穂井田元清 単語

63件

ホイダモトキヨ

4.7千文字の記事
  • twitter
  • facebook
  • はてな
  • LINE

「穂井田元清」(ほいだ・もときよ 1551年1597年8月21日)とは、戦国時代中期から安土桃山時代にかけて活躍した戦国武将。

概要は以下の通り。

生涯

1551年(文20年)に、元就の側室・美大方の初の男児として生を受ける。既に達は成人しており、である元就も老(当時55歳)であった。
この4年後の1555年(治元年)に、毛利運命厳島合戦を迎えることになるが、まだ幼児だった元清には遠い世界の出来事であった。

元清は1566年(永6年)に元するが、この時に加冠の儀式を執り行ったのは、甥の元だった。長である隆元は、既にしていたのである。

後は三小早川隆景に預けられ、瀬戸内海山陽の経略に従事する。他にも北九州大友や備前の宇喜多など、様々な方面に従軍して備中松山攻略するなど、実戦経験を積んでいった。その活躍ぶりを聞いた元就は、側室の息子ではありながらも感動を禁じ得なかったという。(元就は、元清を始めとする側室の息子達を疎略に扱っていた。理由は後述する。)
1571年(亀2年)・元没すると、毛は織田信の中国攻めや大家の反撃など、様々な苦難晒されることになるが、元清兄達と共に各地で奮戦し、毛家の守護に努めた。(この間に、元清は備豪族である穂井佑の名跡を継ぎ、穂井田姓を名乗った。)

やがて織田信長が本寺で死亡し、豊臣秀吉下になると、毛利秀吉属する。元清は直属の上でもあるの下で、四国攻めや九州征伐、朝鮮出兵などに従軍した。(特に朝鮮出兵では、病床にあった毛利輝元の代理として、毛利軍の総大将となった時期があった。)

長男の秀元や、当元など、多くの毛利一族がそうなったように、元清もまた朝鮮出兵の過酷な軍務と劣悪な食糧・衛生事情によって病に倒れてしまう。帰後も病状は回復することなく、元清は1597年(慶長2年)に逝去した。享年47歳。

一説では、18歳年齢の離れたと「どちらが先に死ぬだろうか」と賭け事のようなことをしていたという。結局、先に世を去ったのはだったが、元清が死んだのはそのわずか1ヶ後だった。も報われず、喜ぶ者のいない、意味な賭けであった。
ぶっちゃけ、あの関白のせいで若死にしry

 

何事も、院様(様)の申される通りにせよ。決してまかり間違いはない。

元清が生前に、長男毛利秀元に向かって言ったとされる言葉の1つ。ここでいう院様とは、終生にかけて付き従った三小早川隆景のことである。
元清がに寄せた信頼の程は絶大なもので、彼にとっては父親代わりの存在だったのだろう。(そもそも、実元就も、元清の訓育は三兄弟達に任せようとしていたらしい。)

四本目の矢として

毛利元就の四男として生を受けた元清だったが、実である元就とは疎遠だった。元就からの扱いの悪さと疎略さは、彼が三兄弟に宛てて書いた『三子教訓状』の中の文言にも明確に現れている。

側室達が何人か産んでくれた、けらのような子供達がいる。
もしこやつらが賢く、有能であったならば遠方に置くも良し、好きにしてくれて構わない。
大抵は、間抜けで無能であるだろうが。

・・・それが、これである。
関係の第三者が見ても、なんともの立つ文言が書き連ねてある。愚痴っぽくはあるが、血族や臣達への書状や文書には細心の注意を払って、自ら筆を滑らせていた元就らしからぬ酷い言い様である。だが、これには当時の毛利が抱えていた、特有の事情があった。

先述の通り、元清が生を受けた1551年には、元就は既に50代という節を迎えていた。また周辺は、大内の内乱や尼子の勢力伸長、大友不気味な蠢動など、きな臭さが増しつつあった。そういった情勢を鑑みて、嫌が応にも次代のことを考えなければならなかったのである。
処に至って、元就は側室の生んだ幼い子供達の訓育に関しては、先に生まれた正室の子供達・・・すなわち三兄弟に任せることにした。やがて老い逝く自分よりも、まだ若い息子達の方が、より時代に即した教育と訓練が施せる。そう判断した上で、元就は元清達を、意図的に冷遇することにしたのである。(また、血族支配を前面に出していた毛利の体制上、正室の息子達と側室の息子達を明確に分ける必要もあった。)

また元就長男隆元のように、息子達が自分に依存しすぎることを避けたものと思われる。そうすることで毛利世代交代スムーズに行い、次代に繋げることを狙った。元就が疎略に扱ったのは元清達ではなく、己自身だったのである。(だが、元就が時代に遺した力は、自身が思った以上に大きかった。詳しくは当該項を参照されたし。)

 

、先達たる兄上方に続き、毛利の四ッの矢と成らん。

時代は移り、元就、長隆元、次・元が世を去ると、毛利は当毛利輝元と三小早川隆景の二頭体制となる。その中で元清は心として活躍し、毛利の新たな本である広島とその下町の普請奉行を任された。(補佐していたのが、元就の隠し子の二宮である。)

また、当元が男子恵まれなかったため、元清の長男である秀元が養子として、本家の後継者となる栄誉にも与れた。(実のところ、秀元の本家入りは、豊臣秀吉毛利を懐柔すべく講じた羽秀俊=小早川秀秋の養嗣子戦略を撥ねつけるためだった。後に元には実子・秀就が生まれたため、秀元は分を立てた。)

吉川小早川独立大名に近い形で格上げされていく中、元清はあくまでも毛利一家臣として元に仕え続けた。晩年になるまで『年寄衆』として毛利中に残り、独自の領地を拝領することはなかった。

やがて元清がすると、毛利関ヶ原の戦いを迎える。だが毛利は既に亡く、当元の導力も皆無毛利は、中分裂により敗軍のレッテルを貼られてしまった。
もし元清が存命ならば、間違いなく関ヶ原の戦いへの毛利の積極的関与もなければ、元が西軍の総大将となることもなかっただろう。
結局、毛利元就達が50年以上もかけて手にした版図を、半分以下に減らされてしまう。だがその後、毛利新たな両体制吉川元春の三男・広と、元清の長男・秀元)によって長州の基礎を造り上げた。

三本の矢』の逸話がある毛利三兄弟べて、地味な扱いを受けることの多い彼だが、その功績はまさに隠された『四本の矢』に相応しいと言える。

逸話色々

ゲームにおける穂井田元清

信長の野望」(PCシリーズにおける穂井田元清の一覧

シリーズ初期はやや庸だったが、近年は再評価されてきており力も上昇傾向にある。特にでは統率が80代に上昇。更に創造では知略も80代に上がり、優秀な知将として使えるようになった。

軍事 内政
群雄伝(S1) 戦闘 61 政治 40 80 野望 48
武将録(S1) 戦闘 政治 野望 教養
覇王 采配 75 戦闘 64 智謀 43 政治 40 野望 47
戦才 130(B) 智才 88(B) 政才 128(B) 76 野望 64
戦闘 61 智謀 49 政治 64
烈風 采配 73 戦闘 61 智謀 44 政治 57
世記 采配 智謀 政治 野望
統率 54 知略 48 政治 49
下創世 統率 55 知略 45 政治 50 教養 49
統率 71 武勇 66 知略 53 政治 56
統率 81 武勇 66 知略 70 政治 63
創造 統率 80 武勇 64 知略 81 政治 65
大志 統率 81 武勇 82 知略 85 内政 64 外政 74

戦国大戦

毛利…四本の矢だー!」 CV:立花慎之介

Ver1.2毛利に参戦。毛利では数少ない気合持ちの武力の高い足軽である。
計略の「四つ矢の闘志」は、自分が静止している時に限り徐々に武力との長さが上がっていくもの。
Ver1.2までは大筒が戦場に一つだけだったので筒の上で待機することで大筒戦に有効だった。

しかしVer2.0になったら大筒が敵味方で1つずつになったのでその意義での計略有効度は下がった。効果時間は長いので相手がライン全に下げ切った時やリードして敵が押し寄せてくる時に先に使っておくことで牽制としての意味はある。
とはいえ毛利は全体的に力で押す計略や武力に乏しく、今一元清の存在が噛み合っていないのが現状。 

Ver2.1以降は武力上昇間隔の縮小や効果時間の延長が続き、相変わらず速攻性のさが難点ではあるものの、上記から読み取れるような残念な計略からは脱した。
5~7cも溜めれば並みの采配くらいは単騎で蹴散らせるほどの武力になり、加えて驚異的な長さの足軽っぽい何かが誕生する。
その特性超絶に対しては驚異的な牽制力を発揮し、適当を振り回してるだけで迎撃が取れてしまうという騎しっぷり。
しかもその状態から10c以上も効果が続く為、相手の騎は近づく事すらできず、乱戦しようものなら高武力で溶かされると、元清のライン上げをただ静観するしかやる事がくなってしまう。

なお計略発動時の台詞の最後が「矢だー」と伸ばすので「ヤダー!」の通称がついている。

関連項目

この記事を編集する

掲示板

おすすめトレンド

ニコニ広告で宣伝された記事

記事と一緒に動画もおすすめ!
山口剛央[単語]

提供: Pyun Pyun

もっと見る

急上昇ワード改

最終更新:2024/12/25(水) 01:00

ほめられた記事

最終更新:2024/12/25(水) 01:00

ウォッチリストに追加しました!

すでにウォッチリストに
入っています。

OK

追加に失敗しました。

OK

追加にはログインが必要です。

           

ほめた!

すでにほめています。

すでにほめています。

ほめるを取消しました。

OK

ほめるに失敗しました。

OK

ほめるの取消しに失敗しました。

OK

ほめるにはログインが必要です。

タグ編集にはログインが必要です。

タグ編集には利用規約の同意が必要です。

TOP