2007年 06月 08日
太平洋戦争下の労働運動 4-1.治維法・特高・憲兵による弾圧(法政大学大原社会問題研究所)
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憲兵隊+特高でググったら,2006年5月に愚民党さんが大原社会問題研究所刊行の日本労働年鑑 特集版という大部な文献から興味深い一ページを切り取って阿修羅の政治・選挙板に投稿しているのを見つけた.タイトルは「第2節 流言蜚語の取り締まり」.仲間内で戦争を批判したり軍人や天皇の悪口を言っただけで特高や憲兵につかまるという暗黒時代の記録だ.
岐阜県の24歳の陶工は,「今度の支那との戦争は侵略的である。支那と戦争して領土を占領しても我々無産者には何等の利益等ない。結局戦争は資本家が金儲けするだけでこんな侵略的戦争は反対だ。早く止めて貰いたい。仕事がなくなるから。」と言っただけで,造言飛語罪に問われ禁錮4ヶ月の刑に処せられた.私はこの陶工は本当のことを言っただけだと思う.
岐阜県の52歳になる畳職人は,「実際貧乏人は困っている。よいかげんに戦争なんか止めたがよい。兵隊に行った人の話では全く体裁のよい監獄じゃそうな。兵隊もえらいしええかげんに戦争は止めたがよい。」と本音を吐いたため禁錮6ヶ月の実刑を食らった.
福岡の31歳の床屋さんは,「皇軍兵士が戦死する場合無意識の間に天皇陛下万歳を叫んで死ぬ様に新聞紙に報道されているが、それは嘘だ。ほとんど大部分の者は両親兄弟妻子恋人等親しい者の名前を叫ぶということだ。」などと話したため禁錮5ヶ月の処罰を受けた.
かつて,反戦平和思想はそれ自体取り締まりの対象であり,過酷なまでの処罰を受けた.自衛隊の情報保全隊がやっていることはこれとまったく同じである.今は「調査」と称して反戦・平和運動の「監視」に限定しているが,本心では「取締り」たいが故にその予備行為として継続的な監視活動を行っているのである.「監視」が「取り締まり」に切り換わるのは造作もないことだ.今回の国会で見せ付けられたように,「強行採択」を行いさえすれば今日にでも実現可能だ.そのときになって,あの時止めておけばよかったと言っても間に合わない.今日この問題を解決することができなければ明日という日はもう2度と訪れないことを銘記すべきである.
一般民衆にとって戦争は災厄以外のなにものでもないから,民衆は天然の平和思想家である.だから民衆を戦争に巻き込むためには強制が必要だ.そのためのツールがプロパガンダと監獄である.だがそれだけでは足りない.より重要なのは監視であり相互監視の強制である.(しかし,最終的な決め手はいつも,サプライズである.たとえば911.)
※テキストは可読性を考慮して,若干の編集を加えている.(改行の追加,語句の省略など)
引用などを行う場合は原典を直接参照されることをお勧めする.
日本労働年鑑 特集版
太平洋戦争下の労働運動
The Labour Year Book of Japan special ed.
第四編 治安維持法と政治運動
第一章 治維法・特高・憲兵による弾圧
第一節 治安維持法と特高警察
第二節 流言飛語の取締り
治安維持法は、本来、日本共産党をはじめとする政治結社の運動を弾圧することを目的としたものであったが、戦局の進展につれて、国民のあいだに戦争にたいする嫌悪感が増大し、厭戦から反戦の気分がつのり、天皇制にたいする反感が強まるにつれて、政治的支配権力の側では、集団的な政治活動のみでなく個別的な「不穏言動」や「造言飛語」――反戦・反軍・不敬・不穏の言辞・策動・投書・落書・演説・文書掲出・放歌等々――に深刻な脅威を感じて神経をとがらした。内務省警保局が「今後人の集るところ必ず共産主義運動あり」と感ずるようになったこと(内務省警保局編「社会運動の状況」昭和一六年版、八ページ)は、かれらの危機感をよくあらわすものであった。
内務省警保局や憲兵隊が反戦・反軍・不敬・不穏事件として、やっきになって探索し、弾圧した事件の数は、戦争が進むにつれて急激に増大し、警保局によってキャッチされた事件の数のみでも、第36表のように、月平均件数で日中戦争開始ころの一二~三件が年を逐って二三件、二六件、三四件、五一件と増大する一方であった。一九四〇年版の警保局「社会運動の状況」には、「最近は落書投書言辞等いずれを問わず、悪戯的なものは全く影を潜め、内容すこぶる不逞悪質のもの多きに上るの状況」と記しているように、「不逞悪質」の言動が目立ってきた。また、憲兵隊によって摘発された戦争末期の流言の数と種類は第37表のとおりであった(池田一「太平洋戦争中の戦時流言」、社会学評論、第二巻第二号、一九五一年八月による)。以下に官憲の目にとまった言動のうちいくつかを年代順にあげておこう。
「今度の支那との戦争は侵略的である。支那と戦争して領土を占領しても我々無産者には何等の利益等ない。結局戦争は資本家が金儲けするだけでこんな侵略的戦争は反対だ。早く止めて貰いたい。仕事がなくなるから。」(造言飛語罪で禁錮四ヵ月)
「今年は百姓は悲惨なものだ。連日の降雨のため麦や罌粟は皆腐ってしまった。これは今度の戦争で死んだ兵隊さんの亡魂が空中に舞っているから、その為に悪くなるのである。戦争の様なものはするものではない。戦争は嫌いじゃ。」(警察犯処罰令で科料一〇円)
「こんなに働くばかりでは銭はなし税金は政府から絞られるし全く困ってしまった。それに物価は高くなるし仕事はなし、上からは貯金せよといって絞り上げる。実際貧乏人は困っている。よいかげんに戦争なんか止めたがよい。兵隊に行った人の話では全く体裁のよい監獄じゃそうな。兵隊もえらいしええかげんに戦争は止めたがよい。日本が敗けようと敗けまいと又どこの国になっても俺はへいへいといって従っていればよい。日本の歴史なんか汚れたとて何ともない。」(陸軍刑法第九九条違反で禁錮六ヵ月)
理髪業・三一歳――「皇軍兵士が戦死する場合無意識の間に天皇陛下万歳を叫んで死ぬ様に新聞紙に報道されているが、それは嘘だ。ほとんど大部分の者は両親兄弟妻子恋人等親しい者の名前を叫ぶということだ。」(陸刑九九条で禁錮五ヵ月)
落書「労働者諸君賃金待遇に不平はないか、資本家はもうけているぞ、ファッショ倒せろ、賃銀値上せろ、涸落政党打倒、戦争する軍事費で失業者にパン救済せよ。」(不敬罪で懲役二年)
落書――「正義を愛する者は戦争に参加するな。」(捜査中)
応召軍人妻・三三歳――「兵たいさん父さんおかいしてくださいおねがいです。母さん病きでねています。私はまいにつないでいます。ごはんないのでばはいやにいもおもらった父っやんおかいしください。兵たいさんめくんでください母っやんぜにかないています。」(説諭処分)
「農家ではこの忙しい時に兵隊には取られるし頼りとする馬も徴発され仕事をするに大支障がある。とにかく戦争等は早く終って貰いたいと念願している。もう戦争は嫌になった。」(戒飭)
落書――「…この社会的動乱の渦中、立って賢明なる諸君は苛酷なる搾取と残虐なる戦争とを事とするブルジョアジーの味方をするか、それとも人間性の尊重と共存共栄との社会主義社会の建設を目指すプロレタリアートの味方をするか(授業が始ったら消して下さい)」および不穏文書(教師用机の前方に「侵略戦争絶対反対」、「ファシズム反対」の小紙片貼布)。(検挙送局)
農業女性・三八歳――「国家なんて虫の良い事ばかりするものだ。足袋もなくて働け働けといわれても仕方がない。それに増税だ何だと是では百姓がやりきれない。是も戦争がある為だから戦争なんて敗けてもよいから早くやめて貰いたいものだ。」(厳諭)
皇太子の写真に「こんな良い服や靴を着て何じゃ、我々国民があって初めてこんな良い服が着られるのだ、こんなもの何じゃ」といいつつ該新聞紙をクシャクシャに丸め、これでストーブ上の油を拭き廻したのち「こんな者は早く死んで了え」とストーヴの火中に投じた。(不敬罪で送局)
芸能人(石田一松)、三九歳――「稼いでも稼いでも喰えないに、物価はだんだん高くなる、物価は高いのに子はできる、できた子供が栄養不良、いやにしなびて青白く、あごがつんでて目がくぼみ、だんだん細くやせてゆく、日本米は高いからパイノパイノパイ、南京米や朝鮮米でヒョロリヒョロリヒョロリ」なる歌詞の時事小唄を演奏した。(演奏中止、厳重戒飭)
小学校の時艱克服聖戦完遂村民総動員大会の席上で、「我々は今子供を二人も戦争にやっているが、もう戦争も大概に止めて貰いたいものだ」と発言。(厳重戒飭)
警察署長あて投書(新聞の皇族写真同封)――「署長以下署員皆様この御写真を見て如何に思うか。新体制が叫ばれている折今日この二方の服装はどうだ。上等の高価の毛皮の襟巻を着て堂々と新聞紙上に出すではないか。下人民の手本となるべき人はこの様な派手なことをするとは陛下の赤子として立腹の至りだ。現下の国民はいかなる苦難を忍びつつあるか。我々の生活の有様を推察せられ前記御二方へ厳重御意見を直接宮中へ出されよ。なお新聞紙に反答せられたし。一市民より。」(捜査中)
「天皇陛下も人間なら我々も人間だ。天皇陛下が米を食べられるのに我々国民が米を食べられないはずはない。天皇陛下が米を食べられないのなら、自分も食わずに辛棒する。我々は銃後の産業戦士だ。このような事で銃後の治安もくそもあるか。」(不敬罪として送局)
公休日に郷里に行き帰途の列車内で「オイ皇太子殿下に会って来たか(子供の意)。」「皇太子殿下に会わんが皇后陛下に会って来たよ(女の意)。」……と不敬会話をなし居るを同乗の移動警察官が検挙。(徴用工員のため憲兵隊に引継)
農業・三九歳――「先日自分の出した供出米が一俵不正だとかで村の連中がとやかくいうが、あの位の事が悪いなら何の法律でもよい罰してもらいたい。このように種々と窮屈になったのも戦争のためでこの戦争を誰が頼んだものではない。政府が勝手にやっておるのでこんな事が永く続けば銃後はやりきれぬ。」(科料五円)
農林学校三年生四二名にたいし作文授業中、与謝野晶子作「君死にたまふことなかれ」の歌を板書し、生徒に筆記させ、「天皇は身自ら戦の庭に立たぬのだから我々も戦死する必要はない」との趣旨で説明を加えた。(厳重戒飭)
事変に応召して召集解除となったが、戦地より支那軍捕虜殺戮現場写真等を持ち帰り、一九四一年九月以降一〇月、職工にたいし継続して、前記写真を提示しつつ、皇軍を誹謗し反戦反軍言辞を弄す。(四二年一月、神戸区裁で禁錮六ヵ月)
主として校長にたいする反感より、校長宅不在中、奉安所鍵を持ち出して奉安所を開扉し、箱中より今上陛下御真影および教育勅語を持ち帰り、火鉢にてまず教育勅語に火をつけ、更に御真影を焼却した。(一一月、懲役三年判決)
「日本もハアどうすることもできなくなってしまっただからね、皇族だっても我々と同じ国民ではないか、宮様の御祝儀だなんてあってこともない騒ぎをして一体皇族なんてものは何をして食っているんだべ。」(区長宅の常会席上、二二名の前で発言、不敬罪で送局)
常会席上班長から国債購入の勧誘を受けたのに対し、「自分達はその日稼の苦しい生活をしているものだ。こんな事は下の者に無理にいうより戦争を止めるのが一番良い。そうすれば国債を売付ける必要がない。無理に戦争に勝とうとするからこのような国債売までするのだ。早く戦争をやめてもらいたい。」(検挙)
代議士(尾崎行雄)八四才――同年四月の総選挙に応援弁士として五回演説した際の言辞、「優れた天皇陛下がお出になってもそのお方が御在世の間は実に良い仕事ができますが、その次のお方が必ずしも同じ様でない時には今度は度々悪くなります(注意)……明治天皇陛下の聡明な御方が御崩れになって今日は二代目、三代目(注意)……。」(強制収容、起訴決定)
十数回にわたり町村長、農会、警察署長等に投書、「商人丸丸と肥り、農村子弟戦場に血を流す。」「米の供出を御命令になるのは良家が闇をしている事になる。農家の親分として言分がある。農家の子弟が戦場で血を流し商人が儲けている。御承知あれ。」(言論出版集会結社等臨時取締法ならびに臨時郵便取締法違反として罰金一〇〇円)
工場において八―九名にたいし、「こんな戦争は勝っても決して我々労働者には何の得にもならぬ。お上の人は闇をしてはならぬと強調しているが、その人達が何をしているのか判ったものではない。」「天皇陛下がなければこんな戦争をやる必要はない。」(言論出版集会結社等臨時取締法一八条違反として略式命令により罰金五〇円)
国民学校における故陸軍兵長の村葬に参列し、埋葬に行く途中、村長にたいし、「国家のため戦死された英霊を何故国民学校の裏門より出発せしむるか」と質したのに対し、村長が「正門には御真影奉安せられあり、恐れ多いから臣下として御遠慮中し上げる」と答えたのに対し。「恐れ多い恐れ多いといったって天皇は我々が食わせておくのではないか、遠慮なら仕方がない。」と不敬の言辞を弄した。(不敬罪として送致)
生徒・一九才――道路において梨本宮殿下の御宿舎を望見しつつ同僚にたいし、「梨本君まだ来ないのか」と不敬言辞を弄す。(不敬罪として送致)
敗戦が近づくにつれて、国民のあいだには、生活の苦しみにもとづく終戦の要望、徴兵・徴用・供出などにたいする反対、心理的サボタージュ、官僚・軍部・天皇家にたいする抗議・攻撃などを内容とする「不穏言動」はいっそう拡まり、たとえ小さなものであっても戦時下で相当の勇気を要するこれらの言動は、支配階級にとって最も危険な抵抗の表現として受け取られた。
憲兵司令部の資料によれば、一九四四年の一年間に全国の憲兵隊があつかった「造言」の数は、六、二三二件にのぼり、うち大阪六二五件、京都四六四件、仙台四一二件、東京三四七件となっている。また内務省警保局の資料(後出)によれば、一九四四年四月から一九四五年三月までの一年間に「不敬、反戦反軍、その他不穏にわたる言辞、投書、落書」の件数は、六〇七件となっている(南博「流言飛語にあらわれた民衆の抵抗意識」、文学、一九六二年四月号)。同じ警保局資料によると、一九四五年一月から五月までの反戦反軍的言動は一三五件、不敬言動は四〇件となっている(内務省警保局保安課第一係「最近に於ける不敬、反戦反軍、其他不穏言動の状況」、一九四五年八月――林茂編「日本終戦史」上巻による)。
警保局は、このうち反戦反軍的言辞の内容を分類してつぎのように述べている――「(イ)生活逼迫を訴えて戦争停止を希ふもの、(ロ)無条件降伏を為すも責任を問はるるのは戦争指導者のみにして下層国民の生活に現実以上の悲惨は齎されずと為し敗戦和平を希ふもの、(ハ)上層軍人の特権的生活に露骨なる憎悪感を示すもの、(ニ)戦禍の悲惨を訴へて降伏を希ふもの、(ホ)軍部は自らの無能無定見を陰蔽し只管敗戦の責任を国民に転嫁しつつありとするもの、(ヘ) 我国の敗戦必至なりとして即時和平の交渉を希ふもの、等が圧倒的に多く、特に従来は(イ)(ロ)(ハ)(ニ)の内容のものが多かったので あるが、極最近に於てはそれに加へ(ニ)(ホ)(ヘ)の内容のものが相当増加しつつある。何れも軍部官僚等の特権階級は自ら戦争圏外の特等席に位置し乍ら無意味なる抗戦の犠牲を国民に強ひつつありとする階級的感情の自然発生と結合し居るものの多いことは注目を要する動向と思料されるのである。」
また、各種の不穏な言動を検討した上で、その動機などについてつぎのように述べている――「先づその動機に於ては従来の如き一部性格異常者、不穏思想抱持者等の悪戯及び思想的動機に出たるものに加へて最近に於ては大衆一般の戦局悪化に伴う厭戦敗戦感と戦時生活の逼迫から自然発せる苦痛の中に根源を持つ具体的生活的動機のものが著しく増加して居る。従ってその内容に於ても極めて切実なものが多い。而かも何れも反戦反軍乃至厭戦敗戦的思想感情が斯種言動を一貫して居るといふ点にその特徴を窺ふことが出来るのである。特に極最近に至っては所謂其他不穏言動が愛国乃至憂国的動機より出たるもの、又は、施策に対する不満より政府或は官僚を誹謗せる類の内容のものから漸次厭敗戦色調の濃厚なるものに移りつつあると謂ふ実情は頽廃的自暴自棄に亘る歌詞歌謡の流行等と相俟って正に反戦反軍的思想感情の広汎なる〔ウン〕醸地を準備するものとして注目に値する傾向である。
………之等は何れも言動として表面化し視察取締りの線に触れたる偶然のものに過ぎず、その根源には猶戦時下特有の政治的社会的重圧の下に沈黙を余儀なくされたる大衆の広汎なる不安動揺の存在を推測し得るといふところに事態の重要性があるものと思料されるのである。………意識的計画的なる態様のものが最近僅か乍らも増加の傾向にあり、又極めて素朴なる形なるも宣伝、煽動的意図に出でたる態様のものすら萌芽しつつあるといふことは、当面国民心理の不安動揺といふ客観的条件が存在するだけに厳重警戒を要するところである。」以下に若干の具体的事例を掲げる。
「米もすっかり持って行かれ百姓は酷いものだ。戦争なんか勝っても負けても同じ事で百姓には関係がないそうだ。」(憲兵隊審理中)
「町内会でも疎開者として勧奨しておった某実業家の二号は旦那が策動して疎開せずに済むことに決ったそうな。疎開にも闇中情実があるらしい。」(憲兵諭示、他言を禁ず)
「大体政府は二合七勺位の米で腹がふくれると思っているのだろうか。こんなひもじい目をするのなら戦争は勝っても負けてもどうでもよい。」(警察検挙、送致)
「徴用検査の通知は死んだものにでも来るのだから行っても行かなくてもよい。検査の時は番号を呼んで行って居らんものは赤線を引いて消すだけで、検査に行けば徴用が来るが、行かなかったら徴用にも行かなくともよい。」(警察検挙、送致)
「十俵の収穫しかない者に、二十五俵の割当があった場合にも完納するのか。完納するとすれば盗んで来るより仕方ない。こんなに無理を強いられるなら、米英の世話になった方が良いと思う。」(反響大、警察検挙、送致)
「神社のお告げだ。今年海軍に志願すれば戦死する。」(近郷町村一帯に流布、著しく海軍志願兵を消磨させ、特にH村は割当九名に対し志願者皆無、憲兵検挙、送致)
「軍はやられたり負けた事等はいつも発表しない。だから新聞等では解らない。」(電車内で同僚四名に流布、憲兵隊で厳諭始末書)
「あんなに東京を焼いて了って天皇陛下も糞もない。戦に勝つから我慢しろと言やがって、百姓はとった米も自由にならぬ。骨が折れる丈だ。」(憲兵検挙、事件送致)
埼玉・村会議員――「沖縄も近く玉砕だ。この分では日本は負けだ。負け戦に貯金だ供出だと云うが馬鹿馬鹿しいことだ。」(部落常会席上で近隣約三〇名に洩らす、警察検挙取調)
農業・四九才――「敵が上陸したら国旗を出して歓迎する。」(一九四四年九月)
「日本が負けて天皇陛下はどうなるやろう。」「天皇陛下は淡路島でも貰うやろう。」「そんなことはない。どこか南洋か外国へ連れて行かれるのやないかと思うな。」(警察検挙)
水戸連隊区司令官あて――「軍人諸君特に陸軍の軍人諸君は民衆の忠誠を認識せず、徒に威丈高に叱責これを咎むるのみ急にして敗戦の責任の己自身に存することを誤魔化さんとする傾向日を追うて顕著なり。……」
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岐阜県の24歳の陶工は,「今度の支那との戦争は侵略的である。支那と戦争して領土を占領しても我々無産者には何等の利益等ない。結局戦争は資本家が金儲けするだけでこんな侵略的戦争は反対だ。早く止めて貰いたい。仕事がなくなるから。」と言っただけで,造言飛語罪に問われ禁錮4ヶ月の刑に処せられた.私はこの陶工は本当のことを言っただけだと思う.
岐阜県の52歳になる畳職人は,「実際貧乏人は困っている。よいかげんに戦争なんか止めたがよい。兵隊に行った人の話では全く体裁のよい監獄じゃそうな。兵隊もえらいしええかげんに戦争は止めたがよい。」と本音を吐いたため禁錮6ヶ月の実刑を食らった.
福岡の31歳の床屋さんは,「皇軍兵士が戦死する場合無意識の間に天皇陛下万歳を叫んで死ぬ様に新聞紙に報道されているが、それは嘘だ。ほとんど大部分の者は両親兄弟妻子恋人等親しい者の名前を叫ぶということだ。」などと話したため禁錮5ヶ月の処罰を受けた.
かつて,反戦平和思想はそれ自体取り締まりの対象であり,過酷なまでの処罰を受けた.自衛隊の情報保全隊がやっていることはこれとまったく同じである.今は「調査」と称して反戦・平和運動の「監視」に限定しているが,本心では「取締り」たいが故にその予備行為として継続的な監視活動を行っているのである.「監視」が「取り締まり」に切り換わるのは造作もないことだ.今回の国会で見せ付けられたように,「強行採択」を行いさえすれば今日にでも実現可能だ.そのときになって,あの時止めておけばよかったと言っても間に合わない.今日この問題を解決することができなければ明日という日はもう2度と訪れないことを銘記すべきである.
一般民衆にとって戦争は災厄以外のなにものでもないから,民衆は天然の平和思想家である.だから民衆を戦争に巻き込むためには強制が必要だ.そのためのツールがプロパガンダと監獄である.だがそれだけでは足りない.より重要なのは監視であり相互監視の強制である.(しかし,最終的な決め手はいつも,サプライズである.たとえば911.)
※テキストは可読性を考慮して,若干の編集を加えている.(改行の追加,語句の省略など)
引用などを行う場合は原典を直接参照されることをお勧めする.
太平洋戦争下の労働運動
The Labour Year Book of Japan special ed.
第四編 治安維持法と政治運動
第一章 治維法・特高・憲兵による弾圧
第一節 治安維持法と特高警察
第二節 流言飛語の取締り
治安維持法は、本来、日本共産党をはじめとする政治結社の運動を弾圧することを目的としたものであったが、戦局の進展につれて、国民のあいだに戦争にたいする嫌悪感が増大し、厭戦から反戦の気分がつのり、天皇制にたいする反感が強まるにつれて、政治的支配権力の側では、集団的な政治活動のみでなく個別的な「不穏言動」や「造言飛語」――反戦・反軍・不敬・不穏の言辞・策動・投書・落書・演説・文書掲出・放歌等々――に深刻な脅威を感じて神経をとがらした。内務省警保局が「今後人の集るところ必ず共産主義運動あり」と感ずるようになったこと(内務省警保局編「社会運動の状況」昭和一六年版、八ページ)は、かれらの危機感をよくあらわすものであった。
内務省警保局や憲兵隊が反戦・反軍・不敬・不穏事件として、やっきになって探索し、弾圧した事件の数は、戦争が進むにつれて急激に増大し、警保局によってキャッチされた事件の数のみでも、第36表のように、月平均件数で日中戦争開始ころの一二~三件が年を逐って二三件、二六件、三四件、五一件と増大する一方であった。一九四〇年版の警保局「社会運動の状況」には、「最近は落書投書言辞等いずれを問わず、悪戯的なものは全く影を潜め、内容すこぶる不逞悪質のもの多きに上るの状況」と記しているように、「不逞悪質」の言動が目立ってきた。また、憲兵隊によって摘発された戦争末期の流言の数と種類は第37表のとおりであった(池田一「太平洋戦争中の戦時流言」、社会学評論、第二巻第二号、一九五一年八月による)。以下に官憲の目にとまった言動のうちいくつかを年代順にあげておこう。
「今度の支那との戦争は侵略的である。支那と戦争して領土を占領しても我々無産者には何等の利益等ない。結局戦争は資本家が金儲けするだけでこんな侵略的戦争は反対だ。早く止めて貰いたい。仕事がなくなるから。」(造言飛語罪で禁錮四ヵ月)
「今年は百姓は悲惨なものだ。連日の降雨のため麦や罌粟は皆腐ってしまった。これは今度の戦争で死んだ兵隊さんの亡魂が空中に舞っているから、その為に悪くなるのである。戦争の様なものはするものではない。戦争は嫌いじゃ。」(警察犯処罰令で科料一〇円)
「こんなに働くばかりでは銭はなし税金は政府から絞られるし全く困ってしまった。それに物価は高くなるし仕事はなし、上からは貯金せよといって絞り上げる。実際貧乏人は困っている。よいかげんに戦争なんか止めたがよい。兵隊に行った人の話では全く体裁のよい監獄じゃそうな。兵隊もえらいしええかげんに戦争は止めたがよい。日本が敗けようと敗けまいと又どこの国になっても俺はへいへいといって従っていればよい。日本の歴史なんか汚れたとて何ともない。」(陸軍刑法第九九条違反で禁錮六ヵ月)
理髪業・三一歳――「皇軍兵士が戦死する場合無意識の間に天皇陛下万歳を叫んで死ぬ様に新聞紙に報道されているが、それは嘘だ。ほとんど大部分の者は両親兄弟妻子恋人等親しい者の名前を叫ぶということだ。」(陸刑九九条で禁錮五ヵ月)
落書「労働者諸君賃金待遇に不平はないか、資本家はもうけているぞ、ファッショ倒せろ、賃銀値上せろ、涸落政党打倒、戦争する軍事費で失業者にパン救済せよ。」(不敬罪で懲役二年)
落書――「正義を愛する者は戦争に参加するな。」(捜査中)
応召軍人妻・三三歳――「兵たいさん父さんおかいしてくださいおねがいです。母さん病きでねています。私はまいにつないでいます。ごはんないのでばはいやにいもおもらった父っやんおかいしください。兵たいさんめくんでください母っやんぜにかないています。」(説諭処分)
「農家ではこの忙しい時に兵隊には取られるし頼りとする馬も徴発され仕事をするに大支障がある。とにかく戦争等は早く終って貰いたいと念願している。もう戦争は嫌になった。」(戒飭)
落書――「…この社会的動乱の渦中、立って賢明なる諸君は苛酷なる搾取と残虐なる戦争とを事とするブルジョアジーの味方をするか、それとも人間性の尊重と共存共栄との社会主義社会の建設を目指すプロレタリアートの味方をするか(授業が始ったら消して下さい)」および不穏文書(教師用机の前方に「侵略戦争絶対反対」、「ファシズム反対」の小紙片貼布)。(検挙送局)
農業女性・三八歳――「国家なんて虫の良い事ばかりするものだ。足袋もなくて働け働けといわれても仕方がない。それに増税だ何だと是では百姓がやりきれない。是も戦争がある為だから戦争なんて敗けてもよいから早くやめて貰いたいものだ。」(厳諭)
皇太子の写真に「こんな良い服や靴を着て何じゃ、我々国民があって初めてこんな良い服が着られるのだ、こんなもの何じゃ」といいつつ該新聞紙をクシャクシャに丸め、これでストーブ上の油を拭き廻したのち「こんな者は早く死んで了え」とストーヴの火中に投じた。(不敬罪で送局)
芸能人(石田一松)、三九歳――「稼いでも稼いでも喰えないに、物価はだんだん高くなる、物価は高いのに子はできる、できた子供が栄養不良、いやにしなびて青白く、あごがつんでて目がくぼみ、だんだん細くやせてゆく、日本米は高いからパイノパイノパイ、南京米や朝鮮米でヒョロリヒョロリヒョロリ」なる歌詞の時事小唄を演奏した。(演奏中止、厳重戒飭)
小学校の時艱克服聖戦完遂村民総動員大会の席上で、「我々は今子供を二人も戦争にやっているが、もう戦争も大概に止めて貰いたいものだ」と発言。(厳重戒飭)
警察署長あて投書(新聞の皇族写真同封)――「署長以下署員皆様この御写真を見て如何に思うか。新体制が叫ばれている折今日この二方の服装はどうだ。上等の高価の毛皮の襟巻を着て堂々と新聞紙上に出すではないか。下人民の手本となるべき人はこの様な派手なことをするとは陛下の赤子として立腹の至りだ。現下の国民はいかなる苦難を忍びつつあるか。我々の生活の有様を推察せられ前記御二方へ厳重御意見を直接宮中へ出されよ。なお新聞紙に反答せられたし。一市民より。」(捜査中)
「天皇陛下も人間なら我々も人間だ。天皇陛下が米を食べられるのに我々国民が米を食べられないはずはない。天皇陛下が米を食べられないのなら、自分も食わずに辛棒する。我々は銃後の産業戦士だ。このような事で銃後の治安もくそもあるか。」(不敬罪として送局)
公休日に郷里に行き帰途の列車内で「オイ皇太子殿下に会って来たか(子供の意)。」「皇太子殿下に会わんが皇后陛下に会って来たよ(女の意)。」……と不敬会話をなし居るを同乗の移動警察官が検挙。(徴用工員のため憲兵隊に引継)
農業・三九歳――「先日自分の出した供出米が一俵不正だとかで村の連中がとやかくいうが、あの位の事が悪いなら何の法律でもよい罰してもらいたい。このように種々と窮屈になったのも戦争のためでこの戦争を誰が頼んだものではない。政府が勝手にやっておるのでこんな事が永く続けば銃後はやりきれぬ。」(科料五円)
農林学校三年生四二名にたいし作文授業中、与謝野晶子作「君死にたまふことなかれ」の歌を板書し、生徒に筆記させ、「天皇は身自ら戦の庭に立たぬのだから我々も戦死する必要はない」との趣旨で説明を加えた。(厳重戒飭)
事変に応召して召集解除となったが、戦地より支那軍捕虜殺戮現場写真等を持ち帰り、一九四一年九月以降一〇月、職工にたいし継続して、前記写真を提示しつつ、皇軍を誹謗し反戦反軍言辞を弄す。(四二年一月、神戸区裁で禁錮六ヵ月)
主として校長にたいする反感より、校長宅不在中、奉安所鍵を持ち出して奉安所を開扉し、箱中より今上陛下御真影および教育勅語を持ち帰り、火鉢にてまず教育勅語に火をつけ、更に御真影を焼却した。(一一月、懲役三年判決)
「日本もハアどうすることもできなくなってしまっただからね、皇族だっても我々と同じ国民ではないか、宮様の御祝儀だなんてあってこともない騒ぎをして一体皇族なんてものは何をして食っているんだべ。」(区長宅の常会席上、二二名の前で発言、不敬罪で送局)
常会席上班長から国債購入の勧誘を受けたのに対し、「自分達はその日稼の苦しい生活をしているものだ。こんな事は下の者に無理にいうより戦争を止めるのが一番良い。そうすれば国債を売付ける必要がない。無理に戦争に勝とうとするからこのような国債売までするのだ。早く戦争をやめてもらいたい。」(検挙)
代議士(尾崎行雄)八四才――同年四月の総選挙に応援弁士として五回演説した際の言辞、「優れた天皇陛下がお出になってもそのお方が御在世の間は実に良い仕事ができますが、その次のお方が必ずしも同じ様でない時には今度は度々悪くなります(注意)……明治天皇陛下の聡明な御方が御崩れになって今日は二代目、三代目(注意)……。」(強制収容、起訴決定)
十数回にわたり町村長、農会、警察署長等に投書、「商人丸丸と肥り、農村子弟戦場に血を流す。」「米の供出を御命令になるのは良家が闇をしている事になる。農家の親分として言分がある。農家の子弟が戦場で血を流し商人が儲けている。御承知あれ。」(言論出版集会結社等臨時取締法ならびに臨時郵便取締法違反として罰金一〇〇円)
工場において八―九名にたいし、「こんな戦争は勝っても決して我々労働者には何の得にもならぬ。お上の人は闇をしてはならぬと強調しているが、その人達が何をしているのか判ったものではない。」「天皇陛下がなければこんな戦争をやる必要はない。」(言論出版集会結社等臨時取締法一八条違反として略式命令により罰金五〇円)
国民学校における故陸軍兵長の村葬に参列し、埋葬に行く途中、村長にたいし、「国家のため戦死された英霊を何故国民学校の裏門より出発せしむるか」と質したのに対し、村長が「正門には御真影奉安せられあり、恐れ多いから臣下として御遠慮中し上げる」と答えたのに対し。「恐れ多い恐れ多いといったって天皇は我々が食わせておくのではないか、遠慮なら仕方がない。」と不敬の言辞を弄した。(不敬罪として送致)
生徒・一九才――道路において梨本宮殿下の御宿舎を望見しつつ同僚にたいし、「梨本君まだ来ないのか」と不敬言辞を弄す。(不敬罪として送致)
敗戦が近づくにつれて、国民のあいだには、生活の苦しみにもとづく終戦の要望、徴兵・徴用・供出などにたいする反対、心理的サボタージュ、官僚・軍部・天皇家にたいする抗議・攻撃などを内容とする「不穏言動」はいっそう拡まり、たとえ小さなものであっても戦時下で相当の勇気を要するこれらの言動は、支配階級にとって最も危険な抵抗の表現として受け取られた。
憲兵司令部の資料によれば、一九四四年の一年間に全国の憲兵隊があつかった「造言」の数は、六、二三二件にのぼり、うち大阪六二五件、京都四六四件、仙台四一二件、東京三四七件となっている。また内務省警保局の資料(後出)によれば、一九四四年四月から一九四五年三月までの一年間に「不敬、反戦反軍、その他不穏にわたる言辞、投書、落書」の件数は、六〇七件となっている(南博「流言飛語にあらわれた民衆の抵抗意識」、文学、一九六二年四月号)。同じ警保局資料によると、一九四五年一月から五月までの反戦反軍的言動は一三五件、不敬言動は四〇件となっている(内務省警保局保安課第一係「最近に於ける不敬、反戦反軍、其他不穏言動の状況」、一九四五年八月――林茂編「日本終戦史」上巻による)。
警保局は、このうち反戦反軍的言辞の内容を分類してつぎのように述べている――「(イ)生活逼迫を訴えて戦争停止を希ふもの、(ロ)無条件降伏を為すも責任を問はるるのは戦争指導者のみにして下層国民の生活に現実以上の悲惨は齎されずと為し敗戦和平を希ふもの、(ハ)上層軍人の特権的生活に露骨なる憎悪感を示すもの、(ニ)戦禍の悲惨を訴へて降伏を希ふもの、(ホ)軍部は自らの無能無定見を陰蔽し只管敗戦の責任を国民に転嫁しつつありとするもの、(ヘ) 我国の敗戦必至なりとして即時和平の交渉を希ふもの、等が圧倒的に多く、特に従来は(イ)(ロ)(ハ)(ニ)の内容のものが多かったので あるが、極最近に於てはそれに加へ(ニ)(ホ)(ヘ)の内容のものが相当増加しつつある。何れも軍部官僚等の特権階級は自ら戦争圏外の特等席に位置し乍ら無意味なる抗戦の犠牲を国民に強ひつつありとする階級的感情の自然発生と結合し居るものの多いことは注目を要する動向と思料されるのである。」
また、各種の不穏な言動を検討した上で、その動機などについてつぎのように述べている――「先づその動機に於ては従来の如き一部性格異常者、不穏思想抱持者等の悪戯及び思想的動機に出たるものに加へて最近に於ては大衆一般の戦局悪化に伴う厭戦敗戦感と戦時生活の逼迫から自然発せる苦痛の中に根源を持つ具体的生活的動機のものが著しく増加して居る。従ってその内容に於ても極めて切実なものが多い。而かも何れも反戦反軍乃至厭戦敗戦的思想感情が斯種言動を一貫して居るといふ点にその特徴を窺ふことが出来るのである。特に極最近に至っては所謂其他不穏言動が愛国乃至憂国的動機より出たるもの、又は、施策に対する不満より政府或は官僚を誹謗せる類の内容のものから漸次厭敗戦色調の濃厚なるものに移りつつあると謂ふ実情は頽廃的自暴自棄に亘る歌詞歌謡の流行等と相俟って正に反戦反軍的思想感情の広汎なる〔ウン〕醸地を準備するものとして注目に値する傾向である。
………之等は何れも言動として表面化し視察取締りの線に触れたる偶然のものに過ぎず、その根源には猶戦時下特有の政治的社会的重圧の下に沈黙を余儀なくされたる大衆の広汎なる不安動揺の存在を推測し得るといふところに事態の重要性があるものと思料されるのである。………意識的計画的なる態様のものが最近僅か乍らも増加の傾向にあり、又極めて素朴なる形なるも宣伝、煽動的意図に出でたる態様のものすら萌芽しつつあるといふことは、当面国民心理の不安動揺といふ客観的条件が存在するだけに厳重警戒を要するところである。」以下に若干の具体的事例を掲げる。
「米もすっかり持って行かれ百姓は酷いものだ。戦争なんか勝っても負けても同じ事で百姓には関係がないそうだ。」(憲兵隊審理中)
「町内会でも疎開者として勧奨しておった某実業家の二号は旦那が策動して疎開せずに済むことに決ったそうな。疎開にも闇中情実があるらしい。」(憲兵諭示、他言を禁ず)
「大体政府は二合七勺位の米で腹がふくれると思っているのだろうか。こんなひもじい目をするのなら戦争は勝っても負けてもどうでもよい。」(警察検挙、送致)
「徴用検査の通知は死んだものにでも来るのだから行っても行かなくてもよい。検査の時は番号を呼んで行って居らんものは赤線を引いて消すだけで、検査に行けば徴用が来るが、行かなかったら徴用にも行かなくともよい。」(警察検挙、送致)
「十俵の収穫しかない者に、二十五俵の割当があった場合にも完納するのか。完納するとすれば盗んで来るより仕方ない。こんなに無理を強いられるなら、米英の世話になった方が良いと思う。」(反響大、警察検挙、送致)
「神社のお告げだ。今年海軍に志願すれば戦死する。」(近郷町村一帯に流布、著しく海軍志願兵を消磨させ、特にH村は割当九名に対し志願者皆無、憲兵検挙、送致)
「軍はやられたり負けた事等はいつも発表しない。だから新聞等では解らない。」(電車内で同僚四名に流布、憲兵隊で厳諭始末書)
「あんなに東京を焼いて了って天皇陛下も糞もない。戦に勝つから我慢しろと言やがって、百姓はとった米も自由にならぬ。骨が折れる丈だ。」(憲兵検挙、事件送致)
埼玉・村会議員――「沖縄も近く玉砕だ。この分では日本は負けだ。負け戦に貯金だ供出だと云うが馬鹿馬鹿しいことだ。」(部落常会席上で近隣約三〇名に洩らす、警察検挙取調)
農業・四九才――「敵が上陸したら国旗を出して歓迎する。」(一九四四年九月)
「日本が負けて天皇陛下はどうなるやろう。」「天皇陛下は淡路島でも貰うやろう。」「そんなことはない。どこか南洋か外国へ連れて行かれるのやないかと思うな。」(警察検挙)
水戸連隊区司令官あて――「軍人諸君特に陸軍の軍人諸君は民衆の忠誠を認識せず、徒に威丈高に叱責これを咎むるのみ急にして敗戦の責任の己自身に存することを誤魔化さんとする傾向日を追うて顕著なり。……」
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by exod-US
| 2007-06-08 00:38
| 共謀罪という国際陰謀