2006年 05月 08日
クリンゴン文庫読書ノート(2)政治家石井紘基その遺志を継ぐ:石井紘基議員追悼集刊行委員会(明石書店)
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ゴールデンウィーク中に書きかけて止まっていた書評まがい.前便で民主党の今後の振舞いが共謀罪法案の帰趨を決すると書いた.もし,民主党に一人でも心ある人物が残っているのなら,今こそ故石井紘基議員の霊前で立てた誓いのことばを自問すべきときである.なぜなら石井議員こそアクセンチュアの国家基幹系への侵蝕に見られるような国家財政の私物化に身命を擲(なげう)って対決し,いまや共謀罪という迷彩を施してゾンビのように浮かび上がってきた国際権力犯罪集団によって血祭りに揚げられた最初の殉教者であるからである.
連休の3日目,少しヒマができたので久々に書評を書いてみたい.と言うか私は今私自身の骨を焼いているところだ.初めてCD-Rドライブ付きのマシーンを手に入れたので,これまでに書いた(ほとんどは未完の)プログラムやドキュメントをCDに焼き始めたのだが,その待ち時間を持て余してこれを書き始めたという次第.実はこの前に副島隆彦氏の「人類の月面着陸は無かったろう論」を読んだので,それも書きたかったのだがタイミングを逸してしまった.「アメリカの暴走」を考える上で大変重要な本なので後日再チャレンジしたい.読書ノート(1)をお読みになった方はご存知のことと思うが,クリンゴン文庫は私の不勉強を見兼ねたクリンゴン氏から折に触れ寄贈された図書からなる床に堆積した小さな書籍の山である.
全457ページのずしりと重い本.文字通り「追悼文集」であり,故石井紘基代議士にゆかりの各界各氏が寄せ書きされた文章を無作為で集積した記念文集である.世に追悼文集は数多あるに違いないが,これだけのボリュームと密度を持った文集は今後も現れないに違いない.その意味で,この文集は石井議員という一人の超人的人物を称える不朽のモニュメントである.実に多岐にわたる人々がこの文集に一文を寄せられている.「石井紘基議員の遺志を継ぐ会」代表・民主党最高顧問の羽田孜は巻頭の辞で『人生の終盤,「維新塾」を主宰して若い同志たちを結集して改革への道を突き進もうとしていた彼は、まぎれもなく、真の平成の「志士」というべき存在でした。』と述べている.
石井氏は1960年安保騒動の年に中央大学法学部に入学され,新入生ながら直ちに安保闘争の闘士として戦列に加わり,山場となった同年6月15日(樺美智子が死亡した日)には南通用門を突破して国会中庭に突入した全学連精鋭部隊の先陣にいた.(このとき議事堂内に閉じ籠もっていた国会議員の中で,唯一人中庭に現れ機動隊と学生たちの中に割って入った江田三郎参院議員に出会ったことが,後に氏が政治を志すようになった端緒であると氏ご自身が述懐されている.)62年には推戴されて中大連合自治会委員長となる.この当時中大自治会はブント(社学同)が仕切っていたものと思われる.
福地茂樹という人物(学生時代の友人)は「おそらく,この頃に石井は私たちをはるか左手にみて、もう、これ以上はつきあいきれないとばかり、右へスチアリングを切ってわき道へそれていったのである。」と記している(P.53).福地氏は追悼集所収の「国家は腐って落ちるか、解体されなければならない」というある意味で予見的なタイトルを持った随想の中で,石井氏の委員長時代のエピソードを紹介している(P.53).それによると,夜通し行われた連合自治会総会の翌朝自治会室の後片付けをしていたところ,当時活動家たちのアイドルだった一人の女子学生がベンチで横たわっている上に石井氏が覆い被さってキスしようとしたのだと言う.ここで石井氏は相手に「アハハハハハ...やめて」と軽くいなされたというのだが,少なくとも若き石井氏がコチコチの堅物でなかったことだけは確かのようだ.
福地氏の証言によると,石井氏を委員長に推薦したのは前委員長中村(佳昭)で,その裏には石井氏を「コミュニスト・バンドとセクト・セクス(SECT6= 社学同全国事務局派)の活動資金を連合自治会と文化連盟の会計中から百万円単位で流用するための手だて」として利用する(中村の)意図があったと述べている(P.54).ありそうな話ではあるが,真偽のほどは分からない.石井氏の権力の腐敗,腐敗する権力への飽くなき挑戦の原点がこの辺りにあるということは想像されてしかるべきである.60年安保を主導したブント(共産主義者同盟)書記長の島成郎は「未完の自伝―1961年冬のノート」に次のように記している.
「資本主義の矛盾と展開、労働者の思想と行動、階級意識の運動法則、意識せる部隊と労働者、そのなんたるかを知らないままに、大衆運動は展開されてしまったのだ。いってしまえば、私は余りにもこの社会のカラクリを知らなさ過ぎたのだ。いわば社会の外部にいて眺めていたような『前衛』、政治闘争。」
島の「私は余りにもこの社会のカラクリを知らなさ過ぎたのだ」という反省は吟味されなくてはならない.それは70年代の学生反乱を経験した全共闘世代にも当てはまる.学生たちは「大学解体」を叫んだが,その後に来るべきものについては何も知らなかった.そもそも,「なぜ大学を解体しなくてはならないのか?」という問い自体が不在のまま運動だけがエスカレートしていった.私が知る限りこの問いに(2000年以前に)一つの明快な答えを示すことができたのは石井紘基唯一人である.石井議員は少なくとも2つのことを発見した.一つは「日本の国家財政規模はGDPの50%に相当する※」という予想外の事実であり,もう一つは「国家財政の主要部分は国会の承認を経ない闇会計で処理されている」という恐るべき実態である.つまり,国家というのは経済的には一つのブラックボックス※であり,その箱を開けるカギは深いところに秘匿されてきたのである.石井紘基がそのカギを手にしたとき何が起こったか?
※2000年度の一般会計と特別会計の合計は260兆円,2005年度GDP505兆円.
2000年というのは石井議員がこの調査を行った年度である.
私の言い方なら,「日本は江戸時代からいまもなお五公五民の国だ」となる.
※2005年度特別会計の単純合計387兆円(重複を除いて207兆円),
一般会計82兆円に対し租税収入は44兆円に過ぎない.
一般会計から特別会計への繰り入れは47兆円に登り税収を上回る.
※2008年にはこのパンドラの箱が時計仕掛けで開くと言われている→小渕の呪いと言う.
以下のフレーズは「2002年石井絋基議員殺害から2005年郵政民営化までのなだらかな一本道」と題する私の小論の冒頭である.
石井議員刺殺犯として事件の翌日,これ見よがしにバンダナを巻いて警察に出頭した伊藤泉容疑者の控訴審は2005年6月30日に結審した.判決は一審の無期懲役を支持し控訴棄却である.事件発生から3年を経過して事件は一見落着したかのように見える.しかし,法廷では事件の深層はまったく解明されることなく,黒い闇に覆われた水底には渦巻く疑念が凝固して沈殿している.その日救急車はパトカーより20分も遅れて現場に到着した.救急車は石井邸前の路を占拠したパトカーを排除しながらようやくにも発進したが,氏は病院への搬送途上ついに多量の失血のため絶命された.立ち会った医師の談に寄れば,病院に収容されたときには,血液はすでに完全に流出して心房には一滴の血液も残っていなかった.


写真(右)は一人娘ターニャさん.【画像ソース】→石井絋基の見た風景
遺品として残された63箱(70箱とも)のダンボールは後日,民主党所属の有志らによって厳粛に開封され,口々に「先生のお志を継ぐ」旨の決意が述べられたが,郵政民営化の採択が国会議場に差し迫った今日という日に臨んで,誰がどこまでそれを字義通り引き継いでおられるのか問うてみたい.
2003年9月に刊行されたこの「石井紘基議員追悼集」はある意味でこの私の問いに答えようとするものであったかもしれない.2005年7月26日付の拙論「611F駅通り殺傷事件:その後――我々はノーリターンポイントを越えたのだろうか?」に次の一節がある.
※今ようやくにして思い当たるのは,ここまでの道筋を平坦なものにするためには時間を遡って2002年10月の石井絋基衆議院議員殺害がまずもって周到に準備され遂行されなくてはならなかったということである.なぜなら既にこの時期石井議員は国会の持つ国政調査権を駆使して,特別会計・年金・郵貯・財政投融資の裏側に潜む闇を調べ尽くしていたからである.石井議員が世田谷区の自宅の玄関先で暴漢の凶刃に倒れる運命のその日※その時刻に,石井氏の所属する政党の党首がどこにいて何をしていたか?またその第一報を聞いた後その人物がどのように行動したかをもう一度想起されるのも一興である.※奇しくもその同じ日に太平洋を隔てたミネソタ州エベレス近郊で選挙区に向かうポール・ウェルストン上院議員とその家族の乗る飛行機が墜落した.ウェルストン氏はブッシュにイラク戦争開始の白紙委任状を与える議案の採決で反対票を投じた数少ない上院議員の一人である.
上記の闇会計(特別会計と呼ばれる)に注入される資金のベースは国民年金の納付金・郵政の預貯金(ないしそれらを原資として購入された国債)である.闇会計に注入された資金はそのままいずこへか消えてしまう帰らざる河である.公的債務(地方債を含む)を1000兆円としてほぼ歳入に等しい金額が利払いとして毎年支払われていると考えられるが,それはブラックボックスの中を還流(ないし流出)するだけで真の債権者である国民のところには決して戻ってこない.小泉郵政民営化というスキームはこの返らざる河の吐出口を海外に付け替えるという企みである.私が上記の一文で示唆しているのは,石井紘基議員殺害が決して一国内事件に留まらず,911謀略テロを口実にイラクへの侵略を開始しようとしていたアメリカ帝国のアジェンダに基づく念入りにプランニングされた国際謀略の重要なリングをなしていたのではないか?という疑惑である.小泉政権による2005年の郵政民営化が終始一貫米国政府からの外圧(年次改革要望書)のもとで遂行されたという歴史的事実はこの疑惑を足元から照らし出す照明である.追悼集に収録された当時の米国大使ハワード・H・ベーカーが石井ナターシャ夫人に宛てた,Dear Mrs. Ishii: で始まり,Sincerely, で終わるわずか3行の弔電(P.236)を読むとき,空々しさを超えた寒気を感じるのは私だけだろうか?
小泉改革と呼ばれるものの内実は石井紘基議員が全身全霊を込めて打ち破った壁の穴をすり抜けて向こう側でちゃっかりと成果を頂くといういわば横領にも近い行為である.実際小泉自身が石井議員の著作を読んで多くを学んだと語っている.しかし,小泉が行ったことは石井紘基が目指したものとははるか隔たるものであるどころか,まったく逆方向のものでしかなかったことはもはや説明するまでもないだろう.※ちなみに石井紘基が1996年4月に「官僚天国・日本破産」を出版すると,小泉はそれに対抗してわずか2ヶ月後の6月にほとんど著作権法違反ものの「官僚王国解体論」という本すら出している.
石井議員の主張は,甘い蜜を啜る「権力の経済活動」を縮小して市場経済を拡大せよという論点からすれば「小さい政府論」であり,市場経済主義である.これだけ聞くと小泉・竹中の新自由主義とどこが違うのと思われるかもしれない.石井先生ご自身のことばを拝聴しよう.
(青木雄二)公共事業で橋や道路を造ったりするのは,儲けることを考えてやってはいけない仕事ですね.だから,赤字になることはあたりまえですね.
石井「お金を借りてつぎ込む,先につぎ込んでそして後で回収して採算を合わせるというのは経済がやる仕事なんです.行政がやることはまったく違うんです.道路が必要だったら,道路代3000億円とか5000億円とかお金を使ってもいいんです.必要なものは税金を集めたものから使うだけでいいんです.別に回収しなくともいいんです.これなら,収入いくらで支出いくらというのは年度の始めに全部わかる.これは憲法に書いてあることなんです.」 (P.444)
(青木雄二)小泉さんも改革を死ぬ気でこういうことをやればなんとかなるということを,具体的におっしゃっていただけますか.
石井「まず,特殊法人,認可法人,公益法人は全廃するということですね.そして,廃止をしてその後独立行政法人にするとか,民営化するということはやってはいけないということです.ただ廃止するだけです.そうすれば,欲しい物は市場が取り込みますから,それでいいんです.経済の分野に直接手を突っ込んではいけません.」(P.446)
石井議員の構造改革・平成維新と小泉の改革は似てもって非なるものである.その違いをもっとも先鋭に理解していたのはもちろん小泉自身に他ならない.ある意味で石井議員は小泉首相のライバルであり,不倶戴天の敵であったかもしれない.石井議員殺害の報に接したとき,時の首相小泉総理が何と発言したのかを私は知らない.
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連休の3日目,少しヒマができたので久々に書評を書いてみたい.と言うか私は今私自身の骨を焼いているところだ.初めてCD-Rドライブ付きのマシーンを手に入れたので,これまでに書いた(ほとんどは未完の)プログラムやドキュメントをCDに焼き始めたのだが,その待ち時間を持て余してこれを書き始めたという次第.実はこの前に副島隆彦氏の「人類の月面着陸は無かったろう論」を読んだので,それも書きたかったのだがタイミングを逸してしまった.「アメリカの暴走」を考える上で大変重要な本なので後日再チャレンジしたい.読書ノート(1)をお読みになった方はご存知のことと思うが,クリンゴン文庫は私の不勉強を見兼ねたクリンゴン氏から折に触れ寄贈された図書からなる床に堆積した小さな書籍の山である.
全457ページのずしりと重い本.文字通り「追悼文集」であり,故石井紘基代議士にゆかりの各界各氏が寄せ書きされた文章を無作為で集積した記念文集である.世に追悼文集は数多あるに違いないが,これだけのボリュームと密度を持った文集は今後も現れないに違いない.その意味で,この文集は石井議員という一人の超人的人物を称える不朽のモニュメントである.実に多岐にわたる人々がこの文集に一文を寄せられている.「石井紘基議員の遺志を継ぐ会」代表・民主党最高顧問の羽田孜は巻頭の辞で『人生の終盤,「維新塾」を主宰して若い同志たちを結集して改革への道を突き進もうとしていた彼は、まぎれもなく、真の平成の「志士」というべき存在でした。』と述べている.
石井氏は1960年安保騒動の年に中央大学法学部に入学され,新入生ながら直ちに安保闘争の闘士として戦列に加わり,山場となった同年6月15日(樺美智子が死亡した日)には南通用門を突破して国会中庭に突入した全学連精鋭部隊の先陣にいた.(このとき議事堂内に閉じ籠もっていた国会議員の中で,唯一人中庭に現れ機動隊と学生たちの中に割って入った江田三郎参院議員に出会ったことが,後に氏が政治を志すようになった端緒であると氏ご自身が述懐されている.)62年には推戴されて中大連合自治会委員長となる.この当時中大自治会はブント(社学同)が仕切っていたものと思われる.
福地茂樹という人物(学生時代の友人)は「おそらく,この頃に石井は私たちをはるか左手にみて、もう、これ以上はつきあいきれないとばかり、右へスチアリングを切ってわき道へそれていったのである。」と記している(P.53).福地氏は追悼集所収の「国家は腐って落ちるか、解体されなければならない」というある意味で予見的なタイトルを持った随想の中で,石井氏の委員長時代のエピソードを紹介している(P.53).それによると,夜通し行われた連合自治会総会の翌朝自治会室の後片付けをしていたところ,当時活動家たちのアイドルだった一人の女子学生がベンチで横たわっている上に石井氏が覆い被さってキスしようとしたのだと言う.ここで石井氏は相手に「アハハハハハ...やめて」と軽くいなされたというのだが,少なくとも若き石井氏がコチコチの堅物でなかったことだけは確かのようだ.
福地氏の証言によると,石井氏を委員長に推薦したのは前委員長中村(佳昭)で,その裏には石井氏を「コミュニスト・バンドとセクト・セクス(SECT6= 社学同全国事務局派)の活動資金を連合自治会と文化連盟の会計中から百万円単位で流用するための手だて」として利用する(中村の)意図があったと述べている(P.54).ありそうな話ではあるが,真偽のほどは分からない.石井氏の権力の腐敗,腐敗する権力への飽くなき挑戦の原点がこの辺りにあるということは想像されてしかるべきである.60年安保を主導したブント(共産主義者同盟)書記長の島成郎は「未完の自伝―1961年冬のノート」に次のように記している.
「資本主義の矛盾と展開、労働者の思想と行動、階級意識の運動法則、意識せる部隊と労働者、そのなんたるかを知らないままに、大衆運動は展開されてしまったのだ。いってしまえば、私は余りにもこの社会のカラクリを知らなさ過ぎたのだ。いわば社会の外部にいて眺めていたような『前衛』、政治闘争。」
島の「私は余りにもこの社会のカラクリを知らなさ過ぎたのだ」という反省は吟味されなくてはならない.それは70年代の学生反乱を経験した全共闘世代にも当てはまる.学生たちは「大学解体」を叫んだが,その後に来るべきものについては何も知らなかった.そもそも,「なぜ大学を解体しなくてはならないのか?」という問い自体が不在のまま運動だけがエスカレートしていった.私が知る限りこの問いに(2000年以前に)一つの明快な答えを示すことができたのは石井紘基唯一人である.石井議員は少なくとも2つのことを発見した.一つは「日本の国家財政規模はGDPの50%に相当する※」という予想外の事実であり,もう一つは「国家財政の主要部分は国会の承認を経ない闇会計で処理されている」という恐るべき実態である.つまり,国家というのは経済的には一つのブラックボックス※であり,その箱を開けるカギは深いところに秘匿されてきたのである.石井紘基がそのカギを手にしたとき何が起こったか?
※2000年度の一般会計と特別会計の合計は260兆円,2005年度GDP505兆円.
2000年というのは石井議員がこの調査を行った年度である.
私の言い方なら,「日本は江戸時代からいまもなお五公五民の国だ」となる.
※2005年度特別会計の単純合計387兆円(重複を除いて207兆円),
一般会計82兆円に対し租税収入は44兆円に過ぎない.
一般会計から特別会計への繰り入れは47兆円に登り税収を上回る.
※2008年にはこのパンドラの箱が時計仕掛けで開くと言われている→小渕の呪いと言う.
以下のフレーズは「2002年石井絋基議員殺害から2005年郵政民営化までのなだらかな一本道」と題する私の小論の冒頭である.
石井議員刺殺犯として事件の翌日,これ見よがしにバンダナを巻いて警察に出頭した伊藤泉容疑者の控訴審は2005年6月30日に結審した.判決は一審の無期懲役を支持し控訴棄却である.事件発生から3年を経過して事件は一見落着したかのように見える.しかし,法廷では事件の深層はまったく解明されることなく,黒い闇に覆われた水底には渦巻く疑念が凝固して沈殿している.その日救急車はパトカーより20分も遅れて現場に到着した.救急車は石井邸前の路を占拠したパトカーを排除しながらようやくにも発進したが,氏は病院への搬送途上ついに多量の失血のため絶命された.立ち会った医師の談に寄れば,病院に収容されたときには,血液はすでに完全に流出して心房には一滴の血液も残っていなかった.


写真(右)は一人娘ターニャさん.【画像ソース】→石井絋基の見た風景
遺品として残された63箱(70箱とも)のダンボールは後日,民主党所属の有志らによって厳粛に開封され,口々に「先生のお志を継ぐ」旨の決意が述べられたが,郵政民営化の採択が国会議場に差し迫った今日という日に臨んで,誰がどこまでそれを字義通り引き継いでおられるのか問うてみたい.
2003年9月に刊行されたこの「石井紘基議員追悼集」はある意味でこの私の問いに答えようとするものであったかもしれない.2005年7月26日付の拙論「611F駅通り殺傷事件:その後――我々はノーリターンポイントを越えたのだろうか?」に次の一節がある.
※今ようやくにして思い当たるのは,ここまでの道筋を平坦なものにするためには時間を遡って2002年10月の石井絋基衆議院議員殺害がまずもって周到に準備され遂行されなくてはならなかったということである.なぜなら既にこの時期石井議員は国会の持つ国政調査権を駆使して,特別会計・年金・郵貯・財政投融資の裏側に潜む闇を調べ尽くしていたからである.石井議員が世田谷区の自宅の玄関先で暴漢の凶刃に倒れる運命のその日※その時刻に,石井氏の所属する政党の党首がどこにいて何をしていたか?またその第一報を聞いた後その人物がどのように行動したかをもう一度想起されるのも一興である.※奇しくもその同じ日に太平洋を隔てたミネソタ州エベレス近郊で選挙区に向かうポール・ウェルストン上院議員とその家族の乗る飛行機が墜落した.ウェルストン氏はブッシュにイラク戦争開始の白紙委任状を与える議案の採決で反対票を投じた数少ない上院議員の一人である.
上記の闇会計(特別会計と呼ばれる)に注入される資金のベースは国民年金の納付金・郵政の預貯金(ないしそれらを原資として購入された国債)である.闇会計に注入された資金はそのままいずこへか消えてしまう帰らざる河である.公的債務(地方債を含む)を1000兆円としてほぼ歳入に等しい金額が利払いとして毎年支払われていると考えられるが,それはブラックボックスの中を還流(ないし流出)するだけで真の債権者である国民のところには決して戻ってこない.小泉郵政民営化というスキームはこの返らざる河の吐出口を海外に付け替えるという企みである.私が上記の一文で示唆しているのは,石井紘基議員殺害が決して一国内事件に留まらず,911謀略テロを口実にイラクへの侵略を開始しようとしていたアメリカ帝国のアジェンダに基づく念入りにプランニングされた国際謀略の重要なリングをなしていたのではないか?という疑惑である.小泉政権による2005年の郵政民営化が終始一貫米国政府からの外圧(年次改革要望書)のもとで遂行されたという歴史的事実はこの疑惑を足元から照らし出す照明である.追悼集に収録された当時の米国大使ハワード・H・ベーカーが石井ナターシャ夫人に宛てた,Dear Mrs. Ishii: で始まり,Sincerely, で終わるわずか3行の弔電(P.236)を読むとき,空々しさを超えた寒気を感じるのは私だけだろうか?
小泉改革と呼ばれるものの内実は石井紘基議員が全身全霊を込めて打ち破った壁の穴をすり抜けて向こう側でちゃっかりと成果を頂くといういわば横領にも近い行為である.実際小泉自身が石井議員の著作を読んで多くを学んだと語っている.しかし,小泉が行ったことは石井紘基が目指したものとははるか隔たるものであるどころか,まったく逆方向のものでしかなかったことはもはや説明するまでもないだろう.※ちなみに石井紘基が1996年4月に「官僚天国・日本破産」を出版すると,小泉はそれに対抗してわずか2ヶ月後の6月にほとんど著作権法違反ものの「官僚王国解体論」という本すら出している.
石井議員の主張は,甘い蜜を啜る「権力の経済活動」を縮小して市場経済を拡大せよという論点からすれば「小さい政府論」であり,市場経済主義である.これだけ聞くと小泉・竹中の新自由主義とどこが違うのと思われるかもしれない.石井先生ご自身のことばを拝聴しよう.
(青木雄二)公共事業で橋や道路を造ったりするのは,儲けることを考えてやってはいけない仕事ですね.だから,赤字になることはあたりまえですね.
石井「お金を借りてつぎ込む,先につぎ込んでそして後で回収して採算を合わせるというのは経済がやる仕事なんです.行政がやることはまったく違うんです.道路が必要だったら,道路代3000億円とか5000億円とかお金を使ってもいいんです.必要なものは税金を集めたものから使うだけでいいんです.別に回収しなくともいいんです.これなら,収入いくらで支出いくらというのは年度の始めに全部わかる.これは憲法に書いてあることなんです.」 (P.444)
(青木雄二)小泉さんも改革を死ぬ気でこういうことをやればなんとかなるということを,具体的におっしゃっていただけますか.
石井「まず,特殊法人,認可法人,公益法人は全廃するということですね.そして,廃止をしてその後独立行政法人にするとか,民営化するということはやってはいけないということです.ただ廃止するだけです.そうすれば,欲しい物は市場が取り込みますから,それでいいんです.経済の分野に直接手を突っ込んではいけません.」(P.446)
石井議員の構造改革・平成維新と小泉の改革は似てもって非なるものである.その違いをもっとも先鋭に理解していたのはもちろん小泉自身に他ならない.ある意味で石井議員は小泉首相のライバルであり,不倶戴天の敵であったかもしれない.石井議員殺害の報に接したとき,時の首相小泉総理が何と発言したのかを私は知らない.

by exod-US
| 2006-05-08 07:27
| 政治テロルと全体主義