キリスト教
きりすときょう
英:Christianity(クリスチャ二ティ)
ギ:Χριστιανισμός(クリスティアニズモス)
1世紀の中東で生きた人物であるイエス・キリストことナザレのイエスを救世主キリスト(ヘブライ語ではメシア、日本の正教会の表記ではハリストス)として信じる宗教。信徒(クリスチャン)は、イエスが神の国の福音(エヴァンゲリオン)を説き、罪ある人間を救済するために自ら十字架にかけられ死後復活したものと信じる。イエスは人類最後の日に再び現れて千年王国を作るとされる。
いわゆる「アブラハムの宗教」と呼ばれるものの1つであり、イスラム教・ユダヤ教とは同根と言える。「エデンの園」「最後の審判」などの重要な概念をこれらの宗教と共有している。イスラム教徒もイエスをメシア(マスィーフ)と呼ぶが、キリスト教とは捉え方が異なっている。
その多く(正教会・非カルケドン派正教会・カトリック教会・聖公会・プロテスタント諸派など)は「父と子と聖霊」を唯一の神(三位一体・至聖三者)として信仰する。
日本では〈キリスト教〉や〈基督教〉、ギリシャ語では〈Χριστιανισμός〉、ラテン語では〈Religio Christiana〉、英語では〈Christianity〉と表記される。
ユダヤ教から枝分かれした、世界的に広く信仰されている宗教。欧米、中南米の人々の多数派はキリスト教徒であり、アフリカ、中東などにもキリスト教徒が多数派の国がある。アジアでは中国・インド・韓国・フィリピン・東ティモールにキリスト教徒が多い(ただし、中国とインドのクリスチャンが多いのは人口大国であるためで、比率的には全人口の1割未満の少数派である)。
開祖にして救世主であるイエス・キリストと聖なる父と聖霊の三位一体を崇める一神教。ユダヤ教の聖典であるタナク(旧約聖書)に加えて、新約聖書が教会において信者達に説かれている。教派はカトリック・プロテスタント・正教会などに分かれており、教義面や作法で多くの違いがある。キリスト教(ヘブライズム)はギリシャ文明(ヘレニズム)と並んでヨーロッパ文明の源流とされ、欧米の伝統的な美術や音楽、文学、哲学はこの二つの文明を基盤としている。
信徒はクリスチャンといい、非信徒はノンクリスチャン、略してノンクリという(ノンクリスチャン、ノンクリの語は福音派の流れをくむプロテスタントで多用され、カトリックはあまり使わない)。
日本には戦国時代に南蛮貿易でカトリックが伝来し、大名(キリシタン大名)から庶民まで多数の信徒を得た。江戸時代初頭の日本のキリシタン(カトリック信徒)の数は40万人とも60万人とも言われ、今より遥かに人口が少なかった(1500万人くらいと推定されている)時代の日本に、今とあまり変わらない数のカトリック信徒がいたわけである。キリスト教の台頭は江戸幕府の支配体制を揺るがすものとして見られ、幕府は1612年、及び翌1613年に禁教令を発令し、仏教への強制改宗政策を敷く。改宗に応じない信徒への苛烈な拷問や処刑も行われた。1637〜38年の島原の乱後、取り締まりは一層強化され、日本国内のキリスト教の勢力は少数の隠れキリシタンを除きほぼ根絶された。日本におけるカトリック教会の再建、プロテスタントの布教は明治の解禁後になる。
日本のキリスト教において最大の教派はカトリックで、信徒数が45万人くらい。プロテスタント諸派の合計がこれより若干多いくらいである。聖公会や正教を合わせてもクリスチャンの人口は100万人を少し超える程度でしかなく、総人口の1%にも満たない(ここではエホバの証人や統一教会のようなキリスト教系の異端教派は含めない)。それでも1552年より山口県で発端となったクリスマスなどの行事はイベントとして盛んで(もっともクリスマスは異教の行事にルーツがあり、信徒でなくともこれを祝う風習は日本に限らず浸透している)、ミッションスクール(キリスト教徒によって設立された大学など)や教会結婚式などは非信徒にも受け入れられている。また、キリスト教に出てくる事物(天使・悪魔・天国・天地創造・罪と罰など)は文化的な常識としては広く知られているが、クリスチャン以外にはその本来の意義はあまり理解されていない。
聖書の解釈により保守的なキリスト教徒は性に関わる道徳に厳格であり、同性愛や婚前交渉を否定する。日本においても東京都青少年健全育成条例の改正などを主張する表現規制推進派には多くのキリスト教信者やキリスト教関連団体が関わっている。一方でゲイの牧師、クリスチャンの表現規制反対運動家、カトリック信仰を公言するエロ漫画家などもおり、クリスチャンの全てが同性愛や性的表現に厳しい姿勢をとっているという訳ではない。
神観
キリスト教史において様々な機会において信仰内容をまとめた「信条」という短いテキストが編まれてきた。
第1ニカイア公会議で成立した「ニカイア信条(原ニケア信条)」においては、主流派キリスト教の全ての教派に共通する神観が表現されている。
「我らは、見えるものと見えざるものすべての創造者にして、すべての主権を持ち給う御父なる、唯一の神を信ず。
我らは、唯一の主イエス・キリストを信ず。
主は、御父より生れたまいし神の独り子にして、御父の本質より生れ、(神からの神)、光からの光、
まことの神からのまことの神、造られずして生れ、御父と本質を同一にして、
天地万物は総べて彼によりて創造されたり。
主は、我ら人類の為、また我らの救いの為に下り、しかして肉体を受け人となり、
苦しみを受け、三日目に甦り、天に昇り、生ける者と死ぬる者とを審く為に来り給う。
また我らは聖霊を信ず。
主の存在したまわざりし時あり、生れざりし前には存在したまわず、
また存在し得ぬものより生れ、
神の子は、異なる本質或は異なる実体より成るもの、造られしもの、
変わり得るもの、変え得るもの、と宣べる者らを、
公同なる使徒的教会は、呪うべし。」
(wikipediaより引用)
このように、キリスト教とは、唯一神信仰でありつつも、人間のメシアであるイエスを「唯一の主」とし、彼を世界の創造主とみなす宗教である。
「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。 この言は初めに神と共にあった。 すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。 この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。 」(『ヨハネによる福音書』1章1節~4節)
父なる神と共に在り、世界を創造した「言(ロゴス)」が、イエスとしてユダヤの地に聖母マリアの子として生まれ、布教の末に囚われて処刑され、三日後に蘇った。(彼はその40日後に)天上に戻ったが、世界の終末において再臨し、最後の審判を執り行う。
上記の信条はキリスト教におけるイエス観の軸となる部分を語ったものと言える。
「聖霊を信ず」のあとの「主の存在したまわざりし時あり、生れざりし前には存在したまわず、」の部分は「イエスはある時点に父なる神に創造されたのであり、それ以前は存在しなかった」という論の否定である。
「また存在し得ぬものより生れ、」というのは、「イエスはマリアから産まれる前から存在はしていたが、父なる神のように永遠の昔から存在する(始まりなしで存在する)のではなく、ある時点で無から創造された」という論をさしており、キリスト教はこれも否定する。
「神の子は、異なる本質或は異なる実体より成るもの、造られしもの、変わり得るもの、変え得るもの」とは、信条の前の箇所にある「まことの神からのまことの神、造られずして生れ、御父と本質を同一にして、」の部分を否定、あるいは相対化する意見を指す。
キリスト教において、イエス・キリストは父なる神と同じく不変であるという点で「変り得るし、換え得る」被造物とは隔絶しており、ガチで100パーセント神なのである。
と同時にキリスト教におけるイエス・キリストとは「肉体を受け人となり」ガチで100パーセント人間でもある(こちらはカルケドン信条で強調される)。
「と宣べる者らを、公同なる使徒的教会は、呪うべし。」この締めの文章は、その前に挙げられていたのが仮定上の異論ではなく、実際に主張していた人々が居たことを表わしている。
この信条が成立した「第1ニカイア公会議」はアリウス派を排斥する公会議であり、アリウス派とは、主流派キリスト教とは原ニケア信条における「また我らは聖霊を信ず。」までを部分的に共有し、その後の箇所では対立する意見を持つ人々であった(参考リンク)。
しかし、一方で極初期のキリスト教の説話や伝承の中には、仏教における獄卒に相当する〈死の天使〉あるいは〈破壊の天使〉や、神が不敬者に対する罰として悪魔を君臨させる、悪魔を退治した際に生け贄を求める等々の血生臭さも言及されていたが、広域に布教される過程で前述の要素だけを(まるで汚いものに蓋をするように)殺ぎ落としていき、現在の清廉さや煌びやかさだけが強調されるように残された。
概要にあるようにユダヤ教の聖典「タナク(タナハ)」と新約聖書を聖典とする。タナクに記されたメシア到来の予言はイエスの出現によって果たされ、彼を介して新たな契約が結ばれたとの考えから、タナクはキリスト教において旧約聖書と呼称される。
神の啓示によって書かれ、真理が記されたと見なされる書物を「正典(カノン)」とし、旧約部分については教派により正典である文書の数と収録タイトルに違いがある。
巻数と一覧の違いについては外部リンクや「聖書」の項目を参照。
ちなみに前述のアリウス派も正典自体は主流派と重複しており、アリウス派独自の聖書文書(グノーシス主義の『ユダの福音書』のような)は存在しない。
ゴート語の四福音書写本「銀文字聖書」を残したアリウス派司教ウルフィラは『列王記』以外の旧約、新約の文書を全て翻訳した。
現代において主流派側から「三大異端」の一つに数えられるエホバの証人も正典はプロテスタント諸派における66巻と同じである。つまり正典の範囲が同じだけでは「正統」なキリスト教とは見なされない。
尚、キリスト教が認知される過程で崇めるべき神ではなく、御使いである天使に対する信仰が過熱化すると、その状況を「主の信仰を脅かす存在」として、聖書の正典に記載されていない天使のリストラを実行したりもした(リストラされた天使の中にはウリエルやラグエルが確認されている)。無論、現在は上記の処遇は撤回されているが、その経緯から一時期例に挙げたウリエルは聖人に格下げされる、あるいは悪魔として扱き下ろされている(参照:イーグルパブリシング出版『萌え萌え天使事典 side白』)。
他のアブラハムの宗教との関係
キリスト教およびイスラム教・ユダヤ教は、極端に他宗教・他宗派を排斥するケースがあるが、排斥の度合いについては地域と時代によるところが大きい。歴史的には「共存」と言える関係を築いた地域もあるが、エルサレムをめぐる問題もあり、緊張関係は継続されている。また過去にはキリスト教の異なる宗派同士で宗教戦争が戦われた歴史もある。また奴隷狩り・民族浄化に協力する宣教師がいたため今日問題となっている。
先行する宗教の影響
宗教学者の中からは「『アブラハムの宗教』に共通する『最後の審判』や『大天使の概念』はゾロアスター教から流用している」とする論が出ている。
実際、『最終的に悪が駆逐され善によるユートピアが築かれる』とする「最後の審判」の骨子はゾロアスター教と共有している。ユダヤ教の聖典でもある旧約聖書のダニエル書やイザヤ書、アモス書等の預言者で終末の到来の到来が語られているが、このテーマは新約聖書でも繰り返された。新約聖書の場合、書物全体で「最後の審判」を取り扱う『ヨハネの黙示録』が存在する。
黙示録では「最後の審判」について詳細な説明がなされた。ゾロアスター教の終末論とは骨子は共通しているが、終末に起こる現象等のディティール部分には違いがある。この点ではメソポタミア神話の洪水神話からモチーフがほぼそのまま転用された「ノアの方舟」とは異なる展開を見せていると評せる。
他宗教・神話の再解釈
一般にキリスト教の要素と思われている文化・風習・行事の中には、欧州などの土着の宗教・思想に由来している部分もある。
ヨーロッパの悪魔学で語られる悪魔には、キリスト教徒によって多神教の神々をデーモンとして再解釈したものも複数含まれる。
新約聖書の時点でエクロンの都市神バアル・ゼブルを元にしたベルゼブル(ベルゼブブ)が言及されている。
この発想は他の異教神にも適用された。バアル・セフォン(セフォンとはカナン神話に登場するサフォン山の事)からバールゼフォンが生み出された。旧約聖書で言及されるモアブ人のバアル・ペオルはベルフェゴールとなり、バアルそのものやアスタルト等、聖書中で偶像として記された異教神は近世の『地獄の辞典』までには何らかの形で悪魔化されている。
旧約・新約でカバーされていない文化圏であるケルト神話の神クロム・クルアハの例のように、布教先で新たに遭遇した他宗教の神々もたびたびデーモンとして捉え直された他、既存の宗教の神や悪魔にキリスト教のそれに類する存在と同一視させる(北欧神話のロキはもともと悪戯好きの妖精に過ぎなかったが、キリスト教の強制改宗の際にルシファーのポジションを与えられ、現在のようになったと考えられている)。
更に上記のベルゼブルやロキの合わせ技=改宗の過程で同一視化させた後に、布教を終えたタイミングで同一視化を止めさせ悪魔として再編集するケースもある(ベヒーモスはインドで布教する際にガネーシャの人気に着目し「ガネーシャとYHVHは同じ神である」と吹聴し、改宗が進んだ折にガネーシャを捨て、個別の存在として再編集して生まれたとも考えられている)。
他宗教への影響
キリスト教が他宗教(神話)の伝承そのものに影響を与えたと見られる例もある。
フィンランドの民族叙事詩『カレワラ』はフィンランドの多神教神話に源流を持つ伝承を19世紀の医師エリアス・リョンロートが再構成したものだが、処女懐胎した「マリヤッタ」等キリスト教の影響が見て取れる。
キリスト教と科学が敵対するというイメージは強い。しかし、近代科学はキリスト教世界である欧州から生まれている。完璧な神が合理的に自然を設計したという考え方は近代科学の母体となったのである。近世の聖職者は哲学や自然哲学などの学問を修めていることも多く、その意味でも知識人ポジションであった。聖職者以外でもニュートンのように信心深い科学者が存在している。同じ傾向はイスラム教にもあり、キリスト教圏が停滞していた時代には、古代の哲学や科学の成果はイスラム圏に継承されていた。
ところが、中世以来キリスト教世界で重要な教養とされたリベラル・アーツ等とは異なり(中世ヨーロッパ=暗黒時代とする古い史観は現在否定されている)、近世以降に育った科学的知見はキリスト教の伝統説と衝突した。
自然科学(進化論、地質学)はノアの方舟(世界的な大洪水や、聖書から換算される数千年程度の地球の年齢)と生物種の由来についての認識を揺るがし、人文科学もまた文献学、本文批評は伝統的に受け入れられていた「トーラー(モーセ五書)はモーセが書いた」といった認識を根拠の無いものとしていった。学問的には、実際に「本人」の筆によるものと認められるのはいくらかのパウロ書簡のみである。
それ以外の「パウロ書簡」はタルソスのパウロの名を借りた「擬似パウロ書簡」とされている。
キリスト教と科学の衝突という話題では進化論など自然科学のほうに目が行きがちであるが、後者の威力も絶大であった。即ち「(一部を除き)名も知れぬ古代人たちが書いてまとめた本」つまるところ「(ギリシャ神話などの)神話・伝説の本」の同類となった聖書は社会への影響力を甚だしく低下させることになる。
聖書研究に「本文批評」の手法を取り入れた分野を「聖書批評学(Biblical criticism、聖書批判学の訳語もある)」という。
本文批評は聖書だけでなくシェイクスピア作品のような一般の古典に対してもされるものであるが、世俗の書物に対して行う研究法を「神の言葉」とされていた聖書に適用する部分に特色がある。その容赦ない追求の結果が「擬似パウロ書簡」といった認識であった。
19世紀末から20世紀初頭にかけて「聖書を批評的に読解する」という(現代においては当のキリスト教徒の多くにとっても当たり前な)営みと伝統的な立場との衝突が既に表面化していた。レオ13世やピウス10世といった近代のローマ教皇たちはこれを「近代主義(モダニズム)」と呼び回勅で強く非難したが、この大きな流れを堰き止めることはできなかった。
第二次世界大戦後になると、欧米において聖書やそれを土台とするキリスト教の教義や規範文化の影響力が弱まる一方、リベラル思想に基づく価値観が優勢となっていく。キリスト教内部にもその知見を取り入れたリベラル神学が影響力を増した。その結果聖公会では伝統的には男性のみである司祭が女性もなれるようになり、プロテスタント諸派では宗教的に同性婚を認めていく機運が強まっている。こうした立場のキリスト教徒たちは聖書やキリスト教の伝統に誤りや時代的な限界が含まれる事を前提に信仰を行っている。「リベラル」を名乗らず思想色を強く打ち出さない「メインライン」と呼ばれる主流派勢力においても、進化論、地質学などの科学や現代的な倫理を全否定する事は少なくなっている。
現在でもキリスト教保守派は、進化論、同性婚をはじめとするLGBTQの法的保護、人工妊娠中絶などに反対の姿勢を示し、アメリカ合衆国では保守的な福音派の勢力が政治に大きな影響を及ぼしている。ハンガリー・ポーランド・ロシアでの同性愛者罰則強化などにも関係しているが、これらの国の反動的な政策はキリスト教だけの影響ではない。
少子化する欧州とは対照的に信徒人口を増加させているアフリカ大陸(大陸別クリスチャン人口、アフリカが南米上回り1位に)の教会では、現時点では伝統的解釈が有力な傾向がある。
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