2018年 11月 18日
《共同的資本主義論》 新たなる国生みへの手がかりへ
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自由貨幣・取り引き税・無利子金融という3つの要素を基底とする経済モデルを考えてみました.政府の発行する自由貨幣と取り引き税は均衡し,中央銀行は貨幣価値がつねに安定していることを前提に,広く国民に開放された有担保の無利子金融を行うというモデルです.企業は株式ないし社債を発行して市場から必要な資金を集めることができます.取り引き税は税率が驚くほど低く,国民経済に対し,完全に中立・透明な理想的な税制です.2003/05/22 馬場英治
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共同的資本主義論 Communal Capitalism
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初稿:2003年5月22日
Permit me to issue and control the money of a nation and
I care not who makes its laws. -- Mayer Amschel Rothschild
国の貨幣の発行とその管理を我に許せ,されば立法者が何人たるかに我関せず.
-- メイヤー・アムッチェル・ロスチャイルド
共同的資本主義は西欧型資本主義と競合する概念であり,その根源的矛盾を解決しようとするものである.共同的資本主義は市場経済と私的企業制の基盤の上に,以下の3種の基本概念を導入した自由競争に基づく民主的経済制度である.
1.自由貨幣
2.取り引き税
3.無利子金融
Ⅰ.自由貨幣
共同的資本主義を行う国民国家を都市と呼び,その国民を市民と呼ぶことにする.都市には以下の機関がある.①登記所,②証券取引所,③中央銀行.登記所には登録されたすべての資産の所有権者と担保設定状況が公的に記録される.証券取引所は株式の売買を行う公設の市場である.ここでは株式の売買の他,社債の売り出しなども行う.中央銀行は政府に代って自由貨幣(政府貨幣)を発行し,政府のすべての歳入と歳出を管理する.政府のすべての収入は取り引き税の形態で得られるものであり,政府のすべての支出は自由貨幣の形態で行われる.また,中央銀行はすべての市民(個人・法人)に非特権的な無利子金融の機会を提供する.すべての商取引の決済は電子貨幣によって電子的に実行され,取り引き税は中央銀行の電子的ネットワークを通じて,決済が実行された時点で自動的に徴収される.
政府は自由貨幣(政府貨幣)を無制限に発行することができる.実際印刷機を使って紙幣を無制限に印刷することは実質的に可能である.政府貨幣理論はブキャナ(J.M.Buchanan)を始めとするノーベル賞経済学者らも支持している.中央銀行が発行する銀行券とここで述べている政府貨幣とはまったく異なる性格を有する.中央銀行は市中銀行に低利子の貸付を行うことにより,市場で流通する貨幣を発行する.(現在,日本国内ではこの方法が取られることは極めて稀である)また,中央銀行は市中銀行の保有する証券,たとえば国債などを買い上げることによっても,通貨を国民経済に注入することができる.国債は政府の負債であり,その元本と金利の返済は最終的に国民の租税負担になる.実際,日本を含む資本主義国家では,膨大な国債が国民経済の重い足枷となり,財政破綻の危機が目前のものとなっている.
つまり,中央銀行の発行する貨幣はすべて負債に起源を有すると言える.銀行の信用創造と称する通貨の作為的な膨張も同様に相互債務の無際限な反復による.これに対し,自由貨幣は政府支出として直接,産業ないし家計部門に注入される.自由貨幣は負債ではないから,それに対する金利は発生しない.自由貨幣発行残高は徴収税額によって相殺される.自由貨幣は無制限に発行可能であるとは言っても,規律無く無際限にそれを発行することは経済に破壊的なインフレーションをもたらす可能性がある.従って,自由貨幣の発行額(残高)と租税の徴収額は中・長期的にみて均衡する必要がある.(しかし,国債と異なり金利は累積しないから,均衡に比較的長い時間がかかったとしても,政府財政が破綻に瀕することはない.)
Ⅱ.取り引き税
税制には直接税と間接税の2種がある.直接税は所得税のように税の負担者から直接的に税を徴収する.西欧諸国では消費税ないし付加価値税と呼ばれる間接税が広く導入されている.消費税・付加価値税は消費者が最終的に負担する租税であるが,流通の各段階で追加される付加価値に応じて一定率の租税を課すものである.通常所得税は高額所得者に重税を課すような累進課税制度になっているが,消費税のような間接税では一律の税率が適用されるので,相対的に低所得階層に重い税制となっている.特に取引金額の大きい土地の売買,証券(株式,債券など),金融取引,外国為替取引などが消費税の課税対象外となっているところに問題がある.間接税は貧者に租税賦課の過半を負わせる欺瞞的な機構である.
取り引き税は直接税と間接税の中間的性格を有し,国民経済の中で行われるすべての商取引に普遍的に適用される課税制度であり,極めて低率の税率で政府財政の全体を賄うことを可能とする画期的な税制である.(筆者の知る限りこれに言及したものは他にない.)一般に商取引はなんらかの等価な金品の交換であるが,その片方向ではつねに貨幣の受け渡しの形態を取る.取り引き税は貨幣の受取人から取引金額に応じた一定率の税を徴収する.たとえば,日本国内のすべての銀行はインターバンクと呼ばれる電子的なネットワークによって結合されていて,すべての取引の「決済」はこのネットを介して実行される.取引とはこのネット上の「通貨の移動」に他ならない.現金を介したネット外の取引ももちろん存在する.
日本銀行(日本の中央銀行)はこのネットワークを監視しているが,それによれば,1日につき300兆円を越す金額がこのネットワーク上で決済されている.日本政府の財政規模はおおよそ80兆円程度であるから,もしこの取引全体に課税することができれば,0.1%くらいの低率ですべての政府財源を賄うことができる.ちなみに現在の日本国内の消費税率は5%であり,さらに近い将来税率を上げることが予定されている.スウェーデンのように税収のほとんどを間接税で賄っている国では,付加価値税率は50%にも及ぶ.これらを勘案すると,0.1%という税率が如何に低いものであるかが了解されるであろう.
取り引き税は国民経済がかなり発達していないと効果的でないことは明らかである.また次に述べるような無利子金融が導入された経済では見かけの取引金額はかなり減ずることになると思われるので,0.1%程度では歳入が不足することになるかもしれない.また,上記の300兆円/日には外国為替取引,外国資本取引も含まれていると考えられるが,それらへの課税は技術的にはかなり難しいかもしれない(本質的に必要であるのだが).従って,取り引き税率が上記で述べたのより,やや高率になることも想定される.
それでも,たとえば0.5%くらいで間に合う可能性はある.仮に1%まで必要であったとしても,それによって所得税がゼロになるとしたら,産業家にとっても,勤労者にとっても福音を齎すものになるだろう.金を動かすだけで利益を得ている階層(金融資本家,投機家など)には災厄以外のなにものでもない.というより,そのようなビジネスはこの経済においてはおそらく不可能ないし著しく困難になるだろう.逆から見ると,そのような不労所得の形態で寄生的に吸引されていた余剰利得がこのシステムにおいては低率課税を可能とする原資に転化するものと思われる.
政府の歳出が100%自由貨幣の形で行われる場合,徴税は貨幣流通量の調整だけを目的として実施されることになる.実際,この場合には税として徴収された貨幣は単純に全額廃棄されるのである.このことは明らかに共同的資本主義においては,実質的に無税社会が実現可能であることを意味している.このとき,政府貨幣を用いて行われる人的資源の雇用はある意味で徴用(庸)であり,政府による物資の購入は徴発(租ないし調)に該当すると理解されてもよい.しかし,確立された共同的資本主義のもとで政府は市民に対するいかなる強制を伴うことなくそれらを行うことができるのである.
Ⅲ.無利子金融
3番目の要素である無利子金融の考え方はすでにイスラム圏諸国の無利子銀行として実現ないし実験されている.イスラム銀行の本格的な実践は1970年頃に始まったと推定される.無利子金融を行うのは自由貨幣発行の権限を持つ政府であり,中央銀行がそれを代行する.一般に利息は貸付のリスクに応じた報酬であると説明されている.もし貸付のリスクがきわめて低いかゼロに等しければ,金利ゼロ政策は正当化されるであろう.(「投資」は資本主義の根本原理であり,投資家が存在し,あえてリスクに挑戦する投資が無ければ経済の成長は有り得ない.証券取引所はそれを機構的に確立するものであるが,詳細は省略する.)
この金融システムでは,すべての経済主体(会社・個人)は中央銀行に当座預金口座(無利子の勘定)を持ち,電子的に結合されていることを仮定する.決済はすべてこのネットワークを経由して実行される.筆者の提案する無利子金融はすべて「有担保」で以下の3種の形態がある.①当座貸し越し,②資産貸付,③購買貸付.①の当座貸し越しは決済に必要な金額が当座預金の残高では不足する場合に実施される.預金者はあらかじめ自己の保有する資産を担保として差し入れることで,その範囲内で中央銀行から一時的な自動貸付を受けることができる.
資産貸付は経済主体(市民)が資産を購入するための資金を中央銀行からの貸付で賄うシステムである.市民(個人・法人)は購入資金の全額を中央銀行から借り入れることができる.資産はその価値の減額(寿命)に応じて毎年一定額を減価償却する.もし,中央銀行から貸付を受けた市民が負債の返済に失敗した場合にも,政府はその資産を売却することによって貸付原資を安全に回収することができる.ここでもっとも重要なポイントは,この都市経済においては,貨幣価値がきわめて安定に維持されているという点である.もし,そうでなければこの制度は成立しない.
この貸付の担保になっているのは,購入しようとしている物件そのものである.融資の対象となるのは,土地・建物・工場・車両・機械・設備,その他である.資産貸付の方法は西欧諸国で行われている「リース」とよく似ている.リースとは所有権と使用権を分離し,機械などを購入するための資金が不足している企業などに代わって,リース会社が機械などを購入し貸し付けるものである.資産貸付とリースの根本的に異なるところは,資産貸付が無利子であるという点である.リース会社は運用資金を銀行などの融資から得ているので,その金利がリース料金に上乗せされ,最終的には利用者が負担するところとなる.
資産貸付は不動産を対象とする貸付であるが,購買貸付の対象は金属,農産物,燃料などの商品(原材料)である.購買貸付の担保は購入しようとする商品そのものである.資産貸付の返済はかなり長期間にわたる割賦によって行われるが,購買貸付の場合は1箇月後あるいは,一年後などの期限を定めて一括して返済するのが妥当である.利用者は購買した商品を加工ないしは消費してなんらかの製品を生産し,それを市場で販売して得た代金によって負債を返済する.購買商品が製品に転化した段階で製品が貸付の担保に切り換わると解釈される.従って,貸付に際しては製品の製造工程,販路,品質などの事前の審査が必要である.
Ⅳ.自由・平等・博愛
都市国家は自由貨幣を用いて,市民経済のインフラストラクチャーの整備を行う.道路・港湾・鉄道・空港・水道・エネルギー・通信・廃棄物処理などがこれに含まれる.政府は無利子の潤沢な資金を用いてこれらの事業を行い,その恩恵はすべての市民に無償で提供される.教育と学術振興,保健衛生の遂行はもっとも重要な国家的指標であり,中でも高水準の教育は無形の資産と呼ぶべきである.また,自由貨幣は完全雇用を達成するために使用される.自由貨幣を用いて,その都市にふさわしい完全な年金制度(社会保障制度)を確立することができるだろう.主な資産は共同体が所有することになると想定されるので,この経済システムは共同的資本主義と呼ばれる.このシステムが自然環境を保全し,資源の効率的なリサイクルを包摂するものに発展するとき,共同的資本主義の相対優位性が始めて確証される.
マレーシアやイランなどのイスラム諸国ではすでにある程度この経済実験に踏み込んでいるとも考えられる.もしかすると,中国がこの実験の大規模な試験場になることも有り得るかもしれない.この経済は一定程度進化した経済でないと実施できないので,たとえば香港などの特定区域(特区)で実験的に実施することも考えられる.「貨幣発行権の自由化」を唱えるハイエク(F.A.Hayek)などの考え方は必ずしもこの経済モデルと背反するものではない.なぜなら,取り引き税の目的は徴税ではなく,単に貨幣の流通量の調整(廃棄)のためにのみ行われるのであるから,政府のほかに独立の地域貨幣発行主体が存在すること自体は政府貨幣の循環が妨げられない限り,特に問題ないと考えられるからである.もちろん,この地域貨幣発行主体の活動は公共の益に利する公正なものでなくてはならない.だが,自由貨幣は学校を建設することはできたとしても,教育の内容を保証するものではない.経済「制度」は「政策」を不用にするものではないことに留意せよ.
共同的資本主義の3要素,自由貨幣,取り引き税,無利子金融はある意味でフランス革命の理想とする自由・平等・博愛の精神を引き継ぐものである.自由貨幣は経済活動の絶対的な自由を確立する.(株式発行は第2の自由貨幣とみなされる.)取り引き税はもっとも公正で均等な負担に基づく税制であると言える.無利子金融の根底にある思想は,イエスの原理やイスラムの教義にも共通する人類愛である.イスラムの無利子銀行は必ずしも成功しているとは言えないかもしれない.しかしソビエト連邦型社会主義が破綻した後の世界において,国際金融家がグローバリズムと呼び慣らわしている帝国主義的資本主義がほとんど破滅の瀬戸際にある現在,共同的資本主義の今日的意義と可能性は極めて高いものがあると確信する.
(もちろんこのシステムをどのように悪用することも――おそらく――可能である.)
Ⅴ.補注
勤労者の立場からすると取り引き税は所得に対する定率の源泉徴収に該当する.例えば,給与所得に対し1%が天引きされる(取り引き税率1%の場合).付加価値税と取り引き税の相違点は取り引き税が流通のすべての段階で重複的に賦課される点にある.付加価値税の場合には,付加価値に該当する部分にのみ課税されるので,一見すると合理的であるように見えるのだが最終的にはその総額を消費者が「単独」で負担することになる.取り引き税は政府貨幣の極小な使用手数料であり,国民経済という循環システムに課された唯一の物理的な摩擦抵抗である.
徴税額が自由貨幣発行額を上回った場合,政府はその資金をプールすることもできるし,市民全体に均等に還元することもできる.あるいは戦略的分野に重点的に投資することもできるだろう.研究開発・芸術活動の基金として支出されてもよい.これらは経済政策上の選択の問題ではあるが,政府は自由貨幣の無制限の発行権を持っているのだから,貨幣を政府自身が蓄積することはあまり意味が無いと考えられる.経済が過熱したり停滞した場合には取り引き税の税率を操作することにより調整することができる.取り引き税は経済システム全体に均等にかかるので,もっとも効果的な(即効性のある)通貨調整政策の実施が可能である.
すべての商取引の決済は電子貨幣かないし電子手形によって行われる.これらの取引において電子的認証を行うのは登記所のもう一つの役割である.電子手形は支払い期日を記載した電子的証券であり,現金の代わりに支払いに充てることができる.期日に達していない手形を中央銀行に持ち込み,換金を依頼することができる.中央銀行は手形と引き換えに支払日までの定率の金利を差し引いた金額を受取人に渡す.手形の割引は本システムでは例外的な有利子金融に該当する.もし,電子手形の割引が有利子でなかったとすれば,無期限の手形を任意に発行できることになってしまうから,このルールは「必要」である.
ある資産の担保設定状況はすべて登記所の電子的帳簿に記録される.資産貸付の担保となっている物件を当座貸し越しの担保に流用することはできない.しかし,返済が完了している部分について,部分的な担保を設定することは可能である.通常はリース完了しても所有権は移転しないが,資産貸付では返済が完了した歩合に応じて債権者の所有分に移転すると解釈される.まさに家賃を払いながら住居を取得することができるのである.
不良債権の多くはひとつの資産が多重債務の担保になっていることに起因する.このシステムでは唯一の貸し手は国家であるから,多重債務が発生する可能性は(金融規律が維持される限り)ゼロである.当座貸し越しは差し入れ担保の限度内で行われるが,すべての市民に対し一律に定額の(無担保の)貸付枠が用意されてしかるべきだろう.これは有担保融資を原則とする本システムでは例外的な信用貸しである.
購買貸付の担保設定はやや技術的に難しい面があるかもしれない.しかし.穀物取引所などにおける商品取引の手続きはややそれに類似していると考えることもできるから,克服できないほどの困難ではないと考えるべきである.ややトリッキーなところは担保の対象が購入商品から製品に転化する部分であるが,それも実現不可能であるとは思われない.むしろ現在行われている商品取引システムの投機的な性格を改善し,真に合理的な機構に変革することを意図すべきである.農産物の価格を維持するために行われている補助金などの偏った制度はこの機構の中で整合的に統一されることになるだろう.
企業の資本金に充当される発行株式はその金額に応じ,企業が商行為によって得た利益の中から配当を受けることができる.自由主義経済の弊害の一つに株価の無軌道な高騰を挙げることができる.株券の保有者は配当によって利益を得るか,株の値上がりによる売却益を期待して株を購入する.株価は主にその企業の潜在的な資産価値によって規定される売却(清算)価格を基礎とするものであり,それなりの正当性はあるとしても,それによって株の実質利回りが極端に小さくなってしまうため,株式市場全体が極めて投機的性格のものになってしまう欠陥を有している.基本的に資産保有を重視しないシステムである共同的資本主義ではこのようなマーケットのカジノ化はおそらく発生しない.
企業は有利子の社債を発行することができる.このシステムでの有利子金融には,①電子手形割引,②社債の2種がある.株式の配当は元本に対する金利のようにも見えるが,株式は負債ではない.あるいは返済期限無期限の負債と言い換えてもよい.自由貨幣とは償還期限無期限で利子率ゼロの国債(政府債)であると考えれば,株式は償還期限無期限で利子率変動の社債と看做すこともできる.その意味で株式と政府の発行する自由貨幣はきわめて類似した性格を有する.本論結語で株式を第2の自由貨幣としているのはこの所以である.株式には自由貨幣のような強い強制力はないがそれなりの自由を享受できると言えるだろう.この意味で株式会社は小さな国家であり,政府は大きな株式会社であると形容することもできる.
株式会社が小さな国家であるということは,社内取引が取り引き税非課税となることからもうなづかれる.明らかに企業規模の拡大は税収の減少を意味することになるから,それに対抗する措置が必要になるだろう.会社を分割してある一定規模以上の企業の存続を認めないという方式も考えられなくはないが,むしろ外形課税を併用するのが合理的であるように思われる.社内取引の総額は企業規模に応ずると推定し,これから徴収する取り引き税が外形課税であると見てもよい.(石原都知事の行なうとした銀行に対する特別課税はこれを先取りしたものと言えるだろう.)
原理的に政府は自由貨幣を無制限に発行することができるのだから(もちろん議会のチェック無しにというわけではない)このシステムと外国為替取引の間に矛盾があることは明らかである.(諸外国から見れば他国の自由貨幣は葉っぱでしかない.)しかし,矛盾の存在はそのシステムが無効であることを必ずしも意味しない.貨幣制度にしても資本主義にしても,もともとその中には根源的な矛盾が内包されている.(国際基軸通貨であるドルは内国的には政府貨幣ではないが,諸外国から見れば同じようなものである.)この問題は賢明な読者への宿題として残すとしよう.
エクソダス2005自家版には《共同的資本主義論》のより詳細なディスカッションが蓄積されているので参照されたい.貨幣制度の矛盾を考察した最近の論文として下記がある.
Vladimir Z. Nuri, "Fractional Reserve Banking as Economic Parasitism"
初出:http://www.asyura.com/0306/idletalk2/msg/519.html
投稿者 馬場英治 日時 2003 年 7 月 30 日 12:24:26:dcAX/x0KhXeNE
(回答先: Re:新たなる国生みへの手がかりへ 投稿者 マルハナバチ 日時 2003 年 7 月 29 日 21:42:26)
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共同的資本主義論 Communal Capitalism
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初稿:2003年5月22日
Permit me to issue and control the money of a nation and
I care not who makes its laws. -- Mayer Amschel Rothschild
国の貨幣の発行とその管理を我に許せ,されば立法者が何人たるかに我関せず.
-- メイヤー・アムッチェル・ロスチャイルド
共同的資本主義は西欧型資本主義と競合する概念であり,その根源的矛盾を解決しようとするものである.共同的資本主義は市場経済と私的企業制の基盤の上に,以下の3種の基本概念を導入した自由競争に基づく民主的経済制度である.
1.自由貨幣
2.取り引き税
3.無利子金融
Ⅰ.自由貨幣
共同的資本主義を行う国民国家を都市と呼び,その国民を市民と呼ぶことにする.都市には以下の機関がある.①登記所,②証券取引所,③中央銀行.登記所には登録されたすべての資産の所有権者と担保設定状況が公的に記録される.証券取引所は株式の売買を行う公設の市場である.ここでは株式の売買の他,社債の売り出しなども行う.中央銀行は政府に代って自由貨幣(政府貨幣)を発行し,政府のすべての歳入と歳出を管理する.政府のすべての収入は取り引き税の形態で得られるものであり,政府のすべての支出は自由貨幣の形態で行われる.また,中央銀行はすべての市民(個人・法人)に非特権的な無利子金融の機会を提供する.すべての商取引の決済は電子貨幣によって電子的に実行され,取り引き税は中央銀行の電子的ネットワークを通じて,決済が実行された時点で自動的に徴収される.
政府は自由貨幣(政府貨幣)を無制限に発行することができる.実際印刷機を使って紙幣を無制限に印刷することは実質的に可能である.政府貨幣理論はブキャナ(J.M.Buchanan)を始めとするノーベル賞経済学者らも支持している.中央銀行が発行する銀行券とここで述べている政府貨幣とはまったく異なる性格を有する.中央銀行は市中銀行に低利子の貸付を行うことにより,市場で流通する貨幣を発行する.(現在,日本国内ではこの方法が取られることは極めて稀である)また,中央銀行は市中銀行の保有する証券,たとえば国債などを買い上げることによっても,通貨を国民経済に注入することができる.国債は政府の負債であり,その元本と金利の返済は最終的に国民の租税負担になる.実際,日本を含む資本主義国家では,膨大な国債が国民経済の重い足枷となり,財政破綻の危機が目前のものとなっている.
つまり,中央銀行の発行する貨幣はすべて負債に起源を有すると言える.銀行の信用創造と称する通貨の作為的な膨張も同様に相互債務の無際限な反復による.これに対し,自由貨幣は政府支出として直接,産業ないし家計部門に注入される.自由貨幣は負債ではないから,それに対する金利は発生しない.自由貨幣発行残高は徴収税額によって相殺される.自由貨幣は無制限に発行可能であるとは言っても,規律無く無際限にそれを発行することは経済に破壊的なインフレーションをもたらす可能性がある.従って,自由貨幣の発行額(残高)と租税の徴収額は中・長期的にみて均衡する必要がある.(しかし,国債と異なり金利は累積しないから,均衡に比較的長い時間がかかったとしても,政府財政が破綻に瀕することはない.)
Ⅱ.取り引き税
税制には直接税と間接税の2種がある.直接税は所得税のように税の負担者から直接的に税を徴収する.西欧諸国では消費税ないし付加価値税と呼ばれる間接税が広く導入されている.消費税・付加価値税は消費者が最終的に負担する租税であるが,流通の各段階で追加される付加価値に応じて一定率の租税を課すものである.通常所得税は高額所得者に重税を課すような累進課税制度になっているが,消費税のような間接税では一律の税率が適用されるので,相対的に低所得階層に重い税制となっている.特に取引金額の大きい土地の売買,証券(株式,債券など),金融取引,外国為替取引などが消費税の課税対象外となっているところに問題がある.間接税は貧者に租税賦課の過半を負わせる欺瞞的な機構である.
取り引き税は直接税と間接税の中間的性格を有し,国民経済の中で行われるすべての商取引に普遍的に適用される課税制度であり,極めて低率の税率で政府財政の全体を賄うことを可能とする画期的な税制である.(筆者の知る限りこれに言及したものは他にない.)一般に商取引はなんらかの等価な金品の交換であるが,その片方向ではつねに貨幣の受け渡しの形態を取る.取り引き税は貨幣の受取人から取引金額に応じた一定率の税を徴収する.たとえば,日本国内のすべての銀行はインターバンクと呼ばれる電子的なネットワークによって結合されていて,すべての取引の「決済」はこのネットを介して実行される.取引とはこのネット上の「通貨の移動」に他ならない.現金を介したネット外の取引ももちろん存在する.
日本銀行(日本の中央銀行)はこのネットワークを監視しているが,それによれば,1日につき300兆円を越す金額がこのネットワーク上で決済されている.日本政府の財政規模はおおよそ80兆円程度であるから,もしこの取引全体に課税することができれば,0.1%くらいの低率ですべての政府財源を賄うことができる.ちなみに現在の日本国内の消費税率は5%であり,さらに近い将来税率を上げることが予定されている.スウェーデンのように税収のほとんどを間接税で賄っている国では,付加価値税率は50%にも及ぶ.これらを勘案すると,0.1%という税率が如何に低いものであるかが了解されるであろう.
取り引き税は国民経済がかなり発達していないと効果的でないことは明らかである.また次に述べるような無利子金融が導入された経済では見かけの取引金額はかなり減ずることになると思われるので,0.1%程度では歳入が不足することになるかもしれない.また,上記の300兆円/日には外国為替取引,外国資本取引も含まれていると考えられるが,それらへの課税は技術的にはかなり難しいかもしれない(本質的に必要であるのだが).従って,取り引き税率が上記で述べたのより,やや高率になることも想定される.
それでも,たとえば0.5%くらいで間に合う可能性はある.仮に1%まで必要であったとしても,それによって所得税がゼロになるとしたら,産業家にとっても,勤労者にとっても福音を齎すものになるだろう.金を動かすだけで利益を得ている階層(金融資本家,投機家など)には災厄以外のなにものでもない.というより,そのようなビジネスはこの経済においてはおそらく不可能ないし著しく困難になるだろう.逆から見ると,そのような不労所得の形態で寄生的に吸引されていた余剰利得がこのシステムにおいては低率課税を可能とする原資に転化するものと思われる.
政府の歳出が100%自由貨幣の形で行われる場合,徴税は貨幣流通量の調整だけを目的として実施されることになる.実際,この場合には税として徴収された貨幣は単純に全額廃棄されるのである.このことは明らかに共同的資本主義においては,実質的に無税社会が実現可能であることを意味している.このとき,政府貨幣を用いて行われる人的資源の雇用はある意味で徴用(庸)であり,政府による物資の購入は徴発(租ないし調)に該当すると理解されてもよい.しかし,確立された共同的資本主義のもとで政府は市民に対するいかなる強制を伴うことなくそれらを行うことができるのである.
Ⅲ.無利子金融
3番目の要素である無利子金融の考え方はすでにイスラム圏諸国の無利子銀行として実現ないし実験されている.イスラム銀行の本格的な実践は1970年頃に始まったと推定される.無利子金融を行うのは自由貨幣発行の権限を持つ政府であり,中央銀行がそれを代行する.一般に利息は貸付のリスクに応じた報酬であると説明されている.もし貸付のリスクがきわめて低いかゼロに等しければ,金利ゼロ政策は正当化されるであろう.(「投資」は資本主義の根本原理であり,投資家が存在し,あえてリスクに挑戦する投資が無ければ経済の成長は有り得ない.証券取引所はそれを機構的に確立するものであるが,詳細は省略する.)
この金融システムでは,すべての経済主体(会社・個人)は中央銀行に当座預金口座(無利子の勘定)を持ち,電子的に結合されていることを仮定する.決済はすべてこのネットワークを経由して実行される.筆者の提案する無利子金融はすべて「有担保」で以下の3種の形態がある.①当座貸し越し,②資産貸付,③購買貸付.①の当座貸し越しは決済に必要な金額が当座預金の残高では不足する場合に実施される.預金者はあらかじめ自己の保有する資産を担保として差し入れることで,その範囲内で中央銀行から一時的な自動貸付を受けることができる.
資産貸付は経済主体(市民)が資産を購入するための資金を中央銀行からの貸付で賄うシステムである.市民(個人・法人)は購入資金の全額を中央銀行から借り入れることができる.資産はその価値の減額(寿命)に応じて毎年一定額を減価償却する.もし,中央銀行から貸付を受けた市民が負債の返済に失敗した場合にも,政府はその資産を売却することによって貸付原資を安全に回収することができる.ここでもっとも重要なポイントは,この都市経済においては,貨幣価値がきわめて安定に維持されているという点である.もし,そうでなければこの制度は成立しない.
この貸付の担保になっているのは,購入しようとしている物件そのものである.融資の対象となるのは,土地・建物・工場・車両・機械・設備,その他である.資産貸付の方法は西欧諸国で行われている「リース」とよく似ている.リースとは所有権と使用権を分離し,機械などを購入するための資金が不足している企業などに代わって,リース会社が機械などを購入し貸し付けるものである.資産貸付とリースの根本的に異なるところは,資産貸付が無利子であるという点である.リース会社は運用資金を銀行などの融資から得ているので,その金利がリース料金に上乗せされ,最終的には利用者が負担するところとなる.
資産貸付は不動産を対象とする貸付であるが,購買貸付の対象は金属,農産物,燃料などの商品(原材料)である.購買貸付の担保は購入しようとする商品そのものである.資産貸付の返済はかなり長期間にわたる割賦によって行われるが,購買貸付の場合は1箇月後あるいは,一年後などの期限を定めて一括して返済するのが妥当である.利用者は購買した商品を加工ないしは消費してなんらかの製品を生産し,それを市場で販売して得た代金によって負債を返済する.購買商品が製品に転化した段階で製品が貸付の担保に切り換わると解釈される.従って,貸付に際しては製品の製造工程,販路,品質などの事前の審査が必要である.
Ⅳ.自由・平等・博愛
都市国家は自由貨幣を用いて,市民経済のインフラストラクチャーの整備を行う.道路・港湾・鉄道・空港・水道・エネルギー・通信・廃棄物処理などがこれに含まれる.政府は無利子の潤沢な資金を用いてこれらの事業を行い,その恩恵はすべての市民に無償で提供される.教育と学術振興,保健衛生の遂行はもっとも重要な国家的指標であり,中でも高水準の教育は無形の資産と呼ぶべきである.また,自由貨幣は完全雇用を達成するために使用される.自由貨幣を用いて,その都市にふさわしい完全な年金制度(社会保障制度)を確立することができるだろう.主な資産は共同体が所有することになると想定されるので,この経済システムは共同的資本主義と呼ばれる.このシステムが自然環境を保全し,資源の効率的なリサイクルを包摂するものに発展するとき,共同的資本主義の相対優位性が始めて確証される.
マレーシアやイランなどのイスラム諸国ではすでにある程度この経済実験に踏み込んでいるとも考えられる.もしかすると,中国がこの実験の大規模な試験場になることも有り得るかもしれない.この経済は一定程度進化した経済でないと実施できないので,たとえば香港などの特定区域(特区)で実験的に実施することも考えられる.「貨幣発行権の自由化」を唱えるハイエク(F.A.Hayek)などの考え方は必ずしもこの経済モデルと背反するものではない.なぜなら,取り引き税の目的は徴税ではなく,単に貨幣の流通量の調整(廃棄)のためにのみ行われるのであるから,政府のほかに独立の地域貨幣発行主体が存在すること自体は政府貨幣の循環が妨げられない限り,特に問題ないと考えられるからである.もちろん,この地域貨幣発行主体の活動は公共の益に利する公正なものでなくてはならない.だが,自由貨幣は学校を建設することはできたとしても,教育の内容を保証するものではない.経済「制度」は「政策」を不用にするものではないことに留意せよ.
共同的資本主義の3要素,自由貨幣,取り引き税,無利子金融はある意味でフランス革命の理想とする自由・平等・博愛の精神を引き継ぐものである.自由貨幣は経済活動の絶対的な自由を確立する.(株式発行は第2の自由貨幣とみなされる.)取り引き税はもっとも公正で均等な負担に基づく税制であると言える.無利子金融の根底にある思想は,イエスの原理やイスラムの教義にも共通する人類愛である.イスラムの無利子銀行は必ずしも成功しているとは言えないかもしれない.しかしソビエト連邦型社会主義が破綻した後の世界において,国際金融家がグローバリズムと呼び慣らわしている帝国主義的資本主義がほとんど破滅の瀬戸際にある現在,共同的資本主義の今日的意義と可能性は極めて高いものがあると確信する.
(もちろんこのシステムをどのように悪用することも――おそらく――可能である.)
Ⅴ.補注
勤労者の立場からすると取り引き税は所得に対する定率の源泉徴収に該当する.例えば,給与所得に対し1%が天引きされる(取り引き税率1%の場合).付加価値税と取り引き税の相違点は取り引き税が流通のすべての段階で重複的に賦課される点にある.付加価値税の場合には,付加価値に該当する部分にのみ課税されるので,一見すると合理的であるように見えるのだが最終的にはその総額を消費者が「単独」で負担することになる.取り引き税は政府貨幣の極小な使用手数料であり,国民経済という循環システムに課された唯一の物理的な摩擦抵抗である.
徴税額が自由貨幣発行額を上回った場合,政府はその資金をプールすることもできるし,市民全体に均等に還元することもできる.あるいは戦略的分野に重点的に投資することもできるだろう.研究開発・芸術活動の基金として支出されてもよい.これらは経済政策上の選択の問題ではあるが,政府は自由貨幣の無制限の発行権を持っているのだから,貨幣を政府自身が蓄積することはあまり意味が無いと考えられる.経済が過熱したり停滞した場合には取り引き税の税率を操作することにより調整することができる.取り引き税は経済システム全体に均等にかかるので,もっとも効果的な(即効性のある)通貨調整政策の実施が可能である.
すべての商取引の決済は電子貨幣かないし電子手形によって行われる.これらの取引において電子的認証を行うのは登記所のもう一つの役割である.電子手形は支払い期日を記載した電子的証券であり,現金の代わりに支払いに充てることができる.期日に達していない手形を中央銀行に持ち込み,換金を依頼することができる.中央銀行は手形と引き換えに支払日までの定率の金利を差し引いた金額を受取人に渡す.手形の割引は本システムでは例外的な有利子金融に該当する.もし,電子手形の割引が有利子でなかったとすれば,無期限の手形を任意に発行できることになってしまうから,このルールは「必要」である.
ある資産の担保設定状況はすべて登記所の電子的帳簿に記録される.資産貸付の担保となっている物件を当座貸し越しの担保に流用することはできない.しかし,返済が完了している部分について,部分的な担保を設定することは可能である.通常はリース完了しても所有権は移転しないが,資産貸付では返済が完了した歩合に応じて債権者の所有分に移転すると解釈される.まさに家賃を払いながら住居を取得することができるのである.
不良債権の多くはひとつの資産が多重債務の担保になっていることに起因する.このシステムでは唯一の貸し手は国家であるから,多重債務が発生する可能性は(金融規律が維持される限り)ゼロである.当座貸し越しは差し入れ担保の限度内で行われるが,すべての市民に対し一律に定額の(無担保の)貸付枠が用意されてしかるべきだろう.これは有担保融資を原則とする本システムでは例外的な信用貸しである.
購買貸付の担保設定はやや技術的に難しい面があるかもしれない.しかし.穀物取引所などにおける商品取引の手続きはややそれに類似していると考えることもできるから,克服できないほどの困難ではないと考えるべきである.ややトリッキーなところは担保の対象が購入商品から製品に転化する部分であるが,それも実現不可能であるとは思われない.むしろ現在行われている商品取引システムの投機的な性格を改善し,真に合理的な機構に変革することを意図すべきである.農産物の価格を維持するために行われている補助金などの偏った制度はこの機構の中で整合的に統一されることになるだろう.
企業の資本金に充当される発行株式はその金額に応じ,企業が商行為によって得た利益の中から配当を受けることができる.自由主義経済の弊害の一つに株価の無軌道な高騰を挙げることができる.株券の保有者は配当によって利益を得るか,株の値上がりによる売却益を期待して株を購入する.株価は主にその企業の潜在的な資産価値によって規定される売却(清算)価格を基礎とするものであり,それなりの正当性はあるとしても,それによって株の実質利回りが極端に小さくなってしまうため,株式市場全体が極めて投機的性格のものになってしまう欠陥を有している.基本的に資産保有を重視しないシステムである共同的資本主義ではこのようなマーケットのカジノ化はおそらく発生しない.
企業は有利子の社債を発行することができる.このシステムでの有利子金融には,①電子手形割引,②社債の2種がある.株式の配当は元本に対する金利のようにも見えるが,株式は負債ではない.あるいは返済期限無期限の負債と言い換えてもよい.自由貨幣とは償還期限無期限で利子率ゼロの国債(政府債)であると考えれば,株式は償還期限無期限で利子率変動の社債と看做すこともできる.その意味で株式と政府の発行する自由貨幣はきわめて類似した性格を有する.本論結語で株式を第2の自由貨幣としているのはこの所以である.株式には自由貨幣のような強い強制力はないがそれなりの自由を享受できると言えるだろう.この意味で株式会社は小さな国家であり,政府は大きな株式会社であると形容することもできる.
株式会社が小さな国家であるということは,社内取引が取り引き税非課税となることからもうなづかれる.明らかに企業規模の拡大は税収の減少を意味することになるから,それに対抗する措置が必要になるだろう.会社を分割してある一定規模以上の企業の存続を認めないという方式も考えられなくはないが,むしろ外形課税を併用するのが合理的であるように思われる.社内取引の総額は企業規模に応ずると推定し,これから徴収する取り引き税が外形課税であると見てもよい.(石原都知事の行なうとした銀行に対する特別課税はこれを先取りしたものと言えるだろう.)
原理的に政府は自由貨幣を無制限に発行することができるのだから(もちろん議会のチェック無しにというわけではない)このシステムと外国為替取引の間に矛盾があることは明らかである.(諸外国から見れば他国の自由貨幣は葉っぱでしかない.)しかし,矛盾の存在はそのシステムが無効であることを必ずしも意味しない.貨幣制度にしても資本主義にしても,もともとその中には根源的な矛盾が内包されている.(国際基軸通貨であるドルは内国的には政府貨幣ではないが,諸外国から見れば同じようなものである.)この問題は賢明な読者への宿題として残すとしよう.
エクソダス2005自家版には《共同的資本主義論》のより詳細なディスカッションが蓄積されているので参照されたい.貨幣制度の矛盾を考察した最近の論文として下記がある.
Vladimir Z. Nuri, "Fractional Reserve Banking as Economic Parasitism"
初出:http://www.asyura.com/0306/idletalk2/msg/519.html
投稿者 馬場英治 日時 2003 年 7 月 30 日 12:24:26:dcAX/x0KhXeNE
(回答先: Re:新たなる国生みへの手がかりへ 投稿者 マルハナバチ 日時 2003 年 7 月 29 日 21:42:26)
by exod-US
| 2018-11-18 09:13
| 静かなる革命2009