裁判員と死刑言渡し増加について、どのような説明をするかという問題について、前回のポストでは3つの仮説を立ててみた。
第一の「手続原因論」を論証することはとりあえず置いておいて、統計的に第二と第三の仮説から検証可能かどうか試みたい。これらの検証の結果、いずれも裏付けられなければ暫定的に第一の仮説が有効と推察できるだろう。
まずはじめに、死刑事件の前提となる、日本の「殺人事件」の動向を踏まえておくことが必要だ。
通常殺人事件の動向について手近な統計というと、一般には警察統計が利用される。
次の統計は1990年代からの殺人事件の経年変化を示す。
これを見ると、。青い縦棒で示された認知件数が徐々に減少していることがわかるだろう。
ところが、警察統計や「犯罪白書」では、「殺人」というカテゴリーに「殺人未遂」や「殺人教唆」まで含んでいるため、実際の「殺人既遂」件数統計が確認できない。
いったい、日本でどれくらいの人が「殺人」で亡くなったことにされているのか。 その手掛かりになるのは実は犯罪統計ではなく、厚生労働省の出している「人口動態調査」である。
次の統計は、この調査数値の中から「殺人被害者」の経年変化を抽出して作成されたデータである。
これを見ると、「殺人既遂」の「被害者」がどんどん減っており、その勢いが激しいことがわかるだろう。2009年に、はじめて500人を切ったが、その減少傾向は止まらず戦後最低を記録し続けていることがわかる。
そうなると、当然これは起訴件数や検察官の求刑にも反映されるはずで、殺人既遂事件の実数の減少傾向は、すべての殺人既遂事件を等価値に見たとすると(被害者の数や様々な事情を考慮しない)、本来、殺人既遂の死刑求刑数は減少していくはずである。
実際、平成18(2006)年以降、検察による死刑求刑数は明らかに下降傾向を示している。
年 : 求刑 死刑量刑
2006: 20 12
2007: 19 12
2008: 12 5
2009: 14 8
2010: 9 4
2011: 13 10
2012: 7 3
2013: 6 5
2014: 2 2
つまり、第2の仮説である「検察官は裁判員裁判では相当に重いケースだけに絞って、死刑を求刑しているのではないか?」という、検察官の事件選別に原因を求める「選別原因論」はおそらく成り立たないようにと思われる。
では、第3の仮説である、個別事件の性質が悪質化していて死刑が出やすい、という仮説、「残虐性原因論」についてはどうだろうか?
犯罪統計は数値を捉えているため、事件処理の結果しか示さないので質的評価は難しい。
そこで、そうした研究を手掛かりにしてみよう。
幸い、法務省から次のような研究が公開されており、そこに貴重なデータが含まれている。
無差別殺傷事犯に関する研究
第2章 第2章 殺人事件の動向
http://www.moj.go.jp/content/000112398.pdf
これを見ると、殺人事件の質的動向がある程度わかってくる。
たとえば、図2−1−3 「殺人被疑者と被害者の面識率・親族率」の変化を見ると、この30年に大きな変化はない。最近、親族率が微増している程度だ。 つまり、日本の殺人は、「見知らぬ人に突然殺される」という事案は割合としては少なく(平成23年だと13%くらい)、圧倒的に親族によって殺されているという傾向がある。
だが、ここで目を引くのは、2−1−5図の「検挙人員の年齢別構成比の推移」である。
60代以上を見てみよう。
20年前には10%にも満たなかったが、平成23年で見ると25%と何と4分の1を占めているのである。 これは日本社会の高齢化現象と比べても、それを上回る速度で変化していると言えよう。 いわゆる「老老介護」殺人のケースなどが典型例として想定される。
それでも、凶悪犯罪が横行しているのではないのか、という疑問もあるだろう。 そこで、警察庁統計の「捜査本部設置事件数」の推移を見てみよう。 「捜査本部設置事件」というのは、殺人・強盗殺人等の殺人が絡む事件で設置されるもので、事件の特性傾向のひとつの指標になる。
平成15(2003)年と平成16(2004)年は145件だったが、平成20(2008)年には102件に減少し、平成23(2011)年54件、平成24(2012)年59件と、10年で半数以下に減少している。
日本では凶悪犯罪もこの10年でこれだけ減少しているわけだから、裁判員裁判時代になっても、死刑に相当する事件が減少傾向にあることも裏付けられるだろう。
では、裁判員は裁判官時代と違って、こうした犯罪現象の沈静化にもかかわらず厳罰傾向にあるのだろうか。
上記の質的調査から離れるが、裁判員裁判と裁判官裁判の量刑傾向を比較した、有益なデータが公開されているので、これを見てみよう。
http://www.saibanin.courts.go.jp/vcms_lf/diagram_1-55.pdf
この図52−1は、「殺人既遂」のみの量刑について裁判官による量刑分布と裁判員のそれとを比較している。裁判員裁判は平成21(2009)年5月に施行されているので、それ以前に起訴されると同じ殺人罪でも裁判員裁判ではなく裁判官だけの裁判にかけられるので、この時期の量刑の比較は有益である。
この図から伺える限り、重い量刑部分は裁判官でも裁判員でもあまり変化はない。 ただし、全体的に見ると裁判員裁判の方がミドル・レンジが重い方向にシフトしていることが伺える。 他方で、裁判員裁判において殺人既遂であっても執行猶予とされる割合が高いことが伺え、「二極化傾向」が指摘できる。
* 我田引水で恐縮だが、裁判員裁判一年目の量刑傾向比較をおこなった、Ibusukiの調査は英語で論文にして公表しているので、興味がある方はご覧いただきたい。
"Quo Vadis?": First Year Inspection to Japanese Mixed Jury Trial
http://blog.hawaii.edu/aplpj/files/2011/11/APLPJ_12.1_ibusuki.pdf
このように見てくると、裁判員と死刑言渡しの主要原因として、「選抜原因」も「残虐性原因」も妥当しないと考えられるだろう。
こうした考察を、より専門的に、統計的手法を使って分析している専門家の調査を参考に裏付けてみよう。
たとえば、渡邊一弘・専修大学准教授は殺人量刑の実証研究をおこなっている専門家のひとりだが、彼の最近の論考、「初期の裁判員裁判における量刑傾向についての実証的研究」『町野朔先生古稀記念論文集・下巻』(信山社、2014)
http://www.shinzansha.co.jp/26kanko.htmlは、入手できた死刑求刑18例と、無期懲役求刑28例の合計46例を分析して、次のような傾向があることを指摘されている。
1. 裁判員裁判になっても死刑の適用基準については急激な傾向変化は生じていない (裁判員開始前に得られた死刑判決の識別要因の相関関係は、裁判員裁判でも変わらない)
2. 検察官が示す具体的な求刑が、強く影響している可能性が強く、これは裁判員裁判以前と変わらない (裁判員裁判における死刑言渡し例が少ないため統計的にはまだ十分な有意性がないという留保があるが)
渡邊の研究は、犯行態様、被告人の属性、犯行後の情状、被害者感情、社会的影響、検察官求刑といった因子を数量化しており、相当程度、個別事件の質的差異を踏まえた分析となっている。
殺人事件全体に関する裁判員裁判の量刑傾向の分析として、渡邊は貧困、ノイローゼ、介護疲れといった「動機」が軽減的に考慮されている、とする。このことは先に示した高齢者殺人事件の増加傾向と殺人量刑の二極化という二つの現象を裏付けるものとなっている。
さて、渡邊の研究結果を踏まえて、裁判員裁判になっても死刑量刑基準には変化がないということになると、死刑量刑が出易い原因はそうした基準の変動の外に求められなければならないだろう。
つまり、裁判員裁判という制度そのものやその運用、手続の影響が大きいということになる。第一の仮説である「手続原因」論が有力ということになるわけだ。
この続きはまた後日にしたい。