2007年 07月 03日
反‐貧困集会で出会ったあるベテラン女性社会運動家への手紙
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7月1日の反‐貧困東京集会のデモに私が手作りののぼり旗を持って参加したことは前便に書いた.旗の一番上には「年金一揆」の標語を掲げ,最下部に「反‐貧困 無年金者同盟」のタイトルを入れた.この旗を見て私に話しかけてこられた小柄な年配女性がいた.「私も同盟に参加させてください」とおっしゃってメアドを頂いた※.これが「無年金者同盟」の「旗揚げ」だったとすれば,彼女はその第一号同盟員ということになる.デモの解散地で同じ方向に帰ることが分かったのでお供を申し出て,道中かなりの時間対話することができた.彼女が一人しゃべりまくって私はほとんど聞き手に回ったが,そのとき話せなかったことを少しメールに書いた.
※私はこのメアドを書き込んだ紙片を即席にちぎった紙切れか何かと思っていたのだが,部屋に戻ってから取り出してみると,GIVENCHY製の香を焚きこんだ花柄の瀟洒なしおりだった.
----- Original Message -----
From: "babalabo"
To: [email protected]
Sent: Tuesday, July 03, 2007 2:58 PM
Subject: お忙しいようですね.
.. ..さま
「来週からまた忙しくなる」とおっしゃってましたから,フル稼働の日常に戻られたことと拝察申し上げます.ネットで少しザッピングしてお話に出てきたこれまでの活動の記録(裁判闘争など)をいくつか拝見しました.一言でまとめると「リブの闘士」ということになるかと思いますが,外れてますか?市川房江女史らの「婦人参政権運動」を[政治的差別撤廃を求める]第一次フェミニズム運動と呼ぶとすれば,それを継承し,社会的文化的性差別の撤廃を求める第二次フェミニズム運動に該当するのではないかと思うのですが,この理解でよろしいでしょうか?
私は46年生まれですが,私の幼年期の記憶ではその頃の日本にはまだまだ「封建の遺風」が残っていました.(お役所は「お上」であり,父親・校長・巡査の権威は絶対でした.「慎太郎の言うことは大体分かる(同世代として)」というあなたの言はこのコンテキストから理解できます) 60年代後半,社会が流動化してきた時期に私は「三派・フーテン・原理研(の3分裂)」という要約を示したことがありますが,特にフーテン・ムーブメントなどは価値観の転倒を狙ったもので,「反封建運動」と呼んでもよいのではないかとすら思います.フーテンというのはアメリカのビート→ヒッピー・ムーブメントの影響を受けた「コンミューン志向」の社会・文化的活動ですが,非常に短期間(ほぼひと夏)の一過性の現象に留まりました※.(私の源流はこの辺り) 私たち(の世代)はそれまでの確立した「権威」に挑戦しそれを「解体」することを目標としていましたが,この頃はまさかこれほど短期間にここまで進むとは思ってもいませんでした.
※フーテン・ムーブメントはひと夏で10万人の家出少年・少女を新宿に集めたと言われるほどの大きな社会的現象だったが,それがひと夏で終わった(コンミューン運動自体はその後も全国各地に広がってもう少し長いタイムスパンの間持続した)ことの要因としてはフーテンたちが一種の解放区として都市の中の仮眠施設代わりに使っていた新宿駅東口前の芝生ゾーン(通称グリーンハウス)が当局により封鎖されたこと,それに反発したフーテンたちの抗議行動が駅前交番への投石から発火して群集を巻き込んだ小規模な「都市暴動」に拡大し,警察力によって鎮圧された事件を挙げることができる.その後,新宿歌舞伎町では暴力団の支配が顕在化し,フーテンたちはもっと安全な場所を求めて散ってゆき比較的短い期間のうちに消滅した.この間少なくとも一人ないし二人の死者が出ているはずだ.歴史に「もし」はないとされているが,もしこのグリーンハウスの封鎖という強行措置が執られなかったとしたらどうなっていただろう?つまり,大人たちが少年たちの理解し辛い行動にもう少し寛容であったらということだが...少なくともその後の10年はかなり異なるものになっていたのではないだろうか?
逆の言い方をすれば,我々はほとんど古いものに代わるべき「新しい規範」の用意をしてこなかったのではないかという忸怩たる思いがあります.私は2回結婚に失敗しています.女性は「男を見抜く目」を持っていますから,今にして思えば彼女たちの「判断」は正しかったのだと思っていますが,同時に私は彼女らの「判断」の中にある一定割合で(たとえばリブなどの運動に影響された)外部的な価値基準(たとえばアプリオリな「女性の自立」のような硬直したスローガン)が混入していたことは間違いないと思っています.(私はここで必ずしも「それ」が「正しい」とも「間違っている」とも言っていないことにご留意ください.)
ある海外紙が日本共産党がいまだに「共産党」の名前に固執していることを,「日本軍の再来を待ってジャングルで生き延びてきた小野田少尉みたいなもの」と揶揄していましたが,私もそんな気分になることがあります.ワンルームのぼろアパートのこれより小さくすることは不可能なくらい小さなシンクの縁に不安定にまな板を渡して一人分の孤独な食事の支度をしているとき,ときにふっと,むかし集落のあちこちで早朝の炊事場のかまどのあたりから聞こえて来たリズミカルな包丁の音が幻聴のように甦ることがあります.そんなとき私は「たった一人で自分の持ち場を守って皇軍が帰ってくることを待っていた」小野田少尉の心境に思い至ります.―私はいつかまた大きな食卓で食事する日を一人こうして待っているのだろうか?(私はこの間の集会にも自作のサンドイッチを持参しましたが,周辺で見かけたのはすべてコンビニで買ったパック入りのものばかり.手作りの弁当を持ってきた人は他にいなかったのではないかと思います.)
リブ関係その他資料の蒐集・整理を進めているというお話でしたが,ネットからかなり検索できるようになってますね!私は「運動」の随伴者であったとしても,(ごく一部のスポット的活動を除いては)あなたのように運動に主体的に関わったことがありません.
「全共闘運動はまだ総括が終わっていない」という言い方がされることがありますが,私のような傍観者は「伝記作者」のポジションに転ずるべきではないか?と思ったこともあります.東北で某女子大の講師をしていた昔の知り合いに「お前やれよ」と勧めたことはありますが,私自身はごく身近に起こったことしか知らないし,それもおぼろな記憶しか残っていないので残念ながら不適格であることを自認しています.全共闘運動に関しては東大全共闘議長の山本義隆氏がかなりの生資料を蒐集して国会図書館に寄贈されてますから,誰か後世の人間が取り組むこともできるかとは思いますが.※交友関係では東大全共闘中枢にかなり近かったが運動そのものには関わらず傍観者のポジションに留まった(大学からドロップアウトしかけていた).
現在私は「脱米救国」というある意味で非常に遅れてきた60年代的スローガンを最優先課題に掲げていますが,このために極左から右ウィングまでの幅広い連帯を模索するというポジションを取っています.フーテンという私の出自から考えても私の思想が基調としてかなりアナーキーな色彩を帯びていることは否定できないと思うのですが,それからすると,「国家」とか「民族」などという概念はもっとも対極にあるものと思われるかもしれません.私の考えている「国民経済共同体」という概念は,抽象的なものではなく有機的な血の通った「ボディ」です.この意味で「経済学者」たちが数字をもてあそんで論じる「(マクロ)計量経済学」と,私の「経済共同体」とはまったく似てもって非なるものです.むしろもっとも純化した意味における「国体」という概念に近いとさえ言えるかも知れません.コンミューン運動に携わったことはありませんが,この意味では逆説的にも[私自身が]原点回帰していることが見て取れます.
水稲耕作を基盤産業として選択することによって日本社会は古代から水資源を共同管理する循環経済システムを構築してきました.江戸時代には鎖国という一国閉鎖経済を経験することによって世界史上初めてのほぼ完全なリサイクルシステムを完成させることに成功しています.我々日本人は,いつの日か環境汚染問題を完全に解決できるという暗黙の確信を共有していると思いますが,その背景にはこの国家規模で環境コントロールを実現した経験があることは間違いありません.(個別企業論理をどのように積分してもこのような問題の解決を得ることはできません) 2005年の統計で農業就業人口は224万人(注:うち57%は65歳以上,通常生産年齢人口は15歳以上65歳未満の人口を言う)しかありませんが,日本人のDNAに刷り込まれたこの組織原理は依然としてその効力を失っていないと私は考えています.私たちはイエ・ムラ・クニを化学分解してアトミックな個人(近代的市民)にすべてを還元しようとしていますが,もう一度立ち止まる必要があるのではないでしょうか?
もちろん,それが[かつての]「国体」を復活させることなどであるはずはありません.残念ながら安倍の「美しい国」というのは相当な「勘違い」でありアナクロであると認識していますが,方向性としては多少の汲むべきものがあると思っています.美しい国を復活させるためには,何を置いてもまずふるさとの清流と清浄な空気を取り戻すことが先決です.私は「環境問題」を「環境汚染問題」として把握していますが,環境汚染と精神の汚染は無関係ではありません.目標レベルは,魚が生息できるだけでなく釣った魚を持ち帰って食べられるという水準です.「民営化」という極めて欺瞞的・犯罪的なからくりについてはここでは述べませんが,それに対抗する「公共政策」という考え方はやや私に近いものです.明らかに小泉・竹中構造改革の「新リベラリズム」,「グローバリズム」は私の考え方と真っ向から対立するものであり,私はそれらを評価するときに「売国」の名を冠することに抵抗を持ちません.
私は当面の政治目標を「東アジアに戦争を持ち込ませないこと」に絞り込んでいます.私はこの目標は達成可能であり,またそれが国民の総意であることに疑いを持っていません.私の政治スローガンは「脱米救国」ですが,これは反米つまり,アメリカ一国ないしアメリカ政府に敵対することを意図したものではありません.私たちの真の敵は実はもう一つ上のレベルにある実質的な世界支配権力=国際金融資本です.彼らが世界支配のツールとして使用している主な仕掛けは2つあります.一つはシオニストのコントロールを受けたアメリカ軍産複合体であり,もう一つは国際連合です.より直接的な手段としてはWTO,世銀・IMFなどがあります.
彼らは(彼らが設計し引き起こした)第二次世界大戦を終結させるとき,きっちりと第三次世界大戦のための火種をその中に埋め込みました.パレスチナや北朝鮮はこのとき意図的に組み込まれた時限装置です.「戦争」で利得を得るものがいる限り地上に恒久平和は訪れません.戦争利得者はつねに敵対する陣営の両側に武器と資金を提供してきました.戦争利得者を地上から追放すること,それが「脱米救国」というスローガンの裏スローガンです.戦争利得者は実体経済(共同体)の寄生者であり,中央銀行システムをコントロールして戦争を発動します.
天皇の戦争責任は問われなくてはなりませんが,もし次の戦争があるとすればそれを「天皇の責任」に転化することはできません.アメリカでは電子投票システムなどを導入することによって選挙の公正さが著しく損なわれていますが,少なくとも現在までのところ日本の普通選挙システムは(ごく一部例外を除き)健全に運営されています.もし次の戦争があるとすれば,それは誰の責任でもなく他ならぬ日本国民一人一人の責任であることが銘記されなくてはなりません.もし東アジアで次の戦争があるとすれば,今度こそ日本本土が戦場になるということを指摘しておくべきだろう.しかし,当面する問題は米国の尻馬に乗って中東(アフガンを含む)の戦争に巻き込まれることである.解釈改憲により集団的自衛権を行使可能とする策謀・NATOへの向こう見ずな接近など危険な兆候はレッド・アラート・レベルに達している.
久間防衛相は閣僚として始めて公式に「米国のイラク侵略」を非難しました.その後アメリカに呼ばれてお灸をすえられたのがよほど効いたのでしょう.ついに「原爆の投下は止むを得なかった」という発言が飛び出すほどに洗脳されて帰ってきました.安倍がこの発言を擁護していることからも明らかなように安倍の右寄りの発言が単なる人気取りのためのポーズでしかないことは明らかです.安倍が消えた年金問題などで窮地に陥るたびに北朝鮮でミサイル発射の噂が流されたり,実際に発射されたりのことが起こるのは決して偶然ではありません.ブッシュ・金正日・安倍は文鮮明を媒介として死のトライアングルを形成し結託して東アジアの不安定化を煽りながら,教祖の予言する第三次世界大戦に日本を巻き込むための策謀を続けています.
※久間防衛相は本日午後米軍の原爆投下容認発言の責任を取って引責辞任した.3日午前,久間氏の地元長崎県議会は「しょうがない発言」について「到底容認できない」と抗議する決議を全会一致で可決.自身の発言の重大さにようやく気付き長いマインドコントロールから抜けた久間氏は抗議文を携えて防衛省を訪れた長崎市の田上富久市長にやや正気を取り戻して,「長崎市民や県民、全国の被爆者にご迷惑をおかけしてすいませんでした」と陳謝した.
安倍首相は先の「イラク戦争開戦判断は誤り」発言では不快感を示す米国からの圧力を跳ね返して防衛相をかばい抜き,今回の「原爆はしょうがなかった」発言では辞任やむなしと決断することで表向き一応の筋を通したが,追い討ちをかけるように安倍政権の命取りになりそうなニュースがネット上を巡回している.参議院選投票日直前の7月20日に拉致被害者を乗せた万景峰号が入港するというディリーNKのスクープである.情報は「首相官邸周辺から流出した」ものと見られる.ディリーNKは当ブログでもしばしば引用している北朝鮮の民主化と朝鮮半島の統一を社是とするオンライン・ジャーナルであり,北朝鮮に批判的な評論で知られる.もしこの予告が文字通り実現すれば安倍首相と北朝鮮の癒着が白日の下に曝されることになる.
私が単純な「善悪二元論」を取らないということはご理解頂けるものと思います.私は「国連」という機関にも一定の存在意義を認めているし,むしろその機能はもっと強化されるべきだと考えています.すべてのものごとは多面的に解釈され得るし,またそうすべきであると思っています.私は「禍福はあざなえる縄の如し」という格言にもっとも共感するものを感じています.
すべての事象を因果関係に分節することは可能ですが,最悪の前提から最善の結果を得ることは決して例外的事象ではありません.その一例としてたとえば我々は「大東亜戦争」の果実としての「平和憲法」を持っています.しかし,ネオコン(永久革命論者の変種)やキリスト教原理主義者(ハルマゲドン待望論)のような意図的に最終戦争を引き起こすことによって最終解決を得るという考え方を否定します.その理由は「彼ら」には個々の人間の生命が単なる操作可能なパラメータでしかないからです.それを「サタニズム」と呼ぶのは決して誇張ではないと思います.彼らのロゴはキノコ雲とカギ十字です.
馬場英治
Blog Ranking クリックありがとう!
※私はこのメアドを書き込んだ紙片を即席にちぎった紙切れか何かと思っていたのだが,部屋に戻ってから取り出してみると,GIVENCHY製の香を焚きこんだ花柄の瀟洒なしおりだった.
----- Original Message -----
From: "babalabo"
To: [email protected]
Sent: Tuesday, July 03, 2007 2:58 PM
Subject: お忙しいようですね.
.. ..さま
「来週からまた忙しくなる」とおっしゃってましたから,フル稼働の日常に戻られたことと拝察申し上げます.ネットで少しザッピングしてお話に出てきたこれまでの活動の記録(裁判闘争など)をいくつか拝見しました.一言でまとめると「リブの闘士」ということになるかと思いますが,外れてますか?市川房江女史らの「婦人参政権運動」を[政治的差別撤廃を求める]第一次フェミニズム運動と呼ぶとすれば,それを継承し,社会的文化的性差別の撤廃を求める第二次フェミニズム運動に該当するのではないかと思うのですが,この理解でよろしいでしょうか?
私は46年生まれですが,私の幼年期の記憶ではその頃の日本にはまだまだ「封建の遺風」が残っていました.(お役所は「お上」であり,父親・校長・巡査の権威は絶対でした.「慎太郎の言うことは大体分かる(同世代として)」というあなたの言はこのコンテキストから理解できます) 60年代後半,社会が流動化してきた時期に私は「三派・フーテン・原理研(の3分裂)」という要約を示したことがありますが,特にフーテン・ムーブメントなどは価値観の転倒を狙ったもので,「反封建運動」と呼んでもよいのではないかとすら思います.フーテンというのはアメリカのビート→ヒッピー・ムーブメントの影響を受けた「コンミューン志向」の社会・文化的活動ですが,非常に短期間(ほぼひと夏)の一過性の現象に留まりました※.(私の源流はこの辺り) 私たち(の世代)はそれまでの確立した「権威」に挑戦しそれを「解体」することを目標としていましたが,この頃はまさかこれほど短期間にここまで進むとは思ってもいませんでした.
※フーテン・ムーブメントはひと夏で10万人の家出少年・少女を新宿に集めたと言われるほどの大きな社会的現象だったが,それがひと夏で終わった(コンミューン運動自体はその後も全国各地に広がってもう少し長いタイムスパンの間持続した)ことの要因としてはフーテンたちが一種の解放区として都市の中の仮眠施設代わりに使っていた新宿駅東口前の芝生ゾーン(通称グリーンハウス)が当局により封鎖されたこと,それに反発したフーテンたちの抗議行動が駅前交番への投石から発火して群集を巻き込んだ小規模な「都市暴動」に拡大し,警察力によって鎮圧された事件を挙げることができる.その後,新宿歌舞伎町では暴力団の支配が顕在化し,フーテンたちはもっと安全な場所を求めて散ってゆき比較的短い期間のうちに消滅した.この間少なくとも一人ないし二人の死者が出ているはずだ.歴史に「もし」はないとされているが,もしこのグリーンハウスの封鎖という強行措置が執られなかったとしたらどうなっていただろう?つまり,大人たちが少年たちの理解し辛い行動にもう少し寛容であったらということだが...少なくともその後の10年はかなり異なるものになっていたのではないだろうか?
逆の言い方をすれば,我々はほとんど古いものに代わるべき「新しい規範」の用意をしてこなかったのではないかという忸怩たる思いがあります.私は2回結婚に失敗しています.女性は「男を見抜く目」を持っていますから,今にして思えば彼女たちの「判断」は正しかったのだと思っていますが,同時に私は彼女らの「判断」の中にある一定割合で(たとえばリブなどの運動に影響された)外部的な価値基準(たとえばアプリオリな「女性の自立」のような硬直したスローガン)が混入していたことは間違いないと思っています.(私はここで必ずしも「それ」が「正しい」とも「間違っている」とも言っていないことにご留意ください.)
ある海外紙が日本共産党がいまだに「共産党」の名前に固執していることを,「日本軍の再来を待ってジャングルで生き延びてきた小野田少尉みたいなもの」と揶揄していましたが,私もそんな気分になることがあります.ワンルームのぼろアパートのこれより小さくすることは不可能なくらい小さなシンクの縁に不安定にまな板を渡して一人分の孤独な食事の支度をしているとき,ときにふっと,むかし集落のあちこちで早朝の炊事場のかまどのあたりから聞こえて来たリズミカルな包丁の音が幻聴のように甦ることがあります.そんなとき私は「たった一人で自分の持ち場を守って皇軍が帰ってくることを待っていた」小野田少尉の心境に思い至ります.―私はいつかまた大きな食卓で食事する日を一人こうして待っているのだろうか?(私はこの間の集会にも自作のサンドイッチを持参しましたが,周辺で見かけたのはすべてコンビニで買ったパック入りのものばかり.手作りの弁当を持ってきた人は他にいなかったのではないかと思います.)
リブ関係その他資料の蒐集・整理を進めているというお話でしたが,ネットからかなり検索できるようになってますね!私は「運動」の随伴者であったとしても,(ごく一部のスポット的活動を除いては)あなたのように運動に主体的に関わったことがありません.
「全共闘運動はまだ総括が終わっていない」という言い方がされることがありますが,私のような傍観者は「伝記作者」のポジションに転ずるべきではないか?と思ったこともあります.東北で某女子大の講師をしていた昔の知り合いに「お前やれよ」と勧めたことはありますが,私自身はごく身近に起こったことしか知らないし,それもおぼろな記憶しか残っていないので残念ながら不適格であることを自認しています.全共闘運動に関しては東大全共闘議長の山本義隆氏がかなりの生資料を蒐集して国会図書館に寄贈されてますから,誰か後世の人間が取り組むこともできるかとは思いますが.※交友関係では東大全共闘中枢にかなり近かったが運動そのものには関わらず傍観者のポジションに留まった(大学からドロップアウトしかけていた).
現在私は「脱米救国」というある意味で非常に遅れてきた60年代的スローガンを最優先課題に掲げていますが,このために極左から右ウィングまでの幅広い連帯を模索するというポジションを取っています.フーテンという私の出自から考えても私の思想が基調としてかなりアナーキーな色彩を帯びていることは否定できないと思うのですが,それからすると,「国家」とか「民族」などという概念はもっとも対極にあるものと思われるかもしれません.私の考えている「国民経済共同体」という概念は,抽象的なものではなく有機的な血の通った「ボディ」です.この意味で「経済学者」たちが数字をもてあそんで論じる「(マクロ)計量経済学」と,私の「経済共同体」とはまったく似てもって非なるものです.むしろもっとも純化した意味における「国体」という概念に近いとさえ言えるかも知れません.コンミューン運動に携わったことはありませんが,この意味では逆説的にも[私自身が]原点回帰していることが見て取れます.
水稲耕作を基盤産業として選択することによって日本社会は古代から水資源を共同管理する循環経済システムを構築してきました.江戸時代には鎖国という一国閉鎖経済を経験することによって世界史上初めてのほぼ完全なリサイクルシステムを完成させることに成功しています.我々日本人は,いつの日か環境汚染問題を完全に解決できるという暗黙の確信を共有していると思いますが,その背景にはこの国家規模で環境コントロールを実現した経験があることは間違いありません.(個別企業論理をどのように積分してもこのような問題の解決を得ることはできません) 2005年の統計で農業就業人口は224万人(注:うち57%は65歳以上,通常生産年齢人口は15歳以上65歳未満の人口を言う)しかありませんが,日本人のDNAに刷り込まれたこの組織原理は依然としてその効力を失っていないと私は考えています.私たちはイエ・ムラ・クニを化学分解してアトミックな個人(近代的市民)にすべてを還元しようとしていますが,もう一度立ち止まる必要があるのではないでしょうか?
もちろん,それが[かつての]「国体」を復活させることなどであるはずはありません.残念ながら安倍の「美しい国」というのは相当な「勘違い」でありアナクロであると認識していますが,方向性としては多少の汲むべきものがあると思っています.美しい国を復活させるためには,何を置いてもまずふるさとの清流と清浄な空気を取り戻すことが先決です.私は「環境問題」を「環境汚染問題」として把握していますが,環境汚染と精神の汚染は無関係ではありません.目標レベルは,魚が生息できるだけでなく釣った魚を持ち帰って食べられるという水準です.「民営化」という極めて欺瞞的・犯罪的なからくりについてはここでは述べませんが,それに対抗する「公共政策」という考え方はやや私に近いものです.明らかに小泉・竹中構造改革の「新リベラリズム」,「グローバリズム」は私の考え方と真っ向から対立するものであり,私はそれらを評価するときに「売国」の名を冠することに抵抗を持ちません.
私は当面の政治目標を「東アジアに戦争を持ち込ませないこと」に絞り込んでいます.私はこの目標は達成可能であり,またそれが国民の総意であることに疑いを持っていません.私の政治スローガンは「脱米救国」ですが,これは反米つまり,アメリカ一国ないしアメリカ政府に敵対することを意図したものではありません.私たちの真の敵は実はもう一つ上のレベルにある実質的な世界支配権力=国際金融資本です.彼らが世界支配のツールとして使用している主な仕掛けは2つあります.一つはシオニストのコントロールを受けたアメリカ軍産複合体であり,もう一つは国際連合です.より直接的な手段としてはWTO,世銀・IMFなどがあります.
彼らは(彼らが設計し引き起こした)第二次世界大戦を終結させるとき,きっちりと第三次世界大戦のための火種をその中に埋め込みました.パレスチナや北朝鮮はこのとき意図的に組み込まれた時限装置です.「戦争」で利得を得るものがいる限り地上に恒久平和は訪れません.戦争利得者はつねに敵対する陣営の両側に武器と資金を提供してきました.戦争利得者を地上から追放すること,それが「脱米救国」というスローガンの裏スローガンです.戦争利得者は実体経済(共同体)の寄生者であり,中央銀行システムをコントロールして戦争を発動します.
天皇の戦争責任は問われなくてはなりませんが,もし次の戦争があるとすればそれを「天皇の責任」に転化することはできません.アメリカでは電子投票システムなどを導入することによって選挙の公正さが著しく損なわれていますが,少なくとも現在までのところ日本の普通選挙システムは(ごく一部例外を除き)健全に運営されています.もし次の戦争があるとすれば,それは誰の責任でもなく他ならぬ日本国民一人一人の責任であることが銘記されなくてはなりません.もし東アジアで次の戦争があるとすれば,今度こそ日本本土が戦場になるということを指摘しておくべきだろう.しかし,当面する問題は米国の尻馬に乗って中東(アフガンを含む)の戦争に巻き込まれることである.解釈改憲により集団的自衛権を行使可能とする策謀・NATOへの向こう見ずな接近など危険な兆候はレッド・アラート・レベルに達している.
久間防衛相は閣僚として始めて公式に「米国のイラク侵略」を非難しました.その後アメリカに呼ばれてお灸をすえられたのがよほど効いたのでしょう.ついに「原爆の投下は止むを得なかった」という発言が飛び出すほどに洗脳されて帰ってきました.安倍がこの発言を擁護していることからも明らかなように安倍の右寄りの発言が単なる人気取りのためのポーズでしかないことは明らかです.安倍が消えた年金問題などで窮地に陥るたびに北朝鮮でミサイル発射の噂が流されたり,実際に発射されたりのことが起こるのは決して偶然ではありません.ブッシュ・金正日・安倍は文鮮明を媒介として死のトライアングルを形成し結託して東アジアの不安定化を煽りながら,教祖の予言する第三次世界大戦に日本を巻き込むための策謀を続けています.
※久間防衛相は本日午後米軍の原爆投下容認発言の責任を取って引責辞任した.3日午前,久間氏の地元長崎県議会は「しょうがない発言」について「到底容認できない」と抗議する決議を全会一致で可決.自身の発言の重大さにようやく気付き長いマインドコントロールから抜けた久間氏は抗議文を携えて防衛省を訪れた長崎市の田上富久市長にやや正気を取り戻して,「長崎市民や県民、全国の被爆者にご迷惑をおかけしてすいませんでした」と陳謝した.
安倍首相は先の「イラク戦争開戦判断は誤り」発言では不快感を示す米国からの圧力を跳ね返して防衛相をかばい抜き,今回の「原爆はしょうがなかった」発言では辞任やむなしと決断することで表向き一応の筋を通したが,追い討ちをかけるように安倍政権の命取りになりそうなニュースがネット上を巡回している.参議院選投票日直前の7月20日に拉致被害者を乗せた万景峰号が入港するというディリーNKのスクープである.情報は「首相官邸周辺から流出した」ものと見られる.ディリーNKは当ブログでもしばしば引用している北朝鮮の民主化と朝鮮半島の統一を社是とするオンライン・ジャーナルであり,北朝鮮に批判的な評論で知られる.もしこの予告が文字通り実現すれば安倍首相と北朝鮮の癒着が白日の下に曝されることになる.
私が単純な「善悪二元論」を取らないということはご理解頂けるものと思います.私は「国連」という機関にも一定の存在意義を認めているし,むしろその機能はもっと強化されるべきだと考えています.すべてのものごとは多面的に解釈され得るし,またそうすべきであると思っています.私は「禍福はあざなえる縄の如し」という格言にもっとも共感するものを感じています.
すべての事象を因果関係に分節することは可能ですが,最悪の前提から最善の結果を得ることは決して例外的事象ではありません.その一例としてたとえば我々は「大東亜戦争」の果実としての「平和憲法」を持っています.しかし,ネオコン(永久革命論者の変種)やキリスト教原理主義者(ハルマゲドン待望論)のような意図的に最終戦争を引き起こすことによって最終解決を得るという考え方を否定します.その理由は「彼ら」には個々の人間の生命が単なる操作可能なパラメータでしかないからです.それを「サタニズム」と呼ぶのは決して誇張ではないと思います.彼らのロゴはキノコ雲とカギ十字です.
馬場英治
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| 2007-07-03 15:06
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