高島市
高島市(たかしまし)は、滋賀県北西部にある市。西近江路・若狭街道が縦貫する交通の要衝として発展した。人口は約4万人。琵琶湖岸から福井県若狭地方との県境まで市域が広がり、面積は琵琶湖の面積669.26 km2を上回る693.05 km2で、県内最大の面積規模を持つ。
たかしまし 高島市 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 近畿地方 | ||||
都道府県 | 滋賀県 | ||||
市町村コード | 25212-3 | ||||
法人番号 | 2000020252123 | ||||
面積 |
693.05km2 | ||||
総人口 |
43,918人 [編集] (推計人口、2024年11月1日) | ||||
人口密度 | 63.4人/km2 | ||||
隣接自治体 |
大津市、長浜市 京都府:京都市、南丹市 福井県:小浜市、敦賀市、三方上中郡若狭町、三方郡美浜町、大飯郡おおい町 | ||||
高島市役所 | |||||
市長 | 福井正明 | ||||
所在地 |
〒520-1592 滋賀県高島市新旭町北畑565 北緯35度21分11秒 東経136度02分09秒 / 北緯35.353度 東経136.03572度座標: 北緯35度21分11秒 東経136度02分09秒 / 北緯35.353度 東経136.03572度 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
概要
編集古代から畿内(関西)と若狭(北近畿)・北陸地方を結ぶ古代七道の北陸道が通り交通の要所として栄えた。
安曇川と石田川流域の扇状地や三角州にまとまった平地があるほかは、比良山地や野坂山地など森林が広がり、琵琶湖の水質汚染も少なく自然豊かである。日本さくら名所100選にも選定されているマキノ町海津大崎には、花見シーズンになると10万人を超える観光客が訪れ、マキノ町のカタクリの花の群生地、今津町のザゼン草、新旭町針江区の川端(かばた)なども有名。安曇川沿いの扇骨生産や、『琵琶湖周航の歌』の発祥地としても知られている。日本海側気候で、特に旧今津町、旧マキノ町、旧朽木村は豪雪地帯対策特別措置法における豪雪地帯となっており、それを利用したスキー場も賑わいを見せる。森林セラピー基地に認定されている。
2003年2月には当時日本の対人地雷処理が行われていた新旭町にて、その処理の終了をきっかけにNPO法人難民を助ける会との共催で「第1回地雷をなくそう! 全国子どもサミット」、引き続き2004年8月に「第1回地雷をなくそう! 世界こどもサミット」が開催された。同市立今津中学校が行っている「アジア子どもプロジェクト」も有名で、2006年にはネパールからの奨学生を招いての交流を行った。
市名の歴史と由来
編集日本に現存する最古の正史である『日本書紀』の継体天皇即位前紀に「近江国高島郡三尾之別業」とあるのが初見である。『日本書紀』編纂時の郡名を用いて記されたもので、奈良時代には「高島」の名が使われていた。
『万葉集』『和名抄』などに「太加之萬」と記されていることから、早い時期から「タカシマ」の呼称が定着したと考えられる。
『日本書紀』や『古事記』(8世紀初頭成立)よりも成立が古い『上宮記』(7世紀初頭の推古朝成立か?)逸文には、継体天皇の父彦主人王(5世紀前半から中期の人物)が「弥乎国高島宮」に居たとの記事があり、これが高島の市名の由来になったとする説がある[1]。
汗斯王、坐彌乎國高嶋宮時、聞此布利比賣命甚美女、遣人召上自三國坂井縣而娶。所生、伊波礼宮治天下乎富等大公王也。(汗斯王(彦主人王)、弥乎国(三尾)高嶋宮に坐まし時、この布利比売命(振媛)甚だ美女なるを聞きて、人を遣はし、三国坂井県より召し上げ、娶りて生まれる所、伊波礼の宮(磐余玉穂宮)に天下を治めし乎富等(男大迹)大公王なり。)
「彦主人王が、近江国三尾の高島宮に居た時、振媛が大変美しいと聞いて、人を遣わして、越前国坂井郡三国より呼び寄せ、婚姻して生まれたのが、磐余玉穂宮で天下を治めた男大迹王(継体天皇)である。」
上宮記(逸文)より
地理
編集今津(1991年 - 2020年)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 16.1 (61) |
18.0 (64.4) |
23.4 (74.1) |
26.9 (80.4) |
31.5 (88.7) |
34.5 (94.1) |
36.4 (97.5) |
36.9 (98.4) |
35.2 (95.4) |
30.9 (87.6) |
23.3 (73.9) |
18.3 (64.9) |
36.9 (98.4) |
平均最高気温 °C (°F) | 6.3 (43.3) |
6.9 (44.4) |
11.0 (51.8) |
16.9 (62.4) |
21.9 (71.4) |
25.3 (77.5) |
29.2 (84.6) |
31.0 (87.8) |
27.1 (80.8) |
21.4 (70.5) |
15.2 (59.4) |
9.3 (48.7) |
18.4 (65.1) |
日平均気温 °C (°F) | 2.8 (37) |
3.1 (37.6) |
6.4 (43.5) |
11.7 (53.1) |
17.0 (62.6) |
21.2 (70.2) |
25.1 (77.2) |
26.4 (79.5) |
22.7 (72.9) |
16.8 (62.2) |
10.7 (51.3) |
5.4 (41.7) |
14.1 (57.4) |
平均最低気温 °C (°F) | −0.4 (31.3) |
−0.4 (31.3) |
2.0 (35.6) |
6.8 (44.2) |
12.5 (54.5) |
17.5 (63.5) |
21.8 (71.2) |
22.8 (73) |
18.9 (66) |
12.6 (54.7) |
6.5 (43.7) |
1.9 (35.4) |
10.2 (50.4) |
最低気温記録 °C (°F) | −10.6 (12.9) |
−11.7 (10.9) |
−8.4 (16.9) |
−1.7 (28.9) |
3.4 (38.1) |
7.1 (44.8) |
12.6 (54.7) |
12.8 (55) |
9.8 (49.6) |
1.6 (34.9) |
−2.0 (28.4) |
−8.0 (17.6) |
−11.7 (10.9) |
降水量 mm (inch) | 192.5 (7.579) |
144.2 (5.677) |
139.9 (5.508) |
126.6 (4.984) |
167.0 (6.575) |
175.1 (6.894) |
225.5 (8.878) |
142.2 (5.598) |
194.4 (7.654) |
148.5 (5.846) |
112.9 (4.445) |
178.1 (7.012) |
1,946.9 (76.65) |
降雪量 cm (inch) | 110 (43.3) |
102 (40.2) |
14 (5.5) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
34 (13.4) |
258 (101.6) |
平均降水日数 (≥1.0 mm) | 19.6 | 16.9 | 15.1 | 11.7 | 10.9 | 11.2 | 13.0 | 9.1 | 11.3 | 10.9 | 12.2 | 17.9 | 159.7 |
平均月間日照時間 | 79.0 | 86.1 | 137.9 | 174.6 | 187.1 | 141.4 | 150.9 | 198.3 | 148.6 | 141.4 | 117.0 | 92.3 | 1,654.6 |
出典1:Japan Meteorological Agency | |||||||||||||
出典2:気象庁[3] |
隣接している自治体・行政区
編集高島市を含めた滋賀県と福井県の9市町(高島市、長浜市、米原市、敦賀市、小浜市、美浜町、若狭町、高浜町、おおい町)で福滋県境交流促進協議会を結成している[4]。なお、福井県遠敷郡の旧上中町は、平成の大合併の際、滋賀県高島郡6町村との合併(越境合併)を検討していたことがあった(上中町はその後の合併で福井県若狭町となっている)。
歴史
編集縄文時代、安曇川や鴨川、石田川の沖積平野に人が住み着いた。(鴨遺跡・上御殿遺跡・天神畑遺跡・北仰西海道遺跡など)
弥生時代の3世紀以前に古代日本を代表する有力氏族である安曇族が定着した。安曇川の名は安曇族に由来する。県名の滋賀県も安曇族に由来すると言われている。(「滋賀郡」の郡名の由来を参照)
都と北陸地方を結ぶ人々の往来、物資の運搬や交易の最短路として高島は重要な拠点となる。(『古事記』の第15代天皇応神天皇段に、応神が近江から若狭を経て敦賀の気比の神に詣でるために行幸した。という記事がある。応神が実在したのかは不明だが、近江から若狭へ通じるルートは高島を通過する街道以外になく、この記事からも古代の主要路として使用されていた事が史実であるとわかる。)
古墳時代の450年頃、記紀によれば、応神天皇の5世子孫の第26代天皇である継体天皇は近江国高嶋郷三尾野(滋賀県高島市近辺)で誕生した。その地の付近には継体天皇の父親の彦主人王の陵墓とされる田中王塚古墳や、継体天皇を支えた三尾氏の首長または継体天皇の皇子の陵墓とされる鴨稲荷山古墳がある。継体天皇は、古代の神話のみで実在しないとされる天皇の中で、おおよその年代が推定できる実在が確実な最初の天皇である。(例えば、継体は第15代天皇の応神天皇の5世子孫とされるが、その応神天皇自体の実在を疑う説がある。継体の前代の第25代天皇の武烈天皇も実在を疑う説が強い。継体天皇擁立の前に大伴金村、物部麁鹿火らの豪族が擁立しようとしていたのは14代仲哀天皇の5世孫の倭彦王であるが、仲哀天皇も倭彦王も実在が疑われている人物である。)
3世紀から7世紀の古墳時代において、湖西北部(現在の高島地域)において古墳群が築造される。
飛鳥時代の672年、壬申の乱では高島の三尾が戦場となり、三尾城が陥落する。
7世紀後半くらいに日置前に官衙的機能を持つ建物が建てられる(日置前遺跡)。
奈良時代の764年、藤原仲麻呂の乱で敗れた藤原仲麻呂(藤原恵美押勝)は、高島の三尾付近の湖上にて坂上石楯に斬り殺される。
8 - 9世紀にかけて、渤海使が国際航路として高島を使用した。
平安時代9世紀頃の高島郡は、『和名類聚抄』によると、「木津」「鞆結」「善積」「河上」「角野」「三尾」など10郷の存在の記載がある。このうち木津荘(旧饗庭村)は、保延4年(1138年)に山門(比叡山延暦寺)領に加えられ、富永荘(伊香郡)、栗見荘(神崎郡)とともに、「三箇庄聖供領(千僧供領)」と言われ延暦寺の重要な経済基盤を担った。
高島は、『延喜式』の近江国式内社155座の約4分の1に当たる34座(式外社の白鬚神社を含めると35座)があり、古代近江において重要な地位を持っていた。
鎌倉時代初期、近江源氏である佐々木信綱の子の佐々木高信が、父信綱より高島郡に所領を分与されて高島氏を称し、高島高信と名乗った。高島氏は後に数流に分かれたが、それぞれ高島郡の各所に居城を構え、戦国時代まで栄えた。高島一族には惣領家である高島氏を筆頭に、高島朽木氏、高島永田氏、高島平井氏、高島横山氏、高島田中氏らがあった。
室町時代の応永29年(1422年)の『木津荘検注帳』、年次不詳の『木津荘引田帳』などから安曇川・鴨川デルタ地帯(旧新旭町・旧安曇川町・旧高島町)は条里制が敷かれていたことが知られている。
室町時代の享禄元年(1528年)室町幕府12代将軍足利義晴は細川晴元・三好元長らの反乱の難を避け、朽木稙綱を頼って享禄4年(1531年)まで朽木興聖寺に滞在していた。
天文22年(1553年)、三好長慶との戦い(東山霊山城の戦い)に破れた室町幕府13代将軍足利義輝は伯父である前関白近衛稙家らを伴い、朽木元綱(朽木稙綱の孫)を頼って朽木谷に逃れ、以降5年間を朽木岩神館で過ごした。
高島高信以降の高島氏歴代は、高島平野の中央部(安曇川北岸の饗庭野丘陵末端・新旭)にある清水山の清水寺跡に清水山城を築いて居城とした。築城の年代は不詳であるが、北野天満宮史料『目安等諸記録書抜(文安4年(1448年)12月4日記録)』に、清水寺に関する記録があることから文安4年以降の築城と考えられる。鎌倉時代室町時代と将軍家に直属する奉公衆として栄えた。しかし享禄4年(1531年)より浅井郡の戦国大名浅井亮政の侵攻が始まり、永禄11年(1568年)には浅井氏の影響下に置かれることになった(『朽木文書』史料)。元亀年間、明智光秀ら織田信長軍の進攻により高島氏宗家は高島郡を追われた。朽木氏は市西部の朽木谷を鎌倉時代・室町時代を通して領しており、織田政権に続いて豊臣政権、江戸幕府に従い、旗本として幕末まで転封することなく栄えた。その後、磯野員昌により新庄城に政治の中心が移ったが、間もなく入城した津田信澄により大溝城に政治の中心が移された。信澄の後は京極高次などが大溝城主となった。
江戸時代の元和5年(1619年)に分部光信が伊勢上野より入封して大溝藩が成立し、以後、明治維新まで分部氏が治めた。江戸時代の高島郡は、天領、大溝藩領、小浜藩・加賀藩・膳所藩・郡山藩の飛び地、旗本朽木氏の知行地などが混在していた。江戸時代は、幕府の役所が設置された海津村(旧マキノ町)と城下町である大溝村(旧高島町)を中心に発展した。
明治時代になり、大日本帝国陸軍の駐屯地・饗庭野演習場が置かれたことをきっかけに今津村(旧今津町)に高島郡役所が設置され、以後、国・県の出先機関は今津に設置されるようになった。
沿革
編集※市制執行以前の市域の歴史については、高島郡も参照
人口
編集高島市(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
行政
編集市長
編集歴代市長
編集歴代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
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市長職務執行者 | 玉垣勝 | 2005年1月1日 | 2005年2月12日 | 旧朽木村長 |
初代 | 海東英和 | 2005年2月13日 | 2009年2月12日 | 旧新旭町長 |
2代 | 西川喜代治 | 2009年2月13日 | 2013年2月12日 | 元高島市健康福祉部長 |
3 - 5代 | 福井正明 | 2013年2月13日 | 在職中 | 元滋賀県病院事業庁長 |
市役所
編集- 市役所(旧新旭町役場)
- マキノ支所(旧マキノ町役場)
- 今津支所
- 朽木支所(旧朽木村役場)
- 安曇川支所(旧安曇川町役場)
- 高島支所(旧高島町役場)
現在の市役所は暫定的なもので、将来的には県道安曇川今津線に面する今津町今津字南沼に新庁舎を建設するとしている[5]。高島市の条例第1号でも「今津町今津448番地20」が「本市の事務所の位置」として明記されている。しかし2013年1月の市長選で新庁舎建設凍結を公約の一つに掲げる福井が当選し、現庁舎を増改築する方針に転じた。これに対して旧今津町では「合併協定書を守る市民の会」が結成されるなど、方針転換への反発が起こっている。[6]
2017年8月14日、今津支所が庁舎の老朽化に伴い旧今津町役場から新庁舎へと移転。
2017年8月から2019年3月にかけて本庁舎新館の増築と本館の改修が行われ、新館が2018年10月9日、本館が2019年5月7日にオープンした。これに伴い、高島市役所別館と安曇川支所内の教育委員会の業務が本庁に集約された。
住所表記
編集- 合併後の旧各町村の住所表記は旧高島町・旧朽木村以外は旧町名を踏襲している。旧高島町に関しては旧町名は省略、旧朽木村に関しては「朽木村○○」から「朽木○○」と変更されている。
議会
編集市議会
編集衆議院
編集当落 | 候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 重複 |
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当 | 大岡敏孝 | 49 | 自由民主党 | 前 | 97,482票 | ○ |
比当 | 斎藤アレックス | 36 | 国民民主党 | 新 | 84,106票 | ○ |
日高千穂 | 77 | NHKと裁判してる党弁護士法72条違反で | 新 | 5,092票 | ○ |
公共機関
編集警察
編集消防
編集- 高島市消防本部
- 北部消防署
- 南部消防署
司法
編集高島簡易裁判所と大津家庭裁判所の出張所、高島区検察庁があるが、高島区検は大津地方検察庁及び大津区検察庁の検事が事務取扱の発令を受け、大津で事件を処理している。
- 大津家庭裁判所高島出張所
- 高島簡易裁判所
- 高島区検察庁
その他
編集経済
編集地場産業
編集農業
編集
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水産業
編集漁業協同組合
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漁港
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主要企業
編集- 高島織物工業協同組合
- 滋賀県撚糸工業組合
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商業施設
編集観光業
編集- ウエストレイクホテル
- 今津サンブリッジホテル
- 奥琵琶湖マキノグランドパークホテル(旧・奥琵琶湖マキノプリンスホテル)
金融機関
編集姉妹都市・友好都市
編集- 北海道虻田郡ニセコ町:ともにカタカナ地名の町であったことから、1978年(昭和53年)に旧マキノ町が姉妹都市提携。
- 大阪府吹田市:1980年(昭和55年)に旧今津町が友好都市提携。
- 大阪府守口市:1981年(昭和56年)に旧安曇川町が友好都市提携。
- 愛媛県大洲市:1999年(平成11年)に旧安曇川町が友好都市提携。
- アメリカ合衆国ミシガン州ペトスキー市:1976年(昭和51年)に旧マキノ町が姉妹都市提携。
- その他
かつては信長ゆかりの自治体の集まる「織田信長サミット」にも参加し、1996年には第13回サミットを高島町(当時)で開催したが2007年のサミットを最後に離脱している[7]。
地域
編集医療・福祉
編集主な医療機関
編集
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福祉機関
編集
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- 高島市地域包括支援センター
- 精神障害者地域生活支援センター藤の樹
- 湖西障害者生活支援センターほろん
- 湖西地域働き・暮らし応援センター
- 湖西地域障害者生活支援センターわになろう
- 高島市教育支援センターすまいる
教育
編集小学校
編集中学校
編集高等学校
編集その他
編集- 滋賀県立新旭養護学校
郵便局
編集
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市民活動
編集
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交通
編集鉄道路線
編集湖西線が市の東部を南北に縦断している。市内に下記のとおり6駅が存在し、そのうち一部の特急が停車する近江今津駅が拠点であるといえる。市役所への最寄り駅は新旭駅である。関西圏の自治体で踏切が存在しないのは、鉄道自体が存在しない市町村を除き、当市および大阪府守口市、門真市の3市だけである。
- 西日本旅客鉄道(JR西日本)
バス路線
編集道路
編集- 高速道路
- 市内を高速道路は通っていない。国道303号を経由し、木之本インターチェンジが最寄りインターチェンジになるが、国道161号・琵琶湖西縦貫道路を南下して京都東インターチェンジを利用する方法もある。
- 一般国道
- 国道161号琵琶湖西縦貫道路(高島バイパス・湖北バイパス)
- 国道303号
- 国道367号
- 主な県道
- 道の駅
船舶
編集名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
編集自然
編集- 沖の白石
- 萩の浜(日本の渚百選)
- 八ッ淵の滝(日本の滝百選)
- 畑の棚田(日本の棚田百選)
- メタセコイア並木(日本街路樹百景)
- 海津大崎(琵琶湖八景『暁霧・海津大崎の岩礁』、日本さくら名所100選)
- 生杉のブナ原生林
- 今津浜
- 今津のザゼンソウ群落(滋賀県緑地環境保全地域:国内南限のザゼンソウ群生地)
- 高島トレイル - 高島市内の中央分水嶺を縦走するトレッキングルート
- マキノ高原
神社・仏閣・教会
編集神社
編集
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仏教寺院
編集
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天理教会
編集
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キリスト教会
編集
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史跡
編集遺跡(古代)
編集- 鴨遺跡 - 縄文時代から江戸時代までの複合遺跡。平安時代前期の木簡5点が出土した。
- 上開田遺跡 - 縄文時代中期の打製石器、古墳時代の土壙墓が見つかった。
- 仏性寺遺跡 - 縄文時代の土偶、切目石錘、敲石が見つかった。
- 北仰西海道遺跡 - 縄文時代後期から弥生時代後期の共同墓地的な性格を持った遺跡。約100基の土器棺墓が見つかった。
- 弘部野遺跡 - 縄文時代から奈良時代にかけての集落遺跡。
- 森浜遺跡 - 弥生時代から古墳時代前期。古代琴が出土した。
- 安井川遺跡 - 弥生時代の集落遺跡。
- 針江浜遺跡 - 弥生時代後期から古墳時代にかけての湖底に存在する遺跡である。
- 針江川北遺跡 - 弥生時代中期から後期の遺跡。環濠集落と水田跡が検出された。
- 熊野本遺跡 - 弥生時代の高地性集落の遺跡としては、東西約300メートル、南北約200メートルの滋賀県内最大である。
- 天神畑・上御殿遺跡 - 縄文時代から室町時代の遺跡。日本国内初の双環柄頭短剣(中国華北や内モンゴルに分布するオルドス式銅剣に似ている)の鋳型が出土した。
- 下五反田遺跡 - 3世紀から11世紀にかけての遺跡だが、中心を成すのは5世紀中葉の遺跡である。韓式土器などが出土し渡来人との交流が見られる。
- 南市東遺跡 - 5世紀後半頃の遺跡。カマドや韓式土器など、渡来人と交流があったことをうかがわせる遺跡である。
- 八反田遺跡 - 5世紀末から6世紀に出現した遺跡。下五反田遺跡、南市東遺跡の住民が移住したと推定されている。
- 美園遺跡 - 6世紀から7世紀にかけての遺跡。古墳と10世紀まで続く掘立柱建物が30楝検出された。
- 東谷遺跡 - 古墳時代後期くらいから製鉄が行われていた可能性がある製鉄遺跡。
- 北牧野製鉄遺跡 - 古墳時代後期くらいから製鉄が行われていた可能性がある。『続日本紀』によれば、703年の文武天皇在位中には確実に製鉄が行われている。
- 日置前遺跡 - 縄文時代から鎌倉時代までの複合遺跡。高島郡の郡衙跡と思われる遺跡が見つかっている。
- 弘川遺跡 - 奈良時代の官衙に付随する倉庫群と見られる総柱建物16楝が、見つかった。
- 木津製鉄遺跡 - 奈良時代の製鉄遺跡
- 栗屋田遺跡 - 奈良時代の掘立柱建物が検出。
遺跡(中近世)
編集古墳
編集- 鴨稲荷山古墳 - 50メートル級の前方後円墳。朝鮮半島の影響を強く受けた多くの貴重な副葬品が出土した。被葬者は継体天皇の親族と推定されている。
- 田中王塚古墳 - 5世紀半ばの築造の円墳。継体天皇の父の彦主人王御陵。陵墓参考地に治定されて宮内庁の管理下に置かれている。
- 田中古墳群 - 5世紀から6世紀。約70基の方墳や円墳が確認された。
- 熊野本古墳群 - 3世紀前半から築かれた前方後方墳を含む古墳群。前方後方墳1基、前方後円墳1基、方墳12基、円墳24基、計38基からなる。前方後円墳は国内最古級とされる。
- 平ヶ崎王塚古墳 - 田中王塚古墳と墳丘規模・墳形・築造方法等に共通性が認められる。直径80mの平地に築かれたものとしては県下最大級の円墳。
- 南畑・下平古墳群 - 5世紀から7世紀にかけての群集墳である。継体天皇を支えた勢力と推測されている。
- 打下古墳 - 古墳時代中期の5世紀前半頃の古墳と推定される。
- 音羽古墳群 - 6世紀後半から7世紀初頭にかけての典型的村落形群集墳で全体として約50基から成る。
- 拝戸古墳群 - 水尾神社の後にある三尾山の古墳群。三尾氏の祖の墳墓とされる。
- 健速神社古墳群 - 健速神社 (高島市)(たてはやじんじゃ)は同古墳群の上に建っている。
- 白鬚神社古墳群 - 白鬚神社社殿背後の斜面にある。
- 妙見山古墳群 - 約80基確認されている。
- 下平古墳群 - 5世紀から7世紀、円墳19基、方墳4基で構成されている。
- 北牧野古墳群 - 古墳時代後期。約150基の古墳が確認されている高島市最大の古墳群。
- 西牧野古墳群 - 6世紀半ば。47基の古墳群。
- 胞衣塚 - 6世紀。継体天皇の胞衣(胎盤)が埋められたと伝承がある円墳。高島市指定文化財史跡
城址
編集- 清水山城 - 高島氏の祖高島高信の築いた高島氏歴代の居城。国の史跡。JR新旭駅2km西方
- 朽木城 - 高島氏の支族である朽木氏の築いた陣屋。旧朽木村
- 永田城 - 旧高島町
- 横山城 - 旧高島町
- 田中城 - 高島氏の支族である田中氏の築いた城。旧安曇川町
- 舟木城 - 旧安曇川町
- 五番領城 - 旧安曇川町
- 吉武城 - 吉武壱岐守の居城。旧新旭町
- 新庄城 - 清水山城の中核的な出城。旧新旭町
- 大溝陣屋 - 大溝藩分部氏2万石の城址公園。城門、石垣が残る。
温泉
編集スポーツ
編集その他
編集- 新旭町針江区の「生水の郷委員会」「平成の水百選」
- 琵琶湖周航の歌資料館
- 今津ヴォーリズ資料館
- 日本基督教団今津教会会堂
- 旧今津郵便局
- 丸八百貨店
- 滋賀県立びわ湖こどもの国
- ガリバー青少年旅行村
- 家族旅行村ビラデスト今津
- 在原の町並み
名産物
編集著名な出身者
編集歴史上の人物
編集- 継体天皇 - 日本の第26代天皇、高島郡三尾(安曇川町三尾里)
- 彦主人王 - 古墳時代、継体天皇の父親
- 田中吉政 - 戦国大名、高島氏庶流田中氏、安曇川町田中出身
- 朽木元綱 - 戦国大名、高島氏庶流朽木氏、朽木出身
- 高島四郎兵衛 - 代々が髙島四郎兵衛を名乗るが、初代茂春は高島郡高島庄出身で戦国末期の長崎の頭人、次代茂貞(宗悦と号する。)は江戸時代の長崎の町年寄。家系は続き、幕末の高島四郎兵衛茂起の三男に砲術家高島秋帆(東京・高島平の地名の由来となる。)を出す。
- 中江藤樹 - 江戸時代の陽明学者、安曇川町上小川出身
- 浅見絅斎 - 江戸時代の儒学者、新旭町太田出身
- 上原立斎 - 江戸時代後期(幕末)儒学者、新旭町北畑(新儀村)出身
- 上原しん - 江戸時代後期(幕末)儒学者である小浜藩士の梅田雲浜夫人(先妻)、新旭町北畑(新儀村)出身
学術
編集- 饗庭孝男 - 文芸評論家、元青山学院大学名誉教授
- 石黒浩 - ロボット工学者、安曇川町出身。大阪大学大学院基礎工学研究科教授[9]
- 澤田軍治郎 - 大阪教育大学名誉教授
- 清水安三 - 宗教家・教育者。桜美林学園設立。新旭町北畑出身
- 中川源吾 - 水産学者
- 前田鼎 - 医学者
- 竹脇出 - 建築学者、安曇川町出身。京都大学名誉教授。京都美術工芸大学学長。日本建築学会元会長(2019-2021、第56代)
政治家・経済人
編集- 飯田儀兵衛 - 近江商人、髙島屋の遠祖、今津町出身
- 上原茂次 - 政治家(大津市長)
- 大谷仁兵衛 - 実業家、日本タイプライター創業者、今津町椋川出身
- 海東英和 - 政治家、元初代高島市長、内閣府公益認定等委員会委員
- 川島宇一郎 - 明治期の政治家(衆議院議員)、安曇川町長尾出身
- 川島信也 - 元長浜市長
- 河本嘉久蔵 - 政治家(元国土庁長官・参議院議員)、アヤハグループ創業者、安曇川町出身
- 河本英典 - 政治家(参議院議員)、安曇川町出身
- 西川喜代治 - 政治家、第2代高島市長
- 福井正明 - 政治家、高島市長
- 松本修 - 朝日放送テレビ製作局局長、マキノ町海津出身
- 森本千賀子 - 実業家、キャリアデザイナー、著作家、講演家。「株式会社morich」代表取締役 兼 All Rounder Agent、マキノ町出身
- 山下英利 - 政治家(参議院議員)
- 山下元利 - 政治家(元防衛庁長官・衆議院議員)、マキノ町山中出身
- 山本昌弘 - フランチャイズビジネスインキュベーション株式会社代表取締役、「鰻の成瀬」創業者
芸能人
編集- 岡本美歌 - 声優、舞台女優
- 桂三度 - 落語家、安曇川町出身
- 桂優々 - 落語家、桂米朝一門
- 沢井亮 - AV男優
- 井保三兎 - 劇作家、役者、演出家
- 馬場章夫 - タレント、高島町出身
- 水澤心吾 - 俳優
文化人
編集スポーツ選手
編集その他
編集在住有名人
編集スポーツチーム
編集- OBC高島 - 社会人野球のクラブチーム。2006年に創部。
- 滋賀・高島ベースボールクラブ - 社会人野球のクラブチーム。OBC高島から分離・独立し2010年に創部したが、2014年限りで解散。2012年に全日本クラブ野球選手権大会を制している。
脚注
編集出典
編集- ^ 市政の情報 - 高島市
- ^ “WE LOVE 高島ふるさと納税”. 高島屋. 2024年10月8日閲覧。
- ^ “今津 過去の気象データ検索”. 気象庁. 2024年3月10日閲覧。
- ^ “広報たかしま 2014年8月号”. 高島屋. 2024年10月8日閲覧。
- ^ 『合併協議会だより』第9号(高島地域合併協議会、2003年7月)
- ^ 2014年2月9日付『読売新聞』大阪本社版朝刊滋賀面
- ^ “信長サミット”. 甘楽町 (2011年11月12日). 2016年5月17日閲覧。
- ^ 【継ぐメシ!つなぎたい郷土食】高島とんちゃん(滋賀県高島市)地域に根差した存在『日本農業新聞』2022年1月15日8-9面
- ^ “大阪大学教授・ロボット工学者 石黒 浩さん”. 滋賀県ホームページ (2016年). 2021年1月11日閲覧。
関連項目
編集- 条里制
- 琵琶湖若狭湾快速鉄道(若狭リゾートライン)
- ひらがな・カタカナ地名#かつて存在したもの - 旧マキノ町