昨日、大阪地方裁判所が、GPS発信器を無断で車両に装着して監視していた問題で、弁護側の証拠排除の申立てについてこれを退ける決定をした。
GPS捜査は「適法」 大阪地裁、窃盗事件で判断
http://digital.asahi.com/articles/ASH1V42NTH1VPTIL00M.html
以下、この決定のどこが問題なのか、そして、GPS捜査がプライバシー権をなぜ侵害しているか、について説明したい。
GPS捜査を正当化する最大の根拠は、発信器が車両に装着しているのは、公道上での移動を把握しているのでプライバシー問題はそれほど大きくない、という考え方である。
これは、人の前に顔を晒しているときには肖像権は問題になりません、と言う理屈と共通する。でも、短時間、公道上あるいは公共空間に居て他人に確認できるから、と言ってプライバシー侵害がないと言ってよいのだろうか。
たしかに、これまでは、家の中や敷地内であればプライバシーは保護され、公共空間では保護の程度は低い、という「公私二分論」が基準とされてきた。
しかし、GPS捜査はこうした「公私二分論」では判断できない、決定的な違いが存在していて、従来の基準が通用しない、というのが管理人の考え方である。
その理由は、3点ある。
第一は、GPSによる位置情報取得のシステムが、尾行や目視の代替とは同視できないほどの威力をもった監視ツールであることによる。
バッテリーさえ交換できれば、GPS発信装置は無制限に24時間365日、行動把握のために利用できてしまう。これは、人間では不可能な監視装置だ。
今回の大阪の事案では、捜査官が呼び出したときにだけ位置情報を把握するという態様であったことがプライバシー侵害の程度が低い根拠とされているようだが、それは「たまたま」そうしたデータの取得をしていただけで、GPS発信装置を取り付ければ、常時監視は可能で、自動的にデータを転送させるシステムも普通に用意されている(カーナビが典型例)。
こうした、常時監視の仕組みについてプライバシー侵害の程度を低いとしてしまうと、市民生活に対する「萎縮効果」が非常に大きいことになるだろう。 車両でよいというのなら、荷物はどうか? 鞄やバッグといった所持品はどうか? 携帯やスマホはどうか? その応用範囲は広がるばかりだ。 わたしたちは、いつ、どこで、どのように、GPSなどの位置情報取得をされても、法的な規制のない社会に住みたいと思うだろうか。
第二は、GPSによって得られるデータの性質である。公共空間にいる時間だけでなく、私有地などに居る場合も、その居場所は把握される。 それは、人の趣味や志向、思想信条や交友関係、あらゆるものをデータとして記録させることを可能にするだろう。
そもそも、「公共空間」にいるということだけでプライバシー侵害が正当化されるという時代も終わりを告げていると考えなければならなくなっている。
最新のプライバシー理論では、「公私二分論」ではこのような威力をもったプライバシー侵害ツールを規制できないため、別のアプローチが考えられている。 たとえば、「量的プライバシー論」という考え方がそうだ。 侵害の有無の基準を、これまでのような空間上に置くのではなく、収集された個人情報、パーソナルデータの量に着目しようというものだ。 もちろん、そうした考え方に立つと、どれくらい情報を集めると違法になるかという点が課題になるが、発想の転換という意味では、これまでの公共空間=プライバシー侵害の程度低下、という公式に対する批判として有効である。
第三は、GPSによって得られるデータ(位置情報)の利用についてである。
捜査機関がこうしたデータを、自分たちの判断だけで、いかなる期間、いかなる対象についても利用できるとしたら、法的規制は及ばないということになりかねない。
なぜなら、今回のように刑事裁判で証拠として用いられるかどうかは不確定だからだ。名古屋で昨年、起訴もされていない人がたまたまGPS発信器を発見、警察が取り付けたことがわかって民事訴訟を起こしている。事前規制も事後規制もない今のGPS利用捜査に警鐘を鳴らすことになるはずだ。
ドイツではGPS利用捜査は認められているが、事後的な告知を義務づけている。しかも、対象となるのは「テロ犯」のように社会の安全に深刻な影響を及ぼす事件に限られていて、今回、大阪で実施されたような財産犯は対象となっていない。
アメリカではGPS利用捜査は認められているが、最高裁判例によって、令状の事前取得を義務づけている。
GPSを利用した捜査手法はたしかに非常に有効である。 それだけに、同時にプライバシー侵害の度合いが非常に高い。 禁止するのではなく、事前規制方式か、事後規制方式か、いずれかを採用することでそうした侵害の危険性を「減少」させる仕組みが不可欠である。
今回の大阪地裁の判断は、わが国ではGPS利用捜査の法的規制は無用で、内部通知で十分である、と言っているのと等しく、いわば問題を「放置」することを承認したわけで、決して承認できないものである。
上級審での是正を望みたい。