズ

ICレコーダー[注 9]

IC記録メディア

ペットロボット

業務用映像機器[注 10]

半導体[注 10]

[121]

メディカル・ライフサイエンス関連機器

過去

編集

デファクトスタンダード

編集

規格争いを目的とせず、ソニー製品のために用意されたが、しだいに他社も流用するようになり結果としてデファクトスタンダードとして普及した規格を記載する。

初めて実用化・商品化した製品

編集

当社が世界あるいは日本で初めて実用化ないし製品化・商品化された製品を記載する。要素技術を発明・新開発したものではないものも含まれる。

ロゴマーク

編集

SONY」が商標登録された1955年に、社名の周りが四角で囲まれたロゴマークが最初に制作された[124]。その後、1957年に四角が取り払われ、文字のデザインが変更されて以降、年を経るごとにデザインが少しずつ修正されていった[124]

1961年、香港に日本企業初のネオンサインを掲げる際、2代目のロゴはネオンサインに合わないという理由で修正することになる[124]。デザイナーの黒木靖夫[注 13] は、当時ソニー副社長だった盛田から指名され、苦心を重ねて新しいロゴを制作した[124]。こうした努力の結果、黒木のロゴはネオンサイン限定のデザインとはならず、1962年に発売したマイクロテレビの広告で、3代目のロゴとして正式に採用された[124]

3代目のロゴが作られて以降、さらに磨きのかかったロゴに仕上げるため、大賀典雄が室長を務める[注 14] デザイン室にはロゴ専用の委員会が設置された[124]。さらに、1962年に4代目のロゴになってからは使用規定も追加され、コーポレートデザインの実現を目指すようになった[124]

使用規定にはロゴマーク(コーポレートロゴ)との混同を避けるため、ソニーが発信する文書にはすべて大文字での「SONY」を使用せず、「ソニー」あるいは 「Sony」を使用するように、という記述がある(たとえば 「SONY CORPORATION」などのようにすべて大文字で表示する必要がある場合を除く)。

1973年、最初のロゴから数えて6代目のロゴが制作され、現在に至る[124]

なお、東通工時代を含む創立35周年を迎えた1981年に、7代目となるロゴを制作しようと全世界を対象にデザインを公募したものの、井深や盛田が「今のロゴのほうが明快でいい」と話したため、制作は中止となった[124]

ブランドメッセージ

編集
 
「It's a Sony」ロゴ
 
「make.believe」ロゴ

1982年、これまでの「SONY」と刻まれたロゴに加えて、「SONY」の「S」がデザインされたイメージが新たに作られた[124]。さらに、盛田の提案により「It's a Sony」(イッツ・ア・ソニー)と英語ナレーションが流れるサウンドロゴテレビCM用に加えられた[124]。これ以降、コマーシャルの最後に「絵」と「音」を使ったブランドメッセージが使用されるようになった[124]

2009年、世界共通のブランドメッセージとして「make.believe」(メイク・ドット・ビリーブ)を新たに導入した[125]。グループの複数の事業に対して共通のブランドメッセージが使用されたのは初めてとなる[125]

2018年、コマーシャルにおけるブランドメッセージはモーションロゴ(ロゴマークとサウンドロゴ)のみとなっている。サウンドロゴはピアノの単音を使用しており、直後に「SONY」とナレーションが流れるバージョンも存在する。モーションロゴはコロンビア ピクチャーズトライスター ピクチャーズスクリーン ジェムズのオープニングロゴにも使用されている。

2021年にモーションロゴがリニューアルされ、ロゴマーク出現時にグラデーション効果が施された[126]

また、テレビ放送では短縮版も存在しており、ロゴは、ソニー・ピクチャーズ テレビジョンまたは、トライスター・プロダクションズのサウンドロゴと一緒に使用されている。この場合時のみピアノの単音は流れない。

歴代トップ

編集

社長

編集
氏名 在任期間 出身校
1 前田多門 1946年 - 1950年 東京帝国大学法学部
2 井深大 1950年 - 1971年 早稲田大学理工学部
3 盛田昭夫 1971年 - 1976年 大阪帝国大学理学部
4 岩間和夫 1976年 - 1982年 東京帝国大学理学部
5 大賀典雄 1982年 - 1995年 東京芸術大学音楽学部
6 出井伸之 1995年 - 2000年 早稲田大学第一政治経済学部
7 安藤国威 2000年 - 2005年 東京大学経済学部
8 中鉢良治 2005年 - 2009年 東北大学大学院工学研究科
9 ハワード・ストリンガー 2009年 - 2012年 オックスフォード大学大学院
10 平井一夫 2012年 - 2018年 国際基督教大学教養学部
11 吉田憲一郎 2018年 - 2021年 東京大学経済学部
12 槙公雄 2021年 - 現職

最高経営責任者

編集
氏名 在任期間 出身校
1 大賀典雄 1989年 - 1999年 東京芸術大学音楽学部
2 出井伸之 1999年 - 2005年 早稲田大学第一政治経済学部
3 ハワード・ストリンガー 2005年 - 2012年 オックスフォード大学大学院
4 平井一夫 2012年 - 2018年 国際基督教大学教養学部
5 吉田憲一郎 2018年 - 2021年 東京大学経済学部
6 槙公雄 2021年 - 現職

会長

編集
氏名 在任期間 出身校
1 井深大 1971年 - 1976年 早稲田大学理工学部
2 盛田昭夫 1976年 - 1995年 大阪帝国大学理学部
3 大賀典雄 1995年 - 2000年 東京芸術大学音楽学部
4 出井伸之 2000年 - 2005年 早稲田大学第一政治経済学部
5 ハワード・ストリンガー 2005年 - 2012年 オックスフォード大学大学院
6 平井一夫 2018年 - 2019年 国際基督教大学教養学部
7 吉田憲一郎 2020年 - 現職 東京大学経済学部

事件・不祥事・問題

編集

ステルスマーケティング

編集
デビッド・マニング事件(2001年)
ソニー・ピクチャーズ エンタテインメントが「架空の映画評論家」を作りあげ、自社の映画作品を絶賛していたステルスマーケティング事件。ソニーは合成音声でラジオ出演させるなど偽装工作を行った[127]
俳優を利用したステルスマーケティング(2003年)
ソニー・エリクソン・モバイルコミュニケーションズ(現・ソニーモバイルコミュニケーションズ)は、俳優60人を雇い、ステルスマーケティングを行っていた。主要都市で旅行者に扮した俳優は通行人に自社製品で写真を撮らせ、その過程で製品の機能について熱心にアピールすることで「ソニーの製品はクールだ」と伝えるというもの。ライターのマルコム・グラッドウェルは、「詐欺紛いの行為であり、常識的にあり得ない。真実が知れれば大きな反発を生むだろう」と見解を示している[128]
ゲートキーパー問題(2004年)
複数のサイトにおいて任天堂マイクロソフトなどの他社製品を中傷、自社製品を宣伝する書き込みがあり、それが同社の本社からの書き込みであることが発見される[129]。さらに、これを契機に多くのブロガーらが自身のウェブサイトドメイン名検索を実施したところ、2000年ごろから「少人数ではとても行えない規模」で、同様の書き込みがあったことが発覚した[129][130]
PlayStation Portableファンブログヤラセ問題(2006年)
ソニー・コンピュータエンタテインメント(米国)が、個人ブログと偽り他社製品を中傷、自社製品の宣伝を行うサイトを運営していた[131]
YouTube再生回数不正問題(2012年)
ソニー・ミュージックエンタテインメントYouTubeアカウントにおいて再生回数が不正に水増しされていたため、再生回数が大幅にマイナス修正された[132]
PlayStation Vita問題(2014年)
ソニー・コンピュータエンタテインメント(現・ソニー・インタラクティブエンタテインメント)がPlayStation Vitaについて、実際には使えない機能を顕著な特徴として宣伝した。当社やその広告店の社員によるものだと明示的に示すことなしに、社員のTwitterアカウントを通じての投稿が、消費者に直接的に宣伝を行うなどして消費者に誤解を与えたと、アメリカ合衆国連邦取引委員会の指摘を受け、消費者に25ドルか50ドル相当の商品引換券を提供することで和解した[133][134][135]

その他

編集
ソニーBMG製CD XCP問題(2005年)
ソニーBMG・ミュージックエンターテインメント(現・ソニー・ミュージックエンタテインメント)の音楽CDにスパイウェアが仕込まれていた問題[136]
薄型テレビ発火死亡事故(2008年)
2008年1月30日に岡山県の同社製薄型テレビ購入者宅で薄型テレビ(KDL-32V2000)から発火し2名が死亡した。その後、同年2月29日に経済産業省へ事故発生の届け出があったが、火災原因の特定には至らなかった[137]
PlayStation Network個人情報流出事件(2011年)
PlayStation Network(PSN)において推定7,700万人の個人情報が流出した事件[138]
内部文書流出(2015年)
北朝鮮に関係するとみられるハッカーにより、ソニー・ピクチャーズ エンタテインメントの内部文書が流出。これらはウィキリークスで公開され、その中には約100件の政府関係者の電子メールアドレスも含まれており、ウィキリークス代表のジュリアン・アサンジュは「ロビー活動の様子がうかがえる。影響力の強い企業が、どう活動しているかが分かる貴重な財産」としている[139][140][141][142]
新製品広告を投稿問題(2021年)
2021年(令和3年)6月30日、7月7日に新製品を発表するという広告を投稿したが、7月7日が盧溝橋事件の発生から84年という日であったことから、7月1日付けで広告を削除した。10月18日、中国北京市朝陽区の市場監督管理局は同日までに広告法に違反したことを理由にソニーグループの中国法人に対し、100万元(日本円で約1800万円)の罰金を科した[143][144]

テレビ番組

編集

脚注

編集

注釈

編集
  1. ^ オールトランジスタ式工業用ビデオテープレコーダー
  2. ^ オープンリール式、白黒
  3. ^ ENG
  4. ^ 開発はユニオンカーバイドが担当。
  5. ^ イメージング・プロダクツ&ソリューション事業、ホームエンタテインメント&サウンド事業、モバイル・コミュニケーション事業
  6. ^ 当時は立体放送と言っていた。
  7. ^ のちのRシリーズに受け継がれる。また、現在のESブランドは、この名残である。
  8. ^ 当初はNHKに納入された。
  9. ^ a b c d e f g 製造はソニーホームエンタテインメント&サウンドプロダクツ
  10. ^ a b c d 製造はソニーグローバルマニュファクチャリング&オペレーションズ
  11. ^ 製造はソニーモバイルコミュニケーションズ
  12. ^ 製造はソニーホームエンタテインメント&サウンドプロダクツ。一部は十和田オーディオ製。
  13. ^ 黒木は後にソニー企業株式会社の代表取締役を務めている。
  14. ^ 当時、大賀は宣伝部長も兼務していた。

出典

編集
  1. ^ 会社概要 - ソニー株式会社
  2. ^ a b c d e f ソニー株式会社 第24期決算公告、2024年(令和6年)6月26日付「官報」(号外第153号)139頁。
  3. ^ 大河原克行のNewsInsight(162) 生まれ変わるソニーのエレクトロニクス、新しい成長の柱が見えてきた”. マイナビニュース (2022年6月1日). 2023年3月5日閲覧。
  4. ^ ソニー村(読み)そにーむら 知恵蔵mini 「ソニー村」の解説
  5. ^ “ソニー、4月に社名変更へ 「RE:SONY」まとめ読み”. 日本経済新聞. (2021年3月28日). https://www.nikkei.com/article/DGXZQODZ270FN0X20C21A3000000/ 2021年10月3日閲覧。 
  6. ^ ソニー株式会社. “Sony History 第11章 江崎玲於奈にだまされた??”. ソニーグループポータル. ソニー株式会社. 2021年4月2日閲覧。
  7. ^ ソニー株式会社. “Sony History 第11章 技術の「芽」、電子の「眼」”. ソニーグループポータル. ソニー株式会社. 2021年4月2日閲覧。
  8. ^ ソニー株式会社 (1996年8月), GENRYU 源流 ソニー創立50周年記念誌, ソニー株式会社 ソニー広報センター, NCID BA38005270 
  9. ^ 永井美智子(CNET Japan編集部) (2003年6月29日). “ソニー中村研究所代表が語る「日本の製造業復活の鍵」”. CNET Japan (CNET Networks, Inc. / 朝日インタラクティブ株式会社). https://japan.cnet.com/article/20057221/ 2021年4月2日閲覧。 
  10. ^ a b 多賀一晃 (生活家電.com主宰) (2016年10月6日). “ソニー38万円ウォークマンとベルリン・フィルとの離別 ソニーをおかしくしたプレジデント制”. WEDGE Infinity (株式会社ウェッジ): p. 4. https://wedge.ismedia.jp/articles/-/7859?page=4 2021年4月2日閲覧。 
  11. ^ a b ITmedia (2006年3月30日). “ソニー木原研究所が活動終了”. ITmedia (アイティメディア株式会社). https://www.itmedia.co.jp/news/articles/0603/30/news082.html 2021年4月2日閲覧。 
  12. ^ a b 独立系2研究所の再編等について』(プレスリリース)ソニー株式会社、2006年3月30日https://www.sony.com/ja/SonyInfo/News/Press/200603/06-025/2021年4月2日閲覧 
  13. ^ a b ソニー・インテリジェンス・ダイナミクス研究所の再編について』(プレスリリース)ソニー株式会社、2006年6月9日https://www.sony.com/ja/SonyInfo/News/Press/200606/06-051/2021年4月2日閲覧 
  14. ^ ソニーグループポータル | 歴史”. 2021年10月14日閲覧。
  15. ^ 愉快にやろうぜ俺たちは、自由闊達な理想工場を目指す Vol.14 ソニー株式会社創業者の一人 井深大氏。針木康雄が語る偉大なる経営者たち。社是を決め、「愉快なる理想工場」を目指す”. 2015年12月5日閲覧。
  16. ^ a b c d Sony Japan|Sony History 第1部第1章 焼け跡からの出発”. Sony. 2022年4月29日閲覧。
  17. ^ a b 濱田初美「ソニーにおけるイノベーションの再興」『年次大会講演要旨集』第30号、イノベーション学会、2015年、51-54頁、ISSN 2432-7131 
  18. ^ 太刀川正三郎、樋口晃、安田純一、河野仁、中津留要、山内宣、黒髪定の7名で、いずれもソニーの重要幹部となっている。(井深大『私の履歴書:昭和の経営者群像7』日本経済新聞社 1992年)
  19. ^ 有村貞則「ソニーのグローバル化とマネジメント」『山口經濟學雜誌』第46巻1-2号、山口大學經濟學會、1998年、123-157頁、ISSN 0513-1758 
  20. ^ 企業情報”. ソニー. 2014年9月26日閲覧。
  21. ^ 『パナソニックは終わるのか』奥村宏、著、東洋経済新報社, 2012, ISBN 4492502440, p108,([1] でも閲覧可能。2014年11月20日閲覧。)
  22. ^ DIAMOND online 世界のビジネスプロフェッショナル 経営者編「盛田昭夫 ソニー共同創業者」 2014年11月20日閲覧。
  23. ^ NPO法人 はこだて街なかプロジェクト 『大正期の隆盛映す』太刀川家洋館(函館市弁天町) 池ノ上 真一
  24. ^ Sony Japan 設立趣意書』(プレスリリース)ソニーhttps://www.sony.com/ja/SonyInfo/CorporateInfo/History/prospectus.html2016年11月24日閲覧 
  25. ^ SONY 企業情報 タイムカプセル Vol.23 「テープレコーダーとは何か?」”. 2015年11月24日閲覧。
  26. ^ Sony Japan|Sony History 第1部第2章 これだよ、我々のやるものは<日本初のテープレコーダー>”. Sony. 2014年11月25日閲覧。
  27. ^ a b Sony Japan|Sony History 第1部第10章 ソニーアメリカの設立”. Sony. 2014年11月25日閲覧。
  28. ^ Sony Japan|Sony History 第1部第4章 初めての渡米<トランジスタの自社生産>”. Sony. 2014年11月25日閲覧。
  29. ^ a b Sony Japan|Sony History 第1部第6章 トランジスタに“石”を使う <トランジスタラジオ>”. Sony. 2014年11月25日閲覧。
  30. ^ Sony Global - Sony History Chapter1 Rebuilding from the Ashes”. Sony. 2019年10月9日閲覧。
  31. ^ a b c Sony Global - Sony History Chapter7 Is 'Pocketable' Japanese-English ?”. Sony. 2019年10月9日閲覧。
  32. ^ a b Sony Japan|Sony History 第1部第7章 “ポケッタブル”は和製英語?”. Sony. 2014年11月25日閲覧。
  33. ^ ソニーという「何の会社かわからない」集団の強みと弱み”. ダイアモンドオンライン (2019年5月23日). 2019年5月22日閲覧。
  34. ^ Sony Japan|Sony History 第1部第8章 外国製品一辺倒の打破”. Sony. 2014年11月25日閲覧。
  35. ^ Sony Japan|Sony History 第1部第12章 直接金融への道”. Sony. 2014年11月25日閲覧。
  36. ^ Sony Japan|Sony History 第16章 ソニー・アメリカの兄弟たち”. Sony. 2014年11月25日閲覧。
  37. ^ a b あつぎ60年どんなかんじ? 「還暦」の歴史を振り返る | 厚木”. タウンニュース (2015年1月1日). 2021年6月24日閲覧。
  38. ^ a b c Sony Japan|Sony History 第1部第9章 2T7型トランジスタ”. Sony. 2014年11月25日閲覧。
  39. ^ Sony Japan|Sony History 第1部第13章 IREショーで見つけたもの <トランジスタテレビ>”. Sony. 2014年11月25日閲覧。
  40. ^ a b Sony Japan|Sony History 第1部第14章 旅客機に乗ったVTR”. Sony. 2014年11月25日閲覧。
  41. ^ a b c d Sony Japan|Sony History 第1部第15章 IBM社に技術を供与”. Sony. 2014年11月25日閲覧。
  42. ^ a b c Sony Japan|Sony History 第1章 ビデオもカセットに <ビデオカセット>”. Sony. 2014年11月25日閲覧。
  43. ^ a b Sony Japan|Sony History 第3章 鞄にポンッ!パスポートサイズ”. Sony. 2014年11月25日閲覧。
  44. ^ Sony Japan|Sony History 第1部第16章 個人的な理由 <トリニトロンカラーテレビ>”. Sony. 2014年11月25日閲覧。
  45. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x Sony Japan|会社沿革”. Sony. 2014年11月25日閲覧。
  46. ^ a b Sony Japan|Sony History 第2章 規格戦争に巻き込まれた秘蔵っ子 <8ミリビデオ>”. Sony. 2014年11月25日閲覧。
  47. ^ a b c d e f Sony Japan|Sony History 第4章 「24時間サービス体制」 <放送業務用VTR>”. Sony. 2014年11月25日閲覧。
  48. ^ a b Sony Japan|Sony History 第6章 理屈をこねる前にやってみよう <ウォークマン>”. Sony. 2014年11月25日閲覧。
  49. ^ ウォークマン 1 号機、液晶デジタルカメラ他、21 件の 重要科学技術史資料(愛称:未来技術遺産)の登録と 登録証授与式について”. 国立科学博物館 (2012年9月4日). 2014年11月26日閲覧。
  50. ^ a b c d Sony Japan|Sony History 第13章 晴れて国際規格 <3.5インチ・マイクロフロッピーディスク>”. Sony. 2014年11月25日閲覧。
  51. ^ Sony Japan|Sony History 第7章 デジタルをものにしてみせる”. Sony. 2014年11月25日閲覧。
  52. ^ a b Sony Japan|Sony History 第9章 石もて追われる大賀”. Sony. 2014年11月25日閲覧。
  53. ^ a b c d Sony Japan|Sony History 第10章 スタジオ録音もデジタルに <ミニディスク>”. Sony. 2014年11月25日閲覧。
  54. ^ a b c d Sony Japan|Sony History 第12章 苦闘する新分野への進出”. Sony. 2014年11月25日閲覧。
  55. ^ a b c d e f g h Sony Japan|商品のあゆみ−パーソナルコンピュータ”. Sony. 2014年11月25日閲覧。
  56. ^ 会社情報”. ソニーネットワークコミュニケーションズ. 2014年11月25日閲覧。
  57. ^ ドコモ 歴史 1996-1995”. Doplaza. 2015年9月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月10日閲覧。
  58. ^ a b ソニー・エリクソン・モバイルコミュニケーションズ設立のお知らせ』(プレスリリース)ソニー・エリクソン・モバイルコミュニケーションズ、2001年10月1日https://www.sonymobile.co.jp/company/press/20011001_jv.html2014年11月25日閲覧 
  59. ^ ソニーやパナソニックなど9社が、光ディスクレコーダ規格「Blu-ray Disc」を策定 ―青紫レーザーを使用し最大容量27GB、来春にライセンス開始予定”. AV Watch (2002年2月19日). 2014年11月25日閲覧。
  60. ^ 官報号外第133号”. 国立印刷局 (2013年6月24日). 2013年6月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年11月25日閲覧。
  61. ^ 平成26年6月24日官報号外第140号”. 国立印刷局 (2014年6月24日). 2014年6月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年11月25日閲覧。
  62. ^ 第96回定時株主総会招集ご通知に際してのインターネット開示情報 8関連当事者との取引に関する注記”. ソニー株式会社 (2013年6月20日). 2018年4月10日閲覧。
  63. ^ ソニー・インタラクティブエンタテインメント、17年3月期は営業益149%増の642億円と大幅な増益! PS4ソフト販売とハードのコスト削減で”. Social Game Info (2017年6月16日). 2018年2月16日閲覧。
  64. ^ a b ソニー、ソニー・エリクソンの100%子会社化を完了 社名をソニーモバイルコミュニケーションズに変更し、事業の融合を加速』(プレスリリース)Sony、2012年2月16日https://www.sony.com/ja/SonyInfo/News/Press/201202/12-025/2014年11月25日閲覧 
  65. ^ a b ソニーのテレビ事業、分社化で黒字へ PCも新会社が発足”. J-castニュース (2014年7月2日). 2014年11月25日閲覧。
  66. ^ ソニー、異例の売上高マイナス目標…現実路線へ”. 読売新聞 (2014年11月26日). 2016年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月10日閲覧。
  67. ^ ソニーがVAIO事業を売却する理由。変化したPC事業の位置づけ”. AV Watch (2014年2月7日). 2014年11月25日閲覧。
  68. ^ a b ソニー、FIFAスポンサー撤退へ 復活へ利益重視”. 朝日新聞 (2014年11月25日). 2015年9月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月10日閲覧。
  69. ^ SCE、オンラインゲーム子会社を売却 米投資会社に”. 日本経済新聞 (2015年2月3日). 2015年2月12日閲覧。
  70. ^ “ソニー、ソニーグループに商号変更。本社機能とエレキを分離・再定義”. Impress Watch. (2020年5月19日). https://www.watch.impress.co.jp/docs/news/1253359.html 2020年5月19日閲覧。 
  71. ^ 徳田ゆかり (2020年12月1日). “新生ソニーの経営体制固まる。セールス&マーケティング機能も全統合し国内エレキ事業を強化”. PHILE WEB (音元出版). https://www.phileweb.com/news/d-av/202012/01/51675.html 2020年12月21日閲覧。 
  72. ^ ソニー純利益、初の1兆円―21年3月期 巣ごもり需要、「鬼滅」効果も:時事ドットコム”. 時事ドットコム. 2021年4月28日閲覧。
  73. ^ Sony Japan|Sony History 第1章 焼け跡からの出発”. Sony. 2014年11月25日閲覧。
  74. ^ Sony Japan|タイムカプセル vol.8”. Sony. 2014年11月25日閲覧。
  75. ^ 「SONYの由来」、ソニー株式会社(ソニーグループポータルサイト)
  76. ^ Sony Japan|Sony History 第16章 個人的な理由 <トリニトロンカラーテレビ>”. Sony. 2014年11月25日閲覧。
  77. ^ 上場子会社3社の100%子会社化についてのお知らせ』(プレスリリース)ソニー、1999年3月9日https://www.sony.com/ja/SonyInfo/News/Press_Archive/199903/99-030b/2021年7月8日閲覧 
  78. ^ ソニー・コーポレーション・オブ・アメリカを含むコンソーシアムがメトロ・ゴールドウィン・メイヤー買収の最終合意に到達』(プレスリリース)Sony、2004年9月24日https://www.sony.com/ja/SonyInfo/News/Press/200409/04-0924/2014年11月25日閲覧 
  79. ^ ソニーCEOに内定したストリンガー氏が会見 〜最強のエレクトロニクスカンパニーを目指す”. PC Watch (2005年3月7日). 2014年11月25日閲覧。
  80. ^ 「固定資産の取得及び譲渡に関するお知らせ(PDF)」株式会社ニッキ(2013年11月20日) 2014年3月1日閲覧。
  81. ^ ソニーグループがLGBTについての取り組み指標『PRIDE指標』でゴールド認定”. ダイバーシティ&インクルージョン. Sony. 2021年4月17日閲覧。
  82. ^ エレクトロニクス事業におけるオペレーション機能の機構改革 ソニー、ソニーイーエムシーエス 2016年1月20日
  83. ^ ソニー、ものづくり実務機能を一元化 新会社設立 日本経済新聞 2016年1月20日
  84. ^ ソニー株式会社からの電池事業の取得の完了に関するお知らせ 村田製作所 2017年9月1日
  85. ^ ソニー LGBTに関する取組みが評価され、「PRIDE指標」で最高評価の「ゴールド」を2年連続受賞”. ダイバーシティ&インクルージョン. Sony. 2021年4月17日閲覧。
  86. ^ ソニー「PRIDE指標」で最高評価の「ゴールド」3年連続受賞”. ダイバーシティ&インクルージョン. Sony. 2021年4月17日閲覧。
  87. ^ ソニーエレクトロニクス株式会社 設立について”. ソニー. 2020年3月30日閲覧。
  88. ^ ソニーのEV試作車、日米欧で公道実験 SUVも視野 - 日本経済新聞社, 2020年7月28日
  89. ^ ソニーグループの経営機構改革について』(プレスリリース)ソニー、2020年5月19日https://www.sony.com/ja/SonyInfo/News/Press/202005/20-039/2020年12月21日閲覧 
  90. ^ ソニーグループ 組織・人事』(プレスリリース)ソニー、2020年11月17日https://www.sony.com/ja/SonyInfo/News/Press/202011/20-093/2020年12月21日閲覧 
  91. ^ https://news.yahoo.co.jp/articles/744d1bb72b3b2455f3c25b4097b1696b01c2ab8e
  92. ^ a b c d e Sony Japan|商品のあゆみ−ホームオーディオ”. Sony. 2014年11月25日閲覧。
  93. ^ 東京通信工業広告『科学朝日』1957年11月号 p.72
  94. ^ a b c Sony Japan|商品のあゆみ−パーソナルオーディオ”. Sony. 2014年11月25日閲覧。
  95. ^ a b 『昭和55年 写真生活』(2017年、ダイアプレス)p104
  96. ^ 米ソニー、ブランド初のOTC補聴器を発表。専門医の調整なしで購入後すぐ使用可能(PHILE WEB)”. LINE NEWS. 2022年10月13日閲覧。
  97. ^ a b c d e f g h Sony Japan|商品のあゆみ−ビデオレコーダー/ビデオプレーヤー”. Sony. 2014年11月25日閲覧。
  98. ^ a b c Sony Japan|商品のあゆみ−テレビ”. Sony. 2014年11月25日閲覧。
  99. ^ 放送博物館所蔵資料 VTR”. 日本放送協会. 2014年11月25日閲覧。
  100. ^ Sony Promedia”. Sony. 2014年11月25日閲覧。
  101. ^ a b c d e f g h Sony Japan|商品のあゆみ−ビデオカメラ”. Sony. 2014年11月25日閲覧。
  102. ^ DVDビデオソフトの高画質な映像を再現 音楽CD、ビデオCD(Ver.2.0)の再生も可能なDVDプレーヤー『DVP-S7000』発売』(プレスリリース)Sony、1997年1月9日https://www.sony.com/ja/SonyInfo/News/Press_Archive/199701/97V-001/2014年11月25日閲覧 
  103. ^ 大容量HDD搭載DVDレコーダー『PSX』「DESR-5000」「DESR-7000」 年末発売〜最大325時間の録画に対応〜』(プレスリリース)Sony、2003年10月7日https://www.sony.jp/CorporateCruise/Press/200310/03-1007/2014年11月25日閲覧 
  104. ^ S-LCD株式会社創立記念式”. ソニー (2004年7月15日). 2018年4月10日閲覧。
  105. ^ 2006年液晶テレビの世界出荷額はソニーが首位 -40〜44型で液晶がPDP越え。ディスプレイサーチ調査”. AV Watch (2007年2月14日). 2014年11月25日閲覧。
  106. ^ [2]
  107. ^ ソニー、リアプロ事業から撤退。「液晶と有機ELに注力」 -製造は2月末まで、3月末より順次販売終了”. AV Watch (2007年12月27日). 2014年11月25日閲覧。
  108. ^ ソニー、トリニトロンの生産終了”. ITmedia (2008年3月3日). 2014年11月25日閲覧。
  109. ^ a b c Sony Japan|商品のあゆみ−デジタルカメラ”. Sony. 2014年11月25日閲覧。
  110. ^ ハイエイトビデオテープに映像・音声のデジタル記録が可能 デジタルエイト方式を採用した“デジタルハンディカム”2機種 発売』(プレスリリース)Sony、1999年1月7日https://www.sony.com/ja/SonyInfo/News/Press_Archive/199901/99-001b/2014年11月25日閲覧 
  111. ^ レンズ交換式デジタル一眼レフカメラ関連の一部資産譲渡等について』(プレスリリース)ソニー株式会社、コニカミノルタホールディングス株式会社、コニカミノルタフォトイメージング株式会社、2006年1月19日https://www.konicaminolta.jp/about/release/2006/0119_03_01.html2014年11月25日閲覧 
  112. ^ αヒストリー”. Sony. 2014年11月25日閲覧。
  113. ^ Sony Japan|Sony History 第14章 旅客機に乗ったVTR”. Sony. 2014年11月25日閲覧。
  114. ^ Sony Japan|商品のあゆみ−その他”. Sony. 2014年11月25日閲覧。
  115. ^ Sony Japan|商品のあゆみ−ロボット”. Sony. 2014年11月25日閲覧。
  116. ^ a b Sony Japan|第11章 技術の「芽」、電子の「眼」 <CCD>”. Sony. 2014年11月25日閲覧。
  117. ^ 従来比約2倍(*1)の感度および低ノイズで高画質を実現した、裏面照射型CMOSイメージセンサー 新開発”. ソニー株式会社 (2008年6月11日). 2017年3月19日閲覧。
  118. ^ a b c ラジオ”. ソニー. 2014年11月30日閲覧。
  119. ^ リニアPCMレコーダー”. ソニー. 2018年4月10日閲覧。
  120. ^ POCKET BIT”. ソニー. 2014年11月26日閲覧。
  121. ^ 商品一覧”. ソニー. 2014年9月26日閲覧。
  122. ^ ソニー株式会社 | 商品 | ライフサイエンス”. www.sony.co.jp. 2021年6月11日閲覧。
  123. ^ 商品ラインアップ | メディカル関連機器 | ソニー”. www.sony.jp. 2021年6月11日閲覧。
  124. ^ a b c d e f g h i j k l “Sony History 第23章「SONYブランド」の出発”. ソニー株式会社. https://www.sony.com/ja/SonyInfo/CorporateInfo/History/SonyHistory/2-23.html 2018年1月15日閲覧。 
  125. ^ a b ““make.believe” の導入 豊かな想像を現実に結びつける—ソニーグループを象徴するブランドメッセージ”. Sony Japan ニュースリリース. (2009年9月3日). https://www.sony.com/ja/SonyInfo/News/Press/200909/09-100/ 2018年1月15日閲覧。 
  126. ^ “モーションロゴ”. ソニーグループポータル. https://www.sony.com/ja/brand/motionlogo/ 2022年2月6日閲覧。 
  127. ^ John Horn. The Reviewer Who Wasn't There”. 2001年6月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月17日閲覧。
  128. ^ Undercover Marketing Uncovered”. CBS (2003年10月23日). 2014年9月16日閲覧。
    What is Stealth Marketing?”. Marketing-Schools.org. 2014年9月25日閲覧。
  129. ^ a b 妊娠、GK、痴漢なにそれ? 全部ゲーム用語!”. livedoorニュース (2009年4月11日). 2016年3月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月10日閲覧。
  130. ^ ステマの実例”. ステマ対策室. 2020年11月11日閲覧。
  131. ^ ソニー、ヤラセを自白 「これからは良い製品作りに専念」”. engaget (2006年12月22日). 2007年1月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月22日閲覧。
  132. ^ YouTube、再生回数不正にメス。結果、ソニーミュージックやユニバーサルミュージック公式アカウント等の再生回数が大きくマイナスに”. ギズモード・ジャパン (2012年12月26日). 2014年9月7日閲覧。
  133. ^ ソニー、PS問題でFTCと和解”. The Wall Street Journal (2014年11月26日). 2014年11月26日閲覧。
  134. ^ Sony Computer Entertainment America To Provide Consumer Refunds To Settle FTC Charges Over Misleading Ads For PlayStation Vita Gaming Console”. Federal Trade Commission (2014年11月24日). 2014年12月3日閲覧。
  135. ^ 米連邦取引委員,PS Vitaで虚偽の広告を行ったとする問題についてSCEAと和解”. 4Gamer (2014年11月27日). 2015年2月12日閲覧。
  136. ^ SONY BMGのrootkit CD訴訟、和解を最終承認”. 2014年8月17日閲覧。
  137. ^ 消費生活用製品の重大製品事故に係る公表済事故”. 経済産業省. 2016年9月14日閲覧。
  138. ^ ソニーPSネットに不正侵入、7700万人の情報流出の可能性”. 2014年8月17日閲覧。
  139. ^ ウィキリークス、ソニー子会社の流出文書公開 約3万点”. 朝日新聞 (2015年4月17日). 2016年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月10日閲覧。
  140. ^ WikiLeaks - Sony Archives
  141. ^ Leaked emails expose Sony concern over report its cameras used in Gaza attack | The Electronic Intifada
  142. ^ Allegations that Sony equipment has been used in Israeli missiles bombing Gaza Strip | Business & Human Rights Resource Centre
  143. ^ 中国当局、ソニーに罰金 広告で「国家の尊厳損なう」”. 日本経済新聞 (2021年10月18日). 2021年10月19日閲覧。
  144. ^ 「盧溝橋事件の日」に新製品発表と広告…中国当局、ソニーに罰金1778万円”. 読売新聞オンライン. 読売新聞社 (2021年10月18日). 2021年10月19日閲覧。
  145. ^ ものづくり神話よ再び 〜ソニーの新たなる挑戦〜 - テレビ東京 2003年7月1日
  146. ^ 「出井伸之が語る、電機産業の"悩み"と"未来"」 - テレビ東京 2007年4月2日

外部リンク

編集